二十五話

 ――神なんて居ない。


 そう思っていた。


 宗教はビジネスで、頭の悪い人たちから金を巻き上げるシステムだと、伯母を見て思っていた。


 だが、人は無力な自分にさいなまれると、頼りたくなってしまうのだと実感する。


 それが実態の分からない神という存在であったとしても。


 神頼みを始めるなど、いよいよ八方塞がりだな――自分の無力さに乾いた笑いが漏れる。


 長い青息吐息を吐き出し、本殿に背を向ける。




 ちょうどその時、石階段を上ってきた老人と鉢合わせる。


「若い奴がこんなところに居るなんて珍しい事もあるもんだ」


 おじいさんはこちらに気付くと、そう言葉をかけてくる。


「どうした若者。悩み事か」


 曲がった腰は重そうで、歩行は杖とすり足で辛うじての老人はこちらに歩み寄ってくる。


「ここは縁結びの神様がおる。さては恋人が欲しくて来てたのか?」


「いえ、そういうわけでは」


「なんだそうか。まぁそのいけ好かない顔だと女には困らなさそうだの」


 呆けているのか、急に憤慨した様子で吐き捨てる。


「モテる男はいいのぉ。儂もそういう人生を生きてみたいもんだ」


 溜め息交じりに呟いていたかと思うと、案外元気そうに杖で地面と小突く。


「そういうときは謙遜せんかい! 『そんな事はありません』と目上の人を立てるんだ! 全く! 今の若い者は……」


 教師のような面倒な人だな――と考えていると、「ちょっとこっちに来い」と呼びつけられる。


 そのまま帰っても良かったが、まぁいいかと様子をうかがっていると、本殿横にある社務所に勝手に入っていき、中から竹箒と熊手を持って現れる。


「手伝え」


 そう言って熊手を無理やり押しつけられる。


 受け取った後どうしたものかと考えていると、その間に老人は竹箒で辺りを掃いていく。


「どうした。ぎっくり腰か? ん?」


 嫌味なところはあるが、自分から率先して動いているところをみて、まぁいいか――と手を動かすことにした。


「お爺さんがここの手入れをしているんですか?」


 途中で声をかけると、不機嫌そうに言葉が返ってくる。


「お爺さんじゃない。大沢勇太だ」


「じゃあ、大沢さん」


「じゃあとは何だじゃあとは! まったくこれだから最近の若い者は――」


 何かにつけて最近の若い者はとなじるのが口癖の老人は「ったく――」と質問に答えてくれる。


「昔はな、町内で清掃の当番があったんだ。それが最近の若い者はまったくやろうとせん。まったくけしからん!」


 それに――と悪態は続く。


「他のジジババ共も、やれ入院だ、やれ寝たきりだと腑抜けおって。そのうちぽっくり逝きやがってまったく」


 不満を口にしていたが、どうもその口調は物寂しそうだった。


「この街を儂らがせっかく再興したというのに、それを引き継がんとは、まったく最近の若いもんは――」


 お前はどうなんだ! と不意に竹箒をこちらに向けられる。


「お前はどこのだれぞ」


 まだ名乗っていなかった事を根に持っていたのか、荒い口調が継続する。


「黒野翔といいます。この近くの高校に通っています」


「黒野? ――ああ、あの馬鹿夫妻のとこのか」


 どうやら大沢は伯父伯母について知っているようだ。


「……ん? あそこに子供なんて居たか?」


「伯父と伯母です」


 不意に大沢の手が止まった。


 なぜかこちらを凝視してくる。


「……そうなるとお前、翔馬の子か」


 不意に出てきた実父の名前に、目を丸くする。


「確かにそう言われたら目元とかよく似てる気がするな」


「父を、知っているんですか?」


「あいつはなかなか話の分かるいい男だった。そうか、お前がな。――ったく、なぜまともな奴ほど早死にするかね」


 伯父を馬鹿と呼び、父をまともと呼んだことが、内心で嬉しかった。


「父は……どんな人でしたか?」


「なんだ、知らんのか? ――ったく最近の若い奴は……」


 自分より若い者は全てその括りなのだろうと理解していると、急に憤怒しながら語りだす。


「お前の父親はな、けしからん奴だ。人のことを散々薄毛だのハゲだの好き勝手言いやがってクソが!」


 急な激高に首を傾げる。


「さっきと言ってることが真逆ですが」


「――ん? ああ。ワシはな、その昔は教鞭を執ってたが、翔馬はその時の教え子だ。三年間学級委員長をしてな。生徒会長もやってた」


 教師のような面倒な人だと思っていたが、実際に教師だったらしい。


 だが、生徒会長をしていたなんて話は初耳だ。


「そう、なんですか?」


「それも聞いておらんのか?」


「……はい」


 だれも――伯父と伯母以外に残っていないけれど――そんな話をしてくれたなかった。


「はぁ――まぁいい。儂がな『学生たる者相応しい身なりにするべきだ』と主張した時にな、あやつは儂をやり玉に挙げて『教師も相応しい身なりにするべきです。ハゲ散らかしてるのは小汚くて相応しくありません』とか抜かしおったんだぞ! しかも大勢の前で! ――まったくふざけよって! こちとら嫌でも生えてこんのじゃボケ!」


 息を切らしながらも憤怒に身を任せて竹箒を振り回す。


 だがどことなく、嬉しそうでもあった。


「――それでもまぁ、あいつはできた男だった。まぁ勉強は、そこそこだったがな。なんというか……求心力というか。そうだな。人を惹き付ける力を持っておった」


 まさに生徒会長として相応しい奴だったと――と大沢は続ける。


「人はな、誰だって自分が可愛いものだ。自分を最優先にするのは普通のことだ。だが翔馬は、お前の父親は、実に利他的な男だった。誰かのために本気になれる男だった。その年の学年は――特に生徒会長になってからは、いつも物事の中心に翔馬がいた気がするな」


 遠い過去に想いを馳せながら、大沢は息を整える。


「儂をハゲ呼ばわりしたのと、女性受けする顔立ちだったのが癪なのを除けばいい男だったよ」


 完全に私怨が入っているな――と苦笑するが、それが言える間柄だったのだと理解できた。


「それで。市議会議員選挙に出ようとしておった話は知ってるのか?」


「いえ。初耳です」


「もう十数年前になるか。あいつが市議会議員に立候補するというから、儂が後援会を作ったりなんたりしてやったんだ。あいつはきっといい政治家になると期待しておった。将来的に市長――いや、国会議員にだってなれる器だと思っておった。なのにクソが。交通事故なんかで死にやがって」


 本気で悔しがる姿に、悪い人ではないんだな――と思えた。


「儂は……翔馬なら、哲次郎さんの遺志を継いでくれると期待しておったのに」


「――哲次郎、さん……というのは?」


 初めて聞く名前だ。


「儂の憧れの人だ。小さい頃からよく可愛がってもらった」


 大沢の年齢は八十歳くらいだろうか。だとすると、ずいぶんと古い人なのだろう。


「力があって腕っ節も強く、頭も冴え、人柄も素晴らしい。大地主の家に生まれことを威張らず、筋の通らない事を嫌い――そして誰からも愛され、誰よりもこの街を愛した男だ」


「そんな方が、いたんですね」


「ああ。だが空襲で死んでしまった。――ふざけるな! 何で真っ当な奴が先に死ぬんだ! 儂のような凡人はのうのうと生き残っておるのにだ!」


 怒りのあまり竹箒を投げ捨てるが、一呼吸置いて冷静になると「すまんな。少し取り乱した」とそれを重い腰取りで拾い上げた。


 その老人の気持ちは、自分にはよく分かった。


「哲次郎さんは誰よりもこの街を愛し、良くしようとしていた。戦争が泥沼化して先行きが暗くなった時も、あの人だけは何とかしようと奮闘していた。皆をまとめ、先頭に立ち引っ張っていた。――儂は、翔馬ならばそんな哲次郎の遺志を継いで良い市長になれると、本気で思っておったのだ……」


 大沢は深く長い溜め息をこぼす。


 そんな背中をみて、自分も感傷に浸る。


 ――えにしを司る神か。


 俺は本殿のほうへ目をやる。


 この人と出会えたことも、縁なのかもしれない。


 ――だが俺のことはいい。


 ――俺ではなく、澪をなんとかしてくれ。


 そう切に思わざるを得なかった。


「お前なんと言ったか? 翔だったか?」


「はい。黒野翔です」


「そうか。だったら翔馬はまだ幸せ者だ。哲次郎さんのところはあの戦争で全ての血縁者が亡くなったからな。せめて、誰かが残っていてくれれば、相沢家も血が途絶えずに済んだだろうに」


「えっ……」


 自分の知らない父親について聞けると思って耳を傾けていた。


 だが、唐突に出てきた家名に、言葉を失った。


「……相沢……家?」


「ああ。大沢に相沢――苗字は似ておるのに、儂と哲次郎さんではこうも――」


 大沢は俺の顔を見て、言葉を止めた。


「どうした?」


「……相沢哲次郎さんは、空襲で亡くなったんですよね」


「ああそうだ」


「それは、七月ごろの話、ですか?」


「そうだな。ちょうど今頃の話だ」


「他に、相沢家という苗字は、この辺りでは多かったんですか?」


「まぁ大地主だったかな。それなりに居たな」


「今高校が建っているところが、相沢さんの跡地と聞いた事があります」


「そうだ。そこが哲次郎の実家だった。しかしお前なぜそんな事に詳しいんだ?」「その、哲次郎の娘さんの名前は、もしかして『澪』といいませんか?」


「……いや、『みおこ』だ」


「みおこ……?」


 では、別人なのだろうか?


「瑞々しいに、いとぐちの緒、そして子供の子で『瑞緒子』」


「そう……ですか……」


 やはり別人のようだと、俺は肩を落とす。


「もうこん時間か」


 大沢は腕時計を見てぼやく。


「ったく、話ばかりで何も進まんかったではないか!」


 そう憤慨しつつ、俺から熊手を奪い取る。


「そろそろ帰れ。遅刻するぞ」


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