アクロイド 関わりの中でできること 2

 昼食はリオネルが用意した山菜鍋だった。この辺で採れたというそれらは素朴ながら美味しい。味付けに一工夫されているようだ。まだ春先の昼なので温かい物を食べることに皆不満はない。

 問題があったとすれば、ネリーとユーゴが悪く噛みあってしまったことだ。

 発端はユーゴがネリーに「そういえばネリーは旧王都生まれだろ? どうしてガダリアにいたんだ?」と尋ねたこと。ネリーは少し躊躇いがちに、魔法研究のために旅をしていたと答え、そこから諍いが始まった。


「魔法研究の旅? へー。また変わった理由だなぁ」

「……名を上げるには、それくらいしかないでしょ。今は戦争でそれどころじゃなくなっちゃったけど」

「名を上げるって、貴族として? そんな価値あるものかー? 貴族って」


 ユーゴが苦々しい顔で言う。するとネリーは少しムキになって答えた。


「ある。……ユーゴみたいに家をほっぽり出して遊び歩いてたら分からないかもね」

「まるで俺が親不孝のドラ息子みたいに言うなあ」

「違うの? だってあんた長男でしょ? 貴族の家の」

「……さあねえ」


 ユーゴが答えに窮する。ネリーは苛立った。


「だから気に入らないのよ。家督を相続すべきなのに、それができるのに、何もしないで家を出て、その上女探しだとかのたまってる。隠すにしても自分を自分から隠しているみたいで……情けない」


 そこまで言われてユーゴは真剣な顔になった。怒ると黙って真顔になるタイプらしい。


「……そりゃ、軽く言って見せることもあるさ。でもよ、それだって相手に無用の心配をさせないための俺なりの気遣いなんだぜ。……大体、そんなことお前に言えるのかよ」

「何よ?」

「家を放り出して旅をしてるのはそっちも同じじゃないのか? 研究とか言ってよ。本当はやりようがなくてあてのない旅でもしてるんじゃ──」

「私は頑張ってる! それでハーニーを見つけたし、研究は確かな物になってきてるんだから!」

「ちょ、ちょっと二人とも。何でそんな言い争いするんだよ」


 熱くなった二人に、さすがに黙っていられなくなって間に入る。リアはあたふたして目を彷徨わせていた。


「……そうね。こんな言い争いは不毛だわ」

「ああ。そうだな」


 よかった、と息をつく前に話はあらぬ方へ行く。


「ハッキリさせるなら、貴族らしく決闘がいい。そういうことね」

「え? そんなこと誰も──」

「おー、いいぜ。その方が手っ取り早い」

「どうしてそうなるんだ……」


 それからとんとん拍子で話は進んだ。

 一対一の魔法勝負。先に魔法を受けた方が負けというルール。乱暴に聞こえるが、貴族間の争いの解決法としてこういうことはよくあるのだという。

 ネリーとユーゴはさっきまでハーニーがパウエルと対峙していたように離れて立つ。まっさらな広場は勝負に適していた。


「いいんですか? こういうの」


 横で観戦する用意をしているパウエルは乗り気だった。


「やることは私たちがさっきまでしていた特訓と変わらんよ。ただ今回は多少の遺恨が絡むだけだ」

「遺恨って……」


 非難の目を向けると、パウエルはやれやれと言いたげに首を振った。


「揉め事をあっさりさせるには分かりやすくていいと思うがね。……分かっている。危なくなれば止めよう」

「そうしてくれますか」

「ガダリア出身でないにしろ、今は大事な戦力だからな」

「……パウエルさん、楽しんでませんか」

「興味はある。どれほどのものか知らなければ戦力の配置もできないからな」


 隠さずに言うパウエルに呆れる。

 合理的だけど、また上の人の目をしてるんだから。


「さてさて、今時の子がどの程度の腕を持っているのか楽しみだな。パウエルはどっちに賭ける?」

「師匠」


 パウエルが窘めるように呼ぶ。リオネルは軽く笑った。


「余興だよ。固いこと言うな……ああ、今のお前には無理かね。じゃあどっちが勝つか予想だ」

「それは、まあ彼女でしょう。若いのに基礎がしっかりしていることは見て取れます。それに比べてユーゴは鍛えているように見えない」

「ほほう。そうかい? 少し甘く見すぎじゃないのかね」


 楽し気に顎を撫でるリオネルはどこか若々しい。


「そうでしょうか?」

「それじゃ聞くがね、あれの自信のある口ぶりはただの虚言だと思うか? あの女の子は何か裏付けされる強さを露わにしていたのに、それを見てなお戦おうとする彼はそこまで阿呆かね?」

「……そういう考え方もありましょうな」


 パウエルが苦し気に言って黙る。一理ある話だ。いつもならまともに取り合わないユーゴが勝負を受けたのはただ勢いに任せてとは思いづらい。ユーゴなりの勝算があるんだろう。


「ハーニーはどう思う?」


 リオネルがおもむろに尋ねた。

 パッと浮かんだのはネリー。付き合いがあるのはどちらかといえばネリーの方だ。しかし正直こんな勝負事しない方がいいと思うのも確か。


「どっちが勝ってもいいですけど、怪我はしないでほしい……です」

「ほっほっほ」


 リオネルが笑い声を上げた。そして小声で「戦いに向く性格かねえ」とつぶやいたのが聞こえた。リオネルは聞こえていると思っていないらしく、口は閉じている。

 自分が戦いに向いているだなんて思ったことはない。けれどそれで強くあろうとすることをやめられる余裕はないし、そういう覚悟だってしたつもりだ。


「ハーニー……二人、喧嘩するの?」


 ずっとぴったりくっついていたリアが心配そうにハーニーの顔を見上げていた。


「喧嘩じゃなくて、力比べなんだって。大丈夫だよ」

「怪我しない?」

「しそうになったらパウエルさんが止めるって言ってたし、僕だって止めるよう頑張るよ」

「なら大丈夫だね!」


 僕だって止める、と言ったところで表情が晴れたあたり、リアからの評価は随分高いらしい。


「それでは合図は私がしよう。いいかね?」


 パウエルの声にネリーとユーゴが了解する。

 そして「はじめ!」と手が鳴らされた。

 僅かに強い風が一帯に流れる。合図はされたが双方に動きはない。


「ハーニー君。魔法の戦いが見られることは足りない部分を見つけるいい機会になるぞ」


 パウエルがそう言った直後、戦いの口火が切られた。

 先に動いたのはネリー。距離のため聞き取れないが、何事かつぶやいて魔法を織りなす。現れたのは球場の火炎。先刻嫌というほど見たものだ。


「あれって……」

「赤系統魔法の基本だからな。汎用性も高くよく使われる」


 パウエルが生み出すものと遜色ない規模の魔法がユーゴへ飛翔する。


「あんなの当たったら危ないんじゃ……」

「いや、魔法を使うものは無意識に体を守る魔法を作っている。無意の壁というものだ。そのおかげである程度の魔法は、防ぐという意志だけで耐えられる」


 初耳の話だ。何にせよ、魔法使いは魔法に耐性があるということか。


「うへー! 怖えーな!」


 ユーゴが軽口を叩きながら俊敏に横へ避ける。うっすらぼやけて見えた。


「速い! 魔法?」

『そうでしょう。しかし、これは……』


 どこか含みのある言い方は何か普通でない技ということか。


「なら当たるまでやるだけ!」


 ネリーは宣言通り炎の魔法を連発する。避けられた炎弾は地面や木に当たって爆散した。

 その連撃は凄まじく、またいくら放っても勢いは衰えない。


「随分持久力がある……よく魔力が尽きないな」


 パウエルが感心する。ハーニーは便乗した。


「そうですよ」


 ネリーを支える理論を知っているのが自分だけということもあって、自分のことでもないのに少し誇らしくなる。


『なぜあなたが喜ぶんです』

「あ、あはは」


 会話の間も戦いは繰り広げられる。ネリーが攻勢。ユーゴはハーニーの特訓のように避け続けるばかり。違うということといえば、その避ける瞬間、ユーゴがぼやけるということ。

 いや、ぼやけるというより。


「残像?」


 それほど速いということ? いや、目で追えているはずだ。


「これは珍しい」


 リオネルの言葉と同時にユーゴに危機が迫った。それまでと違う指向性の炎がユーゴを襲う。


「あっ」


 当たる。そう直感した瞬間、炎弾はユーゴに達する前に弾けた。砂が巻き上がる。ユーゴが見えなくなる。


「光魔法とは……」


 パウエルが驚嘆する。ハーニーはその言葉を示すものを砂煙が散った時理解した。

 光だ。ユーゴの正面、炎弾があった位置に光の亀裂があった。いや、亀裂ではない。光が斜線を描いて留まっている。雲間に差し込む光のように細い光壁があった。

 光が物理的に存在しているように感じさせる、奇妙な光景。


「珍しいんですか? 光魔法って」

「ああ。八色四層とさっき言ったが、その内の二色は光と闇だ。これらは特殊でね。簡単なことだ。君は光を想像できるか?」

「光……」

「想像しづらいものは魔法にしにくい。光を形として捉えることなど、できない者には一生できないだろう。私にも無理だ。しかし、できる者はいともたやすくこなす。まさしく才能だよ。努力ではどうにもならない領域だ」

「才能」


 自分を天才と称していたネリーが連想される。

 そして当のネリーも忌々し気に叫んだ。


「くっ、何かあるとは思ってたけど!」


 焦りの混じった声。

 ネリーの優勢が揺らいだのが分かる。魔法は気持ちに左右されるものだ。魔法の規模も小さくなっていた。

 事実、ネリーの火の魔法はことごとく光に阻まれて届かない。


「光色──解くは明空、裂くは鋭切──光断!」


 そう唱えるユーゴがユーゴでなく見えた。あれだけ浮ついた人間がこんな実力を秘めていたなんて。普段の姿こそ嘘なんじゃないかと思えるほどだ。

 ユーゴも防戦一方ではない。ユーゴが腕を振ればそこから光の筋がネリーに向かって飛ぶ。光だが実体を持つため、目に見える速度。それでも高速だ。


「くっ」


 避ける動作はネリーに隙を作る。


「む」


 パウエルが唸った。リオネルも浮足立つ。焦燥が伝わってくる。

 ユーゴが疾走する。通常の数倍はある速さ。残像が見えるのは光由来の加速魔法だからだ。


「くうっ」


 ネリーが光条を避けきって体勢を整えた時、ユーゴはすぐ近くまで迫っていた。ネリーは接近戦が不得手と踏んだらしい。

 だが、ネリーは苦し気な表情にまだ余裕が見える。


「赤銅──大地焦がす熱、無くす形様──溶紅!」


 声とともにネリーが大地を蹴る。ネリーの前方の地面にヒビが入り、かと思えば溶解する。地は紅い粘性の熱の塊と化した。


「それはまずい」


 パウエルの動揺した声。

 ユーゴが口を動かす。小さな詠唱だ。内容は分からない。しかし、魔法がどんなものかはすぐに分かる。

 ユーゴの掲げた手の平から光が溢れる。とてつもない光源。全方位に向かう光に攻撃力はなく、視界を奪うのが目的だった。

 印象的なのは、その光が作った明るさよりも、その光量で余計目立つ影の部分。


「ハーニー! こっちを見ろ!」


 リオネルの大声に慌てて振り向くと、目に入ったリオネルの姿は既にぼやけていた。近くにいるため前よりわかりやすい。リオネルの姿が背景と同化していく。それはつまりリオネルの向こうが見えるということで、だから消えるということだ。

 消えた。

 そう認識した瞬間、リオネルの声がネリーとユーゴの方から聞こえた。


「終わりだ。これは引き分けかね。いいものを見せてもらったよ」


 リオネルはネリーとユーゴの間に立っていた。諌めるように二人を手で制している。

 転移魔法だ。理解しながら、また別のことに思考が寄った。

 ネリーとユーゴの戦いは一瞬で移り変わっている。目を眩ました光の後、ユーゴはいつの間にかネリーの背後に回っていた。ちょうど光のため影だった場所。そしてネリーはネリーでその動きに対応して振り向いていて、魔法を繰り出そうとした態勢で止まっている。ユーゴも凄いがネリーも負けていなかった。

 本当に引き分け、なんだろう。

 ネリーの前に広がっていたどろどろの大地からは既に熱気が消えていた。


「熱の操作は私の得意とするところだからな」


 パウエルが一仕事終えたという風に語る。何にせよ危険はなくなったということだ。


「ただの参考程度だと思っていたが、これは心強いな」


 満足そうに頷くパウエル。ハーニーも終わってほっと息をつく。

 釈然としない顔をしていたのはネリーだった。


「引き分け。引き分けね……あんた手抜いたでしょ?」

「そりゃお互い様だろ? そっちだって使った魔法は赤一色だ」


 ユーゴは飄々とした普段の調子に戻っていた。

 ネリーが顔を背ける。照れや気まずさではなく、目に入れたくない。そんな風に。


「……ふんっ。やっぱり私あんたのこと嫌い」

「そこまで邪険にするほどかよ」


 ネリーはユーゴの顔を見ない。


「それだけの才能があるのに、それを適当に放置しているあたりが許せない」

「何だそれ」


 なおもとぼけるユーゴにネリーは声を震わせて非難した。


「貴族の家に生まれて、それだけの力があるのよ? それなのに家出してそれを無駄にする。それだけの才能があれば名字をしっかり保てて、魔法学校にだって行けるのに……どうしてよ」

「何の話だか。この話はもうやめようぜ」


 ユーゴは手をひらひらさせて話を切ろうとするが、ネリーは止まらない。


「あんたどうしてここにいるの。どうして世捨て人のフリをするのよ……く。どうしてよりによって、必要としないあんたにそんな特別な……っ」


 拳を震わせるネリーをユーゴが無理に諌めようと声を上げた。


「やめだ、やめやめ! こんな話するような仲かよ。俺の事情だってある。これ以上話を続けたっていいことなんか何もないね。俺には分かる」

「……馬鹿、私」


 ネリーが己に毒づいて歯噛みした。悔しそうな顔は自分を責めているように見えた。


「ちょっと頭冷やしてくる。……この近くに水場ありますか」

「ん、ああ。向こうの森の奥に道がある。ここからは見えないが歩いてすぐだ」


 リオネルが指をさして教えると早足にネリーは離れていった。


「あ……」


 ネリーが踵を返した瞬間、きらきら光る水滴が見えた気がした。


「若いですな」

「ああ、若々しいな」


 年長者たちは眩しいものを見るかのように目を細める。


「喧嘩になっちゃったの?」


 リアがハーニーの腕にきゅっと縋りついた。


「そう、だね。そうなっちゃったみたい」


 ユーゴが砂埃を払いながらハーニーに近づいた。


「見苦しいところ見せちまったな」

「いや……」

「……お前も聞きたいか? 俺の事情」


 顔は笑っているが声色は笑っていない。


「そう見える?」

「ああ、見えるな」


 確かに気になってはいる。元々素性の知れないユーゴだ。気にならないと言えば嘘になる。それにあれだけネリーの言葉を嫌悪をしたのだ。何かあるんだろう。


「……いいや。聞かないよ」

「そうか? ……よかったよ。ほんと、お前とは友達になれそうだ」

「それ、こないだも言ってたよ」

「そうだっけ? 忘れたなー」

「……」


 ユーゴは安心している。僕が気を遣ったと思っているんだろう。

 違う。本当は相手の私事に踏み込むことが怖かっただけだ。

 だって、仕方ない。僕には知識はあっても経験がない。記憶がないから人との適切な距離なんて分からない。こんな繊細な状況、どう入り込めばいいかなんて分かるもんか。

 いや、軽々しく入っていい領域か分からないのだからこの判断は間違ってないはずだ。

 そう自分に言い聞かせて慰める。

 迷ったなら言わない方がいい。それで相手を不快にさせたらどうしようもない。取れない責任は受け持つべきじゃない。無責任な行動はしない方がいい。


「……喧嘩はダメなんだよ」


 リアが慎ましくそう言った。ユーゴは一転して優しく対応する。


「そうだなー。喧嘩はよくない」


 そしてハーニーを見た。


「でも俺じゃダメだからな。ハーニー!」

「なに?」

「お前ちょっと行ってきてくれ」

「僕が? ネリーのところに?」

「俺が行ったって何も変わらねーからな。そもそも俺は悪いことをしたと思ってなければ、謝る気もない。それは向こうも同じだ。そんで俺は謝ってほしいと思ってない。このままでいいんだ。お互い譲らない、でいい」

「深入りしたくないってこと?」

「ああ。踏み込むこともなければ、踏み込んできてほしくもない。大体俺と相性が良くないんだよ。俺自身敏い女性は苦手だしな。こないだ言ったろ?」

「都合がいいね。覚えてないと言ったり、覚えていると言ったり」

「そりゃそうよ。そう見えるはずだぜ?」


 軽薄で信用ならないユーゴの表面。でも悪い奴じゃないのは確かだ。もし悪人ならリアの気持ちを考えて動いたりしないはずだから。


「僕が行ってどうにかなるか分からないけれど……」


 ユーゴへの義理立てだけが行く理由じゃない。僕だって心配だ。だって離れていくネリーは泣いているように見えた。放っておくなんて無理だ。


「分かった。行ってくるよ」

「ハーニー、頑張ってね! 喧嘩はダメだよ!」


 リアも後押ししてくれる。

 ユーゴはへらへら笑いを作って言う。


「俺はもっとほわほわした優しい女の子が好きだからな。任せたぜ!」

「またそんな冗談を言う」

「いや、これは冗談じゃないぞ。俺の好みは包容力のある子だ」

「分かったから。今ここで言うから冗談に聞こえるんだよ。何か伝言は?」

「特にない。……助かるよ」

「……まったく」


 最後は真剣になるあたり、やっぱりユーゴは良い奴だった。軽薄な印象は装っているのかもしれない。なんとなくそう感じ、またその感覚は正しい気がした。

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