三年生

十七話

 進学校であるここの教師は、三年生になると狂ったように受験対策を繰り返す。そんな毎日は相変わらず退屈で、つまらなくて、面倒だ。


 梅雨に入る頃、早い生徒では既に受験を間近に控えた者もいる。


 俺はというと、特に目的も無く近くの大学を希望していた。


 教師は法務部だ医学部だと勧めてくるが、どうにも気が乗らない。


 そんな俺のことが、進路指導の教師からしてみたら悩みの種のようだ。


 成績も上位で授業態度も優良。


 にもかかわらず、志望は近くの大学。


 進路指導の教師には、もっと難関大学を目指すべきだと持ちかけられるが、そのたびに色々と理由を付けて躱してきている。


 聞いた話によれば、教頭が「今年こそ東大合格者を!」と、音頭を取っているらしい。




 なんだか、日々が物足りないと感じていた。


 もともと毎日が退屈だった。


 けど、これまではそれでいいと思っていた。


 それが一番無難で荒波を立てず、一番面倒くさくないと。


 だがなぜだろう。


 ここ数ヶ月、妙に物足りない。


 まるで、大事な「何か」を喪失してしまったかのように。


 ――本当は、遠い大学に通い、身寄せしている家から出て行こうと思っていた。


 だがなぜだろう。


 遠くへ離れるという行為が、妙に忌避感を抱いている自分がいた。




 それでも、毎日やることはさして変わらない。


 それはこれまでもそうだった。これからもたいして変わらないのだろう。


 そんな中でも変わったことがあるとすれば、勉強の内容が難しくなったことや、クラス替えがあったこと、家で机の引き出しの鍵を紛失したことくらいだ。


 しかしまぁ、これだけの変化があるのに、運悪く担任が三年間変わらないという現実が、さらに変化を感じさせない。






「今日も雨だねぇ……雨はこう、気分が乗らないねぇ。授業やった方がいい?」


 間の抜けた丹波の声が聞こえてきた。美術の時間、多くの人が大学受験に必要な科目をやっていた。


 生徒はこっそりやっているつもりのようだが、丹波は分かっているようだった。


「まー、美術史もあらかた去年終わらせちゃったからねー。先週出したデッサン課題をやってってー。もちろん分からないところがあったら質問してねー」


 よく見ると、丹波の目元には濃いクマが出来ている。


 勉強を諦めた一部の生徒の話し声が静寂の中を行き来する中、俺は丹波に近づく。


「教師がそんなんでいいんですか?」


「んー……駄目」


 分かっていながら生徒を放置……いや自主性に任せるのはどうかと思う。


「そんなに雨の日嫌いでしたっけ?」


「いや……普段はそうでもないんだけどねぇ。今日眠いし……ただ一応教師だから授業中には寝ないようにがんばってるんだけども――」


 そういいつつ、まぶたは重いようだ。


「それに、色々思い出しちゃうのよねー」


「何をですか?」


「青春時代に忘れてきたものとかさー」


 胡散臭いとか思いながら、とりあえず出来上がったデッサンの課題を丹波に渡す。


「毎回の事ながら、一番だねぇ。何か描いてるかい? それとも僕が何かお題だそうか? 勉強してるならそれでも良いよー」


 机に顔を伏せながらそう言う丹波は今にも死にそうだ。


「勉強には興味ないのでテキトーに絵を描いてますよ」


「興味が無い――か」


 しみじみとそう言う丹波は、何か思うものがあるようだ。


「それが何か……?」


「いやね、黒野君って成績めっちゃいいじゃない?」


「そんなこと無いですよ」


「いやいや、偏差値七十近くだっけ? 七十以上だっけ? ともかくそれだけあって頭悪いって言われたら、三十くらいだった僕はどうすればいいのさー」


 偏差値三十なんて都市伝説では……などと思いながら白々しい目を向けておく。


「それに、体育の実技もかなりいいって聞いたよー」


「絵ばかり描いてる奴が良いわけ無いですよ」


 丹波は力なく笑っていた。


「でも、結果では常に上位にいるらしいよ?」


「それはみんな遊んでて、本気でやって無いからじゃないですか?」


「どこだったか忘れたけどジムに通っているのを見たって話も聞いたことあるし」


「……それは、人違いではないですか?」


「うーむ、それでも、成績優秀のスポーツ優秀で、先生たちの受けもいいしねぇ」


 丹波の言いたいことを察する。


「でもそれだけの結果を出していながら、希望するのは近くの中の下くらいの偏差値の大学――」


 そう言って丹波は起き上がり、俺を見る。


「黒野君は、将来の夢とかってないのかい?」


「夢、ですか――」


 まぁ、おおかた担任にでも代わりに言ってくれと言われたのだろう。


 よく美術部に混じっている事を、担任は知っているようだから。


「無いですね。起きたら忘れています」


「まぁ黒野君の人生だから、教師でもどうこう言う権利はないって思うんだけどね。でも、後悔先に立たずって言葉もあるから、やっぱり気になっちゃうんだよね」


「この手の話は、丹波先生は得意ではないみたいですね」


 その言葉に、丹波は苦笑いを浮かべる。


「少しは先生らしい事言ったんだけどなぁ~」


 ――まぁいいや。


 と丹波は肩をすくめ「ところで――」と話題を変える。


「今日はまた放課後に美術室にくるのかい?」


「はい、そのつもりです」


「以前預かってたもの、そろそろ返した方が良いかなと思って今日持ってきたんだけど、どうする?」


「預かった……?」


 机に密着した丹波の顔が縦にうなずいた。


「何か預けてましたっけ?」


「ひどいなぁ。預かってくれって言ったの黒野君なのに――」


 俺は頭をひねり、必死に思い出そうとした。


 しかし、どうにも思い出せない。


「……分かりました。お願いします」


 そう言ったとき、丹波の寝息が聞こえてきた。


「寝ないんじゃなかったのか……」






 放課後になると、俺は特に寄り道もせずに美術室に向かう。


 丹波に預けたもの、それがいまいち思い出せない。何か預けただろうか。


 ……言われればそんな気もするが、思い出せるかといえば思い出せない。


「いやー……さっきは不甲斐ない。まさかあのまま意識を失うとは――」


 素直に寝たと言えば良いのに――と冷たい視線を送っているが、気付く様子はない。


「まぁとりあえず、持ってきたから確認してね」


 それは筒状に包装されていた。絵だろうか。そう思いながら俺は中身を確認する。


 そこには、女の子が書かれた画用紙が何枚かあった。見覚えの無い絵。しかし、画風は俺のものに良く似ている。


「これ、俺が描いたやつですか?」




「そうだと思うよ。直接君から受け取ったしね。呆けるにはまだ若いでしょ」


「そう、ですね……」


 本当に、これを見ても俺は思い出せなかった。何がなんだか。


 ただ、このままここにおいておくのも悪いだろう。わざわざ保管していてくれたのだから。


「とりあえず、持って帰ります」


「うん、分かったよ」




 帰宅するまで、その絵の事を考えていた。


 だがいくら考えても、まるで思い出せなかった。


「ふぅ……」


 絵を自室に持ってきてそう息を漏らした。


「どうしろってんだ? こんな絵を――」


 わざわざ部屋に置くにはもうスペースが無い。いや、もしスペースがあってもこんな絵を置きはしないか――


 重なった他の絵も確認してみる。どれも同じ女の子が描かれていた。その多くが楽しそうの笑っていて、浮かべている笑顔はとても無邪気な印象を受けた。


 とりあえずその辺の床に置いておく。


 あとで捨てるか――。


 そう思いながら。






 それから一週間ほど経とうとしていた。


 何の変哲もない日常が、この日からわずかに雰囲気が変わる。中間テストが始まった。


 勉強熱心な者は、試験開始直前まで復習をし、すでにあきらめムードの者は何とかなると言いつつ駄弁っていた。


 何人かは徹夜明けなのか、非常に眠そうな顔をしている。


 そんな中、ただ試験が始まるのを待つのも暇なので落書きでもして時間を潰す。


 


 何人もの生徒の嘆きを聞きながら放課後を迎えた。試験の期間中は昼までで、俺は特に何をするわけでもなく一直線に帰路につく。


「おや? 黒野君お疲れ様」


 そう昇降口を出たときに声をかけられる。振り向くと丹波がイーゼルを持って校舎に戻るところだった。


「試験どうだったかい?」


「普通ですよ」


「はっはっはっ! 君らしい答えだね。――もう帰るのかい?」


「ええ、そうします」


「そっか、それは残念。昼食でも一緒にどうかと思ったけれど。じゃ、また明日」


 そう言いながら、丹波は上履きに履き替え奥へと消えていく。


 スケッチでもしていたのだろう。しかし、今日は来る必要は無いはずだ。


 中間テストに、美術は含まれない。部活も、試験中は必ず休止になる。


 授業やテストがなくとも教師としての仕事はあるのかもしれない。


 だがもしそうなら、イーゼルなど持ち出す必要はないはずだ。


 ――まぁいいか。


 無駄思考に脳を使うのを止め、帰路につく。






「あーすみません――」


 家の扉に手をかけたとき、後ろからそう声をかけられた。


「黒野さん宅の方ですか?」


「はい、そうですが――」


 振り向くと、聞かずとも宅配便であることは分かった。筒状の箱を抱えている。よく見ると、その荷物は俺宛のものだった。


 着払いだったので、仕方なく財布の小銭を取り出す。


 送り主は彩咲。久しい名前だ。


 そういえば最近は連絡を取っていない。最後の連絡は……年賀状くらいか。


 そんなことを思いながら、とりあえず自室に持って上がり中身を確認した。




 いったい何なんだ――


 容器の中身を確認し、思わずそんなため息をついた。


 そこには、画用紙が入っていた。何枚かの画用紙。


 そして信じられない光景に思わず絶句する。


 そこには丹波が俺に返してきた絵と、同じ人物が書かれていた。無邪気で、それでいて無垢な雰囲気を持ち合わせながら。


 なぜ、二人からこんな絵を渡されるんだ――俺は心当たりの無い出来事に、強く戸惑いを覚えた。絵を預かってもらった覚えも、記憶もない。そもそも、俺はこんな絵を描いたことがない。


 そう思いつつ、俺は全ての絵を見ていった。どれも同じ人物が書かれている。言えることは、俺の作画だということ。丹波がからかうつもりで俺の絵を真似て描いた。そんな可能性も考えた。彩咲と共謀して? しかし丹波の作画と俺のはだいぶ特徴が違う。簡単に模写できるものだろうか。いや……そもそも、元の絵なんてものは無い。……不可能ではないが、わざわざ何枚も渡してどうしようと言うのか。


 まだ丹波から受け取った絵を捨てていなかったのを思いだし、散らかった部屋を見渡す。


 部屋の隅に放置されたそれを手に取り、再び考えようとした時だった。


 小さな小包が床に落ちる。


 開けてみるとその中には、鍵が入っていた。


 新品に見えたが、それはとても簡易的な作りだ。


 ……例えるなら、自転車の簡易鍵のような――。


 鍵と絵を見ていると、彩咲の送ってきた容器の口から何かが出てきているのに気付く。


 それを取り出してみると、それもまた鍵だった。


 だが、ただの鍵ではない。


 丹波の返却物に入り込んでいた物と同じ溝をしている。


 これは二人が共謀している可能性が大きくなった。


 しかし、何の鍵だ?


 それから少し間をおいた後、脳裏にひとつの可能性がよぎる。自信は無かったが、とりあえず実行してみる。気づけば無くしていたその鍵穴へ。


「なぜだ――」


 自室の机についている鍵のついた引き出し。


 気付けば無くしていたその鍵穴に吸い込まれ、簡単に回転する。


 おそらくこの部屋のどこかに落ちていると思いながらも、重要なものを入れた覚えがないため今まで放置していたのだが……それがなぜ丹波と彩咲から送られてくる? 間違って送ったのか?


 現状が把握できず、何度もため息をつかずにはいられなかった。


 明日にでも丹波を問い詰めてみれば分かるかな――そんなことを思いながら引き出しを開ける。


 そこから出てきたのは、真っ白で装飾の無い無地の封筒だけだった。


 表紙には『三年生の俺へ』と書かれている。


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