二十八話
「落ち着け」
四縁の声に遮られる。
と同時、その姿を再びあらわにするが、その巨大な顔がすぐ脇に来ていた。
その巨大な瞳が間近で俺を凝視する。
「人前に姿を現すのは存外、労力を要する。居なくなる訳ではない」
四縁は顔を引きつつ、再びその姿を霧散させる。
「お主の願いは知っている。相沢澪を今の囚われた楔から解き放つことだろう?」
「そう。そうだ……。頼む、あいつを、助けてやってくれ――」
「無理だ」
だがその返答は、あまりにも即答で、そして無慈悲だった。
「あの楔を打ち込んだ者は、愚かにもかの者を救おうとしたのだ。業火で逃げ惑う人々の中から、かの者に肩入れをし、そして彼女だけでも救おうとしたのだ」
だがそれが全ての元凶であると四縁は続ける。
「思えば、その者の力は未熟であった。故に、生者とも死者とも違う成れの果て――
「じゃあ……じゃあどうすれば……。何か他に方法は……」
「案ずるな小僧。あの楔はもう長くは持たぬ。あと数年、あるいは十数年もすれば、解き放たれ、
「黄泉――つまり、死ぬ……?」
「成仏、と言い換えた方が分かりやすいか?」
「……そんな――」
その結末は――だが、このまま何もできないよりは――
「小僧。お前は高望みしすぎておるな。このまま彼女を解き放ち、共に人の道を歩みたいと、本気で望んでおるな」
「ああ……。ああ、そうだ。俺はそう望んでいる」
四縁は俺の言葉を受けて、高笑いを響かせる。
「浅はかな人の子が考えることだ。人と人ならざる者が共に歩むなど、どだい無理な話であるというのに」
その言葉を否定したかった。
そうではないのだと、俺たちは違うのだと――だが、言葉は出てこない。
なにせそれを言えるだけの力が自分にないからだ。
澪を解放してやれるだけの力がないからだ。
自分が、口だけの無能だからだ。
「小僧よ、よく聞け。人の世と、神や物の怪は密接な関係にある。だがしかし、人と物の怪は共に歩むことはできぬ。人と神もそうだ。――小僧、お前は人の子として生き、そして死んでいくのだ。それがこの世の理だ」
「だが……神なら……神ほどもなれば――」
四縁の溜め息が耳に届く。
「最近は西洋の色が濃くなりすぎてていかん。神は全知全能などではなく、もっと普遍的に存在し、時には人以上に愚かな事をしでかすものだ」
自虐的に鼻で笑い、一呼吸おいて四縁は続ける。
「小僧、お前の役割は一つだ。かの者――相沢澪に伝えてやれ」
「伝……える?」
「『罪など存在せぬ。お前の母親を殺したのは業火を撒いた者達だ。断じておぬしではない』――と」
「……そう、なのか?」
「あの子の母親はな、その気になれば自力で扉を開けられた。だがあえて開けなかった。開ければ業火が中にも入り込み、娘が死に至るからだ。だからこそ、その身を焦がしながら、中に愛娘が居ることを確認し、そして息絶えたのだ」
「……そう……だったのか――」
「そう遠くない将来、楔は失われる。さすれば現世に魂を縛る枷はなく、また在りもしない罪を償う必要はない。安らかに黄泉へ旅立つ事ができる。おぬしの望みは、かの者が現世に留めておく行為だ。物の怪として、現世に縛り付ける事に他ならない」
だが――。
反論を口にしたかった。
――きっと澪も、それを望んでくれるのではないか。
そう思ったからだ。
だが、それを実現するための力は、俺にはない。
「質問を――してもいいだろうか?」
代わりにそう切り出した。
四縁は同意し、単刀直入に問いかける。
「なぜ、それを自分で伝えてやらない?」
「この有様をみろ。がらんどうで寂れた
「なら、なぜもっと早くに――そうなる前に伝えてやらなかった?」
「神は安易にその姿を現すわけにはいかぬ。信仰と認知は真逆だからだ。神が居るとの事実が広まってはならぬ。神が居ると信じる者が居なくてはならぬ。それが信仰であり、神の力となる。――かつて神獣であったが、広く人々に存在を認識されるようになった故に、力を失い単なる動物に成り下がった者達は数えきれぬ」
――故に、安易に人前に姿を現す事も、声を聞かせる事も避けなくてはならないのだと、四縁は告げる。
「なら、なぜ人づてに――」
「ここにも神職が居たならば、それもできたであろう。だが、もう長いこと居らぬ。あの業火の日からだ。たとえ人づてに伝えさせたところで、肝心の相沢澪がそれを信じられなくては意味がなかろう」
だが――と、四縁がその姿は見えないながらも顔がこちらに近づいたのが分かる。
「おぬしの言葉ならば、かの者は信じるだろう。信じられずとも、信じるに値すると考えるであろう」
「それは――」
確かに見知らぬ第三者に「澪の罪は本当はない」と言われても、それを受け入れられないだろう。
加えて――とさらに理由を列挙する。
「当初、この話は大沢にするつもりでおった。おぬしが大沢を学校へ導けば、大沢は間違いなく自身の知る相沢瑞緒子なのだと理解し、楔に抗おうとしている事を知り、再び力になろうとしたであろう。故に、この話はその段になってから儂が告げるつもりでいた。おぬしと上手く巡り会ったようだからな」
だが――と再三大きくため息をつく。
「まさか病に倒れるとは、間の悪い奴よ」
「……なぜ、もっと昔にそうしなかった? 大沢さんが若い頃には澪を認識し、そして何とかしようと奮闘していたと聞いている」
「あの戦争は神々にも多くの混乱を招いた。信仰が途絶え、そのまま消えていった者も多い。その中でただ一人の物の怪に気を回す余裕など、あの頃にはなかった」
凄惨な歴史を、俺は知らない。知識として知ってはいるが、実感として持っていない。そのため、戦争の話を出されると下手な事は言えなくなってしまう。
経験のない若造がどれだけ聞き心地のいい言葉を並べたところで、きれい事にしかならないからだ。
「すまない――」
「構わぬ。人の子は理想に貪欲であるべきだ。はじめから神の理を理解している者などいるものではない」
子供を見守る親の気持ちとでも表現するのだろうか。
幼児がはじめから何でもできるわけがなく、挑戦し失敗し、そこから少しずつ学んでいく。
神と人とはそれほどの隔たりがあるのだろうか。
少なくとも、四縁の口調はそう思わせるものだった。
「――じゃあ貪欲にもう一つ教えて欲しい」
「なんだ?」
「澪に楔を打ち込んだ者に関して」
一瞬、四縁が言葉を窮した気がした。
「知ってどうする」
「どうしようもないと思う。ただ、それが四縁――あなたなのか、それだけ聞いておきたい」
四縁の口が閉ざされ、静寂が流れる。
「なぜ、そう考えた」
「根拠はなにもない。――けど『一人の物の怪に気を回す余裕はない』と言っておいて、ずいぶんと澪の抱く罪について詳しく感じた。それは『神だから』と言われればそうなのかもしれないけど、それに『楔を打ち込んだ者』について語る時に妙に抽象的だった気がする」
それと――俺は下手に会話を割り込ませたくないと、矢継ぎ早で続ける。
「さっきの四縁の姿――その毛並みが、澪の髪の毛とそっくりだった。澪は元々黒髪だったのに、金髪に変化していったと言っていた。あとは、自分の知る限り、この近くに他の神社がないみたいだった。そして寂れた神社。失われつつある信仰――。近いうちに失われる楔――。そういうのを鑑みて、『未熟者』がかつての自分を皮肉る言い回しなのかと、そう思った」
四縁からの返答はない。
ただ、無言が帰ってくる。
しかしその間は、肯定を表しているように感じられた。
それでも、それ以上こちらから先に口を開くことはしなかった。
ここに居るのは、四縁を論破するためでも、対立するためでもないからだ。
「少し語りすぎたようだ」
まったく――とつく溜め息は、自虐めいていた。
「よかろう。二度も忘れておきながらここまで辿り着いた褒美に教えてやろう。――そうだ。儂がかつてあの子を救おうと試みた。その結果がこれだ」
「なぜ――」
「神社には神職が必要だ。なぜなら人々の前に姿を現さずとも、神の言葉や意思を伝える事ができる。さすれば人は神を認知する事なく存在を信じる事ができる」
そして――
「戦前はここにも宮司が居たが、戦争が始まってからは実質的に相沢哲次郎がその役割を担っていた」
「――澪の、父親が?」
「ああ。彼は生まれつき神や物の怪を
「それは、昔はよくある話……なのだろうか」
「血縁によって引き継がれて行くことが多い。だが希に不意に生まれてきたりする。哲次郎もそうだ。そういう者は新たに神職に就くことが多かった」
「それで、哲次郎さんもこの神社に?」
「いや。結局あいつは神職に就かなかった。情勢が情勢だったからな。神職としてではなく、地主としてこの街の為に身を粉にすることを選んだ」
実質的に担っていたとは、役職として受けていたわけではないという意味のようだ。
「だが、儂は奴のことを気に入っていた。神としてではなく、友として見続けてくれたのは、奴で二人目だったからな」
――二人目。
その前にもいたのかという疑問もさることながら、四縁がどれだけの時を生きているのかについても気になるところだ。
人より遙かに生きているのだろう。
その中で二人目というのがどれほど大きな意味を持つのかを感じ取る。
「そして業火が降ってきた日――お前達が空襲と呼ぶその日、儂は無力に打ちひしがれていた。物量に対し儂の神の力など焼け石に水でなにもできなかった。故に、誰も助けられないよりはと、友を、哲次郎を助けに向かった。だが肝心の哲次郎は、頑として逃げだそうとしなかった。最後まで一人でも多くの者達を助けようとな」
姿は見えずとも、その口調は長い年月を思わせる重みを感じた。
「そして、そんな哲次郎から頼まれたのだ。妻子を護ってくれとな。さすれば
言葉から強い後悔の念を感じた。まさに人と同じように。
「だからこそ、せめてあの子だけでも助けようとした。爆風と火焔からその身を護ったが、破砕片を防ぎきれなかった。儂は何とか助けようとした。だが未熟だったが為に生者とも死者とも成れない半端者にしてしまったのだ」
大きな溜め息は、それだけの口惜しさがにじみ出ていた。
「見込みが甘かったのだ。その時も、その後もだ。――戦争が終われば、これまでのように信仰が戻ってくると考えていた。今は物の怪と成ろうとも、かつてのように力が戻れば助けてやれると思っていた。必要なら儂の庇護下に入れ神使として迎え入れても良いと考えていた。だが、世の中は神を必要としなくなっていた。不明瞭な神よりも、結果が明確な科学こそが繁栄と安定をもたらした」
必要とされなくなれば
「それでも神の力を蓄えてきた。少ない信仰から、何とかあの子を解き放つだけの力を得ようとした。――だが、一定量を超えた力はあの子に漏れ出している。底なし
四縁は自身をそう卑下し、少し間を押してさらに言葉を続ける。
「今の年寄り達が黄泉へ旅立てば、信仰から力を得ることもなくなる。すなわち、私からあの子へ流れる力も同様に止まる。そうなれば、自然とあの子を捕らえていた効力も無くなろう」
「だがそうなったら、澪だけじゃ無く、四縁――あなたも」
「そうだな。だがそれしか手立てはない。どちらにせよ淘汰される一柱の小さな神だ」
その言葉の意味するところは分かるが、それでも理解するまでに静寂を要した。
「……他にもう、手立てはないのか?」
「そうだな。おぬしが信仰を広めることで、儂の力が劇的に戻ればお前の望む未来も手に入れられよう」
「――っ!」
それならば――と一瞬光明が見えた気がしたが、すぐにダメだと悟る。
「……だがそれには時間が――」
「ああ、記憶を失うまでの残り時間でだ。あるいは、忘れたとしても続ければいつの日かたどり着けるかもしれんな。だが、中途半端な結果に終われば、それはただ単にあの子を縛り付けておく時が増えるだけだ」
「それでは……」
意味がない。助けようとして事態を悪化させるなど、愚の骨頂だ。
「ああ、だめだろう?」
その事を理解した上での発言だったようだ。
神社を後にする。
境内を抜け、帰路につきながら思考がずっと脳裏を巡り続ける。
――おぬしにできる事はせめて、あの子の余生から重荷を取ることだけだ。そしてそれは、あの子が信頼しているおぬしにしか出来ぬことだ。
別れ際、の四縁の言葉が何度も脳裏をよぎる。
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