二十三話

 七月も三分の一が過ぎた。


 その日の昼休み前、一人屋上で溜め息をつく。


 まだ何の収穫もなかった。


 何かしなければ、ここからは出られない。


 だがどこからも出られない。


 幽霊という超常現象をどうにかするには、自分はあまりにも一般人で無力だ。


 もともと霊感は全くない。非現実的、非科学的な現象に遭遇したのは、澪以前にはない。


 ――神社かお寺に相談してみるか?


 と考えたが、宗教はビジネスであるというイメージが強く、実際の超常現象には有用な方法はないのではないかと思えて仕方がなかった。


 ――だが、このまま時間だけが過ぎていくよりはマシか?


 そう溜め息を漏らしながら、鍵となりそうな情報を頭の中で整理する。




 澪が亡くなったのは昭和二十年。


 享年十六歳。


 幽霊となってから、学校の敷地外には出られない。


 五月から十月までは周囲に認識されるが、それ以外の期間は誰にも認識されない。


 期間外に移行すると、期間内の記憶は消失される。


 ただしこれまでに失った記憶に違和感を覚え、そこに執着するようになった者もいる。澪に恋心を抱いたまま記憶を失った者が陥りやすいと思われるが、確定情報ではない。


 そして澪は死んだときの容姿から変化ない。唯一、髪の毛だけが少しずつ伸び、黒髪から金髪に変化していった。


 一年生のどこかのクラスに自分の席が用意されていて、備品や教科書類も一式新しいのが毎年そろっている。


 それらの出現を突き止めようとしたことはあったが、これまでに発見できたことはない。


 また、これまで他の幽霊と接触したことはない。


 敷地外に出ようとすると、不可視の境界によって澪の体が大きく傷つく。


 無理やり連れ出そうとして、小規模な記憶改変が発生した事例が過去にあったらしい。


 車などで速度を出して突っ切ろうとしても突破できない。


 日時や時間帯は関係なく一定。




 ――八方塞がり。


 そんな言葉が脳裏をよぎった。


 あるいは、霊媒師のような人を連れてきた方がいいのかもしれない。


 これまでその手の人物は全て似非えせ、偽物だと思っていた。


 それは幽霊などという存在がこの世に存在していないという前提の感性だ。


 だが、もしかしたらいるかもしれない。


 ――世の中には、本物も。


 だがどうやって本物と似非を見分ける?


 素人には分からない。実際に連れてきて試すのが一番いいが――。


 そもそもどこから探せばいいんだ?


 それだったら、まだ神社の方がマシか?






「お、いたいた~」


 不意にそんな声がかけられる。


「どうしたんですか?」


 屋上に上がってきたのは丹波だった。


「いやね、調子はどうかな~って思ってね。一応は僕が監督している事になってるしね!」


「……正直、あまりかんばしくないですね」


「そっか……。何か、力になってあげられればいいんだけど」


 丹波に澪の事情について説明したことはない。


 それでも思い詰めているような、あるいは焦っているような俺を見て、丹波は心配そうな声をかけてくれる。


 ――丹波にも協力してもらおうか。


 そんな事を考えるが、澪の言っていた「消失後の執着」に巻き込みたくはなかった。


「先生は、幽霊とか信じてますか?」


「また唐突だね。――まぁ居てもいいんじゃないかな」


「それは、信じてるって事ですか?」


「んー、信じてるって言うと語弊があるかな。僕は幽霊とか見たことないし、それで困ったことないから、もし居ても実感がないってのが正直なところだね」


 信じている信じていない以前に、そこに関心がない。それが丹波のようだ。


 確かに俺も澪と出会う前は同じような感覚だった。


「まぁ、そうですよね」


「で、どうしたんだい急に。幽霊に憑かれちゃった?」


「どうなんでしょう。もしかしたら、そうかもしれませんね」


 冗談めかして言うと、丹波もそれに乗っかって「それは困ったね」と笑みを零す。


「そうだ、じゃあちょっと調べてみようか」


 と丹波はポケットから携帯電話を取り出す。


 だがその形状はこれまで見たことのない形状をしていた。


「それは……?」


「いやね~実はこれね、昨日買い換えたんだよ~」


 それは一般的な折りたたみ携帯電話ではなかった。


 手帳のような大きさだが、その多くを画面が占有している。


 ボタンは画面下に一つと、側面にいくつか。


「アイフォンスリージーという機種で、昨日が発売日だったんだけど――黒野君、知ってるかい?」


「いえ、聞いたことないです」


「まぁ生徒はケイタイ禁止だから、そうだよね」


 丹波はその携帯電話を操作するが、ボタンではなく画面に直接触れていた。


 自分の知らないところで技術は進歩しているのだなと思いつつ、その様子を見ていると「う~ん」と丹波が首を傾げる。


「いやー、除霊師について調べて見たけど、よく分かんないというか、凄く怪しい情報ばっかりだね~」


 検索結果の画面をこちらに見せつつ肩をすくめる。


「いえ、ありがとうございます。画面が大きいと調べやすそうですね」


「やっぱりかなり違うね~。まだ一日しか使ってないけど、前の折りたたみのやつを今見たら、画面が小さくてびっくりするよ」


「慣れは恐ろしいですね」


「いやホント、まったくもってそれ」


 学校に澪が居る。今はそのことが当たり前の日々だ。


 それが遠くない将来、澪が居ないことが当たり前の日々が来て、それに慣れてしまうのを想像し、恐ろしく感じた。


「個人的には、生徒に携帯電話を解禁してもいいのにと思ってるんだけど、上の人たちは全然取り合ってくれないんだよね」


「まぁ、難しいでしょうね」


「分からない事があったらすぐその場で調べられたりするから、凄い便利なんだけどなぁ」


 せっかく買った新機種を扱いたくて仕方がない――といった面持ちで語る。


「そういえば、除霊って神社とかお寺の方がいいのかな?」


 丹波はふと疑問に思ったことと口にしつつ、同時に携帯電話で検索をかけていた。


「神社だと除霊というより、お祓いか~」


 初めて知った――と言いたげな口調で丹波は呟く。


「んー、有名どころの神社とかなら情報が出てくるけど、ここみたいな田舎寄りのところはほとんど情報が出てこないね~」


 ただ――と地図を見せてくれながら丹波は提案する。


「ここから少し離れた所に神社があるみたいだね。相沢さんと神社デートというのもおもむきがあっていいんじゃないかな?」


 その提案は、澪が学校から出られない状況においてはあまり快くはなかった。


 だが事情を知らない丹波に配慮を求めるのもおかしな話だ。


「候補の一つに入れておきます」


 なのでそれだけ返しておくと、ちょうど昼休みを告げるチャイムが校舎内に響き渡る。


「じゃ僕はご飯食べに行こうかな。黒野君も、あんまり根詰めすぎないようにね」


 丹波は携帯電話をポケットに戻して立ち去る。


 どうやら用事があった訳ではなく、単に心配して様子を見に来ただけだったようだ。




 少しして、澪が屋上に上がってくる。


「今日はこっちにいたんですね!」


 いつものベンチにも美術室にもいなかったので、ここまでやってきたのだろう。「悪い、言っておけば良かった」


「いえ、大丈夫ですよっ」


 そうにこやかに答え、隣に腰を下ろす。


「なぁ、澪」


「はい?」


「澪が死んだのは、昭和二十年だったよな」


 俺の唐突な質問にも、澪は戸惑うことなく答えてくれた。


「そうですね。ちょうど今頃……七月ごろだったはずです」


 顎に手を当てながら、澪は思い出そうと頭をひねる。


「その時の状況を、詳しく聞いてもいいか?」


 一瞬言葉に詰まるのを見て、嫌なら無理しなくていい――と補足しようかと思ったが、「分かりました」と澪は頷く。


「当時は戦時中で、今で言うところの太平洋戦争と言う奴です」


 それは自分の生まれる、遙か以前の歴史。


 自分の世代には実感のない、凄惨な過去の話。


「当時は日本中でたくさんの犠牲者が出ていました。アメリカの飛行機がたくさんの爆弾を落としていきましたから。特に三月十日に行われた東京大空襲なんかは今でも有名だと思います」


 おそらくその光景は自分の想像を絶するものだろう。


 そんな実感できない実感を抱く。


「この辺りは当時から田舎の方なので、それまで空爆もありませんでした。ただ疎開なんかの影響で、軍需工場の一部がこの街にも移ってきていたりしました」


「……それで、空爆の標的に?」


「たぶん、そうなんだと思います。――私の住んでいた家は町外れの丘の上に立っていました。裏庭には畑がいくつもあり、小さな裏山には洞窟――まぁくぼみ程度ですがありました。そこを防空壕にしていました。当時、自分たちの防空壕を持っているのは、結構珍しかったはずです。なにせ我が家は当時、この辺りの大きな地主だったので。なので街の人たちをまとめるために奮闘していたのを、今では覚えています。父なんか、片足を失って戻ってきていたのに」


 零れかけた涙をぬぐう。


「その頃、私は工場で働いていました。十五の時の話です。……あの頃子供は皆、国のためにと働いていました。私のいた工場では確か、飛行機か何かの部品を作っていましたと思います。ただ地主の娘だったからか、多くの人が住み込みで働いている中、私は家から通っていました」


 澪の言葉により集中しようと、瞼を閉じた。


 そして、運命の日がやってくる。


「その日、嫌な音が街に響きました。アメリカの飛行機の音です。私がそれに気付いた時、まだ空襲警報は鳴っていませんでした。ただ私が気付いたときには爆弾は落ちてきていました。私は怖くなって、慌てて我が家の防空壕に逃げ込んだんです。逃げ込んで、かたく扉を閉じて」


 次第に、声が細くなっていく。


「爆発がたくさん聞こえてきました。町が爆弾で燃え広がっているとすぐに分かりました。私は、ただ奥で震えているしかありませんでした。その時に、扉をたたく音がしました。その声は母のものでした。何を言っているかまでは聞こえませんでしたが、たぶん、足を失った父を避難させようと、遅れたんだと思います。その時に私は扉を開ければよかったんです。でも、私は恐怖で腰が抜けて。扉を開けるだけの力が出ませんでした。目一杯開けようとしたのですが、怖くて、恐ろしくて……。少しすると、母の声が聞こえなくなりました。しばらくして、ようやく私は扉を開けることができました。母は燃えていました。燃えていて、それでいて動くことはありませんでした。私は、駆け寄ろうとしました。手遅れだと分かっていつつも、それを認めたくはなかったからです。そして防空壕から出たんです。でもその時、ちょうど近くに爆弾が落ちてきました。それで直接の怪我はなかったです。でも、その爆発で破片が私に刺さりました。たぶん、木片か何かだと思います」


「それで――」


「はい。刺さった拍子に、防空壕の中に転がっていきました。結構斜めになっていたので。そして、たぶん私はその中で息絶えたんです」


 長い沈黙が流れる。


 自分想像しているよりも、壮絶な光景なのは間違いないだろう。


 だが、ずっと感傷に浸っている訳にもいかない。


「その後――今の状態になった時はどうなったんだ?」


「気付いたら防空壕の中でした。でもすぐに扉は開かなくなっていて。……しばらくして人が入ってきて、助かったと思いました。でも、いくら私が声をかけても、触れても、誰も私に気付きませんでした。そして、私の家の敷地から外には、出ることが出来ませんでした」


「敷地――」


「はい、この学校が建っているのは、もともと私の家があったところです」


 そして、学生としてなぜか認識されていると?


「けど、その時の犠牲者のなかで、同じようになっている霊は……居なかったんだよな?」


「はい。私の出会った限りでは、居ませんでした」


「今から考えて、当時なにか気になったところとかは……?」


「今のところ、特には」


 そんな都合のいい「何か」があれば、今ごろ澪が検証しているか、あるいは俺に言っているはずだ。


「じゃあ、その防空壕はもう残っていないのか?」


「はい。この学校が建てられるときに、埋められたはずです」


 そうか――特に何も手がかりはないのだろうか。


「防空壕と言ってもちょっと広い窪みみたいなところで、もともとはほこらのために残している場所だったはずです。


 ――祠。鳥居のない小さな神社のようなやつか。


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