二十一話「居心地」

 それから休日を挟み三日が過ぎ去ろうとしていた。

 あの日から夜はうなされるし、絵は手につかないし散々だ。ただ、三日かけてようやく見たものを現実と認識しつつあるのは事実だった。

 俺は考えた。何も無かったことにして、何も見なかったことにして、今まで通りに過ごす。そんな選択肢も見え隠れする。それが一番楽な選択肢だ。あいつの声が脳裏で何度も再生される。かつて聞いた最期の言葉が――。

 ちょっとだけ、関わってみてもいい気がしていた。

 少なくとも相沢の話では、俺たちは仲が良かった。このまま無かったことにして、また取り返しのつかないことになるのだけは避けたかった。誰のためでもなく、自分自身が、再びあの時のように繰り返すのは嫌だからだ。それだけは是が非でも避けたい。

「俺は……何やってんだ?」

 そう自分に言い聞かせながら、三日ぶりに相沢に会いに行くことにした。

 月曜日はだらだらと学校へは行っていたが、俺は相沢に会いに行ってはおらず、そのことを察したのか相沢も会いに来たりはしなかった。

 今日から試験が返される。授業は通常通り夕方までだ。

 教室に夕日が滑り込む。閑散とした教室。一年四組のそこに、相沢は窓辺に立ちつくしていた。一つだけ開かれた窓辺にいると、そよ風がかすかに髪の毛を揺すっている。

「相沢――」

 俺の声に、ピクリと体を反応させ、彼女は振り返る。

 目と目が合う。

 何から言ったものかと頭を巡らせている間も、重なった視線の間に時間は流れ続けた。何を言ったらいいものか、分からなかった。

 そのことを察してか、そんな笑みを彼女は零した。

「翔君がどんな答えを持ってきても、私は受け入れようと思います。それが、どれだけ嬉しくても、辛くても」

 背中を、少しだけ押された気がした。

 だらしない――俺は自分自身をそう評した。

「相沢は、本当に俺なんかでいいのか?」

「もちろん……。いえ、むしろ、翔君でなければ嫌です」

 少し恥ずかしそうにうつむき加減に呟く。

 腹をくくろう――そう覚悟を決めることにした。

「まだ、何も思い出せない。けど。もう少し、一緒に居てもいいか?」

 そう言い、躊躇しながら相沢の頬に手を添える。

 すぐに相沢は首を横に振りながら抱きついてきた。その様子が少しかわいらしくて、思わず口元が緩んでいた。

「夢のようです――」

 相沢は、震えた声でそうつぶやいた。

 それが相沢にとってどういう意味なのか、まだよく理解できていない。

 だが、辛気臭い雰囲気にいることを嫌った俺は、少し意地悪な口調で口を開く。

「そもそも、あんなグロテスクなもの見せられて『はい、そうですか』と、ことが進むわけないだろう」

 すると、苦々しい口調で相沢が返事を返してくる。

「うぅ……それについては、申し訳ないです。その場の流れと言うか……ああしないと信じてもらえそうになかったので――」

 だが、その口調に辛さは感じられなかった。

 しかし相沢の言葉は的確で、あれが俺の中で決定打となったのは間違いない。

 だが俺は今になっても相沢との記憶がないので、何と話を振っていいか分からない。その間、お互いに口を開かなくなると相沢の表情は少しずつ下降していくのが分かった。少しでも上向きにさせようと、とりあえず、ありふれた話題を探して話を振ってみる。何より、彼女がどんな人物なのかもっと知りたかった。

「えーっと……テストの結果どうだった?」

 意味のない雑談は得意ではないけれど、俺の言葉に呼応して相沢は顔を上げた。

「う……それは――」

 相沢はさらに苦々しい表情を浮かべていた。

「その……国語とか社会なら得意なんですけど……」

「文系?」

 問いかけると、突然キリッとした目つきになり、声を上げる。

「うーむ、あれは永久に闇に葬り去らないといけない品々ですっ!」

 言葉を発しながら駆けだすと、自分の机の引き出しに手を入れた。引きだしたのは返却された答案らしき紙で、勢いよく丸めてポケットに押し込んだ。

「そ、そう言う翔君はどうなんですかっ!」

 それどころか、それ以上追求されまいと話の矛先をこちらに向けてきた。

「とりあえず今のところ赤点はない」

 追及は出来たが、今は素直に答えてあげることにした。

「一番悪かったの何点?」

「八十四点」

「いや、一番悪いのですよ」

「だから、一番悪いのが」

「……う、嘘です!」

「嘘ついてどうする」

「しょ、証拠を見せてください! 今ならその中に入ってるはずでしょう!」

 鞄を指差しながらそう力強く言う相沢。俺が少しどうしたものかと返答を渋っていると、『見せてくれ』と言っておいて、無断で鞄を奪取していた。それどころか勝手に答案用紙を鞄から抜き出し、赤でつけられた点数を唖然とした表情で凝視していた。

「う、嘘……ですよね?」

「そこに書いてある通りだよ」

 相沢の表情が唖然から青ざめるにかわっていく。

「何なんですか! この反則的な点数は!」

「いや、何って――」

「おかしいですよ! ありえないですよ! 数学で九十八点とかっ!」

 手足をじたばたと子供のようにばたつかせる。仕方が無いので、ちょっとからかってみる。

「まぁ確かに。それ間違える要素なんてなかったんだが。記入ミスとか、本当にありえないよな」

 嫌味の効果は抜群で、ガクッと体を落としていた。

「私なんて……私なんて――」

 あまりのオーバーリアクションに、少し言い過ぎたか――と後悔を感じながらも、とりあえず鞄を取り戻す。

「こ、これは夢です! きっと頬をひねったら夢から覚めるはずっ」

 小さな子供のように現実逃避している澪を見ていると、ひねってほしいのだろうと思った。俺は不意をついて澪の頬をひねってみた。

「痛いですっ! 何するんですか!」

「いや、ひねったら覚めるんだろ?」

「やっぱり翔君酷いです!」

 そう言って再び子供のように手足をばたつかせ、悔しそうな表情をあらわにする。

 仰々しく騒いでいた相沢だったが、ふと何かを思ったのか、安堵したような表情を浮かべた。

「――でも、翔君がここにいることが、夢じゃなくて良かったです――」

 そうボソッと付け加える。その表情が可愛らしくて、俺はため気という名の笑みを零した。

 実直で、無邪気で、ちょっとおっちょこちょいなところが、確かに似ていると思った。それでいて、一緒にいて嫌悪感がない。むしろ、とても落ち着く――。


「さっきはすみません」

 教室から売店へ移り、パンを買った。それを今中庭で食べている途中、相沢がそう切り出す。

「何が?」

「ちょっと騒がしかったです。自分で思い返してみてちょっと恥ずかしいです」

 両手の人差し指同士をつつき合わせながら、ぼそぼそと口ごもっていた。

「確かに」

 そう客観的に返答すると、顔を赤くした。

「すみませんっ。……翔君とまた普通に話せたことが嬉しくて、つい」

 それだけ言うと、相沢は顔をあげ柔らかい笑みを浮かべた。

「しかし、俺は覚えてないとしても、そっちは覚えてるんだろ? 今までに答案用紙見せたことなかったのか?」

 俺は相沢がテストの結果で我を忘れる情景を思い出しながら、呆れた口調で問う。

「んー、なかったですねー」

 苦々しく視線を泳がせている姿を見て、とりあえず状況はすぐに飲み込めた。

「それは、自分の点数を見られたくなかったからあえて避けていた?」

「うっ……」

 どうやら図星のようで、視線に加え苦々しい言葉を発していた。

「私は……国語と歴史とか、雑学なら少しは得意なんですけど、数学とか英語とか、全然で……」

「まぁ勉強しても意味はないのかもしれないけどね」

「う……さりげなく、馬鹿って言ってません?」

 そういう意図は考えていなかったが、同調しておく。

「そうかもしれない」

「うぅ!」

 頬を膨らませながら怒るしぐさは、どうも怒ってるように感じられなかった。

「そうだ、翔君」

「なに?」

「私を呼ぶときは、澪って呼んでほしいです。今までそうでしたから――」

 呼び捨てか……口に出すのはあまりなれないが問題はないだろう。

「みゅ……」

 問題ないはずだったが、試しに口に出すとなぜか噛んでしまった。俺はバツが悪そうにそうに唇に手を当てる。

「澪」

 再度やり直すと、さすがに噛まずに言えた。

「はいっ!」

 澪は嬉しそうに返事をする。

「でも、一回目は噛みましたね……ショックです――」

「悪い」

「罰としてこのパンは私が貰いうけいたす!」

 そう言って目にも止まらぬ速さでパンを強奪すると、取り返されないように急いで口にほおばっていた。

「食べかけなんだが――」

 忘れてたと言わんばかりに口の動きが止まる。

「ほうひお」

「何だって?」

「ふぉれってふぁんえうきうれふか」

「日本語で話してくれ……」

 呆れながらつぶやくと、口にほうばったパンを飲み込み、澪はおそらく同じ言葉を繰り繰り返した。

「これって間接キスじゃないですかっ?」

「まぁ……そうなるだろうな」

「どうしよ……ファーストキスが間接だなんて……」

 間接はファーストキスに入るのか? そんな疑問が頭をよぎる。

「ってか、何十年も生きてるのに……いや死んでるのか。ともかく、キスくらい――」

 その言葉に、肩を大きく落としうなだれる澪の姿が目の前に現れた。

「数ヶ月じゃ、なかなか恋愛感情まで行かないんです。年齢的にも多感な時期ですし、コミュニケーションが苦手で浮いてしまうような人との関わりがどうしても多いですから。まぁ私みたいな体型が好きな人はいるようです。ロリコンって奴ですね。ロリコンである事をおおっぴらに出来る人はだいたいコミュニケーション能力ある人ばかりでしたし、どうしても関わりが少なくなってしまいますね。……しっかし、こんなにしつこいのは翔君が初めてですよ! あ、翔君ロリコンですか?」

「いや、違うが……」

「ひゅー、それを聞いて安心しました!」

 ひゅーってのは、口笛を表現したかったようだ。

 賑やかな奴だ。それでいて、鬱陶しい訳ではない。手紙の意味が少し理解できた気がする。家族と同等、か。確かに、彼女がそばに居ると妙に落ち着くというか、安心出来ると思っている自分がいる。

「そういえば、かつて一度だけ真剣に告白されたことがあります」

 唐突に、そう言いだした。

「でも、告白されたのは、記憶が消える直前で、私は彼の事が好きなのかどうかも分からないまま忘れられてしまいました」

「……そうか」

 澪の表情を読み取る限り、後悔ではなく懺悔に近いように思える。

「そういえば、その彼も、絵が得意でした。私は絵描きの人に引き寄せられるのかもしれませんねっ!」

 そう言って笑顔を見せられる時には、前の表情は消えていた。


 深夜。俺はキャンバスに向かう。俺にとってそれは日常的な光景。でも、今日はいつもと違う絵を描いた。

 澪――。

 普通、ああいうタイプと過ごすと疲れそうだ。だが、思考とは反対に心は妙に落ち着く。時々見せる彼女の笑顔が可愛くて――。心の隙間をちょうど埋めるかのような、そんな妙な気分にさせてくれる。

 俺はつい、彼女の絵を描く。今までは何度も書いてきたはずの絵。だが記憶には残っていない。全て今までにあったことを澪に聞いたが、それでも思い出すことはなかった。だが、妙に自分の事であるかのように受け入れ始めている自分がいた。

 嗚呼

 今日澪が見せた懺悔にも近い表情を思い出しながら、心の中でため息をついた。

 懺悔の念に囚われているのは、きっと俺自身の方だな。

 そんな思慮をよそに、夜は更けていく――。



 これは夢だ。

 夢の中の俺はそう思った。

 一面闇の世界なのに、自分の体ははっきりと目視できた。

「深入りはせぬことだ」

 そう聞こえた気がする。

 黄金(こがね)色の光が闇を横切った。追いかけるように視線を動かすが、気付けば現実に引き戻されていた。



 翌日の昼食時。中庭のいつもの場所で昼食をとっていると、不意に声をかけられる。

「相変わらず確保が早いですよっ!」

 そう言って俺の視界に入ったのは澪だった。

「よくここが分かったな」

 俺が言葉を返すと、澪は笑みを零していた。

「ここによく来てました。翔君は、美術室かこのベンチのどちらかにいます」

 重箱の隅をつつくところすら見つからないほど的確な指摘に、確かに――と俺は苦笑した。

「本当に、俺と一緒にいたんだな……」

 しみじみと思う。

 欠片も思いだせない自分がいて、それに罪悪感を感じてしまう自分もいて、俺は少し視線を逸らしていた。

「一度忘れたことは、もう思い出せないみたいです」

 俺の言動を見てか、澪はそう哀しそうに言葉を漏らした。

 だが、すぐに元気な笑みを取り戻す。

「翔君!」

「ん?」

「また絵を描いてくれませんか?」

 その笑顔に惹かれ、俺はそうじゃないな――と考える。今考えるべきは、思いだせない過去に対する懺悔でも後悔でもない。

「ああ。いいよ」

 俺自身が最も驚いてしまうくらい表情をほころばせ、柔らかくそう答えた。

 猫を被った口調とはまた違った。自然と出た――というのが最も的確だろう。その口調は、何年も眠り続けていたにしては、素直に口から出てきたと思う。もしかしたら、かつてはこんな口調で澪には接していたのかもしれない。

 そんなことを思いつつ感じるのは、やはりどこかあいつに似ていることだ。容姿こそ違うが、雰囲気がよく似ている。

 子供っぽくて不器用なくせに、その無邪気な笑みを見せられるとなんでも許してしまいたくなるような、そんな妹に――。

 本当……俺が殺した妹に――。

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