顛末

二十九話「走馬灯」

 明かりを感じた。

 ぼやけた視界に、うまく聞き取れない声。

 男の声だった。

 野太く、たくましさすら覚える、男の声だった。盛大に無邪気に、笑っていた。

「お父さん……?」

 かすれた視界を必死にこすりながら、俺は声をかける。

 ……俺?

 いや、その声はあまりに幼く、とても可愛らしい女の子のものだった。

「おお、瑞緒子か。おはよう」

「おはよう……ございます。……誰とお話ししてたの?」

「人見知りの友人だ。瑞緒子が起きてきたから恥ずかしがって隠れてしまった」

「へぇ」

 体格の良いその男は甚平から垣間見える素肌は筋肉が浮き彫りになる程で、よく日に焼けていた。強面にも見えるが、笑った顔はどこか少年のようだった。


 視界が歪む。


 後ろ姿を目にする。

 トントントンと軽快な音と、グツグツと美味しそうな音を立てて。

「お母さん?」

 声をかけると 後ろ姿だった女性が振り向いた。

 こちらに気付くと、にこやかに問いかけてきた。

「お腹すいた?」

「うん」

「もうちょっと待っててね。すぐできるから」

「うん」

 重いまぶたを必死に持ち上げ、女性に背を向けて駆けた。


 視界が歪む。


「ああ」

 太い男の声が耳につく。

 布団を出て、蚊帳をめくり、ふすまの隙間から隣の部屋を覗き込む。

「だが、娘をおいてなど――」

「仕方ないさ、兄さん。次男坊の宿命だからな」

「だからって、今が可愛い盛りだってのに……何も今兵役だなんて――」

「戸主は兄さんなんだ。そんな弱音を吐いてると、家が潰れるぞ。それにこれだけ戦争が長引いているんだ。甲種合格者でこれまで徴集されなかった方が方が異様なんだよ。兄さんの人脈はたしかに凄いし、そのおかげで徴集されなかったのだろうが、兵役は臣民の義務だ。行かなくてはいけない」

「哲……俺は親父の付き合いを継いだだけだ。だがこの村の者はそんな俺より、お前を信頼しているんだ」

「だったらなおさらさ」

 難しい言葉だった。

 ――何をお話ししてるのだろう?

 そんな疑問を抱いているのに気づいた。

「兄さん、外ではそんな弱腰を見せないでくれよ。相沢家の長男――戸主として」


 視界が歪む。


「おめでとう!」

「おめでとう」

「おめでとー」

 村の人たちが大勢集まってきた。

 母親に手を引かれて、背の高い村人を見上げる。

 みんな一様に軍服を着た父親を褒め称える。

 首を傾げた。

 皆の言葉が静まると、一歩前へ村長が出てきた。

「相沢哲次郎君の出征を祝して、万歳っ!」

 すると、今度は皆一様に「万歳」と叫んでいたので、再度首を傾げた。

 その後、周りに讃えられ、中年の軍人に連れられて姿が見えなくなった。


 視界が歪む。


「お母さん」

 一人減った食卓で、口を開いた。

「なぁに?」

「お父さんどこ行ったの?」

「……今ね私達のために頑張ってるのよ」

 どこか言葉に元気がなかった。

「お仕事?」

「……そうね」

「いつ帰ってくるの?」

「……いつでしょうね……お母さんにも分からないわ」

「そう……」


 視界が歪む。


「あなた!」

 昼下がり、母親は血相を変えて玄関から飛び出していった。

 その先には、木の棒を脇に抱え、片足で歩く父親の姿があった。

「ただいま、瑞代」

 父親の言葉を聞いた母親は、ただ泣きじゃくっていた。

「瑞緒子はちゃんといい子にしてたか?」

「はい」

 母につられるように半泣きになりながら答えた。

 久々に触れる父は、少し元気がなかった。

 足下を見ると、片方の足がなかった。どこからないかは分からないが、ズボンの先から足が出ていなかった。

 


 視界が歪む。


 日々の食べ物が次第に減っていった。町では自由な物の売り買いはめっきり減り、家の物の多くが徴収されていった。

『大本営発表――』

 ラジオでは華々しい戦果を伝えていたが、生活は次第に困窮していった。

「瑞緒子、怪我のないよう、気をつけてね」

「はい」

 母の言葉に見送られつつ、私はいつものように工場に働きに向かった。

 本来であれば住み込みで工場で働くところを、相沢家の一人娘という事で特別視してもらっている。伯父さんは少し前に赤紙が来て戦地に行った。父は毎日のように街中を駆け回り、母も婦人会で伯母さんと共に街の人たちを支えている。ならば、私にできることは精一杯お国のために働くこと。


 視界が歪む。


 夜。疲れて寝静まった深夜。静寂を切り裂く音が町中に鳴り響く。何度目だろうか。空襲警報で起こされるのは。

 父と母と防空壕へ入る。

 けたたましく響く空襲警報の合間を縫って聞こえてくるエンジン音が耳につく。

 死神の音だ。

 私はそう思った。

 次第に音が近づいてくる。少しずつ、確実に。

 ……。

 音が上空をすぎ、次第に離れてゆく。

 それでも空手警報は鳴り響き続ける。


 視界が歪む。


 夢の中で死神の羽音を聞いた。

 地震かと思った。

 夢と現を彷徨っている最中に、それは舞い降りてきた。怒号なんて比にならない程の轟音。混じるのは枝分かれした炎が降り注ぐ音。そして、死神の足音だった。掻き消えるのは悲鳴。人の命。夢ではない。

 布団から飛び起きる。

 まだ我が家までは爆弾も火の手も来ていない。逸れている。いや――音のする方には、確かに工場の……私と同じくらいの子が働いていて、その多くが、実質住み込みで……。

 いつもは気が滅入りそうな空襲警報が鳴っていない。

「いや……そんな……」

 昔から見知った顔も、最近疎開してきて知った顔もそこにはいたはず。それが……既に……。

 悲しみはたいして感じなかった。いや、感じる余裕は無かった。

 死神の爆弾が、確実にこちらの方にも近づいてきていた。

 何も持たず慌てて外へ飛び出した。

 防空壕へ飛び込み、頑なに扉を閉ざした。


 少しして、扉を叩く音がした。

 母だ。私を呼んでいる。震える足がなかなか言うことを聞いてくれない。

「いま……今開けるから……!!」

 そう強く叫んで必死に扉に手をかける。だが、扉が頑なに閉じて開かなかった。

「嘘……いや、そんな……」

 震えが体中の力を奪っていくのを感じた。

 爆音がすぐ近くまで迫っていた。衝撃で壕全体が響き揺れる。

 気付けば扉の外に気配がない。

 なんとか震えを押さえ込み扉を開けた。

 今度は素直に扉が言うことを聞いてくれた。

 飛び込んで来た光景は、地獄の業火だった。

 その中で理解した。今目の前で燃えているモノ。すでに指先一つも動かなくなったそれが、さっきまでそこにいたはずの母であることを。

 直後。私は衝撃と痛みと共に吹き飛ばされた。


 視界が歪む。


 目を覚ます。日の光が差し込んできて、目を覚ました。

 何人かが防空壕に出入りしていた。

 ――助かった。

 そう思った。

 だが、再び扉は固く閉ざされた。


 視界が歪む。


 どれだけの時間が経っただろうか。

 一年か、二年か、三年か――

 暗闇の中で過ごした。お腹が減ることもなく、眠くなることもなく、出る事もできず、最後に助けを呼んだのはいつだっただろうか。最後に扉を叩いたのはいつだっただろうか……。

 何もできずただ地に伏した。


 視界が歪む。


 扉が開いた。どれだけの時間が経ったかわからない。ともかく扉が開き、人が数人立っている。

「あっ、あの……」

 いつ以来動かしていない足腰に鞭を振るい、私は彼らに声をかけた。

 だが、返事は帰ってこない。けれど、ようやく扉は開いた。私は外に出た。

 ……。

 そこに私の知っている町はなかった。

 更地になった家と、新しく建とうとしている家。私の知っている家はほとんど残っていない。そしてそれは、私の家も例外ではなく……。

 私は浦島太郎になってしまったのだろうか。

 そう思わずにはいられなかった。

 そして、扉の代わりに謎の青い光と衝撃と痛みが私を閉じ込めた。防空壕からほんの数歩しか動くことは叶わなかった。

 その日は紅葉も終わった晩秋の事だった。

 その夜は風が冷たかったので防空壕に戻って風をしのいだ。


 視界が歪む。


 ある日作業服をきた男たちがゾロゾロとやってきた。よく分からない機械を使って、私のいた防空壕を砂で埋めていった。やめてもらおうと何度も声をかけたが、誰も見向きもしてくれなかった。無視されているのとは違う。むしろ私に気づいてないような、そんな仕草だった。

 それは自然が身支度を終える初冬の事だった。

 私は寒さをしのぐ術を奪われ、凍える冬の夜を外で過ごした。寒さは感じた。寒さは苦痛だった。風邪を引くことは珍しくなかった。だが、どんなに極寒の夜でも凍え死ぬ事はなかった。


 視界が歪む。


 少しして、見えない壁がなくなっていることに気づいた。

 私は思わず嬉しさから辺りを駆けた。

 しかし、見えない壁は広がっただけで、家のあった敷地より外には出られなかった。

 かつての住まいはもう跡形も残っていなかった。

 代わりにボロボロの椅子や台が置いてある場所があった。


 視界が歪む。


 朝になると、幼子から上は私と同い年くらいの子までがその場所に集まってきた。そして、大人が何人か来て子供達に勉強を教え始めた。そこでも誰も私には気づいてくれないので、隣から、ある子供の教科書を覗き見てみると、なぜか黒く塗りつぶされた箇所がたくさんあった。


 視界が歪む。


 ある時は変な人がきた。目の周りがへこんでいて、肌は血色が悪いのか白っぽく、目は不思議な事に青い人がいた。彼らは厳つい自動車に乗ってきて、始めて見た時は何だか不気味な気がしたが、ここに来ていた子供達は彼らをみると嬉しそうに駆け寄って何かを言っていた。それを受けた変な人は笑いながら子供達に何かを渡していた。その何かをもらった子供達は次々とその何かを食べていた。


 視界が歪む。


 季節は巡り、春の陽気が体への負担を減らしていった。

 次第に桜も散り終え、青々とした葉で枝を覆う頃になっていた。

 この日は同じくらいの年齢の生徒たちの教室にいた。男の子は戦中にかろうじて徴兵されなかった年頃で、女の子は私と同じように工業で働いていたであろう年頃。皆十四、五歳だ。

 そんなおり、それは唐突だった。

「この問題は――相沢さん、わかる?」

 自分と同じ苗字の生徒がいた記憶がなかったので、私の辺りを見渡した。しかし、それらしき生徒は見当たらない。先生の顔に視線を向けると、先生も私を見ている気がした。いや、見ていた。

「わた……し?」

 半信半疑で問いかけると、先生は笑みをこぼしながら頷いた。

「私が……見えるの?」

 次に首を傾げるのは先生の方で、何を言っているのか理解出来ない様子だった。

 涙が溢れて止まらなかった。


 視界が歪む。


 幾ばくもしなうちに、私はその生活に打ち解けられた。

 いや、私は――と言うよりは周りが私のことを受け入れてくれた。

 この年は昭和二十五年。五年前に空襲で亡くなったと思われていた女の子が突然現れた。そんな私の存在を奇妙がる人、恐れる人も少なからずいた。

「きっと神隠しだろう」

 そんな人々に村長はそう言った。

「皆の知っての通り、相沢家の方々は長年皆の衆の為に身を粉にして尽くしてくれた」

 その言葉に反論するものは誰もいなかった。

 その村長は長年相沢家と親交が深くあったこともあり、私という存在を受け入れてくれた。

「そんな家の一人娘だ。神隠しによって災いから守ってくれていたのだろう」

 この土地に古くから根付く神が相沢家の一人娘を救った――その噂はすぐに村中に広まった。

 だが、見えない壁は無くなることはなかった。


 視界が歪む。

 

 村は戦中に比べてずっと豊かになっていた。

 朝鮮特需と呼ばれた好景気は、この村の小さな工場にも及んでいる。

 人々は戦時の傷跡を乗り越えようと頑張っている。

 村長は親切だった。多くの村人も私に親切にしてくれた。助けてくれた。それでも、見えない壁が消えることはなく、そのためだけに多くの人の労力を割いてもらうのは忍びなかった。

「大丈夫です」

 だからいつもそう口にした。


 視界が歪む。

 

「ここを……学校に?」

 私の住んでいた家があった場所は更地となり、仮設の青空教室があった。既に青空教室があったためそれほど突拍子のない話ではなかった。そこに、ちゃんとした学校を建てたいと話が舞い込んできた。

 国中を見れば、青空教室はだいぶ解消されつつあるという。

 都会を中心に学校の復旧が進んでいるらしいが、この村ではまだそこまで手が回っていなかった。それでもようやく目処がついたと村長は嬉しそうだ。

「この土地から出られない理由は分からんが、学校が建ち、生徒で活気付けば寂しくはないと思ってな。いらん世話だったら申し訳ないがの」

 元々学校は別の場所にあった。空襲で全焼したとのことだが、その土地は今も空いている。それなのにわざわざ私の住んでいた土地に学校を建てようと言うのは、村長の心遣いだった。

 私はすぐに承諾した。

 

 視界が歪む。

 

 季節は巡る。

 紅葉が舞い降る秋のことだった。

 学校の建設はだいぶ進んでいた。

 私も現場を手伝った。大工仕事は出来なかったが、昼食や飲み物の差し入れはとても喜んでもらえた。

「どうぞ」

「……ん? ああ」

 だが次第に、大工の反応が変わっていった。

 はじめは疲れているのだろうと思った。でも、その症状は次第に悪化していき、まるで私のことが見えていないようだった――

 

 視界が歪む。

 

 小雪が舞う季節になると、誰も私に気付かなくなった。

 声をかけても、触ってみても、反応がない。

 恐ろしかった。だが何も出来ないまま時間だけが過ぎてゆく。

 

 視界が歪む。

 

 新年を迎える頃には校舎は出来上がった。

 相変わらず誰も私を気にもとめない。

 そんなある日、久しぶりに村長がやってきた。村長ならきっと私が見えるはず、と思った。

「立派なものが出来ましたの」

 村長を見つけた時はちょうど校舎を見上げながら何人かと話している最中だった。

「やはり子供は宝。子供は未来そのもの。少し無理してでも学校は立てる必要はあったというものじゃ」

「はい」

「哲次郎君が生きていたらきっと遅いと叱られるだろうの」

「そうですね。ですが村長も立派に村のために働いてますよ」

「昔は礼儀の知らんはなたれ小僧だったがの」

 村長は笑いながらそう言うが、そこに悪意は感じられなかった。

「正義だと思ったことは大人に叱られても決して曲げない頑固者だった。けれど、ああいう人間は必要だがなかなかおらん」

「ええ」

「立派な若者が先に散り、罪のない子供が犠牲となる。せめて一人娘の瑞緒子は生き残って欲しかったの……」

 私は村長の最後の言葉が信じられなくて目の前に出る。私はここにいる――そう訴えたが、誰も私に気づくことは無かった。


 視界が歪む。

 

 思えば、私は食事をとらなくても空腹にならない。眠気があるのは数日に一度あるかどうか――それは『生きていたら』絶対にありえないことだ。

 わかっていた。なんとなくそんな気はしていた。けれど、一時でも私に気づいてくれた事によって、もしかしたら――と期待してしまっていた。

 でも多分、私はもう、死んでいるんだ――


 視界が歪む。


 何度も歪み、場面が転換する。

 繰り返した。春が訪れると周りの人々に認知され始める。しかし冬に差し掛かると人々は忘れてゆく――。

 それでも俺の知っている時期より長かった。入学式が行われる頃には認知されていたし、十一月頃まで忘れないでいる。

 次第に生徒の数が急増し、校舎が建て替えられる。

 途中から小中学校は移転し、高校だけとなる。

 はじめこそ忘れられる悲しみに萎縮するも、澪は次第に周りの生徒に積極的に関わっていくようになる。

 あるときは親に勘当された少女であったり、あるときは自分を見いだせないでいた不良であったり、あるときはいじめられる絵描き少年だった。

 そんな生徒たちに澪は手探りしながらも導いた。それが、罪滅ぼしであると悟った時から。

 そして……

「相沢澪といいます! えーっと……黒野、なに君だっけ?」

「翔」

「じゃあ、翔君ですね!」

 俺と出会った。

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