十二話

 ……自分でも柄でもないことを言っていると自覚している。


 それでも、それを口にしてしまうだけの存在に思えた。自室ですら彼女の事を描いたのは、去年の自分にとって相沢は家族と同等の感情を抱いていたのだと思う。


 恋心が引き金のなるという話が本当なのであれば、もしかしたら――。


 時刻は午前5時を回ろうとしていた。


 あれだけ激しかった雷雨が嘘のように止み、東の空が朝焼けに色づいている頃、ようやく相沢の涙も止んだ。


「ごめんなさい……取り乱しちゃいました……」


 構わないと、首を振ると、少し気恥ずかしそうに頬を赤らめ目をそらす。


 いや、頬が赤いのは泣いていたからかもしれない。


「翔君」


「ん?」


「見せたいものがあります。ついてきてもらっても、いいですか?」


 相沢は起き上がりながら手を引く。


「分かった」


 そして毛布にくるまったままの相沢に手を引かれ、保健室を出た。




 校舎を出てグラウンドの脇を抜ける。


「そういえば、風邪の方は、大丈夫なのか?」


「はい。あれは風邪とはまた違うので」


「そうなのか?」


「『病は気から』なんて言いますが、精神的に不安定になるとああいった症状が出ることがあります。なので、もう大丈夫です」


 そうこう話している間に校門前までやってくる。


「幽霊と言っても、そう簡単に信じられないと思います。なので、実際に見てもらった方が早いと思ったので」


 毛布の隙間から右腕を出すと一歩、校門を超え敷地の外へ踏み出そうとする。




 バチッと音がする。


 それは電気が空気中を流れた時の音のように。いや、音だけではない。相沢が触れたところから放射状に青白い光が駆け抜けていく。


「お、おい!?」


 腕を抱えて座り込む相沢に、俺は思わず駆け寄る。


 その腕からは水蒸気とも煙とも分からない気体が微かに立ち込めていたが、よく見ると皮膚が焼けただれているように見える。


「大丈夫……すぐに、元に戻ります……」


 その言葉通り、一分としない間に腕は元の状態に戻っていた。


 だが、元に戻ると言っても、痛みは感じると言っていた。今の衝撃でどれほどの痛みを我慢したのか、おそらくは想像を絶する。


「翔君……」


「なんだ?」


「大丈夫ですか? 私の事、まだ覚えていますか?」


 外に出ようとすると、一時的な記憶に補正がかかることがある。


 その説明を思い出し、慌てて記憶を手繰る。


「大丈夫。さっきの話は全部覚えているはず」


「なら、よかったです。この現象をある程度知った上で見た場合は、あまり補正はかからないみたいです。あとは外に出ようとする体の体積に比例して補正がかかりやすいんじゃないかってところまでは分かっています」


 説明を聞きながら、俺自身も恐る恐る腕を出してみる。


 だが、先ほどのような現象は発生しなかった。


「まだ痛むか?」


 目をやると相沢の表情がまだ苦悶を浮かべているので心配して声をかけるが、「大丈夫です」と空元気を見せる。


「だいたい見かけ通りの痛さですけど、もう、だいぶ慣れてしまいました」


 皮膚がただれる経験をしたことはない。腕の広範囲の皮膚全てが瞬間的にただれるなど、想像すら難しい。


 片腕……いや、指先だけでもその痛みは尋常ではないはずだ。


 ――車に乗った状態で全身がこうなった場合、それはいったいどれほどの……


 昨晩の出来事を思い返しすと、身震いし血の気が引く。


「もう一回、やってみた方がいいですか?」


「いやいい」


「非科学的だとか、非現実的と言う者もいるだろう。


 だが、実際に相沢の苦しそうな表情を見て、再度確認したいなどという気持ちは起きなかった。


「翔君――」


「ん? まだ無理するな」


「もし、もしもですが。今日の事を忘れたいなら、まだ間に合います」


 その表情は、どこか決意を固めている様子で、こちらを見上げながら続ける。


「私が今から外に身を投げれば、きっと、小規模なら記憶の修正が入って――」


「必要ない」


 相沢の言わんとしていることを理解し、とっさに否定する。


「ですが……」


「身辺整理をしていない今記憶を失ったら、また同じ事の繰り返しだ」


「そう……そうですね」


 安堵したような、申し訳なさそうな表情を浮かべ、相沢は視線を落とす。


「相沢さんの言いたいことは分かった。起こっていることは、現実的なものじゃないって。信じられるかで言うと、信じられないって気持ちの方がまだ大きいけど」


「いえ。それだけでも十分嬉しいです」




 再びグラウンドの脇を通って校舎へと戻る帰り道。


「そうだ、ひとつお願いしてもいいですか?」


「ん?」


「去年は、私の事を『澪』って呼んでくれていました。もし、よろしければですけど、そう呼んでもらえると嬉しいです」


 そう呼ぶようになった経緯も思い出すことはできないが、相沢の――いや、澪の頼みならばそうしようと思った。


「分かった。じゃあ俺のことも翔でいいよ」


「いいえ、そこは『翔君』がいいです!」


「……そう、なのか?」


「『将軍』! みたいなイントネーションが好きです!」


 澪の口調に、少しばかり元気が戻ってきた気がした。




 保健室に戻ると、澪は纏っていた毛布が濡れていることに気付いた。


「汚してしまいましたね……」


 まだ雨水がたまっている地面に座りこめば当然濡れるだろう。


「お、おい……」


 だが毛布を汚したことを責めるつもりはなかった。


 むしろ、相沢が代わりの毛布を探す際に、纏っていた毛布を脱いでから探し出したことに注意するべきだと思った。


 だが口よりも先に体が背を向ける。


 少し、耳たぶが熱い気がした。


「代わりに探すから、無理するな」


 そう苦し紛れの提案をすると、澪は冗談だと分かるような口調で意地悪く言う。


「大丈夫ですよ。あと数ヶ月もすれば全て忘れてしまいますから」


 それは笑えない冗談だ――と溜め息を零す。


 ――まぁ、そんな冗談が言える方がいいか。


 そう考え、今の時間を確認すべく時計に目をやると時刻は五時半前だった。


 外は少しずつ明るくなってきているが、それでもまだ薄暗い。


 窓ガラスも、一部はまだ鏡のように部屋の中を反射している。


 その中で、思わず視線を逸らしてしまった。


 背を向けていたはずなのに、窓の反射でちょうど澪の体が映り込んでいたからだ。




「顔赤いけど大丈夫? 昨日濡れてたけど、翔君も風邪を引いてない?」


 新しい毛布にくるまり澪がのぞき込んでくると、純粋な瞳で心配してくる。


「大丈夫」


「そう? なら良かったです」


 純粋無垢な温顔で、安堵をこぼす。


 ――さっきのはわざとなのか、天然なのか分からないな。


 そんな事を考えていると、澪がハッと声をあげる。


「翔君、帰らなくて大丈夫ですか? 家の人心配してるんじゃ――」


「今更だよ……」


「そうかもしれませんが……」


「大丈夫、今夜は家に家族はいないから」


「嘘……じゃないみたいですね」


「ああ」


 嘘はついていない。


 だから心配しなくて大丈夫だと優しく頭をなでる。




「ひとつ、わがままを言ってもいいですか?」


 少しして澪がそう切り出す。


「去年はよく、私の事を描いてくれました。だから、その……また良ければ、私の事を描いてもらえませんか?」


 ――そうか。だからあんなに澪の似顔絵があったのか。


「ああ、分かった」


 同意すると、澪は「えへへ」と笑みを零した。


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