二十話「非現実的」

 翌日の試験が終了する。昨日は帰って自室で色々と考えていたが、たいした進展は無かった。だが、今日の言動についてはいくつか考えてきた。

 まずは生徒の数が減る時刻を俺は待つ。

 その間に、俺は教員室に向かった。

 少しして校舎内が閑散としてきた頃を見計らい、俺は再び一年四組へ向かう。

 これは一種の賭けだった。いない可能性は結構ある。むしろそちらの方が大きいだろう。昨日俺から逃げるように去って行ったのだから、今日はすぐに帰るかもしれない。

 ま、その時はまたどうするか考えよう――と、俺は思った。

 教室の中を覗くと、そこには相沢の姿があった。他には誰もいない。

 俺は気付かれないように行動する。

 ――カチャ。

 可能な限り小さな音で済ませると、どうやら蝉の鳴き声にかき消されて気付かれなかったようだ。俺はもう教室前方の扉から教室に侵入する。

「ちょっと良いかな?」

 そう声をかけると、相沢は体をピクリと反応させる。それでも、こちらを振り向くことなく言葉を返してきた。

「しつこいです!」

 声を少し荒らげるが、そこに怒りがあるようには思えなかった。

「そうかもしれない」

 俺が肯定すると、否定する台詞を口にしながら席を立った。

「私は違うと言ってるじゃないですか」

 そう言って、今日は落ち着いた足取りで教室後方にある扉から出ようとする。

「――っ」

 開かない扉に、彼女は少し慌て、戸惑う表情を見せる。

 開く訳がない。そう簡単に開いては、鍵の意味がない。

 俺はここに来る前、教員室で美術室の鍵を借ると装ってここの鍵を拝借してきた。教師に信頼があると、こういうときに便利だ。そしてこの学校は、前方の扉は内側から空けられるが、後方の扉は内側から鍵を開けるには同じように鍵を使う必要があった。授業中、こっそり生徒が入ったり抜け出さないようにする為の設計らしい。

 後方の扉に鍵をかけてしまえば、俺の入ってきた扉からしか出ることはできない。

 ただ、一年生は一階に教室がある。窓からはいくらでも出て行けた。だからこれも賭けだ。

 俺は、開いている扉から離れる。これで、彼女は出て行くことも出来る。

「どうして、翔君はいつもそうなのですか――」

 まだ名乗ってもいないのに、彼女は俺の名前を知っていた。

「もう、関わらないって、約束したのに――」

 そう言う彼女の声は震えていた。声だけじゃない。肩も、拳も。震えている。うつむいていると、髪の毛で表情が見えない。もしかしたら、涙が出ているのかもしれない。

 相沢を俺は傷つけた。だから避けた。関わりたくないと思った。それは俺を憎んでのことなのか、俺が忘れたことへの悲しみに耐え切れなくなったのか、その辺りが重要になる。

「すまない。まったく思い出せないんだ。だから、無理に止めたりはしない。俺が恨まれるようなことをしたのなら、謝るよ。それでも嫌なら、出ていくのを止めない。俺はもうここに来たりもしない」

 その言葉に相沢は力なく腰を落とす。

「ひどいです――」

 そう、力なく呟いた。

「翔君が憎いわけ、ないじゃないですか……」

 どうやら憎いわけではないようだ。しかし、ここまで勝手なことをしておいて、それでも俺はこいつの事を知らない。思い出せない。

 だが、相沢が俺を知っていると言う事実、相沢を描いていると言う事実、そしてそのことを俺に伝えたあの手紙の事を考えると、どうしても信じざるを得ない。

「教えてください――」

 そう、力なく声をかけてきた。

「私のこと、忘れたはずなのに、どうして――」

 俺が忘れていると言うことも知っていた。原因は分からないが、今のところ手紙を否定する要素が見当たらないのは事実だった。

 俺は、相沢に近づく。

「これを見つけた」

 そう言って、俺は手紙の三枚目以降を渡す。

 相沢はその手紙を読み始める。


 全てを読み終わる頃、相沢の目から大粒の涙がこぼれ始める。それは相沢にとってどれほどの意味を持つのだろうか。分からなかったが、俺は相沢の前で腰を落とした。とりあえず、手紙を涙で濡らしたくないという建前で。本心は……自分自身でもよくわからなかった。

 そのうち相沢は泣き崩れ、俺にもたれかかる。

 こういうときどうすれば良いのか分からなかった。だが、体を小さく震わせている相沢を見て、俺は無意識のうちに優しく背中をなでていた。


 相沢が泣き止むまで半時ほど時間がかかった。

 少し落ち着いてきたのか、必死にぬぐおうとした相沢の手は、涙で濡れきっていた。それに俺の制服も湿っている。手紙も濡れてよれよれになっている箇所がいくつもあった。

 涙が止まると、相沢は恥ずかしそうに視線をそらした。

「ごめんなさい……突然――」

 俺はどう対応していいか分からないが、何も言わないわけにもいかない。

「そのことは、別にいい」

 それよりも、この手紙について聞きたかった。まったくのでたらめではいないと言うことと、ドッキリやからかいの類ではないと言うことは思えただけでもいいか。

 いや、今だからむしろ聞くべきなのかもしれない。俺にとって、こいつは家族ほどに大切な存在だったんだ。そしてこいつも似たように思っているのかもしれない。

 でも、聞かずにはいられない。

「教えてほしい。この手紙のことは、本当なのかどうか……」

 それを言うと、相沢はためらいの表情を見せた。やはり時期尚早だっただろうか――そんなことを思いながら。

「無理なら今は――」

「また、忘れられるのが辛くなるだけです」

 気を使おうとしていると、そんな相沢の言葉に遮られた。

「また、哀しくなるだけです……」

 沈んだ顔で、そう言われると躊躇してしまう。しかし聞きたかった。俺の都合だ。分かっていてそれでもなお、聞きたかった。

「相沢さんは、一年生の時と二年生の時、俺といたのか?」

 その問いに、ただ首を縦に振った。

「本当は、俺と関わりたくはなかった?」

 今度は首を横に振る。

「今はもう、俺のことは嫌い、なのか?」

 再び首を横に振る。その顔に、再び涙があふれてきた。

「教えてくれ。一体、俺は何を忘れたのかを」

 自己満足だ。相沢の都合なんて、心境なんて二の次にして、俺は自分が納得したいがために答えを求めた。分かっている。だがこのまま何も聞けなかったら、モヤモヤとした嫌な感覚だけしか残らない。俺は知りたい。俺にとって家族と同等と言うことはそれだけ重みのある言葉だから。

「翔君――」

「なに?」

 涙を必死に抑えながら相沢が聞いてくる。

「嬉しいです。でもやっぱり怖いです。また、忘れられるのが……」

「……このまま、忘れていた方がいい?」

 目が泳いでいる。その瞳の奥で動いているものは葛藤だろうか。

「一緒にいたいですよ……もちろん」

 涙声でそう言う相沢の瞳は、再び涙を抑えきれなくなっていた。

「だからこそ教えてほしい。手紙には、気付いた時には時間がなかったと書いてある。何があったのか全てを知りたい。そうしないと、また同じ結末を繰り返すかもしれない」

 どこまでが本心か、自分でも分からなかった。この言葉も猫をかぶっていたから出てきた言葉なのかもしれない。

 だが俺の言葉を受けて澪は語り始める。ゆっくりと、少しずつ。


 一年生の時に出会い、一度は忘れた。二年生になり偶然めぐり合い、再び忘れ、今に至る。そして澪の罪と過去と、現在おかれている状況――。


 何があったのか一通り聞き終わる。

 一年生の時と二年生の時のこともそうだが、信じられない最たるものは、相沢がすでに死んでいるという言葉だった。

 そんな戸惑いを時間だけが追い抜いていく。

 何を信じ、何を言えば良いか分からなかった。

 そんな俺を見てか、相沢は校舎の外に連れ出す。着いたのは、校門のところ。そこで見た光景に俺は自らの目を疑った。彼女が校門から出ようとすると青白く、電撃のようなものが空間に走り、一瞬だが彼女の腕の一部が消し飛んだように見えた。「おい!! 大丈夫か!?」

 痛そうにうずくまる相沢。これに触れると、尋常ではない痛みを伴うようだ。

「だ、大丈夫ですよ……信じられないなら、もう一回しますよ」

「いい、必要ない」

 これで、少しは信じてもらえたでしょうか――と、校舎に向かう途中にそう相沢が声をかけてくる。

 俺は、言葉を返せない。

 相沢の説明は突拍子も無く、現実性もまったく無い。しかし、目の前で現実性の無いものを見たために、信じるかどうかどっちつかずになっていた。

 その様子を見て、相沢は再び俺の手を引いた。

「じゃあ、もう一つ証拠をお見せします」

 そう言って行き着いた場所は屋上だった。

「これは、まだ一度も見せてはないことです……」

 その、相沢はフェンスに近寄る。

「下、誰か通ってますか?」

 そう言ってフェンス越しに相沢は地面を見下ろす。そこには中庭があって、誰もいなかった。

「誰もいないようだが?」

 答えていると。フェンスが揺れる音がする。

「おい!! 何やって――」

 フェンスをまたごそうとする相沢を見て、俺は思わず叫んだ。

「お手数をおかけしますが、中庭まで来てください」

 その言葉を残し、相沢は勢いをつけて空中に跳んだ。

「やめろッ!」

 声が頭に響く。自分の声じゃない。あの時の、記憶が――

『お兄ちゃん……』

 耳鳴りと言った方がいいのかもしれない。視界が歪んだ気がした。重なる。あいつと。あいつもこうやって――。

 かすかな視界の中、澪は単調に落ちていった。

 鈍い音が耳に届いた。

 言葉が出なかった。

 ひざが震えた。

 悪夢を、また見ている気がした。

 だが俺は体に鞭打って無理やりに中庭へ向かう。途中、なんでもない階段が、永遠に続くほど長く感じて仕方が無かった。

 それでも何とか中庭に着くと、微動だにしない相沢の横たわった体があった。頭からは信じられないくらいの鮮血が地面を染色している。

「翔……君――」

 微かに唇が動いた。

「相沢……!! 今救急車を――」

「待って……ください。少しだけ――」

 そう言ってよろよろと手を伸ばしてくる。

「喋るな――」

 こんな状況で、何故そんなことを――そう思ったが、俺の体は止まった。目の前の光景を目にしたとき、釘付けにされてしまったからだ。

 信じられなかった。

 信じれるものではなかった。

 だが、それは目の前で起きている現実だった。

 常識と言う壁が邪魔をしていたが、今目の前で起こる光景を目にしたらそんなものは彼方へ吹き飛んでしまった気がする。

 飛び散った血が、徐々に動いていた。少しずつ、相沢の元へ戻っていく。

「……いったい、これは――」

 そう思うしかなく、それでいて無意識のうちに声を漏らしていた。

 十分くらいだろうか。結局全部の血が相沢に集まり、傷口から吸い込まれ、もう傷痕すら見えなくなった。

 相沢がゆっくりと起き上がる。あまりに力なくなので俺は肩を貸す。

「翔君――私の事、もう忘れてませんか?」

「え……。い、いや覚えてるが?」

 こんな光景を見せ付けられた後では、現実逃避と一つでもしたくなるけれど。

「比較的大きな衝撃を受けると、局地的に記憶を失うことがありますので……でも、ある程度同意があれば大丈夫みたいですね」

 ぼそぼそと言いながら歩く。

「何が……いったい何がどうなって――」

 俺はかき消されそうなくらい細い声を漏らすと、相沢が教えてくれる。

「――死人は、二度は死ねないんです」

 俺は屋上を見上げる。あの高さから、頭から落ちたら、確実に即死だ。だが、相沢はこうやって生きている。今ではもう傷一つ無い。

 ――いや、死んでいるのか。


「帰るのですか?」

 相沢が調子を取り戻したのをきっかけに、俺は告げた。

「さすがに……一度に色々ありすぎた――」

「やっぱり、嫌ですよね。私の事は忘れて良いですよ。翔君が嫌な思いしてまで一緒にいてほしいとは思いません」

 その言葉に、俺は返事を返せなかった。

 どっちにしろ、頭を整理する時間は必要そうだ。

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