二十九話

 しばらくして自室に戻る。


 俺は何もやる気が起きず、ただただベッドに寄りかかり座っていた。


 時間だけが過ぎていく。




 俺には何もできない。


 俺には選択の余地などない。


 俺には力がない。


 何もできない無力で、何も知らない無知で、家族を失う苦しみを、あと数ヶ月抱えて行かなくては成らないのか?


 それだけじゃない。


 今のこの感情も、時期が過ぎれば全て忘れてしまうのか?


 また、誰にも心を開かず距離を取り逃げ続けるだけの人生に戻るのか?




 怖い。


 怖かった。




 昔は――両親がいた頃はよく笑っていた。わんぱくだった。


 いつから笑わなくなった?


 いつから消極的になった?


 いつからこうなってしまった?




 ダメだ。


 戻りたくない。


 澪と出会う前の自分に、戻りたくない。




 今がいいんだ。




 澪に出会えて育んでもらったこの感性が、感情が、魂が、俺には必要なんだ。


 失いたくない。




 自分を。


 澪を。


 関わりを。


 交流を。


 愛情を。




 その全てを構成する、記憶を――失いたくない。


「もう! 翔君お寝坊さんです!」


 昼になりようやく学校へ向かうと、校門で澪が口をとがらせ待っていた。


「――何か、ありましたか?」


 だが俺の表情を見て察したのか、すぐに心配そうな表情を浮かべる。


「澪――大事な話がある」


 その深刻さを表情から読み取り、真剣な表情で「はい」とだけ返してきた。




 時刻はすでに午後の授業が始まっていたおり、その間に俺たちは誰もいない屋上へやってきた。


「四縁に……会ってきた!?」


「ああ」


 その事を始めに告げると、澪は素っ頓狂な声を上げる。


「えっ、だって四縁って、あの神様の四縁、ですよね? この辺で祀られている」


「そう。尻尾が四つある稲荷神の四縁だ」


「えっ……だって、神様ですよ? 実在するんですか!?」


 幽霊――もとい物の怪の澪がそれを言うのかと表情に出ていたのか、少しはずかしそうに髪に触れる。


「ま、まぁ私も確かに、非日常そっち側なんですけどっ」


 抜けている澪に笑みを零すが、四縁の言葉を真剣に伝えている間は澪も真面目に耳を傾けてくれた。




「――私の罪は、存在しない?」


「間違いなくそう言っていた」


「――四縁がお父さんに、頼まれて私を救おうと?」


「ああ」


 伝えた内容を復唱しているが、その顔は困惑が浮かんでいる。


 それもそうだろう。


 なにせ六十年も繰り返してきたんだ。


 その中で何とか罪を償おうとしてきた。


 なのに、その数十年が意味のないものだったと知って、すぐに受け止められるはずがないだろう。




 澪がそれを受け止められるまで、俺はただ待った。




「翔君――」


 しばらくして落ち着いた声音で語りかけてくる。


「翔君は、自分じゃ気付いてないかもしれませんが、嘘をついたりしたら結構顔に出るタイプです」


「……そう、なのか?」


「はい。他の人には同じ無表情に見えても、私には分かります。翔君の今の話は、嘘をついてないって」


 その目は真剣で、まっすぐ俺へ向けられていた。


「最初は翔君が私を安心させようと、嘘を作ってくれたのかと思いました。でも、違うみたいですね」


「ああ、嘘じゃない」


 その返答を受け、澪は俺に寄りかかってくる。


「――翔君と私は、似たもの同士だと思うんです。お互い家族を失って、その原因が自分にあるって、家族を死に至らしめたのは自分だって、殺したのは自分だって思っていました――」


 澪は俺の胸元で顔を埋め言葉を紡ぐ。


「だからこんなにも惹かれ合ったのかもしれません。同じ負い目を抱いていたから共鳴したのかも知れません……」


 過去に想いを馳せるように間を置き、少しして再び顔を上げると、その力強い瞳で訴える。


「私は翔君の言葉を信じます! 私はお母さんを殺してないッ! 殺したのは爆弾で、それを落としていったアメリカの人たちです。私は! 翔君の、その言葉を信じます!」


 猛々しく声を張り上げ、「だからっ!」と顔を近づけ、俺の魂に呼びかける。


「翔君も! 家族を殺したのが自分だなんて、思わないで下さい!」


「――っ!」


 澪からそう返されるのを想定していなかった俺は、思わず言葉を詰まらせる。


 内心に受け入れがたい気持ちが浮かんできた。


 だが、澪に鼓舞された魂がそれを諫める。


「俺は……親を……妹を……殺してない……?」


 そうだ。


 冷静に考えればそうだ。


 親を殺したのは居眠り運転をしていた運転手と、過酷な労働を強いた企業だ。


 妹が死んだのは、伯父と伯母が追い詰めたからだ。


「だけど――俺は……護れなかった」


「だからこそ、こんなにも私のために一生懸命になってくれているんでしょう?」


「けど……」


「私も護れなかった。お母さんを護れなかった。お父さんを護れなかった。町の人を護れなかった――でも。そこで足を止めていたらダメです! そこで塞ぎ込んでいるままじゃダメなんです! だって、翔君はまだ生きているんです! ここに居るんです! だから――。だから……」


 あふれ出る涙を堪え、澪は俺の魂に訴えかける。




「だからどうか、自分を……殺さないでください!」






 なぜ澪の言葉はこんなにも響くのだろうか。




 澪と似た境遇だから?


 澪との心の距離が近いから?


 澪に好意を抱いているから?




 ああ。そうだ。




 俺は澪が好きで、愛していて、大切で、失いたくなくて、手からこぼれ落ちるのが嫌だ。


 だから今回は護りたかったんだ。今回こそは護りたかったんだ。


 澪を、なんとしても。


 そう、魂が俺を突き動かしているんだ。




 そんな澪を、俺は忘れてしまう――。


 抗えない。


 抗う術がない。


 もうタイムリミットまで半分。


 あと数ヶ月で、忘れてしまう。


 澪の事を。




 受け入れられない。


 受け入れがたい。


 受け入れたくない。




 だめだ。


 いやだ。


 こんな結末は嫌だ。




 澪の事を忘れ、死んだように生きることじゃない。


 澪がこのままさらに十数年も閉じ込められるような世界じゃない。








 俺が望むのは――




 俺は欲しいのは――




 俺が求める結末は――

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