二十四話
その日の夜、夢を見た。
――澪……。
澪の背中が見せる。
小さくて、か弱くて、髪の毛に覆い隠された背中だ。
俺は駆け足で追った。
その背中に追い付きたくて、ひたすらに追った。
だが走れども走れども、その差が縮まることはなく、むしろ、もう手の届かないところに行ってしまい――
黄金色をまとった澪は闇に飲み込まれる。
俺は飛び起きた。
東の空が淡く色づき始めた早朝。
呼吸は乱れ、汗だくになっていた。
夢か――。
今が夢の世界ではないことを感じ取り、思わず内心でつぶやいた。
嫌な夢だ。
悪夢だ。
だが。
このままでは、後数カ月で迎える結末だ。
その時には夢ではない。
現実だ。
そうなってしまえば、もう二度と澪とは……。
背中に悪寒が走った。
そんな悪寒を払しょくすべく、寝床から起きだした。
体をふき、着替え、離れ家から出た。
あのまま部屋にいたら、気持ちがそのまま沈んでいきそうだったので、気分を入れ替えるべく外に出て、ひとまずコンビニに向かう。
通学路とは反対の方向へ進む。
周囲はまだ寝静まっていた。時折通る車と、風が木々を揺らす音だけが耳に付く。
日頃は夜遅くまで絵を描くために夜更かしが多く、早朝の街はなじみがない。
――澪は、この街並みも知らないんだよな。
ふと脳裏にそんな感情が過ぎった。
澪は学校から出たことはない。
何のことはない平凡な光景も、澪は学校の屋上から眺めるだけしかできない。
「クソッ」
不甲斐ない自分を恥じ、無力な自分に落ち込み、そう言葉を吐き捨てる。
コンビニでおにぎりを買い、それを朝食とする。
歩道を歩きながらそれを食べ終わる頃、脇道の奥に人影を見つけた。
何かをせっせとこなしている様子だが、ここからではよく分からなかった。
少し近づいて見ると、老夫婦がせっせと掃除をしていた。
道の脇に立てられた
その様子いつい足を止めて見ていると、老夫婦がこちらに気付き声をかけてくる。
「どうなされたかね?」
「ああ、いえ。すみません」
「この辺りじゃ見ない顔だね」
おじいさんの方がそう投げかけてくると、困ったようにおばあさんが引き留める。
「もうヤダこの人ったら。黒野さんとこのお子さんですよ」
どうやらこの老夫婦は俺のことを知っているようだった。
いや、俺が知らないだけだ。
家からそれほど距離はない。伯父伯母はこの辺りでいくつか家を持っているのだから、近所づきあいをしていれば当然知っているのだろう。
「む、そうだったかの。すまんな。最近こう――物忘れがな」
「いえ。こちらこそすみません、お邪魔して」
「いや、いいんだよ。良かったら黒野さんもどうだい。心が洗われるよ」
「――心が、洗われる?」
「うむ。掃除はいい。心にたまった汚れも落とせて、爽快な気持ちになれる」
「……そう、なんですか?」
学校で清掃作業をさせられるが、そう思ったことはなかった。
「ダメですよおじいさん。無理やりさせても意味がないじゃないですか」
「まぁ、そうだがの……」
強制はしないがどうだろうかという期待のまなざしをおじいさんは向けてくる。
ただ、心が洗われるという言葉が今の自分には魅力的に思えた。
まぁ掃除だけなら――。そう思って、同意する。
その祠はずいぶんと古びていた。
経年劣化を思わせる傷みが至る所に入っている。
石材で作られた祠に扉はなく、手前に小さな狐の像が鎮座していた。
そして、四つの尻尾を持っていた。
九尾狐のようなものだろうか……そう思ったが、その尻尾のうち三つは破損している様子だ。
しかし不思議と清潔感があった。
きちんと人の手で手入れされているのを、肌で感じた。
清掃道具を借りて俺もその清掃を手伝う。
祠の掃除などどうやっていいのか分からなかったので、教えて貰いながら少しずつ進める。
小一時間ほど経っただろうか。
「うむ。これでよし。黒野さん、今日は手伝ってくれてありがとう」
「いえ――」
心が洗われると言う実感は、いまいち分からなかった。
だが、少しは少しは心の乱れが治まった気はした。
「もしよければ、また気が向いたら手伝っておくれ」
「……はい」
そう言葉を交わし、その場を後にした。
「もしかして、狐の石像があったりしますか?」
その日の昼休み。
話題の一つに、その時の事を口にすると、澪はそう声を上げる。
「ああ、確かに狐の像があったな」
「尻尾が四つくらいある奴ですか?」
「そう。それ。知ってるのか?」
「私の家にあった祠もそれだったんですっ! 懐かしいですっ」
しみじみと遠い過去を思い
「だがなぜ尻尾が四つなんだ?」
詳しくはないが、稲荷神社にありそうな狐は尻尾が一つのイメージだ。
あるいは九尾狐なら俺でも聞いた事がある。
「稲穂神だけど五穀豊穣よりも……たしか縁結びの神様で、四つの
「へぇ、初めて聞いたな」
「まぁ、最近はそういう話に興味を持たない人も多いですからね」
忘れられ淘汰されていっているのだろうと、少し寂しげに語る。
毎年忘れられる傷みをしる澪は、自分と重ね合わせているのかもしれない。
翌早朝に、再度あの祠に来た。
「おお、また来てくれたのか。嬉しいよ」
おじいさんは俺に気付くと、目を輝かせていた。
掃除を手伝いつつ、この祠について聞いてみる。
「ここの神様は四つの縁を司っているって、聞いたのですが、そうなんですか?」
そんな疑問に、話したくて仕方がないと言った面持ちでおじいさんは口を開く。
「そうじゃそうじゃ。四つの縁を司る稲穂神。名を
「しえん?」
「そう。四つの縁と書いて、四縁じゃ」
結構そのままの名前のようだ。
「『縁起がよく、合縁奇縁を巡り良縁を引き寄せ、悪縁を退ける』それがこの神様じゃ」
縁起
良縁
それでは五つではないのかと質問してみると、笑いながら同意してくれる。
「もっとも。その通り。故に『五つの縁』で『
「なるほど」
ただ――と、おじいさんは寂しそうに続ける。
「戦前はこの街の守り神として至る所に祠があったものじゃが、空襲でほとんどが消失してしもうた。この祠も、戦後にワシらが作り直したんじゃ」
寂しげな視線が祠に向けられる。
「あの頃を知る者はもう少なくなった。街も人も変わってしまった。だがまぁ残念がってはいかんの。若いのが戦争を知らないのは、それだけ平和だということだからの」
その表情は、澪の表情と悲しみと似ているように思えた。
「もし、興味があるのなら、この先にある神社に行ってみるといい。そこがこの神様の本殿だからの。もう長いこと宮司もいないが」
掃除を終え、興味本位でその神社に向かってみる。
この先――といっても、歩いて三十分はかかる場所にあり、町外れの寂れた場所に神社はあった。
――そういえば、丹波が言っていた神社はここの事だっただろうか。
そんな事を思い、鳥居をくぐる。
その赤い鳥居はかなり色あせ、木材で作られた事が表面を見て分かってしまうほど、痛んでいた。
少ない石階段を上る。
両脇に雑草が生えているが、誰か手入れをしているようで、生い茂っている訳ではなかった。
木々が枝を伸ばし、あたかもトンネルのような雰囲気を醸している。
だがやはり誰かが手入れをしているのだろう。木の葉はほとんど落ちていなかった。
階段を上がりきると、神社の本殿があった。
築何十年ものだろうか。少なく見積もっても五十年は経っている様子に思えた。
清楚感はあるが、傷みは酷い。
宮司がいないと言う話だったが、確かに全く人の居る気配はない。
本殿には経年劣化のひどい
神社での作法は詳しくないが、賽銭を投げ入れて鈴を鳴らす程度は分かるので、財布にあった五円玉で試みる。
「――澪を助けてやってくれ」
そう願った。
幽霊がいるんだ。神が居たっておかしくないはずだ。
無力な自分には、もう神頼みくらいしかできる事が思いつかなかった。
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