十九話
相沢が泣き止むまで、半時ほどかかった。
少し落ち着いてきたのか、必死にぬぐおうとした相沢の手は涙で濡れきっていた。
それに俺の制服もだいぶ湿っている。
手紙も濡れてよれよれになっている箇所がいくつもあった。
相沢は落ち着きを取り戻すと、恥ずかしそうに視線をそらした。
「ごめんなさい……突然――」
俺はどう対応していいか分からないが、何も言わないわけにもいかない。
「そのことは、別にいい」
それよりも、この手紙について聞きたかった。
「教えてほしい。この手紙のことは、本当なのかどうか……」
それを言うと、相沢はためらいの表情を見せた。やはり時期尚早だったかもしれないと、「無理なら今は――」と口を開くが、相沢の言葉がかき消す。
「また、翔君を傷つけてしまいます……」
ひどく悲しい口調だった。
「自分も、辛くなるだけです……」
沈んだ顔でそう言われると躊躇してしまう。
しかし聞きたかった。
完全に俺の都合だ。
それでもなお、聞いておきたかった。
「相沢さんは、一年生の時と二年生の時、俺といたのか?」
その問いに、相沢はしばらく時間を置き、ただゆっくりと首を縦に振った。
「俺が何か、傷つけるようなことをしたのか?」
今度は首を横に振る。
「俺の責任、なのか?」
再び首を横に振る。
その顔に、再び涙があふれてきた。
「教えてくれ。一体、俺は何を忘れたのかを――」
自己満足だ。
相沢の都合なんて、心境なんて二の次にして、俺は自分が納得したいがために答えを求めた。
分かっている。
だがこのまま何も聞けなかったら、モヤモヤとした嫌な感覚だけしか残らない。
俺は知りたい。
俺にとって家族と同等と言うことはそれだけ重みのある言葉だから。
「翔君――」
「ん?」
涙を必死に抑えながら相沢が聞いてくる。
「とても、嬉しいんです。でも、それ以上にやっぱり怖いです。また、忘れられるのが……」
「……なら、このまま忘れた方が、いいのか?」
目が泳いでいる。
その瞳の奥で動いているものは葛藤だろうか。
「一緒にいたいですよ……もちろん」
涙声でそう言う相沢の瞳は、再び涙を抑えきれなくなっていた。
「だからこそ教えてほしい。手紙には、気付いた時には時間がなかったと書いてある。何があったのか全てを知りたい。そうしないと、また同じ結末を繰り返すかもしれない」
どこまでが本心か、自分でも分からなかった。この言葉も猫をかぶっていたから出てきた言葉なのかもしれない。
だが俺の言葉を受けて澪は語り始める。
ゆっくりと、少しずつ。
一年生の時に出会い、一度は忘れた。
二年生になり偶然めぐり合い、再び忘れ、今に至る。
そして澪の罪と過去と、現在おかれている状況――。
何があったのか一通り聞き終わる。
一年生の時と二年生の時の記憶がないのもそうだが、もっとも信じられないのは相沢がすでに死んでいるという説明だった。
そんな戸惑いを時間だけが追い抜いていく。
何を信じ、何を言えば良いか分からなかった。
そんな俺を見てか、相沢は校舎の外に連れ出す。
着いたのは、校門のところ。
そこで見た光景に俺は自らの目を疑った。彼女が校門から出ようとすると青白く、電撃のようなものが空間に走り、一瞬だが彼女の腕の一部が消し飛んだように見え、次の瞬間にはその皮膚が、肉がただれていたからだ。
「お、おい!! 大丈夫か!?」
痛そうにうずくまる相沢。これに触れると、尋常ではない痛みを伴うようだ。
「だ、大丈夫ですよ……信じられないなら、もう一回しますよ」
「いい、必要ない!」
これで、少しは信じてもらえたでしょうか――と、校舎に戻る途中にそう相沢が声をかけてくる。
俺は、言葉を返せない。
相沢の説明は突拍子も無く、現実性もまったく無い。
しかし、目の前で現実性の無いものを見たために、信じるかどうかどっちつかずになっていた。
その様子を見て、相沢は再び俺の手を引いた。
「じゃあ、もう一つ証拠をお見せします」
そう言って行き着いた場所は屋上だった。
「これは、まだ一度も見せてはないことです……」
その、相沢はフェンスに近寄る。
「下、誰か通ってますか?」
そう言ってフェンス越しに相沢は地面を見下ろす。そこには中庭があって、誰もいなかった。
「誰もいない……ようだが――」
答えていると。フェンスが揺れる音がする。
「おい!! 何やって――」
フェンスをまたごそうとする相沢を見て、俺は思わず叫んだ。
「お手数をおかけしますが、中庭まで来てください」
その言葉を残し、相沢は勢いをつけて空中に跳んだ。
「やめろッ!」
声が頭に響く。自分の声ではない。あの時の、記憶が――
耳鳴りと言った方がいいのかもしれない。視界が歪んだ気がした。重なる。あいつと。あいつもこうやって――。
かすかな視界の中、澪は単調に落ちていった。
鈍い音が耳に届いた。
言葉が出なかった。
ひざが震えた。
悪夢を、また見ている気がした。
だが俺は体に鞭打って無理やりに中庭へ向かう。
途中のなんでもない階段が、永遠に続くほど長く感じて仕方が無かった。
それでも何とか中庭に着くと、微動だにしない相沢の横たわった体があった。
頭からは信じられないくらいの鮮血が地面を染色している。
「翔……君――」
微かに唇が動いた。
「相沢……!! 今救急車を――」
「待って……ください。少しだけ――」
そう言ってよろよろと手を伸ばしてくる。
「喋るな――」
こんな状況で、何故そんなことを――そう思ったが、俺の体は止まった。目の前の光景を目にしたとき、釘付けにされてしまったからだ。
信じられなかった。
信じられるものではなかった。
だが、それは目の前で起きている現実だった。
常識と言う壁が邪魔をしていたが、今目の前で起こる光景を目にしたらそんなものは彼方へ吹き飛んでしまった気がする。
飛び散った血が、徐々に動いていた。少しずつ、相沢の元へ戻っていく。
「……いったい、これは――」
そう思うしかなく、それでいて無意識のうちに声を漏らしていた。
十分くらいだろうか。結局全部の血が相沢に集まり、傷口から吸い込まれ、もう傷痕すら見えなくなった。
相沢がゆっくりと起き上がる。あまりに力なくなので俺は肩を貸す。
「翔君――私の事、もう忘れてませんか?」
「え……。い、いや」
こんな光景を見せ付けられた後では、現実逃避と一つでもしたくなるけれど。
「比較的大きな衝撃を受けると、局地的に記憶を失うことがありますので……でも、こういう場合は大丈夫みたいですね」
ぼそぼそと言いながら歩く。
「何が……いったい何がどうなって――」
俺はかき消されそうなくらい細い声を漏らすと、相沢が教えてくれる。
「――死人は、二度は死ねないんです」
俺は三階建ての校舎を見上げる。
あの高さから頭から落ちたら、確実に即死だ。
だが相沢はこうやって生きている。
今ではもう傷一つ無い。
――いや、死んでいるのか。
「帰るのですか?」
相沢が調子を取り戻したのをきっかけに、俺は告げた。
「さすがに……一度に色々ありすぎた――」
「やっぱり、嫌ですよね。私の事は忘れて良いですよ。翔君が嫌な思いしてまで一緒にいてほしいとは思いません」
その言葉に、俺は返事を返せなかった。
どっちにしろ、頭を整理する時間は必要そうだ。
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