アクロイド 関わりの中でできること 4
太陽は沈んで夜になった今、ハーニーはパウエルとユーゴと共に湯の中にいた。明りは星月だけだが白い湯気のおかげでそこまで暗くはない。
「温泉って初めてですけど、いいものですね……」
ついため息が出る居心地の良さに、ハーニーは眠気を感じながら言った。
「温泉というには人工的だがね」
パウエルがそう答える訳はこの湯が彼の魔法によって作られたものだからだ。以前ネリーがやっていたことと同じである。
場所は鍛錬場の近くにある湧き水の台座のさらに奥。元々水浴を意図されて作られた水場があり、そこをパウエルが加熱した形だ。
「ここは私が君くらいの頃よく来ていた場所だ。アルと修業した後、よくここで疲れを癒したものだ」
アルというのは酔っ払いのアルコーだと分かる。だが二人の青年期は想像しづらい。
「よし行くぞハーニー」
「行くってどこに?」
ユーゴが腰に布を巻いたままだけの半裸で心底呆れた顔をした。
「ばか。覗きに決まってるだろ。しっかりしてくれ」
「覗きだって?」
少し離れたところでネリーとリアも湯浴みしている。ネリーはこの間のように問題なく身体を温めているはずだ。
「しっかりしないといけないのはどっちだよ。大体ユーゴはネリーといざこざがあったばかりじゃないか。やめた方がいいよ」
「もう和解しただろ?」
確かに剣呑な雰囲気は消えたが和解というよりお互い妥協したというのがふさわしい。二人の間に不干渉という暗黙のルールができた感じだ。
「つーかネリーはお前が頑張ったおかげで元気になったじゃん。今までより明るいくらいだぜ」
「そ、そうかな?」
「……何でお前が照れるのか知らんけど。ま、大丈夫だって。行こうぜ」
「ネリーのこと好みじゃないとか言ってなかった?」
「確かに俺の好みじゃないけど、でも気になるだろ。あいつ美人なのは確かだし。胸は少し残念だけど」
胸、と聞いてネリーの裸を見てしまったことを思い出す。
「残念? そうかな。着痩せするだけで結構……あ」
ユーゴの意地の悪い笑みに気付く。
「ええ? お前そんなこと知ってるなんて、意外と仲は進んでるんだな?」
「ち、違うよ! たまたま見ちゃっただけで……」
『最低です』
「事故だよ!」
「……しかし、俄然興味が沸いた。これは行かないわけにいかないな!」
「いやいやいや! よくないって! まずいよ! ねえセツ、反対だよね?」
『はい。反対です。甲斐性の問題ではありません』
ユーゴが「じゃあ聞くけどよ!」とハーニーの右腕を指差した。
「セツちゃんはどうなんだ! 女の子なのにここにいるじゃんかよ!」
『私は女の子に分類されないと何度も』
「仕方ないじゃないか。腕にくっついちゃったんだから」
「そんなこと言ったってなあ。あるべきところに還るべきなんだ、ハーニー。右腕を女の園に返しに行こう」
「右腕だけ置いてくることになりそうなんだけど……」
「いいから行こうぜー。ぜってー楽しいって」
ユーゴは頑なに意見を曲げなかった。なぜかユーゴの中ではハーニーも一緒に行かなければならないらしく、しつこい誘いは続いた。
『やはり反対です。行くのならお一人で行けばいいでしょう。何も人を巻き込まなくても』
「随分とハーニーを行かせたくないみたいだなー?」
『……他意はありません。命の危機への警戒です』
遠回しにネリーは凶暴って言っていた。
ユーゴはにやりと笑った。
「本当にそれだけかー?」
『……』
返事はない。
「……怒っちゃった。ユーゴがしつこいからだよ」
「だって気になるじゃん。気持ちってのは言葉にしないと分からないんだぜ?」
「まったくユーゴは……」
悪びれないユーゴに呆れる。同時にセツが不憫に感じて右腕に手をやった。労わるようにSETUの字を撫でる。励ますように擦っていた。
『……私は別に気にしていません』
律儀に応えるセツが可愛く思える。
「……なに見せつけてくれちゃってるんだ! この!」
ユーゴが水面を叩いて湯を飛ばしてきた。
「わぶっ。いや、これは!」
『ですから私は道具だと……』
やがてユーゴは一人で納得した。
「そうか……そうだな。お前にはリアちゃんの目があってそういうことはできないか。よし、分かった! お前の分まで俺が代わりに見てきてやる! 着痩せの件が本当なのかも確かめてやるよ!」
『その通りですね。仕方ありません。ここは諦めましょう』
「セツはどの立場で喋ってるんだ……?」
「それじゃ行ってくるぜ!」
ユーゴは宣言すると湯を出て暗い山の中へ入っていった。半裸で足元を気にしながら歩く姿はどうにも滑稽だ。
頭の上に布を乗せて目をつむっているパウエルに目を移す。
「パウエルさんは止めなかったけど、いいんですか? ユーゴ行かせちゃって」
「若い頃というのは皆ああいうものだ。そして痛い目を見るのが常だ」
「……もしかしてパウエルさん」
「……誰だって若い頃はある」
そういうことしてたのか。
パウエルは早口で付け足した。
「私の名誉のために言っておく。アルとの付き合いでそういうことになっただけだからくれぐれも邪推するな。いいな?」
「アルコーさんが」
それにしたってパウエルさんが同調していたというのは信じがたい。今と昔でそれほど違うんだろうか。
「少しは酒を控えてくれるといいんだがな……」
深いため息。真剣に身を案じる気持ちがあった。
「アルコーさんは昔っから大酒飲みなんですか?」
「いや、嗜む程度だった。突然やたらと飲むようになったのだ。それが原因で問題を起こしてガダリアへ左遷、という感じだな」
「何かあったんでしょうか」
「さあな。私は知らん。あいつも子供じゃないからな。口出しするのは余計だろう」
「大人なんですね」
「若くはないな。……君は若いが」
「……」
「……」
沈黙は相手の気持ちが分からないから怖い。怒っているんじゃないか、そう感じて焦ってしまう。
何か喋らなくちゃ。
何か言わなくちゃ。
そうして出た言葉は思ったままの言葉たち。
「あ、あれですね! 何かいいですよね。こういうの……」
「ああ。年を取ると身体が冷えやすくなるからな」
「そうじゃなくて……な、なんか、親子……みたいで……いいなって……?」
「……」
パウエルを窺う。聞こえていたはずだがパウエルは目を瞑ったまま動かない。
ハーニーは不安に駆られて焦燥感ばかり増す。何か、よくないものを踏んでしまった気配。不可侵であるべき領域に入ってしまったような。
「あ、あの!」
「この際だから言っておこう」
パウエルは表情を変えず、目を開けてハーニーに視線を向ける。
断言した。
「私は君の父親にはなれない」
「それは……」
分かってます、とは言えなかった。どこかで期待していた部分がある。だからすぐに反応できない。
パウエルは続ける。
「また、父親の代わりにもなれない。……誰かの代わりになるなんてことは無理なものだ」
「……リアもですか?」
前々から聞きたかったことだ。表向きリアを引き取ると言っただけのパウエルの真意は分かっていない。
パウエルは少しの間考える素振りをした。
「私は、確かにウィルから面倒を見ることを請け負った。しかし父代わりにはならん。……そう言ったら君はまた私を無責任と詰るかね」
「詰るだなんて。そりゃあ不自然には思いますけど」
「……君が私の子になれないように、私もまた誰かの親にはなれないんだよ」
寂し気に語るパウエルを見ているとやがて観念したように長い息を吐いた。
「私が貴族らしくあろうとすることに理由があることくらい分かるだろう?」
「何かあったんですか?」
湯とは別に傍を流れる川の音が小さくなった気がした。
「私にも妻子がいた。今はもういないが、いたんだ」
声色は遠く優しい。
「妻は気立てのいい女だった。私にはもったいない素晴らしい女性だ。本当に、私にはもったいない……私は愚かだったのだ。正しいことをただ為せばいいと思っていた未熟者だったんだよ」
パウエルは苦笑した。
「今は違うのかと言いたげだな? ……変わらんよ。貴族らしさを外ではなく内に求めるようになっただけで、本質は変わっていない。どんなに世が変わり果てても私だけは誇りに生きる。そういう誓いを立てたからな。いや、立てさせてくれた、というべきか。アレは──妻は、いつまでもあなたらしく誇り高くいて、と今際の際にそう言える強い人だった」
「病気ですか?」
「いいや。私が目立ち過ぎたせいで命を落とす羽目になった。逆恨みといえば簡単だが結局は私の迂闊さが原因だ。子を身籠ったと聞いて浮かれていたのかもしれないな……」
「お子さんが……?」
「ああ。共々」
ハーニーが動揺し身じろぐ。水面が波打つ。
「仕返しは、復讐はしなかったんですか」
「……」
すぐに答えられないのはそれを考えたことがあるということだ。だが諦念ばかりの表情は結果を物語っている。その上でパウエルは言葉にした。
「……しなかった。なぜか? ……私の連れは私が貴族でありすぎたために死んだ。誇りなどという目に見えないもののために死んでしまった。私だって一時憎みもしたさ。貴族など消えてなくなればいいとも思った。だが、だがな、妻はそのために自分の命を失うというのに、私に誇り高くあれと言ったのだぞ。それで不幸になった女が、それでもなお、あなたはあなたらしく曲がらないでいてくれと。……私はそれを無下にできなかった」
パウエルはそこで伏せがちだった顔を上げた。目には強い意志が浮かぶ。
「それだけが今、私を動かす理由だ」
「……」
ハーニーは答え方が分からず俯き続ける。パウエルはその沈黙を埋めるように今一度言う。
「……誰かの代わり、なんてのは無理な話だ。そういう、かけがえのない存在に代わりを見出すことなどできるはずがない。ハーニー君、忘れるな」
語りたくない過去を語り、あえて言葉にしてまで伝えたいことは分かる。これ以上期待するなと言いたいのだ。父のように感じるのはやめろと、そうはなれないと忠告したのだ。
一種の拒絶のように聞こえたそれにハーニーは落ち込む。
「……そんな顔をするな。私の話は昔のことだし、君はこれからだろう。両親だっていつか見つかる」
「そうですか……? そうかな……」
「私も一応親だった時があるが、子のことは気になって仕方ないものだ。事情があって君は一人になったが、想ってくれてはいるだろう」
「だといいんですけど……」
『あなたが暗くなっても何も変わりません』
「うわっ、セツはいつも突然出てくるなあ」
『私なりに空気を読んでいる、というやつです』
「……ホント人間みたいだよ」
『ですから遜色ない出来だと何度も言ってます』
気を遣って出てきてくれたことは分かっている。それだけで寂しさは紛れるあたりセツの存在は大きなものになっているんだろう。
セツの介入のおかげで重かった空気は元に戻り、息苦しさもなくなった。ただ、心のどこかでパウエルに期待していたのか、胸に穴が開いたような空虚な感覚が残っている。
そんな重たい感情は遠くで響いた爆発音で吹き飛んだ。
ドゴオ! と山に爆音が木霊して。
「ぎゃああああああっ!」
近づいてくる叫び声とともにユーゴが空から落ちてきて、ザバン! と盛大に水しぶきをあげた。お湯が衝撃を和らげた代わりに湯が周囲に飛び散る。
湯に沈んだユーゴはすぐにガバッと水中から顔を出した。
「ぷはぁっ! おっそろしいぜネリーは……まるで容赦しねーんだもん」
「そうだろうね……」
落下地点の最寄りで湯に浸かっていたハーニーは顔面に浴びせられたお湯を拭いながら相槌する。パウエルはどうやら手で身を守っていて平然としていた。
「いやあ、見れなかったよ。即バレだった。即バレ即魔法即爆破だった」
「ネリーだからね。どうやってるか知らないけどいつも気付いてる感じ」
「察しがいい女の子は嫌だねえ……ああ、あったまるわ~」
「もう満喫してるし」
『反省も何もないですね』
ユーゴはほっと落ち着く息を吐きながら「なあ」。
「なに?」
「なあ、お前ネリーのこと好きなのか?」
ドキッとした。
「な、なんだよ突然……」
「いや、だって気になるじゃん。もしそうなら俺は応援しちゃうぜ?」
「……そっちこそどうなのさ」
ユーゴは迷いなく手を横に振った。
「ないない。俺はもっと包容力のある娘が好きなんだって。やわらかーい感じでのほほーんとした感じのな。ネリーはまるで反対だろ?」
「ネリーだって優しいところあるよ」
「んー? なんだ。やっぱりそうなんだな。隠さず言えよー、もー」
「何のことさ」
「だーかーらー、お前、好きなんじゃないのぉ? そうでなくても気になってるってとこだ」
「……知らないよ」
ニタニタ顔に辟易してユーゴから視線を逸らす。ユーゴは不服そうにした。
「ハーニーは恋愛とか考えたりしないのかよ?」
少し真面目な声にハーニーも考えてみる。答えはなかった。
「そんな余裕ない。今を考えるだけで精一杯だ」
「そういうもんかねー。まあこれからどうなるか分かんないし、それが普通か」
ユーゴは軽くそう言って空を見上げた。
戦争という言葉が身近な今、誰もが緊張感を抱えている。それはユーゴも同じに思えた。
「ふっ」
パウエルが笑った。
「同年代同士うまくやっているようで安心だ。見ていて若いころを思い出す」
懐かしみを含む優しい目。剣呑さはとうになくなっている。
ユーゴが喜色満面に応えた。
「そうっすよ! なんてったってハーニーは俺の弟分ですからね!」
「え? 初耳なんだけど」
「そんなとこだろ? お前の方が年下だし。俺19だぞ」
「それであんなやんちゃしてるのか……」
「人生経験は俺の方が上だろ?」
「そりゃ……その言い方はずるくない?」
「へへ。悪いな」
ユーゴは何故か見た中で一番嬉しそうな顔をして笑った。そのせいで言い返す気も起きない。
「さっきはありがとな」
「どれのこと?」
「ネリーのこと」
「……こんな時しか言えないのって照れ隠し?」
「うるせー」
水をばしゃりとかけられる。なんだかんだでネリーとの不和を気にしていたユーゴは、軽薄な印象よりも小心者なのかもしれない。そう思うと仲間のように思えて可笑しくなった。
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