十三話「概言」

 がさごそと、物音が聞こえたせいで、俺は目を覚ます。目の前を見ると、相沢がいないことに気付く。俺は慌てながら辺りを見回した。

「ごめんなさい、起きちゃいました?」

 そんな様子を見てか、そんな言葉をかけられる。

 そこには、水を飲む相沢がいた。どこからか、毛布を見つけてきてそれに包まっている。その毛布ごと机に座っている。

 時刻は、三時になろうとしていた。

「起き出して大丈夫なのか?」

「はい。熱はだいぶ下がりました」

 そう言ってコップを机に置いた。

「迷惑を、たくさんかけてしまいました。ごめんなさい」

 そう言って軽く頭を下げた。

 その顔は、確かに大丈夫そうだった。体調的に。しかし、少し目線をそらしている。申し訳ないと思ってだろうか。

「別に気にしてない」

 沈黙が訪れた。

 気まずさからか、無意識に俺も目線をそらす。

「翔君。私に関する物があったら、捨ててください」

 沈黙を破ったその言葉は、とても切なそうに言ってきた。

「……なぜ」

「そうしないと、また思い出そうと苦しむかもしれません」

「……何を」

「私と、過ごした日々を」

 まだ、相沢と親しかったかどうかの確証は得られていなかった。だがその言葉は、親しかったのだと肯定するものだった。

「もう、私に関わらない方が良いです」

 その言葉からは、冷たさが感じられなかった。勝手な自己解釈なのかもしれない。だが俺は、相沢が本当はそうしたくないのだろうと思った。

「俺が、悪いのか?」

「翔君は、悪くないですよ。悪いのは、私です」

「お前の言っていた罪とは一体なんだ?」

 その言葉に、相沢は驚きの表情を見せながら俺に視線を向ける。

「どうして、そのことを――」

「最初に雨の中で見つけたときに、そう言葉をもらしていた」

 そう、ですか――と相沢はうつむく。

「私は、罪を犯しました。その、償いなんです。幸せを願っては駄目なんです。求めては、駄目なんです」

 その言葉は、苦しそうだった。

「それでも、魔が差して、求めてしまった。はじめはそんなつもりじゃなかった。いつもと同じように……。大勢の中の一人のはずだったのに。……でもそのせいで、翔君が苦しんでしまいました。私のせいです」

「そんなことはない」

 とっさに俺は否定するが、その言葉に何の根拠も、説得力も無かった。

 何を犯したんだ。……しかし、そこまで聞いていいものか分からない。

「私はこれ以上、翔君を苦しめたくありません」

 だったら――その言葉を聞いて、俺は言う。

「教えてくれ。一体、俺は何を忘れたんだ」

「しかし……」

「黙って忘れろと言われた方が、よっぽど苦しい」

 再び相沢は押し黙り、沈黙が訪れる。うつむいていて表情は分からない。

「二年生のあの日、俺の中でははじめてあの日に会ったんだ。だが、俺の部屋には相沢を描いた絵がいくつもあった。無関心な人を、関わりの薄い人をわざわざ家にまで帰って描くなんて事はしない。それは自分が一番よく知っている。でも描いていると言うことは、それでいて俺が去年の事を忘れていると言うことは、去年の俺にとって相沢という存在がとても大きかったと言うことなんだ。……そんな人の事を、二つ返事でじゃあ忘れるよなんていえないよ」

 沈黙が帰ってくる。相沢は何かを葛藤しているようだった。

「自分勝手だとは分っている。けど――」

「分からないです。どうしたらいいのか」

 相沢が、鳴きそうな声で言葉を漏らす。こいつも、今まで戸惑っていたんだ。悩んでいたんだ。そう思った。

「だったら、教えてくれ」

「……」

「一体何があったのか。なぜこうなったのか。分かる範囲で良いから。」

 再び押し黙る。時間だけが過ぎていった。

 本当は、病み上がりの体を気づかってあげるべきだったのだろう。だが俺は相沢に答えを求めていた。

「だって、信じてなんてもらえないです、きっと――」

「それは、俺が決めるよ」

 葛藤の時間。

 時計の針の進みが遅く感じる。

 話すにしても、話さないにしても、俺はそれ以上口出しできる事ではない。それだけは理解していた。相沢の判断に後は任せよう。そう覚悟を決めたとき、相沢は言葉を綴り始めた。

「私たちは去年、同じクラスメイトでした。仲良くなっていったきっかけは、美術の課題でペアになった事です」

 小さく、沈んだ声。その声は、今にも消えてしまいそうだった。

 やはり一年生の頃か。だが、ペア課題は一人だったはずだが――。

「絵の下手だった私は、翔君に色々描き方を教えてもらいました。そこから、昼休みに一緒に食事をしたり、一緒に残ったり。ただ、絵が上手くならない私は落ち込んでました。けど翔君は、私を描いていて楽しいと言ってくれました」

 相沢の口から出る言葉は、確かに俺の記憶には無いものばかりだった。

「夏休みは、学校にわざわざ来てくれて、たくさん話して、たくさん一緒にいて、たくさん絵を描いてくれました」

 夏休み――美術室に残っていた絵の時期と重なる。確か、丹波も夏休みの間に俺が描いたものだと証言していた。

「でも、秋になって、少しずつ忘れていきました」

「何か、あったのか?」

「いいえ、これは必然なんです」

 必然? 俺は頭をひねる。

「絶対に忘れるんです。どれだけ仲良くなろうとも、そうでなくとも、秋になると少しずつ私の事をみんな忘れていきます。私と関わったことは、都合よく記憶が変わり、私が見えなくなり、そして何事も無かったかのように学校生活を続けるんです」

 なぜ忘れるのか、それが分からなかった。それに、都合よく記憶が変わるとは何なんだ。見えなくなるとは何なんだ。

「私は夏の間しか、いられないんです」

 意味が分からない。

「どういうことだ?」

 相沢は、少しためらった様子を見せながらも、言葉を続けた。

「私は、もう……死んでるんです」

 その言葉は、容易に頭で理解できなかった。

「死んで……る?」

 小さく、それでいて確かに首を縦に動かした。しかし、目の前の相沢は、確かに存在していて、俺と話もしている。

 相沢の話は到底信じられるものではなかった。

 だが、嘘や冗談をついているようには見えないし、そんな状況ではない。それとも、何かの比喩表現なのだろうか。

「も、もう少し、詳しく頼む」

 さすがに、それだけ言われても、戸惑うだけだ。

「信じて、くれるのですか?」

 相沢は、目を点にしていた。

「合点はいく。すぐに信じると断言はできないが……最後まで話を聞かせてくれ」

 そう言うと、相沢は首を縦に振る。

 こんな話を、まともに聞こうとする奴なんて、俺くらいなものだろうな。そんな自虐めいた思考を取り除きながら耳を傾ける。

「私は、ここでずっと一年生です。どうして一年生かは、私にも分かりません。ただ、毎年同じクラスに私の席が確保されています」

 目をうつむかせながら、話を続ける。

「春の終わりごろから、秋までは普通に誰にでも気付いてもらえます。でもそれを過ぎると、誰も私には気付きません。そして、私の居た記憶は消え、私が居なくてはならないような記憶があった場合、都合のいいように、修正されてしまいます。翔君もそうなっているはずです。例えば、ペアを組んでいなかったとか、夏休みは一人で過ごしたとか。もしかしたら、記憶が曖昧で何をしていたか思い出せないかもしれません」

 俺の記憶を、相沢は言い当てた。

「写真などに写っていても、私はそこから消えています。私が書いた文字も、絵も全て消えてしまいます。そして記憶も物も、一度失ったら二度と戻りません。翔君に思い出してもらいたくても、もう無理なんです」

 理解しがたい内容だった。しかし、それで、何か残したり出来るものじゃないのか?

「なぜ、そこまで分かってるのに何もしない」

 だから、そう聞いた。

「しました。色々、試したんです。だから、これだけのことが分かりました」

「だったら何故こんなところに居るんだ? 逃げ出さないのか?」

「それもやってみました。けれど、この学校の敷地からは出られないんです。行けるのは、校門までで、そこから外に踏み出そうとすれば、強制的に押し戻されます」

 強制的に? 押し戻される? まったく想像しがたい言葉だった。

「車でに乗っていたのに、校門近くで倒れていた事、不思議ではありませんか? あれは、その強制的に戻される力のせいです」

 車で外に出ようとしてもその力とやらで、強制的に戻されたと言うことなのだろうか。

「だったら、車に乗っていた先生は分かるんじゃないか?」

「たぶん、今頃私が高熱で倒れていたことなど忘れて寝てると思いますよ」

 相沢のその言葉に、憤慨したい気に駆られた。しかし、仕方のないことだと相沢は言う。

「大きな変化があれば、小さな範囲ですが、記憶の改変があるみたいなんです。その辺のことはまだよく分かりません。――もし信じられないなら、明日先生に聞いてみてください。たぶん、昨日は普通に帰ったと言うはずです」

「分かった、聞いてみる。……それだけ分かっていて、何とかできないのか?」

「もちろん、色々やりましたよ」

「じゃあ――」

「どうしようもないんです」

「何かあるだろ」

「六十回以上、繰り返してきました。それで今まで見つからなかったんです」

「一年生を……か?」

「はい」

 彼女の目には、悲壮感が漂っていた。

「私が死んだのは、昭和二十年です」

 そんな馬鹿な――ごくごく普通の感情を、俺は抱いていた。

「私は、母を殺しました」

 その言葉は、とても哀しそうで。表情も相応に辛そうだった。

 そして俺はその言葉を聞いて、自分と相沢を重ねていた。

「母親を……?」

「その罪なんです。ここに閉じ込められているのは。わずかな間は友達が出来たりすることもあります。でも、そうすれば、忘れられていく時にすごく哀しいんです。でも、だからといって一人でずっといたら辛いんです。この罪を償うまでは、きっと永遠に続くんです」

 視線を下げながらそう語る。表情は辛苦そのものだったが、それ以上相沢がどういう想いで語っているのかは分からなかった。

「最初の頃は、何がなんだか分かりませんでした。辛くて、哀しくて、嫌になって、そのうち死のうと思いました。でも、私は死んでるんです。首を吊っても、飛び降りても、溺れても、私は死ぬことは出来ませんでした。苦しみや痛みは味わうのに……」

 ただ、俺は相沢の言葉を聞き続ける。

「成長することも、老いることも無く、ずっと同じ姿で、ずっと同じ事を繰り返してきました。死ぬことも出来ず、まともに生きることも出来なくて、私は、すごく辛かったです。それでも、逃げ出す術は何も無かったんです。ここは、私を閉じ込める牢獄なんです」

「じゃあ……じゃあどうして、俺と関わってたんだ? そんなことをすれば、辛いだけなのは分かっているだろう」

「これは、償いなんです。そのことを悟ったときから、私は少しでも人の役に立とうとしてきました。例えば、クラスで孤立してる人がいたら、夏の間だけでも友達になったり。季節が過ぎれば、私の事は忘れてしまいます。でも、その前に、私がきっかけで、私以外の人と友達になれたら、私以外の友達がいることは忘れないんです。きっかけは忘れてしまっても」

 俺も、その中の一人ということか。かつてそうやって、俺たちは親しかった。でも――。

「俺には、親しい人はいない……」

「翔君は、本当に変わってる人でした。良くも悪くもです。……翔君は、私以外に決して興味を抱こうとはしなかった。関わることはあっても、私に見せてくれるような表情をすることはありませんでした。私は結構裏で努力してたんですけどね。でも結局、私以外とは関わりませんでした」

「失敗、って事か」

「そうだと思います。でも――」

 そこで、相沢は再び言葉をにごらせた。しかし、ためらいながらも言葉を続ける。

「私は、うれしかった。私だけを見てくれた。私を必要としてくれた。私にいて欲しいと言ってくれた。……だから、そんな日々が過ぎると、とても辛くて、哀しくて。だからつい、私の事を覚えていないと分かっていながら、覚えていてほしいと思ってしまった。それで、聞いてしまったんです。翔君に」

 あの日、昇降口で俺に覚えているか聞いてきた時のことか。

「どこまで信じるかは、お任せします。まったく信じてくれなくても構いません。もう、二度と関わりたくないならそれでも良いです。私は、十分夢を見れました。この牢獄の中では本当に十分すぎるほどに」

 また、沈黙が流れる。相沢が、窓の方に歩いていき、まだ暗く降り続く外を見ていた。俺はただうつむいた。

「今すぐ何かを言って貰わなくても良いです。ここから先は、私にはどうすることも出来ません。翔君の、意思ですから」

 俺は椅子に座り込んだ。ふざけた話だ。だが、それだとつじつまが合う気がした。

 俺に、常識という壁が道を阻んでいた。こんな話信じられるわけが無い。そう思う自分がいて。それでも、信じたい。そう思う自分もいた。

 過去の記憶がよみがえってくる。彼女と過ごした過去ではない。その前の、ずっと昔の俺の過去。その補正が、常識を覆そうとしていた。それでも、必死に常識が抵抗する。

「正直、信じられない」

 そう俺は口を開いた。

「でも、信じたいと、思ってる自分がいる」

 顔を抱えたまま、俺はそう続けた。

「信じてみたい。でも、俺の常識が、違うといっている。幽霊みたいなものなんて、俺は信じられない――」

 俺が口を開いている間、相沢が落ち着きなくうつむいていた。

「もし、翔君が望むなら、少しはその常識を取り除くきっかけは見せてあげられます。私の戯れ言を、これ以上望むなら、ですが……」

 相沢は戸惑いと不安の混ざり合った顔をしていた。それでもその表情には微笑みが確かに存在していた。

「強制はしないです」

 俺は、知りたい――相沢の無垢とも呼べる微笑みに、俺は一歩を踏み出してみる勇気が湧いてきた気がした。頭ごなしに否定することはできた。むしろその方が楽だ。しかし、それをしない勇気は、思ったより大変で、相沢に後押しされなければ思えなかったかもしれない。

「頼む」

 すぐに相沢に手を引かれて保健室を出た。校舎を歩き昇降口へ向かった。相沢は、毛布に包まれたままに。

 置きっぱなしにしてある傘を少し拝借し、昇降口から外に出る。

「風邪はいいのか?」

 その時に、心配でそう声をかけたが、相沢は大丈夫と言っていた。無理はさせられそうに無い。

 雨は、結構小降りになっていた。パラパラと傘にあたっている。

 校門のところまで着いた。

「ちょっと、持っててもらっていいですか?」

 そう言って傘を俺に押し付けるように渡してくる。

「おい、また濡れ――」

 そう言葉を言っていた途中だった。相沢が校門の外に腕を突き出した。

 バチッと音がする。

 それは電気が空気中を流れた時の音のように。いや、音だけではない。相沢が触れたとこから放射状に青白い光が駆け抜けていく。それに、心なしか、腕が一瞬消し飛んだようにすら見えた。

「お、おい!」

 腕を抱えて座り込む相沢に、俺は思わず駆け寄る。その腕からは水蒸気とも煙とも分からない気体が微かに立ち込めていた。

「大丈夫……ちょっと、しびれただけだから」

 そういいながら、校門の先を見つめる相沢。

 相沢が起き上がるのを確認すると、俺も校門の外に手を伸ばす。さっきの現象を思い出しながら。

 ……何も起きなかった。そのまま校門の外に出るけれど、何の変哲も無い。そこにはただの校門があった。

 今度は俺が校門の外にいるとき、相沢が腕を伸ばす。

 再び青白い閃光が走り、彼女の腕からほんのわずかに骨が露出していたように思えた。これは、夢――ではない。非科学的。非現実的。非常識的。だが、目の前の光景が夢幻でない。これは現実だ。

「もう一回やった方が良いですか?」

 よほど堪えるのだろう。相沢は腕を抱え込みながら苦悶の表情を必死にこらえていた。

「いや、もういい」

 相沢の問いに、俺は小さく即答する。

 重箱の隅をつつくことはできただろう。だがそれはしたくなかった。自分の目にした今この瞬間すら信じられないのであれば、もう何も信じられなくなりそうだったからだ。

 学校から出て行こうとすると、腕だけでも苦悶するほどの苦痛がある。病み上がりのこいつに、それを何度もさせられるわけが無い。

 そういえば――俺は思い返す。

 保健室から車で出たって事は、結構なスピードが出てたはずだ。少なくとも、徒歩より。その状態で、ここにぶつかったら……。どれだけの苦痛が襲ったのだろうか。そんな状態で、四十度の熱を出していたら……。

「戻りますか?」

 相沢のその提案に、我に返りながら同意する。校門まで来た道を、再び傘を指して戻る。その間は、お互いに一言も口に出さなかった。

 改めて記憶をたどると、俺の中の常識が少しずつ壊れていったように感じた。少なくとも、放射状に駆け抜けた青白い光、一瞬だが消えた腕――それは俺の常識から逸脱している。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!