十四話

 だが、平凡な日々が続いていった。


 大きな問題は起こっていない。


 代わりに澪に関する状況は何一つ好転してはいない




 変化があるとすれば、澪の友人とも打ち解けつつある事だ。


 澪のクラスメイトで、かつて美術室で会った、彩咲という女子生徒だ。


 彩咲は澪の事情については知らない。


 知るどころか、澪が贖罪として接触した相手こそ彼女だった。


 彩咲はずいぶんと活発な女子だ。逆にその活発さが裏目に出て、クラスで浮いてしまっていたらしい。






「それで先輩は、夏休みはどうするんッスか?」


 期末考査も終わり、夏休みまで数日に迫ったその日。


 昼休みにいつものベンチにいると澪と彩咲の二人がやってきて両脇に座ると、彩咲がパンを咥えながら尋ねてくる。


「一応、予定は無いよ」


「じゃあ、どっか遊びに行きません? 三人で」


 どうする?


 と澪に視線を向けると、口をとがらせて不機嫌を示す。


「予定はないと言ったが、あれは間違いだった。澪との約束があったな」


「澪ちんなんかあんの? ハッ! めくるめく先輩とのラブロマンスか!」


「い、いやそう言うのじゃないですよ!?」


「えー、ホントかなぁ?」


 彩咲は終始こんな感じなので、澪はよくいじられている。


 そこに助け船を出すべく、補足を入れる。


「澪の成績では夏休み中ずっと補修で学校にこないといけないらしい」


「え~何ッスかそれ! 聞いたことないッスよ……いや、澪ちんなら――」


「もう! 彩咲ちゃんまで意地悪しないでくださいっ!」


 顔を少し赤らめながら口をとがらす澪に、彩咲は笑みをこぼし、俺も自然と口が綻んでいた。


「俺が夏休み中も学校に来る予定だからな」


 冗談はさておき、きちんと助け船を出しておく。


「そりゃまたなんで」


「学校の方が落ち着いて絵が描けるし、備品もある。家だとどうしても騒がしいからな」


「なるへそ」


 妙に納得した様子で手をたたくが、頭はひねったままだ。


「で、どうして澪ちんが?」


「澪をモデルにして、ヌードデッサンでも――」


「もう! 翔君!」


「あー……」


「冗談だ」


 少しふざけすぎたか――澪が赤面で慌てふためく様子を見ながらそう思う。


「はいはい!」


 引いていたかに思われた彩咲が高らかに手を上げる。


「ん?」


「私も来ていいッスか?」


「来ても楽しくないと思うが」


「澪ちんの恥ずかしがる姿可愛くて見たいですっ!」


「ええええ!?」


「……そう言う趣味があるのか?」


「別に性別に関係なくどっちでもいけますけどね!」


「そこまで聞いてないんだが……」


 彩咲はこういう性格をしている。


 まぁクラスで浮くのも致し方ないかもしれないと思いつつ、時間は過ぎていく。






「やっほ~おまたせっ! いや~ついに念願の夏休みですなぁ。遊び行ったり出来ない分、澪ちんを脱がせて楽しもう!」


 夏休みに突入すると、初日から本人のいる中そんな風にハイテンションな彩咲がいた。学校に来るだけなのに、大きなリュックを背負って。


「脱がさないでくださいっ!」


「まぁ、ほどほどにな」


「了解っす!」


「話し聞いてくださいっ!」


 とにかく、初日から騒がしかった。


 美術室に行くと、予期はしていたが誰一人としていない。丹波の性格が出ているな――そんなことを思いながら俺はキャンバスの準備をした。


「あー……ここって、着替えるとこありましたっけ?」


 そんな最中、彩咲がそう俺に尋ねてくる。


「更衣室に行けばいいんじゃないか?」


「いやー、出来れば近辺でオネシャス」


 よく分からんことを言うなと思いながらも俺は考える。


「準備室なら、着替えられるんじゃないか?」


「アイアイサー」


「えっ……ちょっと、彩咲ちゃん?」


 敬礼を残し、彩咲は澪を抱えていった。


「ちょっ……え? え? っ……い、嫌ですよ。ひゃっ! あっ……」


 なんだか奇妙な澪の言葉が準備室から響いてきた。


「ぱ、パンツもですか? いいです! これくらい自分で脱げます!」


 一体何が――俺は呆然としながら扉を見つめていた。


 数分後、二人が出てくる。最初に出てきたのは彩咲で、後からは顔だけをちょこんと出した澪がいた。その表情はすごく疲れたような、恥ずかしいような、葛藤が混ざり合ったような代物だった。


「いやー、思ったより狭くてやりにくかったなぁ」


 何をやったんだ。


 それを聞こうと思う前に、諦めたように出てきた澪の服装が目に入ってきた。


「じゃじゃーん! どうッスか先輩! 澪ちんのメイド姿!」


「……どこでメイド服なんて手に入れたんだ」


「えー、普通に通販で買えますよー?」


 彩咲は、どうやら持ってきたリュックにメイド服を入れてきていたようだった。


「制服姿もいいですが、こういう姿のも描いてみたらどうですか?」


「まぁ、確かに描いたことはないな」


「あれ? 反応イマイチっすね。スク水とか、うさみみバニーとか、チャイナ服とかの方がいいッスか? あ、あとゴスロリも――」


 リュックの中を覗き込みながらそう言う彩咲に、俺は危惧しながら聞いた。


「まさか、今言ったの全部持ってきてるのか?」


「もちろんッスよ!」


 澪は既に言葉を失っているようだった。と言うよりは、絶望している様子だ。


「いやまぁ、描く分には構わないんだけど、問題になる様なことはするなよ?」


「了解ッス!」


 俺はそれだけ言うと、鉛筆を握る。


 澪はため息顔で椅子に座っていた。完全に諦めムードだな。


「おー、相変わらず上手いッスねぇ。もうプロとしてやっていけるんじゃないッスか?」


「そんな甘い世界でもないだろう」


 彩咲との会話に、澪が強引に割り込んでくる。


「翔君!」


「ん?」


「私だけじゃなくて、彩咲ちゃんも描いてあげたらどうですかっ?」


 唐突な反撃に、彩咲はたじろぐ。


「なぜに!? 駄目だよ! 澪ちんみたいに可愛くないし~」


「そんなこと無いですよっ! ほらほら! 胸もこんなにあるんだし!」


「ちびサイズのしか持ってきてないから私じゃ入らないよ!」


「ちびって言うなぁ! 気にしてるのに!」


 澪が彩咲に復讐している姿を、俺はクロッキーと呼ばれる速写する。


 今回は珍しく終始澪が押していた。


 彩咲に対して強気な澪は結構珍しい。何が、彼女をそこまで追い立てたのだろうか……。まるで怪獣だ。


 俺は遠い目をしながら彩咲が追い剥ぎにあっている光景を見守った。




 「ちび」という単語で、ふと記憶が掘り起こされる。


 以前美術の授業で描いた課題の中に、「ちび」と跡が残っていたことに。






 それからの日々は、本当に騒がしいものだった。


「こらー、澪ちん待て~!」


「いやぁああ!」


「待て待て! そんな廊下で走るな!」


 俺はいつも二人の騒ぐ姿を見て、教師に注意される前に制止させなければならなかった。


「絶対ゴスロリ似合うって!」


「そんな変な服嫌ですっ!」


「いやいやいや、騙されたと思って一回着てみ?」


 ため息の耐えない日々だった。そんな日が、毎日のように続いていった。






「――え?」


 それは、唐突だった。


 夏休みも中頃を過ぎようとしていた頃に迫ったこの日、彩咲は突然話を切り出す。


「いやー、私、引っ越すことになったみたいですよ」


 屋上でそう口にする。


「急だな」


 俺の問いに、彩咲は苦笑いを浮かべ、申し訳なさそうに髪の毛を触りながら答える。


「うちの親、昔から転勤ばっかりで……その影響でよく転校してるんです。我が家、父子家庭なんで」


「なるほど……」


「昨日聞いたばかりですけど、お盆明けには引っ越すらしくって」


 それは、俺達にはどうしようもないことだった。


「お二人には感謝してます!」


 そう、まっすぐこちらを向きながら、改めなおしたように力強く彩咲は言う。


「特に何もしていない気もするけど」


 俺が否定すると、首を横に振りながら否定し返してきた。


「私みたいなオタクは、こういう真面目な学校だと、肌に合わないって言うか、どうしても浮いちゃうんですよねー。でも、澪ちんに出会えて、いっぱい着せ替えできて満足ッス! ありがとうございました!」


 これが澪のしてきた贖罪か――もし澪のことを忘れてしまっても、俺と彩咲の交友関係がなくなるわけではない。少なくとも彩咲の記憶に俺は残り、学校では独りではなかったという記憶もだ。


「問題は! なぜこの現代に二人とも携帯を持ってないんですか? メアド交換できないじゃないですか!」


 彩咲はうなだれながらいつものようにしゃべる。


「今のところ必要ないし、禁止されてるしな」


 俺がそう言って澪を見ると、同じく口を開く。


「お金ないですし――」


 俺たちの答えに、分かっていない言わんばかりに彩咲が叫ぶ。


「この原始人どもめっ!」


「がーん!」


 心情をわざわざ言葉に出すノリの良さを澪は見せるが、そこに物寂しさが乗っていた。


 そんな心境を彩咲も察したのか、「最後に――」と少し真面目な口調で切り出す。


「――お二人の結婚式には呼んでくださいね?」


 季節はずれの、少し冷たい秋風が俺たちの間を吹き抜ける。澪が、わずかに目線をそらした。


「そう言うのじゃないさ」


 俺も無意識に視線を逸らすと、彩咲が視線の先に回り込んでくる。


 憎たらしい笑みを浮かべながら。


「まだチューもしてないんですかぁ?」


「だから――」


 彩咲は笑っていた。


「いやー、先輩焦ってますね! 照れる先輩はレアですねぇ」


 そう言いつつ、紙切れを俺と澪に押し付ける。


「携帯の番号っす。ラブラブするだけじゃ物足りなくなったらいつでもどうぞ――。それじゃ、私はこれで。澪ちんを幸せにしてくださいね! 先輩っ!」


 最後はこちらが言葉を返す前にそそくさといなくなってしまった。


「そんじゃ!」




「これで、良かったんです」


 しばらくの静寂を破って、澪がしんみりとした口調で呟く。


「でも、やっぱり別れは辛いですね」


 澪にとってのこの別れは、永遠の別れなのだろう。


 記憶の片隅にもいられない。それが、澪の置かれている状況なのだから。


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