アクロイド 鍛錬と平穏な日々

 パウエルが実戦的なことを師事するのに対して、リオネルが最初に話したのは武器に関してのことだった。

 魔法使いはその名の通り魔法で戦うものだが、それにも持つ武器によって種類がある。杖を持つのが本流の魔法使い。剣を手にするのが魔法剣士。また魔法現出を手伝うため本、魔導書を持つ者もいる。ユーゴやネリーが徒手なのはそういった武器にも流行りがあるからで、現在でいえば杖などは時代遅れなのだという。今の主流が何も持たないことなのだ。


「僕にはセツがいるのに武器なんて必要なのでしょうか」


 武器について説明がされて真っ先に感じたことだ。


『私だけで十分かと思います。そもそも今から武器を持って学んでも現実的ではないでしょう』


 一から学ぶ時間はない。その通りだ。ハーニーは武術の類に触れたことがない。一朝一夕で手に入る技術だと自分自身思っていなかった。

 リオネルは頷くことも叱ることもなく淡々と言った。


「私にはこの声の元が何なのかよく分からない。だが彼女は武器じゃないだろう? 武器は物だよ。使い手がその願うままに使える物が武器だ」

『私では武器としての役目を果たせないということですか』

「そうは言わないとも。君はよくやっているんだろう。素人同然のハーニーが生きながらえているのがその証拠だ。だがお前さんには心に似たものがあるだろう? それではいかんのだよ。使う、という意識を持つにはハーニーは甘すぎる」

『確かに私を道具として捉えるのには抵抗があるようですが……』

「魔法を使う者としても、彼が彼自身で為すことを示すために必要なのだよ」

『……私に助けてもらった、という意識を起こさないためということですか』

「いやはや物分かりがいい。魔法使いは全てを自分でやるくらいの気概がいるものだからね」


 セツはそれ以上反論しなかった。

 リオネルは武器を持つことで行動の主体が固定されるという。よく分からないが、武器を持った方が戦いやすいというのは理解できる話だ。

 リオネルが持ってきたものは様々な武器だった。杖、剣、本、札、扇や棒など魔法と合うのかというものもあった。リオネルはそれらを地面に乱雑に並べた。


「さて、ハーニー。お前はどれが自分に合うと思うか?」


 リオネルに言われ適当に置かれた物たちを見回す。選ぶのに時間はかからなかった。


「えっと……盾です」


 武器と言えるのか不安だったが目を引いたのはそれだ。

 リオネルはほう、と面白そうに笑った。そしてよし、と意気込んで。


「それじゃあその盾以外でお前の使う物を決めよう」


 そう言って盾をどかした。


「え。どうしてこれ以外なんです? 自分に合うかどうかを聞いたのに」


 純粋な疑問にリオネルは孫に対するかのように柔らかい表情を見せた。


「こういうのは自分らしくない物の方がいい。武器は戦うためのものだからな。人を傷つけることもある。だから馴染まないように……そうだね。これなんかどうだ」


 リオネルが指差したのは片刃の剣だった。鍔のある柄と刃だけの分かりやすい構造。それは手に取ってみると思ったよりも軽い。


「剣ですか」

『剣にも種類がありますが、これは東国の打刀という部類の物ですね』

「そうだ。剣にも色々あってな、叩き潰すことに特化したものだってある。それは斬ることに重きを置いた武器だ。迷いがちなお前にはちょうどいいだろう」

「僕にちょうどいい?」

「そう。切れ味のいいこいつはお前とはまるで違うだろう? 少なくとも私から見たらお前らしくない」


 ハーニーは顔をひきつらせながら頷く。


「た、確かに僕らしくはないかも……」

『あなたらしくありません』

「む」

「ほっほ。その娘にはぴったりかもしれんねえ」


 リオネルは手を鳴らした。


「よし、こいつにしよう! しまうのを手伝え!」

「そんな簡単に決めていいんですかっ?」

「こういうのは思い切りだよ。剣なら私にも多少の心得があるから楽だしな」


 それってリオネルさんが教えやすいからなんじゃ……。

 そう思いながらもリオネルの言うことには道理があって、言い返す気にはならなかった。

 セツに助けられていると思わない方がいい。とても納得できる話だ。自意識が大事な魔法において、それは自分を薄めてしまいかねないし、何より自分が情けない。僕だって男らしくありたいんだ。

 刀を手に持ってみる。


「これで……斬る」


 人を傷つける想像はできなかった。ただその武器の攻撃性が、力の体現のような存在が、強くなりたいという気持ちを増幅させる。ただ戦うのと、この刀で戦う、では覚悟のしやすさが違うように思えた。

 それからリオネルの用意した木刀で鍛錬に励んだ。リオネルの示した鍛え方は単純で、ただ打ち合うことだった。ハーニーが本気で斬りかかり、同じく木刀を持ったリオネルに一撃でも当てればよし。やっていることはパウエルと変わらない。この師あってパウエルありだ。

 リオネルは心得があると自負した通りだった。ハーニーが全力でかかっても軽くいなされるばかり。それどころか逆に一打当てられて痣ばかり増える。しかし木刀で叩かれて痣で済んでいるあたり、リオネルは手加減しているのだろう。手加減されてこれなのだから実力差は大きい。


「ほんと……パウエルさんの時と同じで勝ち目が見えないよ……」


 幾度と返り討ちにされ、荒れた呼吸の中嘆く。動きを止めればすぐに「どうした! 若くてそれか!」と活を入れられる。どこか嬉しそうなのは若者より動けているからか。

 何度も玉砕を繰り返して空腹を覚え始めた頃、土汚ればかりのこの場にふさわしくない姿が二つ。

 ネリーとリアだ。


「おはようハーニー。リオネルさんもおはようございます」

「お、おはよう……ございます」


 ネリーとリアが挨拶する。リアは少しリオネルを警戒していたが、リオネルが柔和な笑みを浮かべて「はい、おはよう」と応えたため緊張は和らいだ。それでもネリーの後ろから姿を出さないのはまだ怖いからなのだろう。


「また泥だらけね、ハーニー」

「や、やあっ。おはようっ……」


 リアはこちらを見るなり喜んで駆け寄ってきた。


「ハーニー! おはよう!」


 実際寝る時も一緒で長い間リアと離れていたわけではない。それでも離れた短時間がリアには寂しかったようだ。ぎゅっ、と左腕を抱え込んで嬉しそうに見上げてきた。


「そんなくっついたら服が汚れるよ?」

「いいよ!」


 いや、よくない。とはその喜び様から言いづらかった。

 流れに身を任せているとネリーが訝しげに口を開いた。


「それ木刀よね。何やってるの?」

「何って見た通り刀の練習だよ。技術とか何もないやんちゃだけど」

「ハーニーにはそういうの似合わないと思うけど」

「そうだけどさ、セツに助けてもらうって考えを断つためなんだよ」

『……私は別に構わないのですが』

「ふうん……?」


 思案気な様子からして何か腑に落ちないところがあるらしい。しかし黙ったまま何も言わないのはまだ疑念が形になっていないということか。


「うわあ、痛そう……大丈夫?」


 リアが打ち込まれた腕のあざを見て眉をハの字にした。


「見た目ほど痛くないから大丈夫だよ」

「あまり、怪我しちゃだめだよ?」

「うん。ありがと。リアは優しいなあ」

「ハーニーだからね!」


 頭を撫でるとさらに嬉しそうにするものだからやめ時が見つからない。ふとネリーがそれを惚けて見ているのに気付く。


「どしたのネリー?」

「えっ? あ、何?」

「いや、何だかぼんやりしてたからさ」

「そ、そう?」


 いつものネリーらしくない慌て方にハーニーも首を傾げる。

 何だろう?


「まあ、いいじゃない。そんなことよりハーニーこれから用事は?」

「僕はこれから……リオネルさん?」

「ん。ああ。そうだね。今日はこのまま打ち合いだな」

「そう……ハーニー忙しいんだ……」

「忙しいの……」


 ネリーとリアが二人して落ち込む。リアはともかくネリーまで沈むのは不思議だ。


「何かあったの?」

「何かっ? あるわけないでしょ。適当なこと言わないで」

「急に厳しい……さっき寂しそうだったよ」

「そうやって余計なことに気付くの、やらしい」


 余計なことかな? 

 その疑問はセツが代弁した。


『お言葉ですが気付けることはいいことです』

「……分かってる! ……恥ずかしかっただけ」


 微かに聞こえた声の真偽を考える前にリオネルが笑いながら言った。


「やれやれ、ハーニー。昼からは自由にしよう。今日はこれで終わりだ」

「え、でも……」

「お嬢さんに教えてもらえることもあるだろう。基礎がしっかりしているのは見たから信用できる」

「私ですか?」

「そうだ。よかったらだが……お嬢さんには無理かね?」


 どこか意地の悪い笑みをリオネルは浮かべる。ネリーはそれに嫌悪感を滲ませたが。


「無理じゃありません。できます。でも遊びでやるつもりありませんから」

「そうかい? それは安心だ」


 どこか喧嘩じみていて怖い。


「……誰が喜ぶもんですか」


 そう言うネリーは口元が緩むのを必死に抑えているようだった。


「いや、真面目な話、魔法について私は多く語れないから都合がいい」


 魔法について多く語れない?

 気になったが、聞くより先にリオネルが踵を返した。


「それじゃあ後は好きになさい。少しくらい遊んでも罰は当たらんさ」

「ハーニー! リアお腹空いた!」

「そうね。お昼は街で食べましょ」


 乗り気なネリーとリアに意見する隙はなく、また反対する理由もなかった。





 アクロイドはガダリアほど盛んな街ではない。だがそれは交通の要所で国境間交易のあるガダリアと比べることがおかしいのであって、アクロイド自体は発展した街だ。落ち着いた風土のため活気は目に見えづらいが、市民が上を向いて歩くような明るい地域なのである。変わっていることといえば戦時下とは思えない、悪く言えば陽気な雰囲気が街を取り巻いていることくらいで、他は不便のないいい街だ。

 街の外れには露店の列が並んでいた。ガダリアでは埃っぽい場所だったが、ここは小奇麗で歩きやすい。品揃えも悪くなく、人の出入りも中々のものだ。


「ガダリアと結構違うね!」

「そうだね。あそこよりも皆静かだ」


 リアは見る物全てが珍しく見えるらしくひたすら楽しそうだった。はしゃいでる姿を見ていると父との死別を引き摺っていない気がして安心する。


「あっ」


 リアが露店の一つに目を付けた。


「いいよ。見に行っておいで?」

「うん!」


 リアは露店に駆けていく。銀細工らしき商品が並ぶ店だ。

 思えばこうして露店街にリアと来たことはなかった。散歩だとかは許されていたが、ガダリアの露店街のように危険がありそうな場所へはウィルが許さなかったのだ。そう考えると新鮮で心が躍る。


「随分安らかな顔してる」

「ネリーだってそんな顔してるよ。お互い様だ」

「そう? ……そうかも」

「うん」


 父を亡くしたことを忘れてほしいとは思わないが前を見ていてほしいとは思う。だから元気になれば何だっていいんだ。

 ネリーが控えめに言う。


「支えてくれる人がいるんだから大丈夫だと思う。ハーニーが思うよりも女の子って強いんだから」

「うん。知ってる」

「ふうん? 意外。ハーニーだったら『そうかな?』とか聞き返してくるかと思った」

「あはは。確かに」


 前ならそうだったと自分でも思う。


「リアは強い子だよ。僕が悲しむから泣かないって言ったんだ。もしかしたら僕なんかよりずっと強いのかもしれない」


 その時泣いたことは口にしない。墓まで持っていく秘密だ。


「リアちゃんが……いい子ね」

「うん」


 ネリーがくすっと笑う。優しい笑顔は不思議と胸に響いて鼓動の音がうるさく感じた。


「むー!」


 いつの間にか露店から戻っていたリアがハーニーの腕をぐいと引っ張った。ここは私の場所だ、と言わんばかりに抱え込んで放さない。


「どうしたのリア」

「ずるい!」

「ずるい? 何が?」


 リアはさらにぎゅーっと抱き付いてネリーに敵対心を向けた。


「え? 私?」

「ずるい! ずるいよ!」


 リアがぴょんぴょんと跳ぶ。地団太というより跳ねているだけだ。


「えっと、私のどこがずるかった?」

「ネリーさんがハーニーと話してること! リアじゃできない話をしてるんだもん!」


 なるほど。今していたのはリアの話だからリアが参加できないのは当然だ。またそれは当たり前として、リアが言いたいのは見守る側の話のことだろう。

 でもリアは10歳。強いところはあってもそんな話をする歳じゃないし、できるなら心配から遠ざかって素直に今を生きてほしい。

 ネリーと目を合わせた。


「どうしよ」

「どうしようか」

「むー! そういうのが羨ましいの!」


 途方に暮れる二人を置いてリアは「それに!」とネリーを指差した。


「なんか違うの! ネリーさんがハーニーを見る目が変だよ!」

「変?」


 ハーニーが不思議がる横でネリーがビクッと震えた。


「うん! なんかこの間と違うもん! 絶対違うよ!」

「そうなの?」


 視線を向けるとネリーはすぐに目を逸らした。


「ちょ、ちょっと、私本人に聞かないでよ」

「……確かに少し変かもしれない。なにしろ顔色が良くない」

「赤いのは顔色がいいって言うでしょ! ばかっ」

「痛い!」


 足を蹴られた。

 その間に立ちふさがったのはリア。


「ハーニーを傷つけないで!」

「え、いや、リア。言ってみただけで実際そんな痛くないから大丈夫だよ」


 事実、力は抜かれていて痛みは残っていない。反射的に出ただけの言葉だ。


「むむー!」


 頬を膨らませ怒るリアにハーニーは頬を掻きながら困る。

 ネリーは真っ向から見返して訝しんだ。


「私のこと変って言ったけど、リアちゃんだっておかしくない? 前までハーニーにおんぶにだっこって感じだったのに」

「え」


 動揺したのはハーニーだ。

 リアは誇らしげに胸を張った。


「そんなことないよ! リアだってハーニーを守ってあげられるもん!」


 ハーニーは噴き出る冷や汗と共に叫ぶ。


「この話はやめよう!」


 だが制止の声はむなしく無視された。

 リアは無邪気に胸を張って言う。


「ハーニーが泣いた時リアが慰めたんだよ!」

「あああっ! 言わなくてもいいじゃないか!」

「え、なに? ハーニー泣いたの?」

「いやそれは……!」

「嘘はダメなんだよ!」

「……泣いたけど! でも言い訳をさせてほしい!」

「ええっ。この前縋ってるとは言ったけど、あなたまさか……」

「違うんだよ! あれは、あれは……」

『いわゆる母性というものに触れたからでしょう』

「なっ!? セツめ! よくも余計なことを!」


 右腕に怒鳴る。後で周囲の目の冷ややかさに気づいて赤面した。


「ハーニーだから仕方ない……かしら?」

「うん!」

「ものすごく釈然としない……」

「そうね。釈然としない」

「何でネリーが?」

「……私じゃあ」

「じゃあ?」

「……何でもない。それよりもリアちゃんはセツのこと知ってるの?」

「ああ。話したよ。精霊さんってことになった」

『私は人工精神体ですが、その方が受け入れやすいかと』

「セツさんはハーニーを守ってくれてるんだって! おとぎ話みたいだよね!」


 ニコニコ笑顔のリアだが最初はひどく警戒していた。何度も助けられたと伝えると一気に警戒心が消えて「ありがとう!」と微笑んだのは鮮明な記憶として残っている。

 ネリーはそのことよりもセツの柔軟性に感心していた。


「本当に優秀ね。適応力があるっていうか……」

「すごいでしょ」

「何でハーニーが自慢げなのよ」


 自分のことのように思えるのは身体の一部にあるからか、友達だからなのか。

 リアはまた露店の方へ走って行った。気になる物があるらしい。


「ふう」


 とりあえずハーニーが恥をかくことでリアの持っていたネリーへの不満は忘れ去られたようだった。子供らしい気持ちの切り替えだ。ネリーは「子供ほど現実への順応が早いものはないわね」と言っていたがその通りだと思った。それを信じるならばリアはすぐにでも元気になるということだから、信じない理由はない。


「それにしても不思議ね」


 露店を覗くリアを眺めながらネリーが考え込む。


「何が?」

「セツのことよ。だってセツはセツなんでしょ?」

「……そりゃそうだ」

「あのね、当然のことだと思うかもしれないけど、私が言いたいのは」

『私が使い手の精神とは別に確かに存在しているということですか』

「さすがに物分かりがいい」

「どういうこと? 当たり前のことじゃないか」

「だから、そのままのことよ。今の話がハーニーには分からずセツには分かったように、あなたたちは別の意識を持っているってこと。そして不思議なのは異なる精神……心があるのに、身体が一つってことよ」

「うん」


 頷くとネリーはじれったそうに呆れた。


「だからね、それは普通じゃないのよ。そんな人間いない。少なくとも私は知らない。だから、それが何を生むのか想像できない」

「何を生むのか……?」

「いい? 魔法はどれだけ自分を納得させるかが重要なの。どんなに突飛な想像でも、己が信じ納得できるなら魔法として現出する。有意識の反感をどれだけ消すかが魔法なのよ」

「有意識の反感?」


 初めて聞く言葉だ。首を傾げるとネリーがすかさず説明してくれる。


「例えば空を飛ぶ魔法を使おうと思う。これが有意識なら、それに対して常識的に無理だろう、っていうのが反感に当たるわ」

「んー、つまり底抜けに信じられたら強いってこと?」


 ネリーは満足そうに指を鳴らした。


「偉大な力は禁忌に思えるのが人でしょ? だから多くの人は並外れた力は発揮できない」

「それがセツと何の関係があるのさ」

「そうね。話が少しずれたかも。私が言いたいのはハーニーとセツが一体となっているから……」

「から?」

「合唱魔法とかもあるのよ。多人数で一つの魔法を作るっていう。そういうことができるのかと思ったんだけど……」

『私は私だけで魔法を生み出せません。補助するだけです』

「そうよね……無理? ううん。ちょっと考えをまとめておくわ」

「大げさだなあ」

「いいの。考えるのは私の趣味だから」

「何だかんだでやっぱり研究者肌なんだね」

「……」


 話しかけても上の空。もう自分の世界に行ってしまったようだった。


「何が言いたかったんだろ」

『可能性の問題でしょう。もしも私があなたの身体を乗っ取るほどの自我だったら、など考えたらキリがありません』

「乗っ取るの?」

『そんなことしません。失礼ですね』

「君が言ったんじゃないか……」


 不服だ。しかし。


「僕は今までセツに助けられてるんだ。これから何か起きてもきっといいことだよ」

『助けられていると思わないことにしたのではないんですか』

「まだ僕弱いし。それにそう思わないなんて無理だと思う。有意識の反感ってやつだね」

『そうですか……』

「嬉しそう?」

『言いがかりです』

「ははは」

『乗っ取ります』

「うそ!?」

『冗談です』

「……」


 何だか負けた気分になって会話は途切れた。

 ネリーは固まって動かないし、仕方なく放っておく。さっきから一つの露店から離れないリアに近づいた。


「何見てるの?」

「むー……」


 リアは魅入っていて返事はなかった。夢中にさせるほどの物がある店なのか。


「銀細工かあ」


 品揃えはネックレスやブローチなどの装飾品から食器にまでわたっている。リアが見ているのは女の子らしく装飾品の棚だ。


「やあお兄さん。妹さんにプレゼントかな?」


 あごに薄いひげのある露天商が、商売用の笑顔を張り付けて言った。リアがバッ、と露天商を睨んで怒る。


「リアは妹じゃないよ!」

「こりゃ失礼」


 へらへら笑う露天商は狡猾そうだ。態度自体思慮深く見える。


「何か買ってあげるの?」


 後ろからやってきたネリーが尋ねてきた。もう考え事はいいらしい。


「うーん、でも僕お金持って……ん?」


 期待せずポケットをまさぐって気付く。ガダリアで畑の手伝いの謝礼をまだ使っていなかった。衣食住はパウエルが手配してくれるため使い道がなかったのだ。とりあえず、と持ち歩いていたのだが。

 取り出して数えてみると、装飾品で一番安いブローチがギリギリ買える金額。

 装飾品を眺めるリアのキラキラ輝く目を見れば、すぐに決心はついた。


「そのブローチもらえます?」

「はい毎度!」


 リアの驚く様子を横にお金のやり取りがなされる。受け取ったブローチは何かの花のレリーフが施されていた。少女が持つには少し無骨かもしれない銀一色。

 露店から少し離れてからリアに向かう。


「覚えてるかな。この前買い物に行こうって言って何も買えなかったよね。それの代わりって言えるか分からないけれど、プレゼント」


 手のひらに乗せて差し出す。

 リアの視線はブローチとハーニーの間を何度も行き来した。そして上目遣いに控えめに。


「……いいの?」

「もちろん。少し地味だけどね」


 リアは弾かれるように首を横にぶんぶん振った。ネリーに負けない綺麗な金の髪が揺れる。


「ううん! ううん! 地味じゃない! すごい……嬉しい!」


 ふさわしい言葉が浮かばないのかリアは「嬉しい! 嬉しい!」と何度も繰り返した。そう伝えたいリアの懸命さがその嬉しさを物語っている。


「大丈夫。伝わってるよ」

「うん!」


 ハーニーも嬉しくなってリアの頭を撫でる。リアは目を細くして笑った。両手でブローチを握っている姿は喜びを噛み締めているようだった。

 思えば、ハーニーから何か物を贈ったことはなかった。何しろウィルは大金持ちだ。欲しい物はすぐに手に入る。リアだってそれは変わらない。

 だから、とハーニーは思う。

 こんなに喜んでくれるのは僕からもらえたからだったらいいな。自惚れでもリアを喜ばせたのは物じゃなくて僕だったら嬉しいな。


「……悪くないのかもね」


 ネリーがつぶやいた。その目は食い入るようにブローチを見つめるリアを見ている。


「何のこと?」

「私、最初ハーニーのこと嫌いって言ったじゃない。その人を伺い見るような態度が嫌だって。覚えてる?」

「うん。結構響いたからね」


 ネリーはほんのり顔を赤くした。


「それは……ごめんなさい。でも私前まで本当に苛立ってたのよ。そういうのって弱く見えるから情けないって思ってた」

「前は、って今は違うってこと?」

「ええ。こうしてリアちゃんの気持ちを考えてあげるところを見たり、ハーニーのことを知ってみたら悪くないのかなあって、そう思えるようになってたのよ」

「それは嬉しいこと、だよね?」

『ネリー嬢はあなたのことを好意的に思っているということです。喜べばいいでしょう』

「あまり話を飛躍させないでよ!? ハーニーも顔を赤らめないで!」

「べ、別にいいじゃん。僕からしたら友人の好意は貴重で嬉しいんだから」

「そこで友達と断言されるのは少し癪ね……」

「どうしろっていうのさ」

『ネリー嬢はこう言いたいのです。あなたに──』

「うるさいうるさい! その右腕叩いたら止まるの!?」

「うわ! 待って! セツももういいから!」

『私もわざわざこんなこと言いたくありません』

「なら最初から誤解を招く言い方しないでよ……もう」


 ネリーが腕を下ろす。相当恥ずかしい思いをしたようで、頬は真っ赤になっていた。


「なに笑ってるのよ?」

「な、何でもないよ」

「今私の顔見て笑ったでしょ? ……何」

「あんまり顔が赤いから面白くて」

「面白くない!」


 ネリーは顔を朱色に染めたままハーニーを小さく指差した。


「……後で魔法教えるけど、覚悟しといてよね。本気で教えてやるんだから」

「し、私情は挟まないよね……?」


 ネリーは急にニコニコ清々しく笑って、ハーニーは脂汗を滲ませながら苦笑いを浮かべるしかなかった。

 その後の魔法の特訓はリアの前でも一切容赦なく、手加減はまるでなかった。

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