十八話

 裏を見ると、差出人の名はない。


 興味本位でそれの封を切った。


 中には二つに折られた紙が数枚。取り出してみると、一枚目はシンプルだが二枚目以降は結構文字数がある。


『これを読んでいるということは、丹波か彩咲から絵が返されたはずだ』


 そんな一枚目の出だしが俺の目を引く。その手紙は手書きで、筆跡は自分のもののようだった。だが文字は、絵ほど自分のものかどうか自信がない。


『この文章が、俺自身が書いたものと証明するために、他人が知り得ない情報を二枚目に記載しておく』


 一枚目はそれで終わっていた。


 俺は二枚目に目を通す。


 二枚目を最後まで読んだ時、俺は自分が書いたものだと確信した。


 他の人が知るはずの無い事柄まで事細かに書かれていたからだ。


 しかし、俺自身こんなものを書いた記憶は無い。


 だが興味がわいたのは事実だった。


 三枚目の紙に移る。


『信じるかどうかは今の俺にはどうしようもないが、それでも信じる必要がある。これを書いているのは二年生の十月』


 ――七ヶ月から八ヶ月前の事か。


 そんなに最近のことなのかと、疑念を感じながら読み進める。


『俺には、大切な人がいた。しかし、俺はそいつの事を忘れてしまう。原因は分からない。だが、これを書いている最中にも思い出せない時間がある。信じられないかもしれないが、事実だ。理解できない場合、そう言う病だと思ってくれればいい。大事なことなのでもう一度書いておく。実際の原因は分からない。そして、読んでいる俺がそんな人物の事を思い出せなかったら、忘れているいうことだ。もし覚えていたらこれを読む必要は無い』


 読み進めているうちは、理解し難い内容だった。


 だが、次の一文を目にした時、俺の視線は釘付けになった。


『俺にとって、そいつは家族と同等の存在だった』


 食い入るように見つめた後、俺はその先を読むのをやめようとする。そんなことはありえない――そう感じたからだ。


「ばかばかしい」


 そう声に出してみるものの、前の紙に書かれた自分しか知らないはずの過去が、途中で読むのをやめてしまおうと言う考えに歯止めをかける。


『家族同等の存在は女の子。今一年生にいるはずだ。名前は   だ」


 名前のところが空白だった。


『もしかしたら、名前が消えているかもしれない』


 手紙の主が――俺が消したわけではないのか?


 そう考えると名前をかけない状況か、誰かに消されたか?


 いや、消す必要があるなら手紙ごと捨てればいいわけだ。


 鍵も封もされていたわけだから。


『彼女は、俺にとって必要な存在だ。妹の代わりではない。しかし彼女の、妹のような無邪気な笑みが俺は好きだった。絵にすれば、残っているだろう。忘れてしまうから、丹波や彩咲に絵を預かってもらい、必要な時間を経て送り返してもらった。この絵の少女を探してほしい。俺は二度も、大切な人を忘れてしまった。そのことで、彼女を傷つけてしまった。そして、俺自身も、妹と同じ時のように何も出来なかった自分が嫌で憎い。もう、失いたくは無い。だが、今は時間が無い。一年生や二年生で俺は何も出来なかった。三年生が最後のチャンスだ。三年生の俺へ。誰のためではない。自分のためだ。同じ悲劇は繰り返さないでくれ。そして、彼女を救ってやってくれ』


 二枚にわたって書かれた文を読み終わった。気付けば一気に読んでしまった。


 俺は……家族をもう一人失ったのか?


 俺にとって、この手紙は呆然とするに十分な内容だった。


 何度か読み返した。


 信じられるような内容ではなかった。


 だが、だからといって無視することもできなかった。


 俺にとって、妹は決して忘れることの出来ない過去だ。


 だから、どうしても気になって仕方がない。


 ふと、裏に何か書かれているのに気付く。追伸がそこにあった。


『美術室に、今までに描いてきた絵が保管されている』


 確かめる必要は、あるかもしれない。いや、見てみたいと言う気持ちはある。


 ……どうせこの後予定があるわけでもない。暇があればただ絵を描くだけだから。


 帰宅してまだ時間はそんなに経っていないが、再び学校に向かった。


 その手紙だけを持って。






 学校に着くと、生徒はあまり残っていなかった。一部の生徒が残って勉強したり駄弁ったりするが、校舎は全体的に閑散としている。


 美術室に入ると、丹波が一人でキャンバスに向かっていた。


「あれ? 帰ったんじゃなかったのかい?」


 いち早く俺に気付くと、そう聞いてきた。


「ちょっと、確認したいことがありまして」


 そう言いながら俺は美術室に入り、丹波に歩み寄る。


「何だい?」


「今までに描いた絵は、ここで保管してますか?」


「うん、してるよー。黒野君は美術部員じゃないけど、ちゃんと個別に保管してるよ。まぁ、あれだけ描いてるからクラスの方に入れたら他の人がどこにあるか分からなくなるしねー」


 そう苦笑いを浮かべながら丹波はぼさぼさした自身の後頭部をさすっていた。


「ちょっと見ても良いですか?」


「別に構わないよ。準備室に置いてあるから、好きに見るといいよ」


「ありがとうございます」


 準備室。そこには確かに俺の名札のついた箇所があった。


 そこから絵を出すが、一回で全て出すには量が多いため二回に分ける。百枚は軽く超えているな――そんなことを思いながら。


 それらを順々に確認していく。


 ある程度めくると、例の女子の絵が占有し始める。丹波と彩咲から送られてきたのと同一人物だ。


「探し物は見つかったかい?」


 唐突に声をかけられ、俺はその表紙にめくっていた画用紙が手からすべる。


「驚かせないでくださいよ」


「ごめんごめん……って、去年も同じようなやり取りしなかったっけ?」


 苦笑のような笑みを浮かべながらそう言う。


「――そんなことありましたっけ?」


「あったあった。その時も、ここに何かの絵を探しにきてたよ」


 まったく覚えは無いが、丹波の表情から冗談めいた感じは無いように思えた。


「それで、何か探してるのかい?」


 丹波に預けていたと、手紙では言っていた。丹波に聞いたら何か分かるかもしれない。


「この絵、誰を描いたか何で描いたか覚えてないんですが、先生は分かります?」


 そう言いながら、絵をめくって少女の絵を探す。そして見つかった絵のうちのひとつを適当に引っ張り出し、丹波に確認してもらう。


 丹波は頭をひねり、うーん――と記憶を探り始める。


 少しして、ポン、と思い出したように手をたたいた。


「相沢さんかな」


「相沢……?」


「そう、今一年生にいるよ」


 それは、手紙の追伸と同じ内容だった。


「あれ? でも彼女は新入生のはずなんだけど、どうして彼女の絵が? 前から知り合いなのかい?」


「い、いえ、知らないから聞いたのですが」


「……あーそういえば」


 何かを思い出そうとするかのように頭をひねりながら声を流していた。


「そういえば去年もこの絵で悩んでなかったかい? 細かいことは知らないけど」


 悩んでいた? 俺にはそんな記憶が無い。


 俺はとっさにこんな仮説を立てた。去年と同じ行動をしている、と。忘れてしまう病だとすれば、去年は忘れた記憶を求めて同じようにここにきていたのだろうか。


「いえ――覚えがないです」


 丹波にそう返事をしながら、俺は画用紙を再びめくっていた。


「――あっ」


 めくり進めて行っている途中、ある絵を見て、俺はそう声を漏らす。


 それは、相沢と言う少女と一緒に描かれた彩咲の姿だった。


 時々、夏休みに彩咲を描いた記憶が微かに残っている。だがその絵は、確実に彩咲と相沢が仲よさそうにしていた。彩咲を描いたことは覚えているのに、相沢と言う女子は覚えていない。一緒の紙の中に描かれているにもかかわらず。


「ああ、彩咲さんだねぇ」


 丹波が顔を覗かせながらそう言葉を漏らす。


「夏休みに時々描いてあげてたよね。でも彼女、準備室に衣装を忘れてった時は困ったよホント。一時期、僕が女装してるって噂が流れかけたからね……」


 苦そうに笑い、思い出しながらそう言う。


 二人が一緒にいる絵を見ると、確かに彩咲は制服ではない。そして、相沢も。


「相沢と言う生徒、何クラスですか?」


「ん? えーっと彼女はね……四組だったかな」


「そっちの方に行ってみます」


「うん、気をつけてね」


「気をつける?」


「その子、結構ドジだからね、この前も、転んでイーゼルを一つ壊されたし」


「……気をつけます」


 俺は準備室を後にする。


 ――今日はもういないだろう。


 探すとしたら明日か。よほどの事情があるか、体調不良でなければ、テストは休まないだろうから。テストを休めば進級や卒業に大きく関わってくる。


 去年もいたと言うことは、留年でもしたのだろうか。


 そんな奴がテストに出ないはずが無い。


 出ないくらいなら今頃学校を辞めているだろう。


 それでも何かしらの手がかりをつかめるかもしれないと一年四組の教室を覗いた。


 女子生徒が一人、教室で読書をしていた。


 俺に背を向けた状態でいる。彼女は小柄で、なぜが煌びやかなまでの金髪だった。


「ねぇ君――」


 とりあえず、三年生と言う立場を利用して何か聞けることがあるかもしれないと、俺はその生徒に声をかける。


「このクラスで、相沢って生徒が――」


 言いかけて、振り向いた彼女の顔に気付く。


 絵に描かれた彼女と同じ顔だった。


 彼女は俺の顔を見て、目を丸くしていた。目の前の出来事が信じられない。そんな表情をしながら。それを表すかのように読んでいた本が手から滑り落ちる。


「相沢……さん?」


 俺は彼女と関わりがあるらしい。


 そう憶測は出来た。


 だが記憶にはないので確認の為に尋ねる。




 彼女からの返事は無い。


 ただ目を逸らし、そして背を向けた。


 手紙の一文を思い出す。彼女を傷つけてしまった――。


 だったら、そんな簡単に受け入れることなんて出来るはずがないだろう。




「違います」


 少しして帰ってきた彼女の答えは、否定だった。


「私じゃないです」


 だが弁解する彼女の言葉に、力強さも説得力も無かった。


「人違いです」


 難度も念入りに、そう否定する。


 それはどう見ても肯定している様にしか見えなかった。




 次に何と声をかけるべきか迷っていると、彼女は反対側の扉から走って行った。


 彼女を追うことはしなかった。


 もしも俺が彼女を傷つけてしまったのなら、今追いかけても、さらに傷つけるだけになりかねない。


 明日出直すか――。


 そう結論づけ、教室を後にする。






 夢を見た気がする。


 真っ黒な色のない世界に、ぽつんと黄金こがね色の光が立ち込めていた。


 近づき、触れてみると、光は拡散しながら色あせていった。


「やめておけ。自分が苦しむだけだ」


 そう聞こえたような気がしていると、意識は急に現実に戻った。






 翌日の試験が終了する。


 昨日は帰って自室で色々と考えていたが、たいした進展は無かった。


 その代わり今日の言動について考えてきた。


 まずは生徒の数が減る時刻を俺は待つ。


 その間に、俺は教員室に向かった。


 少しして校舎内が閑散としてきた頃を見計らい、俺は再び一年四組へ向かう。


 これは一種の賭けだった。


 いない可能性は結構ある。


 むしろそちらの方が大きいだろう。


 昨日俺から逃げるように去って行ったのだから、今日はすぐに帰るかもしれない。


 まぁ、その時はまたどうするか考えよう――と、俺は思った。




 教室の中を覗くと、そこには相沢の姿があった。他には誰もいない。


 俺は気付かれないように行動する。


 ――カチャ。


 可能な限り小さな音で済ませると、どうやら蝉の鳴き声にかき消されて気付かれなかったようだ。俺はもう教室前方の扉から教室に侵入する。


「ちょっと良いかな?」


 そう声をかけると、相沢は体をピクリと反応させる。それでも、こちらを振り向くことなく言葉を返してきた。


「しつこいです!」


 声を少し荒らげるが、そこに怒りがあるようには思えなかった。


「そう、かもしれない」


 俺が肯定すると、否定する台詞を口にしながら席を立った。


「私は違うと言ってるじゃないですか」


 そう言って、今日は落ち着いた足取りで教室後方にある扉から出ようとする。


「――っ」


 開かない扉に、彼女は少し慌て、戸惑う表情を見せる。


 開かない。そう簡単に開いては、鍵の意味がない。




 俺はここに来る前、教員室で適当に理由を付けて鍵を借りてきた。


 教師からの信頼があると、こういうときに非常に便利だ。


 そしてこの学校では前方の扉は内側から空けられるが、後方の扉は内側から鍵を開けるには同じように鍵を使う必要があった。


 授業中、こっそり生徒が出入りさせないようにする為の設計らしい。


 すなわち、後方の扉に鍵をかけてしまえば、前の扉――俺の入ってきた扉からしか出ることはできない。


 とはいっても、一年生の教室は一階にある。


 窓からはいくらでも出て行けるだろう。


 だからこれも賭けだ。


 そして俺は開いている扉から離れる。


 これで、彼女は容易に出て行くこともできる。


「……どうして。翔君はいつも、そうなのですか――」


 まだ名乗ってもいないのに、彼女は俺の名前を知っていた。


「もう、関わらないって、約束したのに――」


 そう言う彼女の声は震えていた。


 声だけではない。肩も、拳も。震えている。


 俺は相沢を傷つけた。


 だから避けた。


 関わりたくないのかもしれない。


 だが俺にはまったく心当たりがない。


 相沢の抱いている感情が俺に対する憎悪なのかどうかが、確認する上で重要だ。


「すまない。相沢さんについて心当たりがないんだ。だから何かあったかもしれないけど無理に止めたりはしない。俺が恨まれるようなことをしたのなら、謝るよ。それでも嫌なら、ここに来たりもしない」


 その言葉で、相沢は力なく腰を落とす。


「ひどいです――」


 そう、声を震わせながら。


「翔君が憎いわけ、ないじゃないですか……」


 どうやら憎いわけではないようだ。


 しかし、それでも俺は彼女の事を知らない。


 まったく思い出せない。


 だが相沢が俺を知っていると言う事実、相沢を描いていると言う事実、そしてそのことを俺に伝えたあの手紙の事を考えると、どうしても確認しておきたい。


「教えてください――」


 そう、力なく声をかけてきた。


「私のこと、忘れたはずなのに、どうして――」


 俺が忘れていると言うことも知っていた。原因は分からないが、今のところ手紙を否定する要素が見当たらないのは事実だった。


 俺は、相沢に近づく。


「これを見つけた」


 そう言って、俺は手紙の三枚目以降を渡す。


 相沢はその手紙を読み始める。






 全てを読み終わる頃、相沢の目から大粒の涙がこぼれ始める。


 それは相沢にとってどれほどの意味を持つのだろうか。


 今の俺には分からなかったが、相沢の前で腰を下ろす。


 手紙を涙で濡らしたくないという建前で。


 本心は……自分自身でもよくわからなかった。


 そのうち相沢は泣き崩れ、俺にもたれかかる。


 こういうときどうすれば良いのか分からなかった。


 だが体を小さく震わせている相沢を見て、俺は無意識にその背中をなでていた。


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