十一話「不可解」

 翌日も翌々日も、相沢の姿は見なかった。

 その次の日は、ひどい雨が降っていた。視界すらも遮るほどのその雨は、窓を締め切った教室にまで湿気と雨音をもたらしていた。どうやら入梅したらしい。

 その翌日も、さらにその翌日も雨は降り続く。比例して相沢を見かけることもできない日々も続いていた。

「先輩」

 放課後になり美術室へ向かうと、扉の前でそう声をかけられた。

「この前、美術室にいた先輩っすよね?」

 相沢と一緒にいた女子生徒だった。

「私、古登彩咲(ことさき)って言います。今時間ありますか?」

「……何?」

 素っ気無く問い返す。猫をかぶったほうが良かったかもしれないが、このジメジメとした校舎内と、相沢の事が気がかりでそこまで気を回す余裕は無かった。

「あの、美術室で私が先に帰っちゃったこと覚えてます?」

「覚えてるよ」

 彼女も不安そうな顔をしている。目線を斜め下にそらしながら、言葉を続ける。

「あの時、何かありました?」

 そのときの光景が、脳裏によみがえる。

 なぜ、聞いてくるのか分からないが、話の続きを聞くことを優先させた。

「何か、あったのか?」

「いえ……その……。次の日から全然学校に来ないんですよ。ずっと無断欠席のままで……。先に帰ったこと、怒ってるのかなって――」

 血の気が引く、とはこういう時のことを言うのかもしれない。

「もしも体調悪いなら、見舞いに行ってあげたいし」

 歯軋りをしていた。無意識に。俺のせいだ――そう、後悔と自責の念を感じずにはいられなかった。

 ただ知りたい――そんな俺の身勝手な都合のせいで、踏み込まれたくない領域に土足で入り込んでしまったのかもしれない。

「……携帯電話は?」

「あの子、ケータイ持ってなくて。前に、家も聞いたんですけど、全然教えてくれなくて……。担任も連絡がつかないっぽくて――」

 相沢が、今どこでどんな状況なのかも、分からないのか。

 心の中で、自分を責めていた。結局、俺は何をしたかったのかわからない。


 帰宅した。俺は、夕食もとらずに自室にこもる。

 相沢なんて所詮他人だろ? そう囁く自分もいた。だが到底そう割り切れなかった。部屋に、落書き以外で相沢の絵があった。それは、相沢という存在が、家族と同等だということなんだ。だからこそ俺は確かめようとした。でも、そのことで、相沢を追い詰めた。俺は、また失うのか? 俺の身勝手さで。

 思い出せない。相沢と言う存在を。

 俺は、どうすればいいんだ……どうしたいんだ……。


 翌日、また雨が降っていた。今日はさらにひどい。山村部では、土砂崩れによる事故が何件か起きるほどに。

 時間だけが過ぎ去っていく。何もかも流してくれればいいのにと、ぼやきながら。

 気付けば、もう放課後になっていた。

「今日も来なかったか――」

 彩咲に告げられ、俺はそう言葉を漏らす。

「風邪なら、いいんですけどね」

 そう言って彩咲は去っていった。

 宛もなくと校舎を歩き回る。外で練習できない運動部員たちが校舎内でところ狭しと筋トレをする姿がそこらじゅうにあふれていた。

 美術室の前で立ち止まる。

 俺が中で描いていた時、相沢はここに立っていたのだろうか。この扉を出て行く時の様子が再び脳裏によみがえる。

 相沢は、扉を右に曲がった。俺は、相沢の行動を追うかのようにそちらに歩いた。化学室や家庭科室、音楽室を通り過ぎていく。

 ふと窓から見下ろした。二階の窓からは、あのグラウンドが目に入る。かつても同じように見下ろした。しかし、今は雨が遮って視界が悪い。

 歩き出そうとしたとき、視界に何かが入り込んできた。それは、米粒ほどにも小さく見える。グラウンドの周りに等間隔で植えられた木々。その中の階段近くの一本。その根本に植えられた植物と勝手に生えてきた雑草。その隙間に、自然のものとも無機質な人工物共取れない何かがあった気がしたからだ。

 凝視した。窓に打ち付ける水滴の合間を縫うように凝視した。

 髪? そう頭が思うとそうにしか見えなくなった。草木に埋もれるように座り込んでいる。豪雨の中、傘もささずに。

「あいつ……何をっ!」

 感情が思わず口から漏れでていた。気付けば体は階段を降り昇降口を抜けていた。生ぬるい雨が体中に打ち付ける。

 相沢だ。

 そこには、間違いなく相沢がいた。グラウンドの階段の近く。俺がこいつに初めて会ったはずの場所。そこで、制服を泥だらけにしながらも、雨の中を力なく座りつくす相沢がいる。

「何やってるんだ!」

 相沢はゆっくりとこちらに振り向いた。

「翔……君?」

 今にも豪雨にかき消されそうな小さな声で呟いた。

 相沢の顔は濡れきっていた。その長い髪は地面につき、泥水を含んでいた。その幼い顔立ちを水が流れ落ちる。その大きな瞳には、雨に混じって涙が流れていた。

「いつからいるんだ! こんな雨の中……」

 相沢の目が俺からそれる。

 その目には、生気がまったくなかった。死んだ魚のような、そんな瞳だった。

「とにかく中に入れ」

 そう言って相沢の腕をつかもうと手を伸ばす。しかし、その手をつかむ前にはじかれた。

「もう、構わないで下さい!」

 相沢が大声で俺を拒絶する。

「……その方が、お互いのためなんです」

 顔をしかめ、苦しそうなその言葉は、とても本心とは思えなかった。

「分かってた……翔君が私のことを忘れていくことは」

「――俺が、忘れてしまったのか?」

「翔君のせいじゃないですよ。でも、すごく、辛かった……」

 そう言いながら、澪は身を縮める。

「私がいけなかったんです。もう一度、翔君と話したい、絵を描いてもらいたい。そう思ってしまった。これは、私の罪なのに――」

「今はいい。話は後だ」

 豪雨の中、雷の音が大きくなりつつあった。雨はさらに勢いを増さんとしている。

 まずは、校舎に連れて行こうと腕をつかむ。今度は、拒絶されなかった。むしろ、全身に力が入らないようで、ぐったりとしている。肌に触れたとき、異様な熱さに俺は思わず目を丸くする。澪の額に手をやると、すごい熱がある。

 俺は、無理やり澪を担ぐ。少し、澪は抵抗する。

「頼むから! 頼むから、おとなしくしてくれ」

 その言葉で、澪は動きをやめた。むしろ、高熱の状態で抵抗しようとしている方がおかしい。呼吸が荒いのが分かる。それは、熱によるものと、泣くときのものが混ざっていた。

 すぐに俺は保健室に担ぎこむ。保健室の先生は驚きながら事情を聞いてくる。俺はただ、雨の中にいたのを見つけたことと、その時には熱があったことを伝えた。

「相沢さんの着替えがある場所、分かるかしら?」

「いえ、そこまでは」

 先生は相沢に教室と出席番号を聞く。澪の小声に、耳を近づけながら。

「……こう言うのは、男の子には頼み難いわね。すぐ戻ってくるから、ちょっと相沢さんのこと見ててね」

 そして俺にそう言って走っていった。

 本来、保健室には二人いるはずだが、すでに放課後で、部活も室内だからか、今日は一人しかいなかった。

「翔君――」

 すごく辛そうな表情は、熱だけが原因か分からない。

「何だ?」

「濡れたままだと、風邪引きますよ?」

 相沢が、わずかに笑顔を見せる。俺は、その表情に少しだけほっとする。

「お前が言うな」

 そう言って、俺も少しだけ破顔する。

 猫をかぶっていたわけではなかった。ただ、普段しない表情が自然と顔に出ていた。

 教室が近かったこともあってか、一分程度で先生は戻ってきた。

「あなたも濡れたままだと風邪引くから、着替えてらっしゃい。その間に彼女着替えさせるから」

 俺は保健室を出る。着替えるとなると、体操服くらいか。

 すでに、教室は誰もいなくなっている。時刻は、五時を回っていた。部活の声は、まだ聞こえてくる。ほかに聞こえてくるのは豪雨。さらに強く降っているようだった。

 あの雨の中、相沢はどれだけいたのだろうか。どんな気持ちで、あそこに座っていたのだろうか。

 いくら考えても、答えは出てこない。


 俺は着替えを終わらせ、保健室に戻る。

 保健室に入ると、相沢はベッドに寝かされていた。周りをカーテンで遮られているが、隙間から相沢が見えた。そこで辛そうに唸っている。

「――すみません」

 そんな声が奥から聞こえてくる。先生らしい。電話していたようで、がちゃりと受話器を置く音が聞こえてきた。

「ああ、戻ってきたのね。悪いんだけど、相沢さんの連絡先とか知らないかしら?」

「いえ、そこまでは……。どうかしたんですか?」

「この熱じゃ、一人で帰るのは無理でしょ? だから家の人に迎えに来てもらおうと思ったんだけどねぇ、連絡つかないのよ」

 そういう横で、俺は相沢の体温を書かれた紙を見た。そこには、三十九度八分と書かれている。確かにこんな高熱なら、先生の言うとおりだろう。

「不在、ですか?」

 友達にも家を教えてなかったし、こんな状態で唸ってる中、聞けるかどうか厳しいものだろう。

「それがね、別のお宅に繋がっちゃうのよ」

「入力ミス、とかではなく?」

「もう三度かけたわ。全部同じ、別のお宅にかかってしまうの」

「学校にある連絡先は――」

「それでかけたんだけどね」

 確かにそれだと分からない。先生が八方塞がりで困惑するのも分かる。

 相沢が書き間違えたのだろうか。

「どうするんですか?」

「私が聞きたい……。けど、何もしないってわけにはいかないしね。とりあえず、担任の先生呼んできたいんだけど、今部活の顧問中で、教員室にかけてもいなかったのよね。君ちょっと走って行けないかな?」

 唐突にそう言われたが、特に断る理由は見つからなかった。

「野球部の顧問してるんだけど、知ってる?」

「ええ、大丈夫です」

 野球――懐かしい単語を思い出しながら駆け出した。

 覚えている中では最初に出会ったのは授業で野球をしていたときだった。思えば、あの頃から相沢は俺のことを――。

 俺は、可能な限り全力で走り抜けた。走り込みをするサッカー部を抜いてしまうほどに、全力で。……走りながら思った。なぜこんなにも自分は全力で走っているのだろうかと。でも、今は走った。

 野球部の顧問は、それからすぐに見つかった。事情を説明し、来てもらう。

 教師同士の会話に、俺は加わらずに相沢のいるベッドの横にある椅子に座った。

 相沢はまだきつそうに唸っていた。目は完全につぶり、眉間には少ししわが寄っていた。先生たちの困った声が聞こえてくる。そんな中、俺は相沢のことを考える。

 あの雨の中、相沢は、確かに俺が忘れたのだと言った。俺が忘れることを分かっていたとも。それに、相沢の言っていた罪とは何だ? 思い出そうと必死に頭をめぐらせる。少なくとも、相沢に似ている絵は、相沢を描いたものに間違いなさそうだ。俺に絵を描いてもらっていたと、相沢が言っていたのが本当だとすれば、だが。

 ふと、周りに意識を傾けると、話し声は消えていた。

「どうなったんですか?」

 顧問はいない。俺はその事を含めて尋ねた。

「今、先生が教員室のほうに調べに行ってるわ。それ次第かしら」

「そう、ですか」

 先生も気が気でない様子で、そわそわと落ち着かない。俺は、相沢のベッドに向かった。

 俺の中で、相沢とかつて関わっていた事は明白だった。いや、関わっていたではなく、親しかったはずだ。そうでもなければ、あんなに描いたりしない。そのことは俺自身がよくわかっている。

「お前は、いったい誰なんだ……」

 そう小さく言葉を漏らしながら、俺は視線を落とす。

 相沢は、眠っていた。かけられた布団が上下に動いていて、息はまだまだ荒い。

 何度か、氷を包んだタオルを取り替える。俺も、わずかながらその手伝いをした。

「困りましたね」

 そんな声が聞こえてくる。こっちに向けられたものではなかったが、俺はその声に耳を傾ける。それは保健室の先生の声だった。

「とりあえず、先に病院に連れて行きましょう」

「そうですね」

 そんなやり取りが終わると、ベッドを囲んでいたカーテンが開かれる。

「君はもう帰りなさい。彼女は、これから病院に連れて行くわ」

 先生のその言葉に、名残惜しくも従う。相沢の体調の方が心配だ。

 保健室を出た後、俺はふと考えが脳裏をよぎる。

 絵の画力は、最近のものだ。そして相沢と俺は同じ高校だ。矛盾は存在するが、可能性のひとつとして、この学校に絵が残されている可能性があるかもしれない。そんな風に。そうすると、一番ありえそうなのは美術室だろうか。

 俺はとにかく行ってみた。何かしなければ何も進まない。

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