アクロイド 関わりの中でできること 1
良く晴れた朝。ハーニーは宿と向かいの建物の壁に背を預けながら、パウエルを待っていた。パウエルは領主だが、ガダリア貴族として宿に身を置いている。それが道理だとパウエル自身語っていた。
パウエルはいつもの燕尾服で宿から出てきた。ハーニーはすぐに近づいていった。
「どうかしたかね」
パウエルは全くいつも通りに正対していた。昨日言い争ったことが夢だったんじゃないかと思わせるほどにいつも通り。しかしそんなはずはない。
ハーニーは一呼吸して頭を下げる。
「昨日は……すみませんでした。僕、自分のことを棚に上げて余計なこと言ってしまったと思います。それを謝ろうと……」
「……ダメだ」
「えっ」
驚いてハーニーが顔を上げる。そこには苦笑したパウエルの顔があった。
「冗談だ」
「じょ、冗談ですか……」
「そんな恨めしそうな目で見るな。君だって最初から許してもらえると思っていただろう。その礼だ」
「う……」
ハーニーは苦々しい表情で固まる。それに対してパウエルは涼し気に言う。
「まあ、そうだろうな。私にも非はあった。始まりは私で、火に油を注いだのも私だ。……火と表現するのは失礼か。とにかくすまなかったな。私の力が至らず、そして余計な発言をしてしまったことは」
パウエルが小さく頭を下げた。重々しく見えてハーニーは慌てる。
「そんな、やめてください。ジェリーさんは、家政婦さんのことはパウエルさんのせいじゃありませんし、それに僕に言ってくれたことは全部本当のことです。あれから色々あって今は感謝してるくらいなんですから」
「ほう?」
パウエルがハーニーの顔を観察する。そして満足げに頷いた。
「見れば良い顔になった」
「そ、そうですか?」
「照れると見る影もないな」
「……」
「冗談だよ。怒るな」
「……今日は随分と冗談が多いんですね」
「そうかね? ……そうだな。まともな弟子でよかったと安心しているところだ。さて、歩きながら話そう」
ハーニーは先を行くパウエルを追う。横に並ぶとパウエルが口を開いた。
「昨日、君は私に人を公平に見すぎていると言ったな」
「う」
ハーニーが申し訳なくなって俯くとパウエルは笑った。
「言われてハッとしたよ。君の言う通りだ。私はいつの間にか、大切な人をこれ以上作らないようにしていたのかもしれん」
「大切な人を?」
ハーニーの相槌にパウエルは答えなかった。
「……私にああも真っ直ぐ意見するのは君ぐらいだ」
「すみません……」
「褒めてるんだ。気持ちの純粋さは魔法使いにとって重要な才能だからな」
パウエルはどこかすっきりした顔をしていた。ただ前を見て進み、こちらには横顔しか見えない。そしてそのまま言う。
「経緯は荒いが、私の弟子なのだ。それなりのものにはなってもらうぞ」
「それなり、ですか」
「ああ、そうだ。君を鍛えるのに手加減はしない。君も全力でぶつかってきたまえ」
「……はい!」
威勢よく返事をする。が、同時に道を行く人の目も引いてしまい赤面した。パウエルは呆れたようにため息を一つし、それでさらに恥ずかしくて身体が縮こまった。
◇
登山をするという経験は初めてだった。朝の山は鳥のさえずりでいっぱいだということも初めて知った。
そしてもう一つ知ったことがある。
「若いのだからもっとしっかりしたらどうだ」
先を行くパウエルが振り返りながら呆れて見せる。
「むしろっ、どうしてっ、そんなにっ、余裕綽々なんですかっ……!」
「分からないのか?」
『身体強化系の魔法のようです』
「ああ、そう。体力じゃないんだ……」
便利だな。苦しい呼吸の中で僅かに夢見る。
「要は使いようということだ」
足腰を精一杯使って山を登る。楽々と進むパウエルを癪に感じながら、また、その姿から思案する。
昨晩のことはお互い水に流したが、リアのことに関するパウエルへの反感は消えていない。ハーニーはリアを大切に思っている。だからハーニーが傍にいるべき。この理屈は分かっても、パウエル自身が動こうとしないことに疑念は拭えない。任された身で、と苛立たしいところはある。
しかしそれをあえて口にする必要はないと思えた。心に余裕のある今なら想像できる。誰かの代わりになれないと語ったパウエルには何かあるんだろう。何かしらの理由があるんだ。そうであるなら言及すべきではない。何も知らないのに口を挟めば昨晩の繰り返しになる。
「……まったく、何なんだかっ」
「何だ?」
力む声に任せて返す。
「何でもないですよっ!」
目指すのはリオネルの家、もといパウエルの若年時の修練場所だ。時間は有限なので朝から鍛錬をすると言ったのはパウエルで、今日がその初日になる。急ぐに越したことはないのは確かだが、リオネルの言う7日という期限が焦燥感を作っていた。期限の理由が不透明なのも言い知れぬ不安を呼ぶ。
「あ。あれってリオネルさん、ですか?」
「ん? ああ。そうだな」
僅かに遠い坂の中腹にリオネルの姿が見えた。簡素な服を着て立っている。表情の汲み取れない距離だ。
「何をしているんでしょう……あれ?」
気付くとリオネルの姿が夏の陽炎のようにぼやけた。目を擦ってみるが変わらない。他の木々などは全く変わらず、ただリオネルだけが歪んで見えた。
歪みは増して実体すら怪しくなり、そして最後には。
「き、消えた!?」
ハーニーは目を大きくして驚くが、パウエルは呆れたため息を落とすばかり。
「あれは師匠の魔法だ。どうやっているのかは師匠しか知らず、そして使える者は師匠だけの移動魔法。そうでしょう、師匠」
パウエルが言い終えてハーニーを振り返る。いや、振り返ったのはハーニーではなく、その後ろ。それに気づいたハーニーも慌てて後ろに向き直る。
「い、いつの間に……」
「来たかい、二人とも」
振り返った先でリオネルは柔和な表情を浮かべていた。
痕跡も方法も見えず、ただ気配だけが生まれたようなリオネルの移動はただ不可解だった。
「今のが移動魔法?」
『移動、というより転移に思えますね』
「ほう、利口な物の見方だね。今のはハーニーの腕からかい?」
「あ、はい。知ってるんですか?」
「知らんさ。だが目を瞑ればそこに何かいるのは分かる」
リオネルの落ち着いた口ぶりは経験の豊かさを物語っている。
「声の高さから、嬢ちゃんでいいかね?」
『……嬢ちゃんは語弊があると思います』
「細かいこと言いなさんな。ほっほっほ」
『……』
リオネルが笑うとセツは黙り込んでしまった。
どうもセツは人間扱いされるのに抵抗があるらしい。それでも真っ向から否定し切ろうとしないのは、言葉の上で違うと言いたい程度だからかもしれない。
それからリオネルの家に向かうのにリオネルは魔法を使わなかった。年齢よりも強い足腰を見せて一緒に家に戻るあたり、魔法を見せびらかしに来ただけらしい。
リオネルの家の周りは平地に削られているので、そこまでたどり着いてしまえば一息つける。
ハーニーはパウエル、リオネルと共に鍛錬場に移動した。鍛錬場といってもただの広場。地面を土が覆っているだけの平地に過ぎない。ただ、魔法戦を想定されていて広さだけはある。ところどころ抉られているのは魔法の痕跡だろう。
「ん? 昨日来た時は二人お嬢さんがいたろう。今日は連れてこなかったのかい?」
「あ、ネリーとリアは……」
今朝のことを思い出す。ハーニーが起きた時リアはまだ寝ていた。起こして連れていくべきか迷ったが、結局起こさなかった。鍛錬といっても延長線上には暴力がある。直結していなくても争いや暴力に関係しているものをリアに見せるべきではないと思った。リアの平穏を守りたいから力を付けるのに、それで心を乱したら意味がない。
ただ一人にするわけにもいかないから、そこはネリーに頼んでいた。ネリーは自分事のように「そうね。私がついていてあげる」と言って引き受けてくれた。
「リアは連れてこない方がいいかなと思って……ネリーに一緒にいてもらってます」
「ふむ。まだ幼いしそれでいいのかもしれんね」
リオネルはそれ以上この件を話題にしなかった。
「6日だ。6日で最低限のことは教えてやりなさい、パウエル」
「6日……昨日も一週間と仰っていましたが何かあるのですか」
「なに、目安だよ。無限に時間を取れるわけでもあるまい。それくらいの意気は要るだろうさ」
リオネルの言うことは間違っていない。ずっとこの街にいるわけではないし、状況を聞く限り、戦況もよくない。今後どのような行動を迫られるか予想は不可能だ。
それにしても日時まで決めるのはいささか性急にも感じる。
パウエルも不自然に思っているらしく訝しむが、あえて口にせず頷いてハーニーに身体を向けた。
「さて、君には足りないものが多くあるな」
「は、はい」
「私は私が学んだことを全て君に伝えるべきだろうが、君とは魔法の質が違う上、時間もない。だから私が教えるのは生きる術だ。基礎とは言えないかもしれない。だが、生半可な基本よりはましだ。どうせ今から基礎を教えたところで実戦になると忘れる」
きつく感じる物言いに顔が歪む。パウエルは微笑を浮かべた。
「私がそうだったからな。私は恐らく君よりも長い間基礎を学べたが、実戦になると頭から消えた」
「パウエルさんがですか」
「いつも偉そうだから意外かね?」
「はい。……じゃなくて! 別に偉そうなんて思ったりは……」
「しないのか?」
「……事実偉いじゃないですか」
「さて、どうかな」
「本当に今日は冗談が多いですね」
軽く睨む。パウエルは鼻で笑った。
「懐かしい場所だからか、今日は機嫌がいいんだろう」
「はあ。それで結局何を教わればいいんですか?」
「説明する必要がないようなことだ。……師匠、どちらへ?」
「後はお前たちでいいだろう。私が物を教える時はパウエル、お前が所用でいない時だ。弟子に師以外がとやかく言うべきじゃなかろう」
リオネルはひらひらと手を振りながら離れていく。やがて家に消えていった。
ふと、気付く。リオネルが帰った家の窓にこちらを伺う少年の姿があった。しかし目が合うとすぐに消える。
「……あの子、今こっちを睨んでいませんでしたか?」
「ふむ? 私は見ていなかったが睨まれたのかね」
言われてみると頷ききれない。遠くを見る細目がそう見えただけかもなのかもしれない。
「姪から預かった子と言っていたか。見知らぬ人が出入りすれば睨んでもおかしくないだろう」
「そう、ですね」
多少警戒されるのは当然だろう。そう思うと疑念は疑念でしかなく消え失せた。
◇
鍛錬の初め、パウエルが最初に語ったのは魔法の基本についてだった。
前提として魔法の全ての基本は色にあるという。
赤は火。青は水。緑は風。黄は雷。茶は土。白は氷。そして光と闇。最後の二つは少し例外だが、これらが魔法の原色だ。
安直な連想だが、だからこそ想像は強化され、魔法の具現化への道となるのだ。そして人にはそれぞれ適性色というものがあって、どんな魔法使いも得意な色の魔法が一つはあるともパウエルは言った。
また、パウエルは尺度として新しい言葉を挙げた。
八色四層。
魔法の色は八つ。そして段階は四つあるという意味だ。色が多ければ多いほど強く、また層が深ければ深いほど強い。
層については一から順に規模が大きくなり、四層に至るともはや空間支配の領域なのだという。しかし四層に至っている者は現代におらず、歴史上を見ても僅か。神話レベルなので考えなくていいと言っていた。
ちなみにパウエルは赤、つまり火魔法が三層で、火系統では世界で最高位に位置しているらしい。
「だが君は無色透明、色がない。それは普通なら成長の過程の一時だけのことだが、君は違う。恐らく経験という記憶がないためだろう」
ハーニーがそれに「どうしたらいいでしょう」と尋ねるとパウエルは首を振った。
「これまでそうでいたということには何か意味や理由があるのだろう。だからそれを消す必要はない。むしろ伸ばすべきだな」
こうも注釈した。
「基本からさらに離れるだろうが、いいか。それが強いというわけではない。もちろん戦闘に耐えうる無色の魔法は珍しく、意表を突けるだろう。しかし、本当に強い者は奇を衒わないものだ。特異性に慢心しないように」
そこまで告げてパウエルによるハーニーの特訓はすぐに始まった。
リオネル家の横の広場は草もなく地面が剥き出しになっている。平地でもあり転ぶ危険はない。特訓はそこで行われた。
視界の奥、広場の反対側の方でパウエルは杖を片手に立っている。普段と異なるのはその周囲の空気が熱気で揺れていることだ。
「どうした! もう集中が切れたかね!」
言葉と共にハーニーの背丈の半分程度はある火球が放たれる。ハーニー目がけて飛ぶそれを、色のない魔法の盾で斜めに受けて後方へ逸らす。それでも衝撃は伝わって膝が崩れそうになった。撃たれた火球は何度目だったか。三桁を超えてから数えていない。
「どうしてっ……こんな乱暴な訓練に……」
『魔法は成長の過程で色づくものですから、無色の魔法にセオリーなどはありません』
「だから?」
『伸ばすと言ってもやりようがない。ですからこうやって魔法を使った実戦の空気を作ろうしているのではないかと』
パウエルは遠くから火球を放つ。大きさはまちまちで、大きいものは遅いが威力があり、小さいものは威力はないが早い。
ハーニーはといえば、それらをずっと盾で受けるか避けるかするだけ。大きな魔法は避けて、小さいものは盾で防ぐ。単純だがパウエルは間隙なく撃つため、ハーニーは一時も心が休まらない。始めてからもう3時間。息は切れっぱなし。土埃と焦げ臭さで服は汚れている。
「慣れてきたなら私に一撃入れて見たまえ! もしできたら休憩にしよう」
救いの言葉に聞こえない提案。
この絶え間ない攻撃を続けてなお余裕のパウエルさんに一撃……?
以前降りかかる水の魔法を蒸発させた炎壁を思い出す。味方なら心強いそれが、今は畏怖の対象でしかない。
「無理に決まってる……」
『どうします?』
パウエルの魔法は止んでいた。挑発するように棒立ちして杖をつく、待ちの姿勢。
「どうするもこうするも、こうなったら行くしかない。どうすればいいのかなんて分からないけど……」
『接近するチャンスは与えてくれているのですから、それを使わない手はありません』
「分かったよ」
幸い疲労は身体的なものだけだ。足腰などは今にも崩れ落ちそうなほど疲れ切っているが、精神的には随分余裕がある。
魔法を使っているのにこれだけ心が元気なのは恐らくネリーのおかげだろう。ネリーに聞かされた魔法理論が根付いているのだ。
魔素があって人はそれを利用して魔法にしているという考え方。内ではなく外にあるものなのだから、魔法の使用に苦を感じるはずがない。そして実践できているということは、ネリーの理論は正しいのだ。
『作戦は』
「あるほど強くない!」
返事と同時にパウエルに向かって駆ける。愚直に真っ直ぐ。パウエルの苦笑が見えた。
パウエルは無言のまま杖で地面を叩く。それだけでパウエルの前に火球が生まれ、それは即座にハーニーへ襲い掛かる。
真正面から来る高速なそれを避ける余裕はない。
「セツ! 盾!」
腕をかざして想像を持ってくる。盾の魔法が発現した。
破裂音と同時に衝突の感触。火の粉が飛び散って顔が熱い。しかし顔を歪めるだけで目は閉じず走り続ける。
なおも突進を続けるハーニーに、次は炎の壁が行く手を阻んだ。分厚い炎の障壁は以前見たものよりも規模が小さい。が、縦にも横にも広がる壁はこれ以上の前進を許すまいとしていた。
『好機です』
不思議とセツの意図が分かる。
そうだ。これならパウエルさんにも僕は見えないはず。となればここを突破すれば打開できるかもしれない。そして僕にできることなんて限られているんだ。できることといえば盾状に魔法を作ること。それと、あの魔力を振り回す雑な攻撃だけ。
「セツ、あれを!」
ハーニーは右腕を横に振り回す。炎の障壁ごと薙ぎ払う想像。腕は手前で空振りに終わるが、魔力の塊は想像通り働いて炎の壁を消し飛ばした。
そしてやっと見えるパウエルの顔。珍しい物を見たかのように目を僅かに見開いている。
「ええいっ!」
踏み込んで先ほど振り払った腕を戻すようにまた振るう。さっきとは方向が逆なだけの同じ行動。魔法も形作られて振るわれる。しかし感じる手応えは思ったものと違う。
パウエルが杖を振るった。それはまるで木の上に引っかかった帽子を取るように気軽な動作。しかしそれだけでハーニーの魔力の塊は弾かれた。杖の軌跡には炎の輝線。魔法の圧力で負けたのだと理解する頃にはパウエルの杖がハーニーの喉元に向けられていた。
「どこまでも一直線だな、ハーニー君」
そう言うとパウエルは穏やかな表情で杖を下した。同時に我慢していた呼吸が再開される。
「……はあっ……仕方ないでしょう? できることなんてありませんもん……」
「そうは言うが、最後手を抜いたな?」
「えっ?」
「気付かずか。それも制御できるようにならければな」
「僕は手を抜いてたんですか?」
「ああ、腕の振りが甘かった。無意識だろうな。優しさは武器にもなるが隙にもなる。なに、私は強い。今後は本気で来たまえ。……いや、手加減する余裕があるのだからもっと厳しくすればいいか」
「ほ、本気で頑張ります」
パウエルは目で微笑んで「休憩にしよう」と言った。ハーニーは途端に身体を支える力が抜けて地面に座り込んだ。
「真っ直ぐなのはまだいいが、足りないものはいくらでも出てきそうだな」
「いつか強くなれるとも思えないんですけど……」
「それでいい。慢心するよりましだ。自分の実力は正しく理解しなければならん。過大になることは許されず、また過少に評価すれば魔法の質が落ちる」
パウエルは流暢に語る。
「君の魔法は君から半径2mの位置に現出することができ、2層魔法までを防ぎきる」
「そ、そうなんですか」
「ああ。君にはそれができる。そう理解しておけば魔法は安定するだろう。魔法はつまり自信の表れだからな」
「自信……」
自然と俯く。
遠い言葉だ。自信ある人がどう考えて生きているのか想像できないくらい、自信の根源が分からない。そもそも自分に信じられるところなんてない。全て曖昧なんだから。
「難しいな」
『あなたには似合わない言葉です』
「ひどいことを言うね。その通りだけどさ」
独り言に返事がある様子を見てパウエルは口を開いた。
「近くで見る機会が増えたが本当に不思議なものだな」
「セツですか?」
「ああ。言葉はまるで氷のように抑揚がない。しかしやりとりは人間じみている。相反するものを両方内包しているようだ」
「それにしては皮肉が多い気がしますけどね」
『その方がよいかと思っていたのですが、今後気を付けますか?』
「いや、そのままでいいよ。君の自由で」
気に障るわけでもなし。それに声色が無感情な分、人間らしくて落ち着くところもある。
『……それが一番難しい命令ですが』
「命令じゃないよ。そもそも全部が全部命令なんて僕には無理だよ。元々強気な人間じゃないんだから。苦労するのはお互い様ってことでよろしく」
やりとりを聞いてパウエルが思案気に言った。
「君はそれをまるで人のように扱うな」
「ダメですか?」
「ダメと言わないが……あまり執着すると失うとき辛いぞ」
パウエルは神妙な顔をして言う。そしてハーニーが返事する前に首を横に振った。
「いや、今のは忘れてくれ。悪い仮定は魔法を操るものにとって最悪なことだ。結果だけは最善を目指すべきだったな」
この話はもう終わり、という風にパウエルは「そろそろ昼食にしよう」と切り出した。
失うとき辛い。
言葉の内容よりも、パウエルが言ったということが重く感じられて頭に残る。
パウエルは座り込んだハーニーをそのままにしてリオネルの家に向かおうとした。数歩歩いて立ち止まる。
「ほう。また大勢で来たな」
「誰か来たんですか? ……あれ?」
ちょうど今登って来たらしい人影が三つ。どれも予想外な人物ばかり。
「どうしてリアが……?」
来たのはネリーとリア、そしてユーゴだった。
「ようハーニー! うわ、泥だらけな、お前」
3人で近づいてきて開口一番喋ったのはユーゴだった。ユーゴは以前見た旅人の格好をしていて羽織るマントは使い込みを感じさせる。顔には軽薄なへらへら顔。
「ユーゴはともかく、どうしてリアとネリーが? 何かあったの?」
「ともかくってひでーなあ」
ハーニーがリアを見る。ただ疑問だけをぶつけたつもりが、リアは怒られていると感じたらしくネリーの後ろから顔を覗かせる。
ネリーはいつものローブを羽織り、リアはスカートではなく動きやすい服装をしている。
「私はハーニーに頼まれたし、無理に連れて行くことないって言ったんだけどね」
ネリーが呆れ顔でユーゴを横目に見た。ユーゴは平然と受け流して頷く。
「俺が連れてきたのさ。ほら、ちょい顔貸せ」
ユーゴがハーニーの首に肩を回してリアから離れるように引っ張った。
リアに聞こえない距離でユーゴに問いかける。
「どうして連れてきたんだよ。リアはこういう争いとか戦いだとかには近づかない方がいいと思ったんだよ? それなのに──」
「分かってるさ。話は聞いてる。でも違うんだよハーニー。いいか? よーく聞けよ」
「何を」
「そりゃあお前の言うことも分かる。間違ったことだって言ってないだろうさ。だけど、それが一番かって言ったら、違うだろー?」
「どういうこと?」
ユーゴが笑った。
「お前こういう時頑固じゃないからいいよな」
そしてユーゴが時折見せる真面目顔で言った。
「だから、リアちゃんが一番に望むのはお前が傍にいることだ。誰かじゃなくて、お前が」
「それは……」
そうかもしれない。そうなんだろう。でも自分で言い切るのはどこか怖い。
悩む様子を見てユーゴはハーニーの背中を叩いた。
「そうなんだって。俺が保証してもいいぜ」
「うん」
「分かったなら傍に置いといてやれって話だ。……何だよ。不満そうだな?」
「……そりゃあ、分かるよ。ユーゴの言いたいことは。でもそれって危ないことに近づけるってことだよ? 暴力の一片を見せるってことだ。それでいいのかな」
「いいんだよ。外野が勝手に当てはめるよりはよっぽどいいさ。それに力そのものが悪いみたいに遠ざけるより、見せてその上で教えた方がいいだろ。隔離すりゃいいってもんじゃない」
「……」
「……何か言えって」
「いや、うん。驚いた。ユーゴって葉っぱよりも軽い、適当なことを言う奴かと思ってたけどそんなことなかったんだね」
「うぇ、ひでーこと言うなあ」
「冗談だよ」
「分かってるって」
そう言って受け止めるユーゴにはいつの間にか軽い笑顔が戻っていた。
「でも意外だよ。ユーゴがこんな気遣いするなんて」
「へへ、俺には分かんだよなー。こういうの」
「へえ」
「留守番は辛いからな」
言葉の瞬間ユーゴの顔は影を落としていたが、瞬きの間に笑顔に変わっていた。
「お前も素直だからすごいって。普通は自分の決めたこと否定されたら反発したくなる」
「はは……」
それは僕にも何が正しいのかよく分かってないからだよ。そうあえて言葉にする必要も願望もなかった。自信が持てないことを伝えても仕方がない。
リアに警戒を解いてもらえるように表情の硬さを取る。中腰になって優しく話しかけた。
「大丈夫。怒ってないよ」
「……ホント?」
「もちろん! 山登りは疲れなかった?」
「……うん! 楽しかった!」
リアはやっと白い歯を見せて笑った。ネリーの後ろから飛び出してハーニーに駆け寄る。ネリーは安堵の表情で、ユーゴも満足げに見ていた。
「ま、俺は女性の機微には敏感だからな。余裕だって」
「はん。たまたまでしょ。初めあんなに警戒されてたのに」
「でも今は違うもんね~。ね、リアちゃん」
ユーゴはリアの返事を待つが、リアは答え方が分からないのか、きょろきょろ辺りを見回して最後にはハーニーの腕を引っ張った。
「んー……リア。ユーゴに変なことされなかった?」
「しないっつーの! 俺そういう風に見えるか!?」
ハーニーとネリーは同じ冷めた顔をして黙っていたが、リアは首を振って否定した。
「ほらみー! もっと信頼してくれよな!」
リアが味方なことにユーゴは諸手を挙げて勝ち誇って見せる。リアはそれを見て愉快そうに笑った。ネリーはユーゴを依然として冷然と見ている。
「身の上がまるで分からないのに信頼されるわけないじゃない」
「そっちだって何も話さないじゃん? 相変わらず俺にだけ厳しいなーネリーは」
「軽々しく名前呼ばないでよね」
「ハーニーにはいいのにー?」
にたにたした意地の悪い笑みを浮かべるユーゴ。
そういうことするから厳しくされるのに。
「まともな人には普通の応対するから」
「俺だって普通さ! ロマンを求めるだけの好青年!」
「へえ! じゃああんた昨日どこで寝泊まりしたのよ」
「街の女の子の家」
「これだもの」
ネリーが呆れのあまりため息を落とす。
「? 女の子と一緒に寝ちゃダメなの?」
ふと、リアが尋ねた。嫌な予感がする。
ネリーが困った顔で唸った後答える。
「んー、本当に大切な人とじゃないとダメなのよ。でもユーゴはそうじゃないからダメなの」
ユーゴはリアには誠実なのか頷いて「うんうん。これは俺が悪かったなー」などとのたまう。
リアは満面の笑みを浮かべた。振り向きはハーニーへ。
「じゃあリアはハーニーの本当に大切な人だ! ね! そういうことだよね!」
「う」
無垢な視線が向かってくる。自然と後退った。
「別にリアちゃんの言う通りでしょ? 何で逃げ腰なのよ」
「そ、そういう冷たい視線が怖いからだよ」
「そう? まるでやましいことでもあるみたいね……」
「別に何もないよ!」
リアの前で泣いてしまったことがばれるのは何としても避けなければ……!
「ハーニーに限って変なことはないと思ってるけど……でも何か怪しい」
ネリーがジト目で見てくる。そしてハーニーの右腕に焦点を変えた。
「ね、セツ。ハーニー何かあったの?」
お願い! 余計なこと言わないで!
内心の祈りが通じたのか、『いえ、特別なことは何も』とセツは答えた。
「ふうん……? ならいいけど」
ほっと一息。
「ハーニーは何で慌ててるの?」
「照れくさいんだってさ! よかったなーリアちゃん!」
後ろでリアをあやすユーゴがひたすら心強い。
と、そこで気付く。いつの間にかやってきていたリオネルがパウエルと並んでいた。この若者の輪の一歩外。
「まるで学び舎だな、パウエル」
「ええ。若者は元気です」
感慨深そうに語り合う二人。同年代の人間に向けるものではない暖かい目をしていた。
父親という人がいたのなら、きっとああいう目をして見守ってくれているんだろう。
パウエルに重ねて見て、結局寂しさがやってくる。
「ハーニー? どうしたの?」
「え、あ、ごめん」
振り返るとまず目に入ったのは白く滑らかなネリーの手。
「え? え?」
ネリーの手はそのままハーニーの額に伸びてそっと触れる。少し冷たく、柔らかい指が撫でてくすぐったい。
「……熱はないわね。というか汗すご……触るんじゃなかった」
「そ、そりゃ頑張ってたから……」
恥ずかしくなってそっぽを向く。ちょうどユーゴと目が合って、そのにやにや顔に腹が立った。
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