アクロイド 貴族 1

 パウエルがいる時は実戦的な対魔法。いない時はリオネルによる剣術指南。また他に暇な時があればネリーが鍛える。そうやって日々のほとんど鍛錬に費やし、アクロイドの街に着いて5日が経った。上達したかと言われれば、全く自信がないというのが本音。やっていることは最初から変わらず、依然としてパウエルにもリオネルにも反撃できていない。

 最も強くなったことが分かりやすいのはネリーに教わった身体強化魔法。といってもハーニーは動作と結果を想像するだけでほとんどセツの補助ありきだ。

 ハーニーは今日も朝から山を登る。初日より楽に登山できるのは気のせいではない。元々大してなかったからか、持久力がついた実感は大きい。


「あっ」


 斜面を越えてリオネルの家屋が見えたとき、外で遊んでいたらしい男の子と目が合った。

 短髪で齢はリアと同じくらい。リオネルの姪の子だという少年だ。今まで何度か見かけたことがあったが、誰かが来ると家の奥に引っ込んで出てこないので話したことはない。

 少年はハーニーをじっと見ていた。


「……」


 見ているというより睨んでいた。憎悪の込もった怒りの目。素直な子供の怒りの感情。


「チッ!」


 高い舌打ち。少年は踵を返して家へ走り去った。


『何なのでしょうか』

「分からないけど、まるで見るもの全部恨んでるみたいな目だった」


 少年の後ろ姿は小さかった。周りを拒絶するその背中に胸が痛くなる。自分の別の姿がそこにあるような、妙な心地だった。

 今日はピエールとの会議でパウエルは来られない。こういう時は大体リオネルが剣術指南をしてくれる。

 やることは変わらない。木刀を持ってリオネルに挑むだけ。刀に慣れることを目的とした鍛錬。

 ハーニーが本気で振り回す木刀をリオネルは軽くいなす。避けることもあれば切り払うこともある。ただ競り合う形にはならない。刀は性質上劣化が早い。そのためできるだけ鍔迫り合いは避けるべきなのだという。

 日中のほとんどを費やし、この日もリオネルに歯が立たなかった。連日の疲労と打ち込まれた鈍痛が全身を覆う。しかし不思議と不快ではなかった。それだけ頑張ったと自分を認める材料に感じ、誇らしさすら感じていた。


「今日はこんなものか。もう暗くなってきた」


 夕焼けが綺麗な時間と言えば聞こえはいいが、山を下りた頃には真っ暗だ。


「どうも……ありがとう……ございました」


 荒い呼吸混じりの礼。礼儀に関しては師二人に叩きこまれた。貴族として必要とパウエルは語り、人として必要とリオネルは言った。

 ハーニーは新しい痣を擦りながら聞く。


「いてて……僕は少しはよくなってるでしょうか」

「ん、最初よりはまだましになったな。隙あらば私が打ち込んでいるからまともになってきているよ。痛いという恐怖がうまく作用しているようだ。まだ一人前には程遠いが」

「少しでもよくなってるなら……よかった」


 慎ましい言葉にリオネルは眉を寄せて唸った。


「……戦う訳もしっかりせずに本気でやっていることは評価しているよ。私にはその理屈は理解できないからね。よくやれる」

「……」


 空っぽだからやるしかない。やれば何か良くなるかもしれない。そんな考えはやっぱり曖昧なんだろうか。

 リオネルは少し迷った後ハッキリと言い切った。


「正直ハーニー、お前には剣の才能がない」

「あ……はい」


 あると思っていたわけじゃない。しかし改めて言われると落ち込むことだった。


「凡才だ。このまま鍛錬を重ねても剣術が身に着くには途方もない時間がかかるだろう。まあ当たり前のことだ。努力の継続が必要なのは」

「はい」

「だがそれは経験が積もれば強くなれるということでもある。……お前はそのまま剣を持っていなさい。素人でも手傷を与えることのできる分かりやすい武器なのだから」


 リオネルは真剣な面持ちでハーニーを捉える。


「戦いを左右するのは一つきりの要素じゃないのは分かるね? 剣だけで足りないなら何かで補えばいい。剣に拘るな。もし、剣に秀でた者が相手ならその土俵で戦うんじゃない。剣は道具で、扱うのはお前だ。道具に振り回されて己自身の武器を見失っちゃいけない」

「僕自身の武器ですか?」

「ああ。それが何なのか私は知らない。しかし、達人とまともに戦って勝てないことはお前も分かるだろう? 私からの助言は単純なこと。……柔軟で在れ。頭を使うんだ。魔法が使えないなら体を使え。身体を動かす技術がないなら魔法で補えばいい。君には運がいいことに共に戦う存在があるのだから、やりようはある」

『その通りです。私はあなたの役に立ちます』


 セツもまくし立てる。


「……はい!」

「いい返事だ」

「……」


 臨機応変に戦うことの大切さは分かった。しかし、リオネルの語り口が気になる。

 それが顔に出ていたのかリオネルから聞いてきた。


「どうかしたかい」

「あの、まるで鍛錬はもう終わりみたいな言い方に聞こえたんですけど」


 気軽に言ったつもりだった。だから返事もすぐにくると思っていた。


「……」


 返事はすぐに返ってこなかった。何かあると言わんばかりの沈黙。

 リオネルが背を向けた。


「そろそろ、ガダリアの人間が来て一週間になるな」


 一週間。リオネルが最初に宣告した期限だ。7日間鍛える場所としてここを使っていいと彼は言った。

 今日は5日目。7日目以降の話は一度もしていない。


「明後日何かあるんですか」


 これにも返事はなかった。

 リオネルはハーニーを振り向く。代わりに出たのは唐突な質問。


「ハーニー。お前は貴族をどう思う」


 リオネルの目は真剣で誤魔化しを許す雰囲気ではない。

 そもそも誤魔化すほど帰属について考えたことはなかった。


「どう、と言われても特に考えたことなんて……」

「じゃあ今考えなさい。お前はその右腕に宿る力を含めば戦場に出られる程度の力はある。そして貴族とは力持つ者のこと。お前に全く関係ないわけじゃあない。生まれが分からずとも魔法が使えるのだから貴族に連なる者のはずだしな」

「き、貴族……貴族」


 真っ先に浮かぶのはパウエル。ネリーやユーゴ、アルコーなど知っている人の顔だ。その中に自分の姿はない。


「僕は……自分が貴族だって思ってませんし、僕には遠い話に感じます。魔法が使える人たちってことと、変な人が多いって印象くらいで……」


 その返答はリオネルの望んでいたものではなかったらしく、リオネルは吐き捨てるように鼻を鳴らした。


「……そうか。性格と、記憶がないこと。まともな貴族の集まる環境を考えれば、そういう答えになるのもおかしくないのかもしれんね」

「リオネルさん……?」


 鋭い目つきは老人らしくない。確固たる意志が迸っている。


「私が預かっている少年、名をレイと言う。知っているか?」

「あの子ですか。名前までは知らなかったですけど」


 いつも何か睨んでいる男の子。見ていて痛々しいあの子。


「あの子はアクロイドの守備隊に勤めていた貴族の息子でな。私の姪の子でもある」


 リオネルの姪と守備隊の男との子供。分かりやすい話だ。

 いや、それよりも。


「守備隊に務めて、いた?」

「そうだ。務めていた。若いのに自ら命を捨てた馬鹿な男だ」

「子供を残してですか」


 苛立つ。子を置いていく親なんて。

 リオネルは合わせて語調を荒立てた。


「だがな、そうさせるだけの仕方ない理由があったのだ。分かるか、それが」

「子供置いて先に死ぬ理由がですか」

「ああ。その男の妻が、私の姪が死んだのだ」


 リオネルは闇に染まりつつある空を見つめながら続ける。


「姪は利口で器量のいい子だった。少し口は少なかったがね。……悪く言えば、一守備隊の男がもらうには出来過ぎた嫁だった。そしてそれに目を付けたのがピエール……この街の領主だ」


 リオネルがぐっと拳を握った。


「あの憎たらしい小僧は言い寄り、姪が拒否すると嫌がらせの限りを尽くした。夫の降格。街での不遇。手下に命令した放火、何でもな。姪は死んだよ。心を病んで身体を壊して。……仕方ない。仕方ないだろう。こうまでされて、何も反抗できなければ死にたくもなる」


 まるでその当人であるかのようにリオネルは悔恨を露わにして続ける。


「レイは正真正銘あいつらの子だ。あの子こそ幸せになるべきなんだ。あの子は悪くないのだから、悪いのは……。なあハーニー。私が貴族をどう思っているのか教えてやる」


 冷ややかな視線がハーニーに向けられる。その瞬間、全身を寒気が襲った。


「私は貴族が憎い。私自身元は貴族で国に尽くしていたが、先王が死んで貴族は腐りきった。私はもう貴族を……名字を捨てたよ。そして今は貴族の政治的優位性が許せん。確かに貴族には力がある。魔法という力が。しかし、純粋な意志が魔法の強さならば、傲慢さもまた力になるのだ。そんな自分本位な人間ばかり上へ行く世の中……間違っている。このままでいいはずがない。貴族は……その存在ごと消えてなくなるべきだと、私は思っとるよ」


 いつもより暗く感じる夕暮れに、人に宿る憎悪の全てを込めた言葉が残響する。殺意の片鱗。こちらに向けたものでないはずなのに、身体が硬直して動かなかった。殺意の余波に圧倒されている。


「パウエルもどうかしている。忠義を尽くす国ではなくなっているのに、なぜ仕えるのか。権益に惑う人間ではないのにだ」


 嘆きは深く、疑問に満ちていた。


「パウエルはな、妻子を同じ貴族に殺されたんだぞ。それでなお貴族であろうとする。理解できん」


 そんなことを自分に語っていいのかという気持ち。そしてパウエルの誓いについて何も知らないのかという疑問がハーニーの頭の中でぐるぐると巡る中、リオネルは改めて問う。


「もう一度聞くぞ。お前は貴族をどう思う。お前の周りは平和でも、そうでない人たちがいるんだぞ。さあ、どう思う」


 ずるい言い方だ。欲しい答えはどう聞いても一つ。

 ハーニーは目を背けた。


「でも……一人がそう思っても仕方ないじゃないですか。それにあの子に必要なのは温もりじゃあないんですか」


 リオネルは皮肉な笑みを浮かべた。


「一人? これは街の総意だよ」


 背筋が凍る思いというのを実際にする。


「ど、どういう意味です?」

「さてね」


 聞いてもリオネルは答えなかった。


「……それにな、あの子には確かに人の温かさが必要だがそれよりも必要なものがある。あの子の目、お前なら分かるだろう。憎しみでいっぱいの寂しい目だ。人はな、復讐を遂げなければ前に進めないこともある。……お前には、分からないかもしれんがね」


 微かな拒絶。言葉に隠れた微かな軽蔑が胸に刺さる。若いから分からない、とは別の、平和な世界に生きるお前には分かるまいというような、壁を感じさせる一言。


「幸いまだ時間はある。少し考えて見なさい。お前はもう戦える身。行く末は自らで……少し喋りすぎたな」

「僕にどうしろって言うんですか」

「さあな。ただお前は貴族という気がしない。だから私はこうするのかもしれない。もしお前が貴族の子弟であれば恐らく一蹴していただろうからな」


 暗に、いや明らかに貴族側にいるなと言っている。

 ハーニーは俯いた。突然砂漠の真ん中に捨て置かれたような感覚。辺りを見回しても道を示すものはない。


「……お前に話してよかったかもしれん」

「え?」

「周りの皆が貴族であるのに、それでも別の立場で考えられる。公平な自分の尺度を探しているんだろう? 素直は美徳だなハーニー」


 すっきりした顔でそう言うリオネルにハーニーは苦笑いも返せなかった。

 褒められている気は、しなかった。

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