十三話

 翌日――きわどい場面はあったが――どうやら裸の女子と一緒に学校に残っていた事実は誰にもばれずにすんだ。


 澪がずっとこの学校で過ごしていると言うのは伊達ではないらしく、身を隠すポイントをよく知っていた。


 ――ここ数日見つからなかったのは、そういう箇所に隠れていたからだろう。


 雨の中にいた理由は、おそらく衝動的な行動だと思うが、そこまで深く追求する気にはならなかった。






 そして、今は屋上に二人でいる。


 朝の屋上は人はほとんどおらず、穴場らしい。


 朝練の部活生は忙しく、他の生徒も朝のまだ眠い時間にわざわざ屋上にまで上がってくる者は希有だ。ほとんどが教室で駄弁っていて、教室を離れるのは自販機に飲み物でも買いに行く程度らしい。


「しっかし――」


 俺はノートに澪の似顔絵を描きながら口を開く。


「これ、メインは澪じゃなくて毛布だね」


 進捗を見せつつ、そう少し意地悪く投げかける。


「そ、そんなこと……本当だ!」


 澪はずいぶんと元気になった様子だ。


「あれですか? やっぱり、脱がないとダメですか……?」


「い、いや、そういう意味で言ったわけじゃないぞ」


「ふふっ、翔君顔が赤いですよ! 意地悪言ったお返しですっ!」


「まぁ、露出する趣味があるなら別に止めはしないが……趣味趣向は、人それぞれだから」


「ち、違いますよ! そんな趣向はありませんっ!」


 ――ハッ!


 と、言い換えされたことに気付いた澪は悔しそうに地団駄を踏む。


「もう! 翔君ひどいですっ!」


「悪かった。ちょっと言い過ぎた」


「まぁでも、もし翔君が毛布ないほうがいいって言うなら、私はそれでも――」


 勢いで言ったはいいが、冷静になって小っ恥ずかしくなってきたのか、赤面が濃くなる。




「そういえば――」


 しばらくの静寂を打ち破るように、澪の方から口を開く。


「この街も変わりましたね……」


「そう、なのか?」


「はい。私の生きていた時とは大違いです」


 確かに、戦中戦後と比べたらまるで違うだろう。


 俺は一度ノートを置き、フェンスに近寄り指さした。


「あそこに、屋根の大きな建物があるだろう?」


「え? は、はい」


「あれは最近建ったショッピングモールらしい。まぁ、俺はまだ行った事ないけど。――あっちに見える高い建物はマンションで、この辺だと建物の高さも家賃の高さも。でも、今向こうに建設中のマンションはもっと高いらしい――」


 そうやって、学校の屋上から見える街並みを教えていく。俺自身も、あまり街のことは知らない。それでも、数少ない記憶をたどりながら……。


 そうやって時間が過ぎていく。無性に、時間が短く感じられた。


 そういえば昔は……あの頃はみんなで街のいろいろなところに出かけていたのだよな――そんなことも、思い出しながら。




 授業が開始されると、校舎内は急速に静かになる。それまで騒ぎ声や話し声が屋上にまで届いていたが、屋上まで届くのは教師の講義が微かに聞こえる程度だ。


 その頃になって、雲の切れ目から太陽が顔を覗かせてきた。


「すみません」


 クラスが体育の授業が始まる直前、保健室の先生に声をかける。体操着のままでも怪しまれず昨日の事を聞くためだ。


「昨日、放課後に誰か保健室に来ませんでした?」


「放課後? 特に誰も来てなかったわね。そのまま帰ったはずだけど」


「そう、ですか。分かりました」


 確かに、先生は覚えていなかった。


 澪の言葉の信憑性が、また一つ高くなった気がした。






 昼休み。濡れていた制服はきれいに乾いていた。


 教室に置いてあった自身の制服は、クラスが体育でいない時にこっそり拝借した。基本的に教室の前の扉は日直が施錠する。


 だが、体育が終わった時にその日直が鍵を持ってきて開けるのを待つのが面倒な一部の生徒のおかげで、後ろの扉に鍵がかかっていないことは知っていた。


 それに、後ろの扉は鍵を使わなければ内側から鍵をかける事も開けることも出来ない。なので日直も後ろの扉の施錠を面倒臭がる。この悪しき風習は、おそらく全学年全クラス共通だろう。




 がやがやと、声がしだす。ところどころチャイムが鳴る前に授業が終わったクラスが騒ぎ始めていた。そして、チャイムが鳴ると、一斉に騒がしくなる。そして、屋上にも生徒が少しずつ増えてくる。


「そろそろ、お互いの教室に戻ってもいい頃合いかな」


 そう俺が提案し、それぞれの教室に向かう。適当に、寝坊したと言い訳するか……澪は、いくら言い訳してもしこたま叱られるだろうな――と、同情する視線を交えつつ、廊下で別れた。




 授業がいつも以上に長く感じられた。


 何故だ――。


 そんなことを思っていると、ふと頭を過ぎるものがあった。


 澪が、いないから? 屋上での時間はあんなに短かったのに……。




 放課後になり一年生の教室へ向かう途中の廊下で、澪と鉢合わせになった。


 落ち合う予定を立てていたわけではない。


 澪も少し驚いたような顔をするが、すぐに照れくさそうな笑みを零した。




 屋上に上がると誰もいなかった。


 夏場はよく屋上で夜を過ごしているらしい。


「虫がいなければ快適なんだけどねー」


 苦笑いを浮かべながら、放課後にもほとんど生徒が来ないことを教えてくれる。


 屋上を使用する部活はなく、帰宅部はたいていすぐに学校を出るためだ。


 澪はフェンスに近づき外の世界を羨ましそうに見つめている。


 その間に俺は屋上の扉近くで腰を落とした。


 風が心地よくすり抜け、さらさらとした澪の長い金髪をなびいている。


 俺が声をかけると、澪はこちらに振り向く。


「そういえば、一つ聞いてもいい?」


「はい」


「何で髪が金髪なの?」


 ああ、これですか――と苦笑を浮かべながら教えてくれる。


「昔は普通の黒髪でした。でも何故か少しずつ色味が変わったんです。確か、二十年くらいかけて、今の色になったと思います」


「なぜそんな事に?」


「分かりません。ただ、わずかですが髪の毛も伸びています。前髪とかはあまり伸びないんですけど、後ろ髪の成長が比較的早いですね。そのうち身長を超えるかもしれません」


「切らないのか? ――もしくは、切れない?」


「はい。髪も体の一部なので、切っても元に戻るんです」


 ――腕の時のように。とジェスチャーで補足する。


「でも、外見は老けてるようには見えない」


「はい。今のところ変化が見られるのは髪の毛くらいですね。何故かはぜんぜん分からないんですけどね」


「なるほど。もしかしたら、そこが現状を打開する鍵になるかもしれないな」


「そう……だといいですね」


 ただ――と、こちらを心配してあえて言ってくる。


「翔君は、翔君の都合を優先してください。六十年以上前に死んだ幽霊なんかのために、貴重な学生の時間を割く必要はありません。言ってしまえば、おばあちゃんですからね、私」


「……そうだな。正直、まだ信じきれていないところもある」


「はい」


「けど今日一日澪と一緒にいて、居心地が、良かったのかな。気兼ねしなくていいというか――そうだな。本当の家族と、一緒にいるような安心感があって、やっぱり思い出せないだけで、一緒にいたんだなって心のどこかで感じてる」


 その言葉を、澪はまんざらでもなさそうな顔をしているが、同時に申し訳なさそうな顔も同居している。


「でも、忘れちゃうかもしれません。あと、数ヶ月で」


「だからこそ、今のうちに、何とかするべきだと思う。いや、なんとかしたいと思ってる」


 澪は嬉しそうな表情をうかがわせるが、諸手を挙げて喜べない様子だ。


「仮にまた忘れても、またたどり着くさ。今回みたいに」


 だから、そう力強く言葉を付け添えておく。


 未来のことは分からない。予測できるほど人生経験を積んでいるわけでもない。だが笑みを浮かべてくれた澪を見て、これでいいと思った。


 俺はもう、繰り返したくは無い。


 この笑顔を奪いたくはない。


 改めて澪の笑みを見て、強くそう思った。


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