十二話「怪異」

「丹波先生!」

 美術室に入ると、俺は少し声を張り上げる。

「ん? 黒野君じゃないか。どうしたんだい? ……ってか、その服どうしたんだい?」

 丹波は美術部員に絵の指導をしている最中のようだった。いたのは三人。他はもう帰ったようだ。

 俺の呼びかけに、わずかに驚きの表情を見せながら、丹波は聞き返す。それは、普段そっけない俺が大きな声を出したためなのか、体操服姿でいることなのかは定かではない。

「制服が濡れたもので。それより、俺が今までに描いた絵はありますか?」

 丹波に近づきながら俺は尋ねる。

「ん? ああ、それなら奥の準備室のところに全部保管してあるけど?」

 首をひねりながら疑問そうに丹波は答える。

「ありがとうございます」

 俺はそれだけ言うと、一直線に奥に消えていく。

「右手の棚ねー」

 後ろから丹波の張り上げた声が聞こえてきた。

 美術室には、小さな物置がある。教師が授業の準備をしたり、画材の予備を置いたりしている所だ。そこには、今までに描いた美術部員の作品がきれいに仕分けされて保管されていた。後は、授業の課題が各クラス単位で仕分けされている。その仕分けされた中のひとつに、俺の名前が記されている。俺がここを見たのは初めてだったが、すぐ分かるほどに整理されていた。

 引き出しを引き、中にあった絵をまとめて取り出す。ドスっと言う画用紙の束が机に響く。

 そこには、一年生のときから描いた様々な絵がちゃんと保管されていた。上の方が新しい絵らしい。俺は上から順々にそれを確認していく。

 半分ほど確認したとき、無意識に息を漏らした。おそらく、一年生の夏から秋にかけての作品だと思う。ため息を交えながら、俺は確認をしていく。そこから数十枚、全体の量で言うと三分の一ほども、同じ人物が書かれていた。

「相沢……」

 やっぱり、俺は、こいつと関わっていた。もしこれが何かのドッキリなら、さっさとネタばらししてほしい。もしこれが夢なら、早く覚めてほしい。そんな普段考えないような現実逃避な発想も、今の俺にはいとも簡単に脳裏によぎる。

 確信はない。だが、この絵はおそらく一年生のときのもの。だとすれば、相沢はなぜ今も一年生なんだ?

 留年した。その答えがしっくり来る。丹波も、最初の授業で、言ってたじゃないか。この学校は進学校で、当然勉強についていけない生徒は留年か転校を余儀なくされる。何も不思議なことではない。

 ならば、俺が関わった可能性のある時間は、今年の四月からではなくて、去年の四月からということになる。……一年程前のことなら忘れるだろうか。

 しかし、その考えは、この絵の山を見て違うと思った。

 こんなに相沢を描いていたのなら忘れてるわけないだろう。教師にもクラスメイトにも、出来るだけ深入りせずにやってきたんだから。それでいてこれだけの量を描いてるんだ。美術の課題というわけではないはずだ。いや、課題の絵は返してもらったっけ。それに、去年は俺だけペアを組まず一人だった。

「探し物は見つかったかい?」

 考えにふけっていると横からそう声をかけられ、思わず体がピクッと反応する。

「突然声をかけないでくださいよ」

「あはは、悪い悪い。で、何を探してるんだい?」

 俺は悩む。丹波に聞いていいだろうか。考えた。しかし、特にデメリットはなさそう。

「この絵――」

 俺は、相沢が描かれた絵を一枚引っ張り出しながら丹波に見せる。

「この絵を描いたときのこと覚えてますか?」

「んー、いつのだったかなぁ。……それは、確か夏ごろじゃなかったかな」

 腕を組みながら必死に思い出そうと丹波は眉間にしわを寄せている。

「あー、確か、夏休みのときに描いたやつじゃなかったかな? 夏休み明ける前に学校に出てきたら、黒野君がその絵を描き散らしてなかったっけ?」

 確かに、そんなこともあった気もする。しかし、その時の事がいまいち思い出せない。

「そのときの事、詳しく覚えてませんか?」

「いやー、さすがにそこまでは……ごめんねぇ」

「い、いえ」

 ……俺はうつむき加減に返事をした。

「何かあったのかい?」

「ちょっと、気になることがありまして」

 それ以上深入りされたくないと思い、俺は美術室から出ていった。


 傘に雨が激しくたたきつけてくる。俺は帰路についた。地面に降り注いだ雨が跳ね、靴にしみこんでくる。昇降口から出たところで、すでにズボンが水を含み始めていた。

 相沢は今頃車の中か、それとも病院に着いただろうか。

 豪雨によって出来た水たまりを踏まないように、自然と視線が足元に集中する。アスファルトの地面は幾重にも小さな波を形作り流れていく。その上に勢い良く雨粒が降り注ぎ水滴をズボンにまで飛ばしてくる。少しでも濡れないように傘を調整しつつ歩いていると、アスファルトの上に手が見えた。

「は?」

 俯いた視界と視界を遮る傘を動かし目の前の光景の全容を視界に収める。

「……は?」

 俺は思わず驚嘆の声を漏らした。周りの雨音が急に静かになった気がするほど、その光景に目を点にして立ち尽くす。

 力なく横たわる腕。動揺に体全体がぐったりと地面にうつ伏せになっていた。艶やかな長い髪と、小柄な体は、どこをどう見たところで相沢だった。

 錯覚かと思った。そう思いたかった。

 俺は駆け出していた。傘は、すでに手にない。体中が再び濡れる。もう着替えるものなどない。そんなことなど頭に入る余地はないほどに、俺は急いで相沢のもとに駆け寄った。

「相沢! おい!」

 肩をゆするが反応はない。荒く息をしている。熱はまだ相当にあるようだ。なぜこんなところに。そんな疑問はあったが、そんなことを聞いたり深く考えたりする余裕はなかった。とにかく、このままでは悪化するだけだ。

 俺は、校舎に運び入れた。

 保健室に行っても、先生はいなかった。時刻はすでに六時をまわっている。とにかく、やれることをしないと。とにかく、ベッドまで運ぶ。

「翔……君……」

 相沢をおろした時、相沢はかすかに口を開く。

「支えてなくて大丈夫か?」

 そう聞くと、小さく首を縦に振った。

 俺は相沢を離し、体を拭くものを捜す。タオルが見当たらない。保健室の先生がいればすぐだろう。わずかに憤りと、不甲斐なさを覚えながら探す。

 くしゅん! と相沢のくしゃみが聞こえてくる。

 とりあえず、ティッシュで代用する。箱ごと持って行ってから、大量に水を含んだ服を脱がすことが先決だと思う。なぜ早く気づかなかったんだと自分を責めながら。

「自分で服、脱げるか?」

 再び、小さく縦に振った。

 カーテンをして、俺はその間にタオルを探す。

「翔……君――」

 わずかに声が聞こえた。その声は、少しこもっていた気がした。

 急いで相沢のところに行くと、頭に引っかかって上着が半分脱げていないままだった。水で重たくなった上に、高い熱で力が入らないからだろう。それに、その長い髪がこういうときに非常に邪魔をしている。

 とにかく、俺も手を貸して服を脱がせた。

 とっさに相沢から目をそらした。しかし、わずかに視界内に相沢の素肌が見えいた。だからこそ目をそらした。ブラジャーぐらいしろよ――こんな状況で、そんな考えが頭をよぎる。

「大丈夫……ですか? 顔が、赤い……ですよ?」

 荒い息遣いの中、相沢がそう心配そうに聞いてきた。

「な、なんでもない。そんなことより、自分のこと心配しろ」

 少し舌が絡まりかけながら俺はそっぽを向く。今余計な事を考える余裕はない――そう自分に必死に言い聞かせながら。

「ズボンは一人で大丈夫か?」

「……はい」

 その言葉を聴いて、俺はカーテンを閉め、相沢を視界の届かないようにした。

 手にしたままの相沢の服は水で数倍に重くなっている。絞ればいくらでも水が滴り落ちそうなほどに。それを近くの椅子にかけながら、俺は辺りを見回す。

 先生の行動を思い出しながら、冷やすものがないかを思い出す。

 薬品棚の下だったかな。そう思いながら俺は棚の近くを捜索する。その棚には消毒液などが並べられている。

 そんな時、相沢の呼ぶ声が聞こえる。

「すみません。……背中拭くの手伝って……もらえますか?」

 澪のもとまで行くと、さすがに前は拭き終えた様子で、布団で隠していた。

 俺はその小さな背中についた水分をティッシュに吸い込ませていった。

 その体は少しでも力を入れて押したら容易に前に倒れこんでしまいそうなくらいか弱かった。

「後は拭くところないか?」

「はい」

 それでも、少しは良くなっているように感じた。

 俺がいない間に、薬を飲んだのならその効果かもしれないけれど。

「着替えがあるなら取ってくるぞ」

 とにかく、布団があるとはいえ、裸のままというわけにもいかないだろう。

「その……もう、着替えが、ないです」

 そう言いながら、相沢は横になった。

「少し、スーッとしますが……大丈夫ですよ」

 俺は、何も出来ていない自分に嫌悪する。結局、何もしてないじゃないか。

 無力で、無知で、無能で。

 変わらない。どれだけ時が流れても。何一つ成長していない。

 恐怖心を覚えた。俺は、また失おうとしているのか?


 ……。

 おかしい。そんな考えが頭の中を行きかっている。

 相沢があそこに倒れていたのなら、保健室の先生はどこへ行ったんだ? それに、助けを求めに教員室に行っても誰も残ってなかった。時刻はまもなく七時になろうとしている。保健室の電気がついているのは明らかで、それを放置したまま帰るものなのか?

 昇降口の扉。そこに行くと、鍵が既にかけられていた。主だった教室にも鍵は既にかけられている。

 どうなっているのかまったく分からない。それでも、もう学校に誰もいない。そのことは事実のようだった。

 途方にくれたまま、俺は保健室に戻る。相沢を見ると、縮こまっている。

「寒いのか?」

 そう聞くと、首を小さく縦に振って答えた。

 とりあえず隣のベッドにおいてある掛け布団をかけておく。

「ちょっと……重たい、ですよ」

 相沢は力なくそう言いながら、力なく苦笑いを浮かべていた。

 何をすべきか分からない。ただ、俺は横にいて、ついていることしか出来なかった。


 何時間経っただろうか。雨音が、少し弱くなっていた。

 うとうとと、首が落ちかける。眠気が俺を襲っていた。微かに聞こえる雨音が、それを後押ししている。相沢は最初よりも息が落ち着いた様子。そのことに俺は多少安心したのか、眠気に促されるままに椅子で眠った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

新規ユーザー登録無料