十七話「喪失」

 毎日が気付けば過ぎていく。独りで過ごす学校が、これほどまでに退屈でつまらないものだと、俺は今更ながら知った。

 あの中庭の出来事から、もう澪の姿は見ていない。あんなことを言っておきながら、気になって澪のいるクラスの前を何かと理由をつけて通る。それでももう見ることはなかった。


 一日のうち澪の事を覚えている時間が日に日に減っていっている気がする。怖かった。忘れていくことが。澪のいたときの記憶と、いないで当たり前の記憶が混合する。澪がいなくても、何も違和感がない。だが、澪のことを思い出すと嫌悪に襲われる。その嫌悪がたまらなく嫌だった。同時に、完全に忘れてしまうのが酷く怖かった。


 そんな日が続いた夜。

 いつにもまして寝付けないでいた。澪に会えなくなってからずっとだ。ずっと寝不足のはずなのに、夜になるとどうしても寝付けない。いや、寝付きたくないと思っている。一度寝てしまったら、もう澪のこと忘れてしまうかもしれない。そう躊躇う。

 月明かりが部屋の中を淡く照らしていた。暗闇に慣れた俺の目は、その光だけで十分に部屋の中を把握できた。

「澪――」

 俺は言葉を漏らしながら澪の事を思い出していく。常に思い出そうとしていれば、わずかでも維持できた。

 寝付けずに、俺はごそごそと動き出す。絵を描く余裕は無かった。ただ、床に腰を下ろし、ボーっと部屋の中を見渡す。そこには家族の中に紛れ込む澪の姿がある。俺にとって、澪はもう家族と同等に大切な存在だったのだと、何度も自覚する。

 立ち上がったついでに少し足元の整理をする。壁際に寄せただけだが。

 ふと目をやると、返却された美術の課題がそこにあった。小物のデッサン。だが、描いているものには見向きもせず、俺の視線ははただ一点に釘付けられる。

 自分の名前の横。鉛筆でなぞり、筆跡が浮かび上がったままの状態になっている。

 チビ。

 そんな筆跡が、俺の体を硬直させた。そして、記憶が鮮明によみがえる。

『澪ちんチビなんだから、澪ちんサイズのその服入らないよっ!』

『チビって言うなぁ! 気にしてるのに!』

 チビ。その単語が無駄に重なり合った。

 考えすぎだろうか。そう思うのは必然だったが、俺はどうしてもこの二つを結び付けたかった。もしこのチビが、かつて俺が澪の事をあらわした言葉なら、澪は反応して消すだろう。問題は、このチビが、澪の事を指している確証がどこにもない。

 俺は考える。

 仮に澪のこととして考えた場合、ひとつの結論が脳裏をよぎった。

 直接、澪の事を書いても忘れるか、消えるかする。だが、間接的に澪の事を表現したら、それは消えない。その単語が、澪だと言うことは忘れるけれど。

 そうだ、なぜ忘れていたんだ。俺は、この部屋で澪の書かれた絵を見つけているじゃないか。澪は確か……写真に写っていても自分だけ消えると言っていた。だが、それが絵なら消えない。

 しかし、この絵が澪だと言うことは忘れてしまう。

 でも、俺は確実に一年生の時に澪と関わっていて、一度忘れている。だが、また知り合えたじゃないか。二年生で、澪と。はじめはギクシャクした関係だったけれど、それでも、最後は――。

 引き継がなければ……!!

 澪がどうしてこうなっているのかは分からない。だが、今から何か策を考えるのには時間が無さ過ぎる。もう、少しでも気を抜いたら忘れてしまいそうだ。

 来年にこの感情と情報を引き継ぐ。それが俺のやれること……唯一の方法だ。


 翌日、俺は学校を休む。適当に仮病を使って。教師への信頼があったおかげで、特に疑われることもなかった。今は、学校で授業を受けている時間すら惜しい。

 俺はベッドに腰を下ろして何をすべきか考える。もし、俺が一年の冬から春の間に澪の絵を見つけていたらどうなるかを考える。ただでさえ絵がたまるから、余計な絵は処分するかもしれない。だとすると、今回も適当に放置していたら捨てられるか、来年になっても気付かない可能性が高い。今年気付いたのは、いくつもの偶然が重なったからだ。

 どうする。澪の絵は、美術室に去年と今年の分が保管されているはずだ。後はこの部屋にも、いくつも散らばっている。それらを誤って処分することは避けたい。

 一箇所に集中させるのはそう言ったリスクを伴う。分散させるためにも、いくつかの場所に別けたい。

 そうは思うが、まともな友達などいないこの俺に、頼れる人間などいない。

 彩咲がいれば、少しは頼めたかもしれないが、連絡先が分からない。先生から聞き出して、手紙を書いて――じゃ間に合わない。電話――そうだ、携帯電話の番号をもらったじゃないか。いったい何処に置いたか――。早急に探さなければ。

 とは言え宛はそのくらいか。ぜんぜん駄目じゃないか。……丹波にでも頼むか。変わっているが、ちゃんとするところはする人だからな。

 四箇所。不十分だ。そもそも、絵を見つけても、仕方が無い。澪と再び会わなければ。澪は、もう向こうから会いには来ない。そう思う。だとすれば、俺が澪のところに行けばいい。どうやって……今年は、家族の絵しかないはずのところに澪の絵が出てきたから、どういうことか確かめたくて探し回った。来年も同じ状況を作れば良いじゃないか。

 そう考えたが、すぐに駄目だと否定した。

 また、すぐには信じられずに時間をただ浪費するだけだ。それで、もし来年も駄目だったら――俺は、おそらく卒業するだろう。そうなると、もう二度と――。

 最悪の場面が浮かんできた。その考えを必死に振りほどく。

 だからこそ、今が重要なんだ。

 俺が澪といたこと、澪の秘密、そして何かしらの解決策を探す必要があることを、伝えなければならない。絵だけでは不十分だ。


 数時間経とうとしていた。途中、何度も澪の記憶が抜け落ちながらも、必死に頭を動かした。正午を過ぎた頃、俺は手紙を書き始める。

『三年生の俺へ――』

 慣れないものは急にやるべきではないと思った。思ったように言葉がまとまらない。記憶の関係もあったが、それでも非常に時間がかかった。

 俺は、手紙を勉強机の鍵のついた一段に入れると鍵を閉める。

 気付けば、時刻はもう十五時を過ぎていた。学校には休むとも伝えてしまったが、丹波に会いに行く必要があったため、俺は学校に向かった。

 途中鍵屋に寄ったためか、放課後を告げるチャイムがなった頃に学校に着いた。

「おや、どうしたんだい? そんなに息切らして――」

 美術室の扉を開けると、丹波の方から声をかけてくる。

 確かに俺は、少しでも覚えてる間に済ませようとずっと走っていた。

「丹波先生、今時間いいですか?」

「んー? 構わないよ?」

 美術部員の邪魔にならないように、俺たちは奥で話す。

「で、何かあったのかい?」

「丹波先生にお願いがあってきました」

「僕に?」

 俺は、筒状にして包装した絵を丹波に渡す。

「この絵を、少しの間保管していてもらえませんか?」

 受け取った絵を広げ、丹波は確認するように開いた。

「確か、一年生の女の子だよね。相沢さんだっけ?」

 丹波は、まだ覚えていた。俺はそのことが少しだけうれしくて破顔する。

「はい。家に置いておくと、ちょっと場所をとるので……。ちょっと、諸事情で置けないので保管してもらえませんか?」

「うん、まぁいいよ。どのくらい預かってたらいいんだい?」

「来年の六月中旬頃から七月ごろまでで良いですか?」

「結構先だねぇ」

「すみません」

 俺は目線を落とすと丹波は悪いことを言ったかと思わせる雰囲気で答えた。

「いやいや、構わないよ」

「返す時は、先生の都合で良いです。……というか、そちらから声をかけて欲しいです。それから、一緒に絵以外のものも入れてますので、なくさないでくれるとありがたいです」

 俺が預けたことも含めて忘れていた時の保険。だが、その保険は重要なことだった。

「分かったよ!」

 親指を立てて丹波は軽く了承した。


 帰り道、俺は公衆電話に小銭を大量に入れる。

 彩咲の携帯を呼び出す音が流れてきた。三度目の呼び出し音のときに、彩咲は電話に出る。

「はいはーい、どちらさまですか?」

 彩咲の声が受話器の向こう側から聞こえてくる。

「黒野だ。悪いな突然」

「おー、先輩っ! 澪ちんとはラブラブですかい?」

 その言葉に、胸が少し引きつった気がした。しかし、彩咲もまだ澪の事を覚えている。そのことは非常にうれしかった。

「ちょっと色々あってな、俺の部屋においてある絵をちょっとの間置いておけなくなったんだ。それで、いくつか預かってくれないか?」

「絵をッスか? 美術室にあるんじゃなくて?」

「あれとはまた別の奴」

「まだ他にも描いてたんッスか!」

「まぁな」

「ま、構いませんよー。ちなみに、どんな絵ッスか?」

「届いてからお楽しみだ」

「えー! いやほら、えろてぃっくなモノだと、親に見つからないようにしないといけないじゃないッスか!」

「安心しろ。そんなんじゃない」

「残念っ」

「それで、送り返す時期なんだが、来年の六月下旬から七月位に頼めるか?」

「んーっ……覚えておくように努力しますっ!」

「頼む。送り返す時は、着払いで構わない。それから、いくつか小物も入れておくから、なくさないでくれよ?」

「アイアイサー」

 これでよし。そう俺は思った。

「そういえば、こっちの学校結構面白いッスよ!」

 後は投入した硬貨がなくなるまでありふれた会話をした。

 どうやら、転校先では上手くやってるようだ。

「じゃあ、またッス」

「ああ、じゃあな」

 そう言って電話を切ると、俺はすぐさま絵を彩咲へ送る。

 今俺が出来ることはこのくらいだろうか……。

 自室に戻り一息いれながら思う。

 寝不足を訴える体に従いベッドに倒れこむ。

 目の前が、真っ黒になっていく。

 何もかも、黒く。


 ……いや、どこか、黄金(こがね)色に色付きながら……。


 嗚呼、あいつの髪色のように美しい……。

 薄れゆく意識の中で、ただそう思った。




 ――あれ? 『あいつ』って、誰だっけ。





 ……まぁ、いいか……。

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