十五話「あなない」

 今では、澪の友達と、昼休みに一緒に食事をしたりすることもある。彩咲と言う女子生徒。澪の事を心配していたあの生徒だった。

 そうそう、「相沢」より「澪」と呼んでほしいと言ってきたので、今では澪と呼んでいる。最初こそ戸惑ったが数日も経てば慣れてしまった自分がいて、もしかしたらかつてもそう呼んでいたのかもしれないと、そう思えて仕方のない自分もいた。

 これで良かったのだと思う。

 澪の言葉は狂言だと否定することはできた。でも俺は自然と受け入れている。存外、こんな日々に実は憧れを抱いていたのかもしれない。そして今はその日々に酔っている。そう、多分、今俺は中毒患者のように酔っている。だから、澪の話が真実かどうかなんて、さしたる問題には感じられなくなっていたのかもしれない。


「先輩は夏休みどうするんッスか?」

 夏休みまで数日に迫った頃のこと。昼休みに、パンを咥えた彩咲がそう尋ねてくる。

「特に予定は無いよ」

「じゃあ、どっか遊びに行きません? 三人で」

 三人とは、俺と彩咲と、そして澪のことだ。たいてい、この二人といることが多い。

 とりあえず、澪を目の様子を伺った。そこには、申し訳なさそうにうつむく澪がいた。

「いいが、場所は澪に合わせてやるといい」

「澪ちん、どっか行きたいところある?」

 この彩咲という奴は、結構――いや、かなりにぎやかな奴だ。常に話を振ってくる。どこからそんな言葉が出るのか、教えてほしいくらいに。

「わ、私は……むぅ。翔君意地悪ですよ」

「ふぇ? どうして?」

 彩咲が不思議そうに口を尖らせながらこちらを向いてくる。

「澪は、成績が悪いから、補修で夏休み中ずっと学校に出てこないといけないんだと」

「えー! 何ッスかそれ! 聞いたことないッスよ……いや、澪ちんなら――」

「彩咲ちゃんまで意地悪しないでくださいっ!」

 顔を少し赤らめながら、恥ずかしそうに言う澪に、俺と彩咲は笑みをこぼす。

「まぁ、学校にいないといけないのは、事実だろう」

 とりあえず、ここから出ることは出来ないからな。

「そ、それは――」

「で、結局のところは何で来るんですか?」

「俺が学校に来るからだ」

「そりゃまたなんで」

「学校の方が落ち着いて静かに絵がかけるからな。家は騒がしくて集中できやしない」

「なるへそ」

 妙に納得した様子で手をたたくが、頭はひねったままだ。

「で、どうして澪ちんが?」

「澪にをモデルにして、ヌードデッサンでもやろうかと――」

「翔君!」

「あー……」

 ちょっと引かれてしまったか。澪が赤面で慌てふためく様子を見ながらそう思う。しかし、意外とそうではなかったようだ。

「はいはい!」

 彩咲が高らかに手を上げる。

「どうぞ」

「私も来ていいッスか?」

「どうして?」

「澪ちんの恥ずかしがる姿可愛くて見たいですっ!」

「そう言う趣味だったのか?」

「性別に関係なくどっちでもいけますけどね!」

「そこまで聞いてないが……。ま、いいんじゃないか?」

 彩咲と言葉のキャッチボールをしていると、横槍が入った。

「ちょっと! 私抜きで話を進めないでください!」

 俺は再び顔が緩むのが自分でも分かった。

「まったくもう――」

 口を尖らせ、腰に手を当てながら澪は怒っていた。


「やっほー! おまたせっ。いやー、ついに念願の夏休みですなぁ。遊び行ったり出来ない分、澪ちんをからかって楽しもう!」

 夏休みに突入すると、初日から本人のいる中そんな風にハイテンションな彩咲がいた。学校に来るだけなのに、大きなリュックを背負って。

「からかわないでくださいっ!」

「泣き出さない程度にな」

「了解っす!」

「話し聞いてくださいっ!」

 とにかく、初日から騒がしかった。

 美術室に行くと、予想はしていたが誰一人としていない。丹波の性格が出ているな――そんなことを思いながら俺はキャンバスの準備をした。

「あー……ここって、着替えるとこありましたっけ?」

 そんな最中、彩咲がそう俺に尋ねてくる。

「更衣室に行けばいいんじゃないか?」

「いやー、出来ればこの部屋周辺でお願いします」

 よく分からんことを言うなと思いながらも俺は考える。

「準備室なら、着替えられるんじゃないか?」

「アイアイサー」

「えっ……ちょっと、彩咲ちゃん?」

 そう言って強引に澪を連れ込んで行った。

「ちょっ……え? え? っ……い、嫌ですよ。ひゃっ! あっ……」

 なんだか奇妙な澪の言葉が準備室から響いてきた。

「ぱ、パンツもですか? いいです! これくらい自分で脱げます!」

 一体何が――俺は呆然としながら扉を見つめていた。

 数分後、二人が出てくる。最初に出てきたのは彩咲で、後からは顔だけをちょこんと出した澪がいた。その表情はすごく疲れたような、恥ずかしいような、葛藤が混ざり合ったような代物だった。

「いやー、思ったより狭くてやりにくかったなぁ」

 何をやったんだ。

 それを聞こうと思う前に、諦めたように出てきた澪の服装が目に入ってきた。

「じゃじゃーん! どうッスか先輩! 澪ちんのメイド姿!」

「……どこでメイド服なんて手に入れたんだよ」

「えー、普通に通販で買えますよー?」

 彩咲は、どうやら持ってきたリュックにメイド服を入れてきていたようだった。

「制服姿もいいですが、こういう姿のも描いてみたらどうですか?」

「まぁ、構わんが」

「あれ? 反応イマイチっすね。スク水とか、バニー姿とか、チャイナ服とかの方がいいッスか? あ、あとゴスロリも――」

 リュックの中を覗き込みながらそう言う彩咲に、俺は危惧しながら聞いた。

「まさか、今言ったの全部持ってきてるのか?」

「もちろんッス!」

 澪は既に言葉を失っているようだった。と言うよりは、絶望している様子だ。

「面倒なことにならないようにしてくれよ?」

「了解ッス!」

 俺はそれだけ言うと、鉛筆を握る。

 澪はため息顔で椅子に座っていた。完全に諦めムードだな。

「おー、相変わらず上手いッスねぇ。もうプロとしてやっていけるんじゃないですか?」

「プロは言い過ぎだ」

 デッサンと言うよりスケッチが正確だろう。描き終えた絵を覗き込みながら、彩咲がそう持ち上げてくる。

「まだ描き込み量が甘い」

「じゃあ、描いたらいいんじゃないないッスか?」

「そう簡単なものじゃないんだよ」

「そんなもんなんッスか?」

「テストで点の低い奴に、正解書けばいいだろ、と言ってるようなものだ」

「おお、分かりやすい! そりゃ無理ッスね!」

 俺と彩咲が会話していると、澪が入ってきた。

「翔君!」

「なんだ?」

「私だけじゃなくて、彩咲ちゃんも描いてあげたらどうですかっ?」

「なぜに!? 駄目だよ! 澪ちんみたいに可愛くないし~」

「そんなこと無いですよっ! ほらほら――」

「澪ちんちびなんだから、澪ちんサイズのその服入らないよっ!」

「ちびって言うなぁ! 気にしてるのに!」

 澪が彩咲に復讐している姿を、俺はクロッキーと呼ばれる速写をしていた。しかし、澪が背が小さいことを気にしていたとは驚きだ。

 そんなこんなで今回に限っては終始澪が押していた。強気な澪は、始めてみる気がした。何が、彼女をそこまで追い立てたのだろうか……。まるで怪獣だ。ちびだけど。俺は遠い目をしながら彩咲が澪から服を剥ぎ取られそうになる光景を見守った。



 それからの日々は、本当に騒がしいものだった。

「こらー、澪チン待てー!」

「いやぁああ!」

「そんなに廊下で走り回るな!」

 俺はいつも二人の騒ぐ姿を見て、教師に注意される前に制止させなければならなかった。

 大方、彩咲が澪をいじっていたのだけど。

「絶対ゴスロリ似合うって!」

「そんな変な服嫌ですっ!」

 ため息の耐えない日々だった。そんな日が、毎日のように続いていった。



「え?」

 それは、唐突だった。

 夏休みも後二日に迫ったこの日、彩咲は突然話を切り出す。

「私、引っ越すことになったみたいです」

 屋上でそう口にする。

「急だな」

 俺の問いに、彩咲は苦笑いを浮かべ、申し訳なさそうに髪の毛を触りながら答える。

「うちの親、昔から転勤ばっかりで……その影響でよく転校してるんです。我が家、父子家庭なんで」

「突然決まったのか?」

「はい、私も昨日聞いたばかりで」

 それは、俺達にはどうしようもないことだった。

「お二人には感謝してます!」

 そう、まっすぐこちらを向きながら、改めなおしたように力強く彩咲は言う。

「特に、何もしてないけど」

 俺が否定すると、首を横に振りながら否定し返してきた。

「私、クラスでちょっと浮いてましたから。まぁ、こんな性格ですので、うるさがれることは結構あるんです。中身はおっさんだとか、生まれてくる性別を間違えただろ~とかよく言われますし。でも、澪ちんと仲良くなって、黒野先輩とも知り合えて、寂しく無かったです。こんな私に構ってくれて、本当にありがとうございましたっ」

 俺は、その言葉を聞いて澪の言葉が脳裏を過ぎる。

 そうか、相沢の償いでやろうとしていたことは、こういうことなのだろうと。彩咲が、もし澪の事を忘れてしまっても、俺のことは記憶に残る。それは、少なくともこの学校で独りではなかったという記憶。

「問題は! なぜこの現代に二人とも携帯を持ってないんですか? メアド交換できないじゃないですか!」

 彩咲はうなだれながらいつものようにしゃべる。

「特に不便じゃないし――」

 俺がそう言って澪を見ると、同じく口を開く。

「お金ないですし――」

 俺たちの答えに、分かってない言わんばかりに彩咲が叫ぶ。

「この原始人どもめっ!」

「がーん!」

 澪はわざわざ心情を言葉に出すほどショックを受けたようだった。

「で、いつ離れるんだ?」

 俺は話を戻し、そう尋ねた。

「んー手続きとか面倒なことがあるから、今日って事は無いだろうけど……。明日か明後日かなー」

「ずいぶんと早いんだな」

「んー、仕事の都合らしいッス」

 だから仕方ないのだと、彩咲は言う。

「寂しくなるよ……」

 目に涙を浮かべながら、澪は別れ惜しそうに言った。

「そうだな、これでだいぶ静かになるだろうな」

「KYですか、先輩っ!」

「澪にも言われたよ」

 俺と澪は苦笑した。

「むぅ、相変わらず仲がいいことですね。私嫉妬しちゃいますよ?」

「あれだけ騒いでおいて、嫉妬も何も無いだろう」

「ま、そうですけど。――お二人には、ずっと仲良くしていてほしいです。結婚式には呼んでくださいね?」

 季節はずれの、少し冷たい秋風が俺たちの間を吹き抜ける。澪が、わずかに目線をそらした。

「そんなんじゃない」

 そうあしらって、やると、憎たらしい笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

「まだチューもしてないんですかぁ?」

「だから、違うって――」

 彩咲は笑っていた。

「先輩焦ってますね! 照れる先輩なんて、なかなかレアですねぇ」

 そう言いつつ、紙切れを俺と澪に押し付ける。

「携帯の番号っす。ラブラブするだけじゃ物足りなくなったらいつでもどうぞ――。それじゃ、私はこれで。もし、最後になったらあれなんで言っときます。澪ちんを幸せにしてくださいね! 先輩っ!」

「だから……」

 などと言い返す俺の顔は、少しほころんでいた気がする。

「そんじゃ」

 彩咲は手を振りながら駆け足で去っていった。悲しみを隠すように。

「これで、良かったんです」

 彩咲が居なくなり、澪が呟いた。

「でも、やっぱり別れは辛いですね」

 澪にとってのこの別れは、永遠の別れなのだろう。記憶の片隅にもいられない。そのことがどれだけ辛い事なのか。今の俺にはわからないがその表情はただただ辛そうだった。


 翌日、彩咲の姿は無かった。

 澪と二人だけのその日は、いつもより物静かで、どこか物足りない気がした。

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