二十七話
翌早朝、再び神社まで行ってみると、大沢がすでに箒がけをしていた。
「何じゃお前、また来たのか」
「はい」
早々にこちらに気付くと、大沢はぶっきらぼうに声を投げてくるが、その口調は少し嬉しそうだった。
「結局、昨日はちゃんと掃除、できてませんでしたから」
「ふん。まぁ最近の若いのにしては出来とるようだな」
大沢に近づき手を差し出すと、その意図は伝わったようで押しつけるように箒を渡してくる。
「それに父の事ももっと聞きたいですし……。個人的には、昨日言われていた哲次郎さんという方がどのような方なのか気になっています」
「そうか。まぁいいだろう。そうだな。お前の父親の話は、また今度ゆっくり茶でも飲みながら話してやろう」
「はい。お願いします」
「哲次郎さんは、まさに男だった」
「男、ですか?」
「まずな、体格が凄いんだ。筋肉隆々としていてな。誰よりも力強く、誰よりも屈強だった。喧嘩においては右に出る者なし。それなのに、本人はその事を誇示したりしなかった」
「それは……すごいですね」
「ああ。そのうえ懐が深く頭もいい。人は、自分の理解できない意見や違う意見に対してはつい否定的になるものだ。過小評価したり取り合わなかったりする者も多い。だが哲次郎さんは自分と違う意見にも耳を傾け、理解しようと努め、周りが臆する場面でも決断を下すことができた」
「男の中の男――といった感じですね」
「そうだ。本当に凄い人だった。あんな男になりたいと、儂は小さい頃から思っていた」
だがこちらに振り向くと鼻高々に付けくわえる。
「まぁ理数系の勉学に関しては儂の方が上だったがね」
途中に妙に自分の自慢を挟んで来るが、本人は楽しそうなのでよしとする。
「だが、哲次郎には孝一郎という兄がいてな。この人は虚弱体質だったが、それはもうずば抜けて頭のいい人だった。儂なんてまるで話しにならんくらいにな」
「お兄さんの方が凄かったんですか?」
「比べるのは難しいな。孝一郎さんは頭がいいだけではなく、とても広い人脈を持っていて、世渡りや交渉ごとのとても上手い人だった」
「兄弟そろって凄かったんですね」
「二人がそろっているときはまさに鬼に金棒と言った感じだ。それに敵う者など、この町にはいなかっただろう」
楽しげに話していた大沢だったが、フッとその表情に暗闇が落ちる。
「ほんと、戦争なんかなければ、今頃は……」
「ひぃじーじ~~っ!」
そんな折、そんな幼子の声が境内に響き渡る。
超えにつられて振り向くと、四、五歳ほどの女の子がかけよって大沢にひっついた。
「どうしたどうした。そんなに慌てて」
「あのねっ! ママが朝ご飯できたって!」
もう一人階段を上がってくる人影に目をやると三十代ほどの女性がいた。
向こうもこちらに気付いた様で会釈をし、こちらも同じように返した。
「もう腰が悪いんだから、無理しないでよね」
「うっさいわ。年寄り扱いすんな」
「そんな言葉をこの子が覚えたらどうするのよ」
「うっさいわ~~!」
大沢とその孫娘の会話を、ひ孫がまねをする。
それはほのぼのとした家族団らんの光景に見えた。
――俺も、この子くらい小さな時はこうやって……。
そう感傷に浸りながら。
「ごめんなさいね。拙いところをお見せして」
「いえ。とても仲むつまじくていいと思います」
そんなやりとりをしていると、大沢さんは眉間に皺を寄せて吐き出す。
「なにが仲むつまじい、だ。最近の若い奴は目上を敬うと言う事を知らん!」
まったく――とひ孫に手を引かれながら境内を後にする。
「黒野」
その途中で大沢は声を上げる。
「すまんが箒はその辺に立てかけておいてくれ。話はまた今度ゆっくりな」
「はい」
一礼をして見送ると、満足げな顔を浮かべて去って行く。
「邪魔したようでごめんなさいね」
「いえ、急ぎの話でもなかったので」
境内に一人残った俺はひとしきり掃除をし、社務所前に箒を立てかけその場を後にした。
翌早朝。
再び神社に来てみるが、そこには大沢の姿はまだなかった。
ふと見ると、社務所前に立てかけられた箒はそのままになっていた。
――高齢で腰も悪そうだったから、昨日はあの後戻ってこられなかったのだろう。
そんな事を思い箒を手に取り、辺りを軽く清掃しておく。
しばらく経っても大沢の姿は現れない。
だが仕方ない。
別に今日会う約束をしていたわけではなく、人にはそれぞれ予定がある。
――そういえば今は何時だろうか。
腕時計も携帯電話もなく、周囲に時計は見当たらない為に正確な時間が分からない。
日の出の具合から「あまり長居していると遅刻するな」と考え、もう少しだけ待ってみる事にした。
その間に財布から小銭を取り出し、賽銭箱に入れる。
鈴を鳴らし、澪の事を願う。
それがたとえ自分に対する慰めであっても。
少しして風が出てくる。
湿度の高く生ぬるい風だ。
「また明日待ってみるか……」
境内の脇で下ろしていた腰を上げた時だった。
ふと背後の本殿の方から声が聞こえる。
「大沢ならしばらく来ぬぞ」
ふと声のした本殿へ振り返るが、そこには誰も見当たらなかった。
周囲を見渡してみても、人の気配はない。
「……誰だ……?」
「奴なら
「倒れ、た!?」
何度も周囲へ目配りするが、声はすれど姿は見えない。
声の主は低く重厚で、渋い男の声だった。
「入って参れ」
そんな声と共に、賽銭箱の奥にある扉――本殿の扉がわずかに開く。
そこに人がいた気配は感じられなかった。
事態に理解が及ばなかったが、それでも賽銭箱の脇を抜け数段の階段を上がり、そして扉に手をかける。
「土足で構わん」
扉を開けると、外観に比べ中の老朽化は思った以上に激しかった。
一番奥にある狐の石像はご神体のようだが、それすらも大きくヒビが入り一部が欠けていた。
「まったく、大沢は昔から間の悪い奴よ」
そのまま一歩踏み入れると、声は相変わらず聞こえてきた。
それは本殿内の、奥――ご神体から聞こえてくるようだった。
「大沢さんは……無事なんですか?」
おそるおそる、その声に問いかける。
「お前達の言う心筋梗塞というやつだが――なに、命は取り留めたようだ」
その言葉で、一つ安心感を得る。
だがその言葉がどこから聞こえてくるのか、その正体が何なのか分からず、その安堵はすぐに霧散する。
「本来ならば大沢にその役を与えようと思っておったところだが、こうなっては仕方があるまい」
声の主はそう告げ、その姿を現す。
目の前には何もなかった。ただ寂れた本殿があった。先ほどまでは。
薄らと不透明な物体が現れたかと思うと、すぐに鮮明化する。
狐だった。
だがそれはただの狐ではないことは一目瞭然だ。
まずその体格があまりにも大きい。
全長は三メートルから四メートルもあり、その尻尾は四つ。
黄金色に輝く毛並みは、まるで澪のように煌びやかで、目元に描かれた朱いラインは、神秘さを思わせる。
「にしても小僧。少しやつれたな」
その声の主はこちらを知っている様子で、その声は少し和解が含まれているようだ。
「相沢澪に固執しなければ、そうはならなかったであろう」
「澪の事を、知っているのか?」
「知っているとも、小僧よりもはるかにな」
「――あなたは、四縁……?」
途中にある祠も、ここの神社も、そしてご神体も四つの狐を持つ狐だった。
そして、目の前に現れた巨大な四つの尾を持つ狐。すなわち彼こそが四縁なのだと、そう感じずには居られなかった。
「いかにも」
もし澪と出会う前なら、信じていなかったかもしれない。
これだけ現実離れした巨大な姿を見れば驚きはするだろうが、それを神として認識する事はできず、単なる化け物と受け取っただろう。
だがその姿はすぐに霧散して消えてしまった。
「……っ! 待ってくれ!」
今この機会を逃すわけには行かない。
――幽霊が居るなら、神が居てもいいのではないか。
そう思っていた。そして目の前に現れた。
なのに、その状況で何もできず、機会を取りこぼす事は受け入れられなかった。
「頼む! 消える前に願いを聞いてくれ! 澪を――」
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