ガダリア脱出 6
朝。早朝。鳥の鳴き声が森の清涼な空気を通り抜けていく。気持ちのいい湿気と草木の匂い。春先の朝だ。天気も快晴。
その気持ちいいはずの朝なのに、ハーニーは居心地が悪くて仕方なかった。原因はハーニーの左右を歩く二人。右にネリー。左にユーゴが歩いている。ハーニーを中心にしていると言えば聞こえはいいが、実際は緩衝材として置かれているというのが正しかった。
「はぁ~あ」
聞えよがしに放たれるネリーのため息。それに対してユーゴは飄々としている。それに挟まれるハーニーからは、どちらにも気づかれないほどの小さなため息が零れた。
ハーニー、ネリー、ユーゴの三人は馬車列の前方を警備のため歩いていた。振り返れば遠くについてくる馬車が見え、道の両脇にはまだ樹木が壁になっている。
ハーニーはこの組み合わせにしたパウエルを心中で恨んだ。
一番安全な警戒方向に回してくれたのは、昨日戦闘したことを気遣ってくれたからなんだろうけど、なんだって同年代って理由だけでユーゴまで一緒にしたんだ……。
ハーニー自身はユーゴを嫌っているわけではなかったが、ネリーは違う。ネリーはとにかくユーゴに対して態度が悪かった。
「よろしく~」
間延びした声で軽薄な表情を浮かべながらユーゴが合流した時、それを出迎えたのはネリーの舌打ちだった。それからも露骨に嫌い、今もネリーは不機嫌でいる。
「なんでこんな奴が一緒になるわけ」
思うだけでなく口にする辺り感心する。
ユーゴは「年が近いからだろうなー」と軽く返す。
17歳前後で魔法が使えるのはこの三人しかいない。感情論はともかく集められるのは自然だった。
「というか、ネリーはどうしてそんなにユーゴのこと嫌がるのさ」
「私はこういうチャラチャラした軽い男が大嫌いなの。ハーニーだって好きじゃないでしょ?」
「……今のところあんまりだけど、話してみないと分からないこともあると思う」
「いいこと言うねー! 俺もそう思うなー!」
ユーゴの軽い口調にハーニーは苦笑いしか浮かべられない。
ユーゴについて知っていることはほとんどなかった。ただその秀麗な外見と軽薄な雰囲気が良い印象を生まない。ネリーも胡散臭く思っているのだろう。
しかし印象だけで決め付けるのは良くないのは確か。それが分かっているからどう相手にしたものか困っているのが現状だった。
「俺と年が近いのって二人だけだろ? だから仲良くなりたいなーってね。ハーニーとネリーさん」
「あれ、僕名乗ったっけ」
「同年代の人の名前くらい事前に聞いておくし覚えておくって。特にかわいい女の子のはね」
「はんっ」
ネリーが一瞥するのを見て胸がすっとするのは、僕に問題があるというよりユーゴが軽薄だからだろうな。
「嫌われてるなー」
ユーゴは笑いながら軽口をたたく。このまま沈黙が来るのも嫌でハーニーは話題を出した。
「えっと、ユーゴさんはどうしてガダリアに?」
「おいおい。さん、だなんて距離感じるからやめてくれよ。呼び捨てでいいって」
ユーゴは女性の好きそうな中性寄りな男性な顔立ちで、すらりとしたスタイル。美青年といった風で、年はハーニーより一つ二つ年上に見える。物腰も幼くないし敬語も少し考えた結果だったのだが、本人がやめろというのに続ける気はなかった。
「それでユーゴはどうして?」
「俺は旅人や行商人の手伝いをしながらついて回ってたのさ。そうすりゃタダで街を移動できるわけだ。そんでガダリアに来たんだけど、のんびりしてたら置いて行かれたって感じ」
「薄情だね」
「別に大した関係じゃないからな。一期一会の行き連れの関係。女性との関係みたいなもんよ」
「間抜けなだけでしょ」
ネリーの辛辣な発言。
「……」
ハーニーはこめかみに脂汗を感じた。
き、気まずい。
ハーニーの懸念などどこ吹く風で、ユーゴはへらへらと言う。
「そういえばハーニー昨日の夜どっか行ってただろ?」
「え?」
昨晩。思い当たるのはネリーの湯浴みに出くわしたこと。僅かに見えたネリーの白い肌も脳裏に浮かんで赤面した。
「その様子……逢瀬だな!」
「どうしてそうなるんだよ!」
反抗しながらネリーの様子を窺う。我存ぜぬを通してそっぽを向いていた。
「いやいや、何も隠すことないって。想い人とかいるんじゃないのかー?」
「い、いない!」
口にしてまずかったかと思いネリーを隠れ見る。気にしている様子はまるでなく、己の身勝手さが表れたように感じてハーニーはあえて声を張って誤魔化した。
「そんなこというユーゴこそどうなんだよ。好きな人とか」
ユーゴは茶化した笑みで、両手で空を仰いだ。
「どこにでもいるさ!」
「……なんて?」
ハーニーが聞き返すとユーゴは咳払いをして間を置いてから答えた。
「いや、女の子を探す旅をしてるってこと」
「探してる人がいるってこと?」
「違う違う。やれやれ。ハーニーは純粋だねえ」
馬鹿にされた気がしてムッとする。
ネリーがまた露骨にため息した。
「誰でもいいんでしょ」
ずっと厳しい言葉ばかり放つネリーをユーゴは真正面から受け止めなかった。受け流すようにして流れに逆らわない。
「誰でもってわけじゃない。俺はそうだな、鋭すぎる女性は苦手かな」
「騙されやすい女が好みってわけ。ふーん。……ハーニー!」
「な、なに?」
ネリーが諭すように人差し指を立てた。
「いーい? こんなのになっちゃダメよ、絶対。これは悪い例だから」
「心外だなー」
ユーゴはへらへらと笑う。
「そうそう、昨日の話の続きだけど」
一度話に入ったネリーはそのまま話を展開する。ユーゴはいないがごとく、ハーニーだけに視線が向けられた。
「前から聞きたかったんだけど、リアちゃんはパウエル卿の養子になるの?」
「ん……」
何となくパウエルが乗り気でないのは伝わっている。それだけに答えづらい質問だ。ネリーのパウエルへの評価を考えると、出た言葉は「分からない」だった。
ネリーは首を横に振った。
「パウエル卿に考えがあるのかもしれないけど、やっぱり引き取らないより引き取った方がいいと思うの。子供にとって親は必要だから」
「うん……」
肯定と言えない相槌。親のことを何一つ覚えていない自分に言えることがある気がしない。
「誰かが親代わりになってあげるべきよ。何ならハーニーがなってあげたっていいし」
「僕が? ……無理だよ」
「どうして? 3年間一緒に暮らしたんでしょ?」
肝心な部分を口にするのには長い空白があった。
「だって僕は……親を知らないから。何をしてあげればいいか分からない」
ネリーは毅然と言う。
「それでもハーニーは一番近しい人でしょ? 親はいるべきだし」
「……」
僕だってそう思う。だけど、誰にだって必要な存在なら僕にだって必要じゃないか。
思うだけで言葉にしない。言えば場が乱れるだけ。言っても何も変わらないことなのは十分承知していた。
「俺はそう思わないな」
割って入ったのはユーゴだった。
「親なんて別に必要ってほどじゃないと思うね。いなくても生きていける」
「そう言い切れる根拠は」
真っ先に理由を聞く辺りが学者肌なのかもしれない。
ユーゴは平然と言ってのける。
「俺がそうだからな」
「いつから?」
「11歳から。それからは一人だよ」
「ユーゴは一人なの?」
「一応王都で健在だろうけど、今は関わりナシ! いないも同然よ!」
「ああ……」
自分とは違い親がちゃんといることに寂しさ。それを表に出さないように笑って見せた。
「元気ならいいことだね」
「別に。関わりなんてもうないさ」
定型的なやりとりの後、ため息が響いた。
「……この、どこか遠い会話。気持ち悪いわね」
バッサリ両断。そして居心地の悪いため息を一つ。
「……私、先歩いてるから」
すたすたとネリーは進んでいく。ハーニーとユーゴが取り残された。
「そんなに嫌わなくてもいいよな?」
ユーゴが愚痴る。それはネリーに聞こえたらしく、振り返って吐き捨てた。
「私は、そうやって茶化したふりして誤魔化し笑いする人が嫌いなのよ。そっぽ向いて話してるみたいで、男でも女でも見てて気に入らないの。分かった?」
言い切るとネリーはまた背を向けた。ハーニーとユーゴは離れていくネリーの背を呆然と眺める。チラリとユーゴを窺うと、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「彼女、苦手だな……」
ユーゴがつぶやく。鋭い女性は本当に苦手らしい。
「なんていうか……あまり気にしない方がいいよ。ネリーだっていつもはもっと優しいし」
「……もしかしてハーニーはあれ好きなのか?」
「え、ええっ? 突然何さ!?」
「いや、だってよ、俺はこんなに嫌われてるのにハーニーにはなんか優しくないか?」
「君より付き合いがあるからだよ……一日多いかどうか程度だけど」
「で、好きなの?」
「それは、知らないよ。そういうこと考える余裕ない」
嘘じゃない。知り合ってから、そんなことを考える余裕はなかった。きっとこれからもそうだ。アクロイドへ行っても、リアのため何かできることをしたい。しないといけない。
「そうかー。相性、悪くないと思うけどなー」
「ユーゴは誰にでもそんなこと言いそうだよ」
「そう見えちゃうか?」
茶化した喋りは信用しづらく、好ましいとは言えない。
しかし、その後ユーゴが見せた控えめな笑顔は真摯に見えた。
「なんかお前とは友人になれる気がするな」
「なんで?」
「なんとなく。お前は否定するのが得意じゃなさそうだろ?」
「まあ……」
否定できるほど自分を信じられないのはユーゴの言う通りだった。
「友人。友達かあ……」
一瞬浮かんだのはタック。だがすぐに違うと気付く。
僕はタックのことを何も知らなかった。表ばかり見て、どんな悩みがあるのかも知らないで、踏み込まずに友達だったって言える?
……言えるはずがない。僕は理解されたかっただけだった。
悲観的な考え。だがそれなら、とも思う。
これからなら本当の友達になれるのかもしれない。タックでも、誰でも。
「友達って何だろう」
「友達ねえ。あれだ。自分の事のように思える奴、みたいな感じじゃないか?」
「おおー……」
「……」
ふわりとした無言の間。ユーゴが照れくさそうに笑った。
「なんだなんだこんな話。恥ずかしいな。まったく困った奴だな、ハーニーは」
「君が言ったことでしょ」
「あー、そうだっけ?」
へらへらした顔にも慣れてきてハーニーは自然と頬が緩んだ。胡散臭い印象の割に結構いい人なのかもしれない。
「そういえば気になってたんだけど、その右腕の文字何なんだ? 刺青?」
「ああ、これ?」
ハーニーは状況も状況なので昨日と同じ服装だった。つまり、服、右腕には肩口からバッサリ袖がないということで、SETUに光る文字が常に外気にさらされている。それを見れば不思議に思って当たり前だ。
「んー、何て言えばいいんだろ」
どう説明したものか窮したところに無感情な声が助けに入った。
『私は魔法の補助・強化をするために創られた人工精神です』
「だってさ」
「は? え、何? 今その、腕の文字が喋ったのか?」
ユーゴが慌てふためく。
『文字、というには語弊があるかもしれませんが、そう受け取ってもらって構いません』
「おお、セツが会話に参加してる……」
『積極的になることにしましたから』
素直に聞こえるそれに嬉しくなる。
「女の子の声だぜ! ハーニー!」
「食いつくのはそこなんだね」
ネリーとはえらい違いだった。いや、ネリーが変わってるのか。
「名前は? 名前。気になるなー」
『セツと呼ばれています』
「おー、可愛い名前。ハーニーが付けたのか?」
「いや、僕じゃないよ。そういう名前がちゃんとあったんだ」
口にしたことが自分と重なって頬が緩んだ。
僕も何一つ記憶のない中、名前だけは覚えていたんだっけ……。
「そうかそうか。セツちゃん。いい名前だねえ」
「君って女の子にもいっつもそんな感じなの?」
「女の子にも、ってなんだ。にも、って。セツちゃんだって女の子だろ?」
『私は道具ですので、ナイフやフォークなどと変わりません』
「でも精神なんだよな?」
「そうらしいけど」
『……』
「ああ、怒っちゃった」
「お前も女の子扱いというか、人扱いしてるじゃんか」
「え、そうかな?」
「そうだって。怒った、とか言ってさ。でもそれでいいと思うぜ」
ユーゴは軽口に真面目な部分を混ぜて言った。
「女の子扱いするくらいでいいさ。物でもなんでも大事に扱ってあげるのはいいことだろ?」
「……うん。そうだね。本当にそうだ」
素で感心する。そう考えられるユーゴの印象が少し改められた。
「へへ、少しは見直したか? 俺だってな……」
ユーゴの言葉は中途に消える。
「ユーゴ?」
ユーゴは道の端に立つ木の上を見ていた。ハーニーも目で追うと、木の枝に隠れて鳥の巣があった。巣では小鳥が騒いでいて、そこに親鳥らしい鳥がやってくる。
「鳥の親子だね」
「ああ、そうだな」
小鳥が巣の中でパタパタ動き、それに親が獲ってきた虫を与えている。
「仲良さそうだ」
ハーニーが思ったままを言うとユーゴは少し低い声で切り返した。
「親は義務感さ」
「そうなの?」
ユーゴが驚いた顔でハーニーを見る。
「……否定されると思ったんだけどな」
「僕親いないから。よく分からないんだよ。何も言えない」
「なんか悪かったな」
申し訳なさそうにするユーゴに逆に申し訳なくなる。自分が悪い気がしてハーニーは努めて明るい声を出した。
「親の事とかもっと聞きたいよ。僕は」
「俺のは参考にならないからなー」
ユーゴは苦笑した。そしてユーゴはわざとらしい笑顔を見せた。
「女のことなら何でも聞いてくれ!」
「そればっかりだ」
ハーニーも笑う。青天の朝らしいすっきりした微笑みでそう返すことができた。
清々しく会話できる今、考えてみれば距離感を探り合うようなあの会話の中でネリーはひどく居心地悪かっただろう。どこか遠い会話。ネリーの言った通りだった。
「ネリーのところに行こうか」
「え、俺もか?」
「三人で警戒って命令だったでしょ。さ、行こう!」
『真面目にすればネリー嬢も腹を立てません』
「俺は真面目って性質じゃないんだけどなー……」
そのままネリーと合流してアクロイドを目指す。道中ユーゴは相変わらずお調子者だったが、ネリーはそのうちただ呆れるようになって雰囲気が悪くなることはなかった。
歩き詰めでアクロイドへ進んで、アクロイドに着いたのは日付が変わった頃だった。
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