二十四話「影向」

 澪……。

 澪の背中が見せる。

 小さくて、か弱くて、髪の毛に覆い隠された背中だ。

 俺は駆け足で追った。

 その背中に追い付きたくて、ひたすらに追った。

 だが走れども走れども、その差が縮まることはなく、むしろもう手の届かないところに行ってしまい――

 黄金色をまとった澪は闇に飲み込まれる。



 俺は飛び起きた。地平線が赤く染まり始めた早朝に、呼吸は乱れ、汗だくになりながら。

 夢か――

 今が夢の世界ではないことを感じ取り、思わず内心でつぶやいた。

 嫌な夢だ。

 悪夢だ。

 だが、

 このままでは、後数カ月で迎える結末だ。

 その時には夢ではない。

 現実だ。

 そうなってしまえば、もう二度と澪とは……。

 背中に悪寒が走った。夏でも早朝は冷えるとか、汗だくのせいではない。そんな悪寒を払しょくしたくて寝床から起きだした。

 適当に体をふき、着替え、離れ家から出た。コンビニで小腹でも満たそうと、通学路とは反対の方向へ歩き出す。


 周囲はまだ寝静まっていた。時折通る車と、風が木々を揺らす音だけが耳に付く。

 日頃は夜遅くまで絵を描くために夜更かしばかり。なので、早朝の街はあまりなじみがない。

 澪は、知らないんだよな。

 ふと、脳裏にそんな感情が生まれた。

 澪は学校から出たことはない。少なくとも、死後はそうだ。街並みと、均等に植えられた木々の街道を、歩むことなどできなかった。何のことはない。平凡にも値しない当たり前のこと。それすらも、澪にとっては――

 澪のことを考えると、自然と視線が落ちた。

 不甲斐ない自分を恥じ、無力な自分に落ち込み、最悪の結末に怯える。

「クソッ」

 思わず吐き出した言葉は、自分を叱咤したものだ。

「澪……」

 このままじゃダメだ。あの時と同じだ。過ちはもう、繰り返したくはない。

『まったく』

 声がした。

 視線を落としていた俺は、反射的に顔をあげるが、近くに人は誰もいなかった。

『おぬしも、諦めの悪い奴だな』

 背後から声がした。振り返るが、そこに人影はない。

『儂は頑固な輩は苦手だ』

 再び背後から声が聞こえる。背後の背後を向き、結局正面を向いた。だが、そこにも人は見当たらない。

『まったく……』

 次の声は、むしろやや上の方から聞こえてきた。

 かすかに視線を上げると、木の枝が妙に光っている気がした。よくよく見なければ、葉の隙間から街灯が見えているとか、電光看板の一部が見えている程度にしか思わない程度のものだった。

 それでもそれが何なのか理解できなかった。

 唖然とした顔をしていると、不意に淡い金色の何かが歩道へ飛び降りてきくる。

 ――猫?

 そう直感が答えを提示するが、すぐに知識が否定する。その体は猫より一回り大きく、顔はむしろ犬の方に近い。何より特徴なのが、四つもある太い尻尾だ。

 俺がその姿に目を奪われていると、その言葉を話す小動物はスタスタと軽快に走り去って行く。

 すぐ先の角を曲がったところで、俺は慌ててその後を追いかけた。


 駆ける。

 それほど速くない。

 小走りより少し早い程度の小動物を追いかける。

『今日は早いな』

 不意に口を開いたのは小動物で、脈絡のない言葉に俺は口をどう開いていいか迷う。そうしていると、スーッと淡い光がさらに薄れ、すぐに消えてしまった。

 その場は住宅街で、やや古い家々の並ぶ場所だった。土地に詳しい人は、よく裏道として使っていそうな場所だ。

「お、おい!」

 どこに行った――と、ようやく声を出そうとしたその時、背後から別の声をかけられる。

「どうなされたかね?」

 振り返ると、老人夫婦が杖を片手に立っていた。どうやら、すぐわきの家から今出てきたところらしい。

「い、いえ……何も」

「道に迷われたなら、あっちの大きな道路を、右に曲がれば交番があるぞ」

「いえ……大丈夫です」

 俺の言葉に安心したのか、軽く会釈をして夫婦は歩いて行く。

 あの小動物は一体何だったのか……まだ夢でも見ているのではないだろうか。そんな馬鹿げた考えさえ、脳裏によぎってくる。

 時間の無駄だ、帰ろう。

 そう思った時、手を叩く音がかすかに耳に付く。

 音のした方へ視線を向けると、そこには先ほどの老人夫婦が道端に向かって手を合わせている。よく見ると、背を合わせた先には地蔵らしき石像が置かれている。

 いや、地蔵とは少し違う。まず顔が丸くない。犬よりもとがった顔に、赤い文様が施されて――まるで狐のようだ。そしてその狐の尾は……四つ。

 ――たしか、狐の像だったと思います。可愛いんですよっ

 澪の言っていた記憶が過ぎる。

 そして、さっき見た小動物。よく考えれば、あれは犬猫というよりも、狐だった。

 ――偶然にしては出来すぎだ。

 そう邪推する自分がいた。だが、それよりも見えた気がした。微かな希望が。

「あのっ」

 先ほどの老人夫婦に、俺は駆け寄って声をかける。

「どうされたかね? 交番なら――」

「その石像は――」

 俺の言葉に、お爺さんは目を丸くした。眼球がこぼれおちるのではないかと思えるほどの見開きように、思わず言葉を詰まらせた。

「ごめんなさいね」

 そう口を開いたのは、おばあさんの方だ。

「びっくりさせてしまったかしら? お爺さんは驚いた顔で人を驚かせるのが得意なものでねぇ」

 そう愛らしく言うおばあさんに、お爺さん表情を戻し苦々しい視線を送っていた。

「若いの、この石像に興味がおありかの?」

「あ……はい。少し」

 俺の返答に、お爺さんは目を輝かせ、おばあさんは少し呆れたような顔をする。

「では、私は朝御飯の支度をしてますね」

 おばあさんはすぐにそう言い、家へ戻って行った。

「さて、ではどこから話そうか」

 お爺さんの目の輝きに比例するように、生き生きとした口調だった。

「この石像は、一体何の石像なんですか?」

「エニシの神様を奉る像でな、名を『四縁』と言う」

「エニシ?」

「ゆかり、かかわりあいを示す『縁』じゃ。『縁結び』『縁起直し』『芳縁』『合縁奇縁』四つの縁を司る神様だったそうな」

 四つの縁――故に名を「四縁」と呼ばれるようだ。

「不思議じゃろ?」

 お爺さんの問いの真意が分からず、俺は頭を傾けた。

「すべて人と人とのつながりを示す言葉ばかりじゃ」

 狐の神様といえば、一般的には稲荷神が多いのじゃが――と老人は付け加えて口にした。

「すまんかったの、人に声をかけたがるのは悪い癖じゃ」

 切り替えた話の矛先は、どうやら最初に声をかけてきた時のことを言っているらしい。

「いえ」

「じゃが、これも何かの縁じゃと、ワシは思いたくての。つい、の」

 その目は、どこかしら寂しさを帯びていた。

「戦前はこの街の守り神として至る所にあったものじゃが、全部空襲でほとんどが壊れてしもうた。こいつも、戦後にワシらが作り直したんじゃ」

 寂しげな視線が石像に向けられる。

「あの頃を知る者はもう少なくなった。街も人も変わってしまった。だが、残念がってはいかんの。若いのが戦争を知らないということは、それだけ平和だということだからの」

 じゃが――と、やはり名残惜しそうにお爺さんは視線を落としていた。

「忘れ去られるというのは、辛いの……」

 その言葉に、澪の言葉が重なった。

 お爺さんは、語りたかったのかもしれない。同情が欲しいわけでも慈悲が欲しいわけでもない。ただ、ただ聞いてもらいたかった。

「後悔……してるんですか?」

 深く考えたわけじゃない。だが、そう聞かずにはいられなかった。

「……そうじゃの。戻れるなら、戻りたいの。一兵卒が戦争をどうこうできるわけではないじゃろう。けれど、哲次郎さんのように筋を通した生き方がしたかったの……」

「哲次郎さんとは……?」

「おお、すまんすまん。哲次郎さんとは、昔この辺り一帯の地主だった相沢家の次男坊での、それはそれはたくましい方だったよ」

「え?」

 お爺さんの言葉で、今度は俺が目を丸くする番だった。

「相……沢……?」

「そうじゃ、もしかして、知っているのかの?」

 澪と同じ名字……。親戚、なのだろうか。

「あの! お爺さんは、昔からこの街に住んでらしたのですか?」

「生まれも育ちもここじゃ。戦時中は満州に行っておったがの」

「失礼なことだったら申し訳ないですが、『相沢澪』という人物をご存じないですか?」

 問いかけに、お爺さんは頭を傾けながら思い出そうとするように目を細める。

「おお!」

 少しして、老人は思い出したように声を上げる。その言葉に、否応でも期待が高まっていくのが自身でよくわかった。

「ミオではなく、ミオコという名ではないかね?」

 だが、期待した答えではなかった。

「みお……こ?」

「うむ。哲次郎さんの娘さんの名前が、相沢瑞緒子じゃ」

 似た名前ではあるが、別人物……なのだろうか。

「だが、空襲で全員亡くなられたと聞いたの……」

「そう、ですか。親戚とかで空襲を生きのびた方は?」

「すまんの。戦後すぐシベリアに行っておったもので、帰ってきたときにはいなかったの。生きていたとしても、どこにいるかも分からないの」

「そう……ですか」

 俺は落胆の色を隠そうと、石像の方へ視線を移す。

 垣間見えた僥倖は俺の気のせいで、ただの空回りだったのだろうか――。

 いや。

 全く関係ないわけではないはずだ。

「どんな方だったんですか? 哲次郎さんという方は」

「そうじゃの。地主という威を借ることもなく、たいそう人望の厚い方じゃった。喧嘩がめっぽう強くての、それなのに、自分からは決して手を上げようとしない方でもあったの」

 理想像に近いような日本男児。それが、相沢哲次郎という人物像のようだ。

「決して自分の信念を曲げようとはしないその生き様に、若かりし頃は憧れたの」

 そこまで言うと、少し苦笑する。

「ちょっと、変わっておったがの」

「変わっていた?」

「独り言が多かったの。それで哲次郎さんを気味悪く者がいたのは事実じゃ」

 それでも、多くの人から慕われていたのは間違いないという。

「ワシは哲次郎さんのように信念を貫くことができなかった。生き残るために、己の感情を押し殺したからの。世の中理不尽じゃ。信念を持った者が死んでいき、信念を捨てたものが長生きをする」

 その言葉がとても重く感じた。自分を責めても責めても責めきれない――そんな口調だったからだろうか。そんな時、俺はどんな声をかけていいか分からなかった。

「だからの、若いの」

 先に口を開いたのはお爺さんの方だった。その口調にも表情にも、後悔はもう残っていない。むしろ、幸せそうな、安堵したような代物だった。

「ここぞという時の信念は曲げちゃいかん。曲げた先に残るのは、虚しさじゃ」

 そういう老人の顔は、とても虚しさだけとは思えない穏やかなものだった。

「本当に、貴方は信念を捨ててしまったんですか?」

「……日本男児としてはの」

「では、それ以外に――」

 すると、お爺さんは嬉しそうな苦笑いをしながら答えた。

「おばあさんの尻に敷かれるのも悪くないのでの。そろそろ戻らんとばあさんの首が麒麟のように長くなってしまうわい。ではの、若人」

 そう言って、お爺さんは家に帰って行った。


『諦めろ』

 お爺さんが家に戻り少しの間思案するように石像を見つめる。その最中、あの言葉が再び耳につく。

 石像の隣に薄らとあの小動物が見え隠れしていた。

「……。何なんだ、お前は」

 回りくどい言い方は一切せずに、単刀直入に疑問をぶつけてみる。

『止めておけ。何もできはしない』

 だが、答えは得られない。質問を変えてみることにする。

「……。何を、知っている?」

『……どちらにしても、あと十年か二十年程であの子は朽ち果て消滅する』

 質問の答えとしてはずれていた。しかし、俺はその言葉に反射的に反応した。

「どういうことだ」

 だが、その問いかけには言葉すら帰ってこない。

「お前は……澪のこと、知ってるのか?」

『おぬしより、ずっと知っておる』

 始めて会話が成立した気がした。

「どういうことだ……消滅するだと!?」

『……言い方が悪かったな。成仏すると、言ったほうが良かったな』

 そもそも存在自体があやふやな目の前の物体に、なお理解出来ない言葉を連ねられ、頭の回転が鈍る。

『だから、止めておけ。傷つくのは、他ならぬおぬしだからな。おぬしの未来は十年、二十年ではきかない月日が残っておるのだからな』

 そう言うと、狐はスーッと、再び姿をくらました。

「お、おい! 待て!!」

 だが狐からの返答はそれ以降なかった。

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