二十七話「断末魔」

 ふと、目を覚ます。

 あたりを見渡し、俺は自分が寝ていたことを自覚する。

 ゆっくりと上半身を起こした折、蝉の断末魔が聞こえる。

 蝉は、何年も土の中で生きるのに、成虫になってからわずか数週間しか生きられない。

 俺も蝉と変わらない――そう思った。

 どれだけ頑張っても、あの鳴き声は断末魔でしかない。死ぬために鳴いてるんだ。俺も、死ぬために生きているようなものだ。人間一人に出来ることなんてたかが知れていて、俺は何も出来ずにこのまま埋もれていく。断末魔の後の蝉の死体なんて誰も気にしない。土に埋もれるか、ゴミとして捨てられるか。俺もそうなる――。

 そんなことを考えながら、俺は体を起こした。既に日が暮れつつある。

 俺は、澪に膝枕されて寝ていたらしい。泣いたまま寝るなど、小学生かと思った。よく見ると、澪もすやすやと眠っていた。その寝顔に俺は顔を緩ませながら、隣に座った。

「ありがとう」

 そう呟きながら。それは、スッ――と口から漏れた本音だったのだろう。

 話を聞いてくれたことに対してだろうか。俺を受け止めてくれたからだろうか。そばにいてくれるからだろうか。

 いや、全てだろう。

 もし澪と出会わなければ、俺はずっとふさぎこんだままだったかもしれない。俺は、澪に感謝してもしきれないと思いつつ、俺はやっぱり澪のことが好きなのだと思った。

「愛してる」

 再び口から言葉が漏れ出た。

 また、蝉の断末魔が一つ聞こえてきた。

「断末魔、か――」

 俺はそれらに耳を傾ける。蝉の鳴き声、キリギリスやコオロギの鳴き声もところどころ混じっている。後は、風になびく木の葉のさえずり。

 再度、蝉の断末魔が耳についた。


 ――待て、よ?


 何も考えず、ボーっとしていたはずだった。だが、俺の脳裏は急速に働きだす。

 四縁は――神はなんと言った?

 ――神も物の怪も元を辿れば同じ。

 その前にはなんと言っていた?

 ――人の恐怖から生まれ、畏れや恐怖心、魂を喰らい成長していく。

 ならば、神も人を喰らうことは出来るのではないか? そうだ。神もできるはずだ。それで力を取り戻せるはずだ。

 脳裏に、ひとつの考えが浮かぶ。

 ――俺の命を代償にすれば、救うことができるのではないか?

 一度、その考えを否定する。澪はそれを望まない。解っている。

 だが脳裏に焼きついた考えは、決して離れようとはしなかった。

 俺は忘れてしまう。幾ばくもしないうちに、澪の記憶は消えてしまう。ではその先に何があるというのか。無下に生きていくだけの人生に、価値などあるのか?

 ……ならば――

 ならば、蝉のように、鳴ける間に鳴いた方がいいのではないか?

 人はいつか死ぬんだ。だったら、意味のある人生だったと、誇って死ぬ方がいい。


 四縁のもとに足を運んだ。資料館は閉館間近で、人は相変わらずいなかった。

『また来るとはな』

 石像の前に立つと、すぐにそう声が聞こえてきた。

「いくつか聞きたい」

『断る』

 語調を強め、そうきっぱりと言い放った。

『儂は二度と人の魂を喰わないと誓った』

 どうやら、すでに俺の心は読まれているらしい。

「なぜ」

 だが、無論のこと簡単に引き下がるわけもない。

『そう決めたからだ』

「どうして」

『そう約束したからだ』

「……だれと」

『……』

 俺の問いかけに、四縁は言葉をつまらせていた。

「約束は、一人でするものではないんじゃないか? 一人でするなら、『決意』や『覚悟』の方が正しい」

 揚げ足取りと言えば、そうなのかもしれない。だが、俺は追及の隙は見せない。

「かつてあんたが話した口調は、とても客観的なものとは思えない。他にも戦争で犠牲になった人は大勢いたはずだ。だが、あんたは妙に澪のことを詳しく語ったな」

『……神だからな』

 そう結論付ける口調は少々覇気が足りないように思えた。

「澪の父親は、確か哲次郎、って言ったな。その時、確か『哲』と称していたよな」

『哲次郎では長いからな』

「神なのに?」

『……ああ』

「むしろ、哲と呼んでしまえば、他にもいろんな人が当てはまると思うが? 哲也とか? 哲夫とか? なのにあえて略した真意がいまいち理解できないんだが?」

『小僧、何が言いたい』

「心が読めるなら、勝手にのぞくといい」

 どうやら、神と言えど、全知全能ではないらしい。

「あんたの話を思い返してみて感じた。妙に肩入れしすぎではないか?」

 神からの返答はない。

「違うならぜひ是非聞かせて欲しい。相沢家以外の、空襲時の実情を、同じように詳しく」

『……はぁ』

 ため息が聞こえた。神もため息を漏らすのかと新たな一面を見れた気がするが、今は言葉の続きを待った。

『だから頑固者は嫌いだ。そこまで言うか?』

「頑固そうだったから。言い負かさないと、まず聞く耳を持ってもらいないかと」

 と言っても、別に前もって何を言おうか考えていたわけではない。心を読まれては意味がないのだからとっさに言葉を紡いだが、思いのほかすらすらと言葉が出てきて自分自身でも驚いているくらいだ。

『だが、儂は人を喰ったりはせぬ。哲と約束した』

「なぜ、あんたは相沢家にそれほど肩入れするんだ?」

『哲はよき友であった。人望に長け、人を好み、争いを嫌った。哲と知り合ったのは彼がまだ十にも満たない時だったよ』

 その頃は石像に憑依することもなく、野を自由に駆けることができたという。そこで、澪の父親に出会った。本来、神のほうが意識して姿を現さなければ人には見えないはずないが、彼には見えたという。

『今では霊感など呼ばれているが、昔からそのような者は時折おった。それで、よく遊び相手をさせられた』

「神なのに?」

『まったく、神を奉るなど微塵も考えていない奴だったよ』

 それでも神は、次第にその人柄に惹かれていったのだという。

『決して物おじせず、自分の信じた正義を貫く男だった。どんな年上でも、弱い者いじめを見つけると勇猛果敢に、時に無謀に挑んでいた。結婚をしてからは、妻に何度も止められながらも、尚自分の正義を信じていた』

 澪の父親はすごい人だったのだと、実感できるような口調だった。

 しかし、すぐにその口調も色あせてしまう。

『だがそれも僅かな間で、十年と経たぬ間に、彼は徴兵されていった。人が傷つくことを最も嫌った彼が、軍人となって、戦場で人を殺さなくてはならなくなった。徴兵された時は戦時ではなかった。しかし幾ばくとしないうち、日中戦争と呼ばれる戦争が起こってしまった』

 それが、どれをほど彼を苦しめたことか――神は、そう声を落としながらつづけた。

『戦地で足を失い戻ってきたとき、哲の心には安堵を抱いていた』

「安堵……? 足を失って?」

『もうこれで、人を傷つけずに済む――そんな安堵だ。国を背負い戦うということは、美徳としてとらえれば、国や家族を守っていることと言える。だが、それは紛れもなく人を傷つけ殺めることに加担しているという客観的事実もそこにある。その狭間から逃れられたことに、哲はひどく安堵していた』

「だが、それは――」

『ああ、それは気休めでしかない。自分に戦争を止める権限があれば、どれだけ幸せなことか――そういつも心に置いてあった。哲はそれでも、町の為に尽くした。戦争で男手が足りないところは数えきれなかったからな』

 そんな彼に、神は肩入れせずにはいられなかったのだという。

『哲はよき相棒だった。哲が人々をまとめ上げ、儂が人々を導き諭した。それでいて人望におぼれることなく、常に自分は一歩身を引き謙遜することを忘れなかった』

 戦争が激化しても、貧困がさらに拡大しても、彼は町の人に勇気を与え続けたのだという。

 だが、

『あの日、儂は助けられなかった。迫りくる火の海で逃げ惑う人々に対し、儂は何もできない無力な神だった。儂らのような小さき神は、田畑を少しだけ元気にしたり、人の心を諭したり、ちょっとしたきっかけを与える程度の存在だ。それが土地神というものだ』

 それでも、物理的にまったく干渉できないわけではないらしい。

『降り注ぐ全ての爆弾をどうにかできる訳はなかった。それでも、少しだけ軌道をずらしてやることができた』

 それで、少しでも相沢家を助けようとしたのだという。

『それも長くは続かなかった。すぐに力はつき始めた』

「けど、もしそんなことをすれば、他の所に落ちるだけじゃ?」

『その通りだよ。出来るだけ人の少ない山や川に誘導したが、全てなど到底不可能だ』

 怒られたよ。そう、神は自嘲とともに語る。

『力も尽きかけ、哲の所に駆けこんだ。逃げろ――と。そこで、つい言ってしまった。これ以上は持たない――とな。それは、儂のやったことを感づかせるには十分だったらしい。なぜこの家に落とさないのか――と怒られた。哲は、火の海にのまれようとしている最中も、他の人が犠牲になるくらいなら、自分が犠牲になった方がいいと考えていた』

 おそらく俺には決して手の届かないほど、澪の父親は偉大な人柄だったのだろう。

『だが、そんな哲も、最後にわがままを聞いてくれと言ってきた』

「わがまま……?」

『自分の嫁と娘を――瑞代と瑞緒子を守ってくれ、と』

 その目は、死の覚悟を決めた男の目だったという。

『儂も、神としてまだまだ未熟だったのだ。神は誰しもに平等でなければならない。だが、儂は明らかに彼らに加担しすぎた』

 それは、神の背負う罪の意識なのかもしれない。

『そして哲は、今のお前と同じ目をしていたよ』

「俺、と?」

『大切な人を守るために自己犠牲すらいとわない。そんな目だ』

「……食ったのか? 彼を」

『そうしなければならないほど力が衰えていた。火の海の中すでに大勢の人が日にのみこまれたうえ、信仰心など思う余裕はなかったであろうしな』

 そして、澪の母親――瑞代の防空壕での場面につながる。

『儂は瑞代の元に急いだ。だが、彼女を視界に捉えた瞬間、爆弾が近くに降り注ぎ、爆風と炎が先に彼女を襲った。儂は哲の最期の願いを聞きいれてやれなかったことに、躊躇してしまった』

 それが、全ての始まり。

『茫然と立ち尽くした。足を完全に止めて。瑞代は、すでに事切れていたのだから。……そんな折、防空壕の扉が開いた』

「澪――か?」

『ああ。だが、再び爆弾が降ってきた。まるで見計らったかのようにな。儂は必死に爆弾を逸らそうとした。だが、気付くのが遅すぎた。茫然とした僅かな時間が命取りだった』

 爆弾は近くで爆破し、その衝撃で澪は防空壕の奥へ吹き飛ばされ、重傷を負った。

『儂は駆け寄った。その時、かすかに彼女の息はあった』

 その時の判断が、今の事態を作り出してしまったのだという。

『私は残された力を振り絞って、その命をとどめようとした。血を止め、傷口をふさぎ、救おうとした。だが、儂には手に負えないほどの傷だった。儂の愚かな行動は、結果として彼女の魂だけをこの場に縛りつけてしまった』

 その言葉は、俺が初めて聞く事柄だった。

『すまない』

 そう、神は口にする。

『儂の所為だ』

 その言葉は懺悔を感じさせた。何年もの間、何十年もの間貯め込んでいた後悔を。

 神とは、人々に望まれて生まれると言っていた。ならばその神は、もしかしたら人間味を帯びるのは至極当然なのかもしれない。

『儂は眠った。いや、一度消滅したのかもしれぬ。だが、気付けばこの石像を宿り木として目を覚ました。戦争が終わり数年後の話だ。生き残った町の人々の、かすかな信仰心が、きっと儂を呼び戻したのだろう』

 だがその時には力は弱り果て、澪の囚われた場所にいくことすら叶わなかったという。

『地縛霊とは死んだ地に囚われる。だが戦後、あの防空壕は埋め立てられた。囚われた地や物が亡くなった場合、地縛霊は行動範囲を広げることができる時がある』

 澪もその例の一つで、故に、学校の敷地――かつての自宅の敷地程度まで行動範囲が広がったのだという。

『儂の所為だ。弁明はせぬ。だが、人を喰らい得た力など、儂は認めぬ。たとえ本人が希望したとしても、命を奪うなど、儂にはもう出来ぬ』

 本当に、この神は人間らしいと思った。

「だったら、彼の遺言はどうするんだ?」

『遺言だと?』

「たった今自分で言っただろう。哲次郎は――澪の父親は、最期に『澪を守ってくれ』と、あんたに言った。それはどうするんだ」

『だが、すでに――』

「まさか、死んだのだからもう彼の遺言は反故にしてもいいなんて――」

『違う!!』

 神はそれまでの落ち着いた口調からはらしからぬほど声を荒らげた。

『誰もそんなこと――』

「だったら、なぜ助けない」

『無理だ!! このような状況にまで事態が悪化しては、どうにもならん』

「解ってる。それに、過去のことを責めるつもりはない。だけど――」

 俺は、自戒とともにその言葉を言い放った。

「今出来ることをせず、無理だ無理だと結論づけて、それでいいのか?」

 神は、言葉を返してこない。

「いつかは解放されるかもしれない。でも、それは本当に澪の為になるのか? 澪が苦しみ、悲しみ、痛みを伴って消え果てることが、本当に澪のためなのか!?」

 ばつが悪そうだった。

 俺程度の考えなんて、神は何度も思ったに違いない。何年も、何十年も、俺が推し量るにはあまりに長い年月を。

「俺はもう、したくない。何もしなかったという後悔だけは、絶対に――」

 丹波の言っていた言葉が脳裏で重なる。

「だから頼む。俺の命を、使ってくれ……!」

 神は何も言わなかった。

 俺はただ待った。

 神の返事を、ただ待った。

『帰れ』

 小さく、そう言った。

「だが――」

『少し、考えさせてくれ――』

 それは否定ではなく、葛藤の言葉だった。

「……ああ」

 本当に、人間のような神だと思った。


 俺は自室に戻り、考える。

 神は人から求められて生まれ、忘れ去られると死んでゆく。

 ならば、神とは、一体何の為に生れてくるというのか。そこに自由などなく、人間の求められる行動をしなければ生きてはいけないのだとすれば、どれほど束縛された生き方をしなければならないというのか。もし神が自己の自由など謳えば、物の怪と呼ばれてしまうのだろうか。

 俺に神のことは解らない。

 俺は人間だ。

 神ではない。

 ただ少なくとも言えることは、俺は四縁や澪よりよっぽど恵まれた環境にいるということだ。決して逃れられない楔に囚われているわけでもない。その気になれば、どこにでも行ける。日本のどこでも、外国でさえ。

 それなのに、俺は過去に固執して、過去に囚われた自分に酔っていて、そのことが不幸だと嘆いている。学校や社会が悪いと、責任を転嫁して。

 本当に、俺はバカだ。

 そんなことすらも、今まで自覚できなかったなんて。

 本当に、この上ないほどの、バカだ。

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