アクロイド 覚悟 3
自分のとるべき行動。何を為すべきなのか分からないままハーニーは宿へ戻ると、出迎えたのは自室の前に置かれた手紙だった。家政婦の謝罪ばかりの手紙。リアはここ、ハーニーに宛がわれた部屋に置いていくという文を見て手紙を読むのをやめた。
怒りよりもやるせなさが湧く。計画も何もなしにただ義務感ばかりで部屋のドアを開ける。
リアは部屋の奥に配置されたベッドに腰掛けて俯いていた。小さい身体はいつも以上に小さく見える。髪も乱れていて額にかかってしまっていた。
「……っ」
リアは俯いていて表情が見えない。どう声を掛ければいいのか分からず不安は増す。やっとのことで切り出した言葉は当り障りのない無難な挨拶。
「……ただいま」
リアは俯いたまま喋らない。
「えっと……晩御飯食べた?」
「……うん」
「そう……おいしかった?」
「……ジェリーさん……もう来ないんだって」
ジェリーというのは家政婦の名前。話さないわけにはいかない、大事な話だ。
「うん……」
「うぅ……」
鼻をすする音。涙混じりの孤独な声。
拳が握られる。
ハーニーはパウエルを恨んだ。家政婦のことも恨んだ。仕方のないことだと理解していても、今この時は世の中全てが憎く思えた。
「リア……」
ハーニーが歩み寄る。リアは逃げなかった。逃げ場もない独りの少女でしかなかった。
「みんないなくなるの……」
ハーニーはリアに手を伸ばそうとする。が、それはリアの言葉で止まった。
「みんなね、リアを置いて行っちゃうの……」
「ジェリーさんも……事情があるんだよ。大切なものがあるんだよ」
心にもない慰め。本当はジェリーも許せない。リアを一人にすることが恨めしく、事情なんか考えられない。家族が反対するなら仕方ない。止める側の気持ちも分かる。それでも、許せなかった。
それは争いから自分を遠ざけてくれる存在がいないことへの嫉妬もあるのかもしれない。
「リアは大切じゃなかったのかな……」
「リアも大切だったんだよちゃんと……でも仕方ないんだよ。仕方ないって思うしか……」
「大切なのにどうしていなくなるの? どうしてリアを一人にするの……?」
「……」
ハーニーは答えられなかった。答えられるほどの経験も時間も持ち合わせていなかった。
この子を救うために今すぐ過去が欲しい。記憶が欲しい。
強く願っても応えるものはない。
リアは流れる涙をその小さな両手で拭う。
「ひとりはやだよう。ひとりはやだよう……」
リアの姿が重なる。いつだったかと同じように、自分に見える。
リアは闇の中一人だ。道を示してくれる光もなく、歩き方も分からず座り込んで泣いている。
「ああ……」
分かってしまう。この気持ちは分かる。一人になる気持ちは、分かる。だってずっと一人だったから。周りにウィルさんやリアがいたけれど、心はずっと一人だったから。家族と言うものを近くでずっと見ていたから。こういう時本当に欲しいものが何か分かる。分かってしまう。
ハーニーは歩み寄ってリアを腕に収める。優しく包んで声をかける。言葉は自然と浮かんだ。自分の求めるものだ。考えなくても浮かぶ。かける声は震えていた。
「僕は……僕はいなくならないから」
どうしたらいいのか分かるってことは、それは自分も同じだってことだ。
「僕が傍にいるからね。絶対だ。一人にしないよ。約束する」
僕はずっとこう言われたかった。あなたは一人じゃないよ。ちゃんと見ているよ。だから大丈夫、って誰かに支えてほしかった。
「一人は寂しいから……僕がちゃんと傍にいるから……」
僕が望んでいた言葉を僕が言っている。
言いたくなかった。誰かに言われるまでは。
だって言ってしまえば立場が変わってしまう。僕は愛情を注ぐ側になる。与える側になってしまう。庇護を受ける側じゃなくなる。
「大丈夫だから……僕が守るから……」
ずっと待ってた言葉だった。お星さまにだって願った。神様だって信じてみたりした。夜、泣きながら祈ったりもした。それほど欲しかった言葉だったはずなのに。
でも、目の前のもう一人の自分を放っていられなかった。
ここは分岐点だ。
そして僕はもう渡った。吹っ切らなければいけない。待つ側の人間であることをやめなければいけない。
誰かに甘えたい自分に封をする。二度と出てこられないように閉じ込める。
同時にリアの幸せを願う。
自分自身気持ちが分かるからこの言葉には説得力があるんだ。だからリアには伝わる。僕の言うことはちゃんと伝わる。
そう思いながらリアに言葉をかけ続けた。
リアはしゃくりを上げながら泣いた。わんわんと泣いた。ほんの一日前、ウィルを亡くしてたくさん泣いたのにそれにもまして泣いた。言葉にならない声を上げてずっと泣いていた。
涙が落ち着くまでハーニーはずっとリアを抱きしめていた。一人じゃないんだよ、僕はそばにいるよ、そう言葉以上に伝えたかった。
それでいて傍に人がいるのに、ハーニーは心に穴が開いたように寂しかった。
どれくらいそうしたか分からない。リアは泣き止むとひどく疲れた顔をしていた。
リアは一人で寝るのを拒んだ。ベッドの上、リアには布団を掛けて、ハーニーは横に添う。
「リアね……知ってるんだ」
涙が枯れるほど泣いたリアは疲れて眠いのを我慢しながら天井を見つめて言う。
「パパは良い人じゃないんだよね?」
「それは……」
「いいの。分かってるの。だってパパ、リアじゃない人に怖いもん。皆パパのことじぃって睨むもん」
ウィルは好かれてない。成金で、いろいろなものを利用してきたから。事実だが、それをその娘の前で肯定できるはずがない。
「……ウィルさんは強かったんだよ。自分の気持ちを大事にしてたんだ」
でまかせだ。彼の気持ちなんて考えたことはなかった。後から知ったことを言っているだけ。
「うん……」
リアは言葉は受け取ったが納得しているように見えなかった。この子はもう気づいている。なんとなくそんな気がした。
続く言葉もウィルの家族に見せない一面を踏まえていた。
「パパはね、でもね、リアには優しかったんだよ。いっつもリアのこと気にしてたの。心配ばかり」
「うん……」
「あの時も、パパはいなくなったりしないって。お天道様になってずっといるって言ってたの」
「うん……」
「……どうして死んじゃったの……」
鼻をすする音が聞こえる。ハーニーはすぐにリアを撫でた。
うっ、うっ、と呻く。リアは涙を流すのを我慢しようとしていた。
「我慢しなくていいから」
ハーニーが務めて優しく言う。
リアはハーニーを見上げた。
「リアが泣くとハーニーがつらそうな顔するから、悲しくなるから泣かない」
「リア……」
嬉しさより、寂しさが強く掻き立てられた。
「いいんだよ。泣いていい。そんなことないんだ」
自分の顔を見られないようにハーニーはリアの頭を抱える。
自分のために我慢してくれるリアに愛情が湧き、気を遣ってくれていることに寂寥感を覚えた。自分がこの少女の枷になりたくない。自分のために我慢してほしくない。そんな気持ちで心がいっぱいになる。
それはリアも同じだったのかもしれない。リアは気遣うような小さい声でつぶやいた。
「でもハーニー、悲しい顔する」
「そんなこと……」
言葉は続かず消える。
言えなかった。リアに優しくする度に、自分の望んでいたものを得られなかった寂しさが湧くなんて。情けなくて言えるはずがない。
今までは自覚していなかったから大丈夫だった。しかし、気付いてしまった今、それははっきりとした輪郭を伴って心を締め付けてくる。
ああ、どうせ無理な願いなら知らない方が良かった。誰も分かってくれないんだから、分からないままだった方が──
「ハーニーもさみしいの?」
疲労を帯びた純真な眼が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「う……」
「そうなんだ。寂しいよね。悲しいよね……」
息を飲む。呼吸を忘れる。固く引き結んだ口が、表情が崩れる。
まじまじとリアの顔を見る。リアは自分も辛いだろうに、慈しむように微笑んだ。
「リアと二人で、一緒だからね。大丈夫だよね」
リアがぺたぺたとハーニーの顔を触る。ただ温もりを与えるだけの優しい手つき。
気持ちを向けられている。
知らない感覚?
いや、さっきも向けられた感情だ。もしかして……ああ、そうか。これが……。
「う、く……」
何かが決壊する。ずっと溜め込んでいたものが目から溢れて流れ出る。
「どうして泣くの?」
「ごめん……ごめんね。情けないよね……でも……」
顔を撫でてくるリアの手を取る。小さな手だった。
情けない。こんな小さな子に願いを見破られるなんて。望むものを与えられている気になっているなんて。男としてどうなんだ。
そんな思いに反して涙は止まらない。低い唸り声と共に涙は溢れる。泣き方まで忘れていたのか、掠れた声だけが出ていた。
僕が欲しかったもの。そしてリアが僕に向けてくれたもの。
守ってくれる愛情だ。
聞けば笑うようなことかもしれない。でも笑える人はそれをたくさん持っている。だから笑い飛ばせる。
僕だって、本当は持っているかもしれない。思い出せない記憶の中、3年より前に愛を受けて育ってきたのかもしれない。でも今は思い出せないんだから、ないってことと変わらない。きっと過去の自分と今の自分は別人なんだろう。同じなら、こんなにも過去の架空の僕を羨んだりはしない。
僕は今まで愛してほしいと思いながら、そうされるようにできなかった。愛される理由がなくて、愛され方も分からない子供だった。どうすることもできないまま時は過ぎて、一人になってしまったリアを見て僕は諦めたはずだ。はずだったのに、このざまだ。僕は情けなく声を上げて泣いて、リアは泣きながら、でも僕を労わってくれている。
このままじゃだめだ。僕だって、いや、今はリアの方が大変なんだから。そう思って僕はリアの手を握って包んで見せるけど、どうしたって自分の感情の昂りは治まらない。
今手を握ったのは、僕がリアを求めたわけじゃなくて、リアに一人じゃないことを伝えようとしているからなんだよ。
そう伝えたくても声は出なくて、ちゃんと伝わっているのか心は不安になる。不安になれば心は動揺して止まらない。愛情が一方通行になっていないことを知らせたいのに。
はた、と心の奥で静かに気付いた。
愛情は今きっと双方向に飛んでいる。僕は自分が守る側になったら一人になる気がしていたけれど、もしかしたらそれは違うのかもしれない。愛するだけで愛されないなんてことはなくて、守り守られるような関係は作れるのかもしれない。お互いがお互いを、自分のように見ることができたのなら……。
それはきっと、とっても幸せなことなんだ。
噛みしめるようにハーニーは涙を流す。必死に堪えても、3年間抑えつけた感情は溢れるばかりだった。
リアもわんわん泣きながら、ただ温かさを探すようにハーニーに触れていた。
◇
それからどれほどの時間が経ったか分からない頃、小さく無感情な声がハーニーの耳を打った。
『随分と泣きましたね』
「うん……」
横で眠るリアを眺めながら答える。ハーニーが泣いている間にリアは眠りに落ちていた。気付いたら自分を泣かせた人が眠っていて恥ずかしさを覚える。同時に全部見られなくてよかったという安堵も。
『以前、私があなたにいてもいいと言った時よりも泣いていました』
「それは……そうだね」
『そうです』
「……なんだか残念そう?」
『何を言っているんです。私がリア嬢を妬んでいると言いたいんですか』
「そうは言わないけど……でもそうやって思い至るってことはそういう一面もあるんだね」
『ずるい言い方です』
「ごめん」
『私は……道具です。主のための存在でありたいと考えることは何も不自然ではないはずです』
「うん」
相槌を打ちながら、道具の立場から離れないセツが勿体なく思えた。さっき自分が感じた幸福を分かち合いたい。そう思うからこそ、道具と人の関係は寂しく感じる。
それまでなら躊躇う言葉も今なら簡単に言うことができた。
「僕は、たぶんもう君に甘えてたよ」
『突然何です』
右腕を撫でながらつぶやく。そうすれば喜ぶかもしれないし、そうした方が気持ちが伝わる気がした。
「僕はさ、ずっと余裕がなかったんだ。周りに振り回されてばっかりで、流れに乗るだけだった。自分しか見られなかったんだよ。……僕は記憶もなくて、身寄りもなくて、信じられるものがなかったから。そのうえ自分すら信じられなくて……でも」
SETUの字を撫でながら、窓の外を見る。雲のない星空は綺麗に輝いて見える。
「君は僕に余裕をくれた」
『余裕……』
記憶を探るような相槌に、ハーニーは右腕に視線を移す。
「僕はここにいていいってさ。そう言ってくれたのが僕は嬉しかったんだよ。……いや、ただ単純な感情の嬉しいなんてものじゃない。もっと内から支えられたような……僕が欲しかったのはこんな感じなんだろうなって思えたんだ。セツだけは僕を許してくれているって。その確かさは僕にとって救いだったんだ。分かりづらいかもしれないけど、本当に」
『……』
「君がいるから、君が僕に余裕をくれるから、僕は周りを気にしていられるんだ。それまでは自分のためばかりに目を彷徨わせていたけど、今はちゃんと自分を越えて相手を見ることができる。どうしてほしいのか分かってあげられる感じなんだよ。だから、だからね……僕が言いたいのは……」
伝えたいことが溢れそうになるのを落ち着かせる。ふっ、と穏やかな呼吸ができて、今伝えたいことを口にした。
「僕は君に支えてもらってる。……君はちゃんと役に立ってるよ。本当に感謝してる」
時間が流れる。静まった部屋でリアの寝息だけがすうすう音を立てる。
『……そうですか。それは……よいことですね』
自分を外に置いたような口ぶりは照れていることの証に感じた。静穏な空気の中で響くセツの声が、どこか優しく聞こえるのも相まって強くそう思う。
『……どうして私にそんなことを?』
「僕は君に支えられてる。だから僕だって君を支えたい。僕が感じたように愛情をさ、君にもあった方がいいと思ったんだよ」
『私は道具です』
「そんなの関係ないよ。僕が君だったなら……愛してほしいと思うから」
『それはつまりあなたの気持ちだけが優先されているのではないですか』
「そうかもしれない。嫌ならやめるよ」
『嫌ということではなくて……』
「それならよかった」
『……私は道具です。大事にされるならそれはいいことでしょう』
「また遠回しな言い方をする」
くすりと笑う。セツは拗ねるように黙り込んで、それがまた可笑しい。
やがて静けさの後セツがつぶやいた。
『……私が泣き言を言ったからでしょう』
「君が僕に気を遣ってくれたんだ。僕だって気を遣うよ」
『……私でも、責務だけで言葉を並べてはいないつもりです』
また遠回しに主張するセツに口が緩んだ。対等であることに喜びも沸く。
「んんぅ……ハーニー……?」
「ああ、ごめん。うるさかった?」
ぼんやり目を擦るリアに目を向ける。涙の痕はあってもそれはもう乾いている。過去のことだ。過去にしないといけないことだ。
「ハーニーだあ……ちゃんといる……」
「うん。いるよ」
眠りから覚めて傍にいてくれるのはきっと心強いことなんだろう。リアは疲労を見せながらも安堵していた。
「手……」
「うん」
手を握ってあげる。リアはもう一度ほっと息を吐いた。そしてぼんやりとつぶやいた。
「ねえ、リア魔法が見たい」
それは久々の注文だった。ハーニーは頷いて想像する。
窓から差し込む光を反射する半透明な塊が宙に生まれた。月光を広げるその魔法はキラキラ輝いている。
「綺麗だねえ」
リアの間延びした声は眠そうに聞こえた。
「ハーニーはいつもリアの傍にいてくれるもんね。リアが家出した時も……」
「家出?」
「ハーニーが来てすぐの頃の……」
「ああ、あの時かあ」
思い出す。以前、リアが家出したことがあった。ハーニーがウィルに引き取られて半年経たない頃。いや、厳密には家出ではない。リアはウィルと喧嘩して屋敷を飛び出して、庭の小屋に隠れたのだ。庭師が使う道具のしまわれた埃っぽくて暗い小屋。
「リアの咳が聞こえたから僕が行ったんだっけ」
ウィルさんは「放っておけ。どうせ晩飯には帰ってくる」と言って、家政婦のジェリーさんは「見かけたら呼んでくださいますか」と僕に頼んでいた。その時僕には居場所の実感がなくて、理由もなくて、することもなかったからリアを探したんだ。それで、見つけた。
リアは暗い小屋で膝を抱えてうずくまって泣いていた。綺麗な服を埃で汚して一人でいた。
「あの時、リアの傍にいてくれたよね。隣で一緒に座ってくれたの。隠れてること内緒にしてくれて……」
「あれは……」
ハーニーは顔を背けそうになる。しかし、そうしなかった。
「本当は怖かっただけなんだ。僕はウィルさんに嫌われるのが怖くて、でもリアに嫌われるのも怖かった。だから、何もしなかったんだ。どっちかに味方することが恐ろしくて……結局どっちも中途半端になっちゃってた」
「でもハーニーは一緒にいてくれたよ」
「それは、そうだけど」
リアは宙にうっすら光る魔法を見つめながら穏やかに微笑んだ。
「リアね、嬉しかったんだよ。一人で寂しかったから、いてくれて嬉しかったの。それにハーニーは今みたいに魔法を見せてくれて、リアを喜ばせようとしてたの知ってるんだよ」
「リアは綺麗だ、って言ってくれたっけ」
「だって綺麗だよ……」
「うん……」
鮮明な記憶だけにハーニーは感傷的になる。
自分の魔法が損得抜きに評価されたことはあれが初めてだった。それまで誰もが貴族の要素としか見てなかった中、リアだけは素直に見てくれた。綺麗だと笑ってくれた。
リアはあの時、僕の魔法で泣き止んだんだ。目を真ん丸にして綺麗だねえ、と笑って。それが僕の魔法の最初の役割だった。それくらいしかできない力だったけど、でもそれは誇らしかった。初めて自分が認められた気がしたんだ。
「ありがとう、リア……リア?」
「すぅ……」
「寝ちゃったか」
苦笑い。しかしハーニーはリアの頭を優しく撫でた。
唸り声とともにリアが寝返りを打った。窓から差し込む月星の光から逃げるように横を向く。
安らかな寝顔だった。安心してくれている。
「僕は覚悟しないといけないな……」
生きる覚悟。
リアと一緒にいる覚悟。
リアを守る覚悟。
ただ安全だけ確かならいいわけと違う。守るなら心の平穏まで。そういう覚悟だ。そうでないと傍にいていいはずがない。そうすべきなんだ。リアより年長者として。
一度、静かに、しかし大きく深呼吸をした。
「セツ。これからも力を貸してくれる?」
『貸すというのは正しくありません。それならあなたが使うというのです』
「そういう考え方はできる気がしないよ。細かいことは気にしなくていいから」
『細かいことでは』
「頼りにしてるから」
『……はい』
無機質な声は染み入るように心に溶ける。優しい声だ。そう感じる。
信頼できる存在を傍らに覚えながらこれからを考えた。
先のことはよく分からない。でも、もう受け身でいちゃいけないのは分かる。自分から行動するんだ。がむしゃらにでも、もがいても。
決心は固まって、すると道ができたように不安は消えてなくなった。前向きな睡眠をとったことは今までの記憶の中になかった。
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