ガダリア 襲撃 3

 広場にたどり着いたとき、ウィルの意識はまだあった。広場に着くとすぐに医療に携わる人たちが集まって、ウィルを囲んだ。騒ぎを聞きつけたリアと家政婦もすぐやってきて、リアはウィルを見るなり、「パパ!」と縋りついた。

 ハーニーはそれを横で見ることしかできなかった。連れてくるには連れてきたが、元気なままではない。リアにどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。

 縋りつくリアは泣き、対照的にウィルは笑っていた。苦悶の表情が今はなくなっている。


「通してくれたまえ」


 気品を感じさせる男の声。ウィルを囲むようにしていた広場の人達は、その声の主を見るなり道を作った。

 ウィルと同じ年頃に見える初老の紳士。

 周囲の人間が「領主様だ」「パウエル卿だ」と話すのが聞こえた。

 パウエルと呼ばれる男は燕尾服を纏った貴族貴族した人間だった。パウエルはそのまま近寄ってウィルの横に屈む。


「ウィル。下手を打ったな……」

「面目ない……リアのことは……」

「ああ。分かった。それだけか」


 簡潔な返事。しかしそれだけに強固な意志を感じさせる。ウィルは「それだけだ」と満足そうに答えた。

 特に何も考えられないまま眺めていたハーニーは、横で同じように見ていた家政婦に「お嬢様と二人だけにしてあげましょう」と言われ、その場を静かに離れた。自分はあの場所にいられない存在だということが、胸に引っかかった。

 ハーニーと家政婦がその場を離れたことで、周りに群がっていた人も散り散りに消えていく。ただ、この事件は危機感と不安を強く与えたらしく、奇妙な静けさが集団を支配した。

 ハーニーはウィルのところから離れて、居場所なく広場の隅の方で一人になった。


「……はぁ」


 僕は……僕は何なんだろう。ウィルさんがあんなことになってすごく焦った。とても不安だった。それだったらウィルさんは僕にとって大事な人ってことなんだろう。でもあの人は僕を貴族の子としてしか見ていない。それか、母を亡くしたリアを寂しくさせないための道具だ。僕はそう考えるウィルさんは嫌いだ。恩知らずと言われるかもしれないけれど、ウィルさんだってきっと僕が死んでも大して悲しまない。僕だけが一方的に期待していたんだろうか。

 流転する思考を止めたのは背後からの呼びかけだった。


「君がウィルのところの居候かね」


 振り返ると先程ウィルと言葉を交わしていた貴族らしい紳士が立っていた。


「居候……そうですけど何ですか」


 顔をまじまじと見る。白髪がよく目立つが顔は老けていない。30代後半に見える容姿で、表情は冷静さと厳格さを兼ね備えていた。ハーニーよりも背は高く、すらりと細い。高い視線は見下ろされているという感覚を呼ぶ。


「怒ることはないだろう。事実を述べたまでだ。それとも居候ではないと言うのかね?」


 目の前の壮年の男性を睨む。偉い身分らしいが、沸き立つ苛立ちは隠せなかった。

 紳士はそれをいなすように微かに笑む。


「なかなか元気だな。私のことは聞いているな?」

「……この街、ガダリアの領主様ですよね」

「街だけではなく、ここら一帯の土地も管轄している。ウィルから聞いていないのか?」

「何をです?」


 聞き返すと紳士の表情が変わった。眉をひそめて呆れるように呟く。


「ウィルは何も言っていないのか……苦手だとは聞いていたが、ここまでとはな」

「苦手って……僕をですか?」

「聞いた通り真っ直ぐな青年だ。魔法に向いている」

「何の用なんですか」

「ウィルの命は恐らく長くない」

「え……」


 急な通告に頭の中が真っ白になる。そうなる可能性があるのは分かっていた。それでも動揺は大きく、戸惑いが全てを支配する。


「私は今後ウィルの娘の面倒を見ることになっている者だ。自己紹介がまだだったな。パウエル・カーライルだ」


 差し出された右手をぼおっと眺める。

 握手できなかったのに悪気はない。ウィルが死ぬ。そのことが急で、想像できなくて、衝撃だった。

 やがてパウエルは鼻で笑ってそのまま手を引いた。


「助からないんですか……」

「無理だろうな」


 ウィルさんは死ぬ……。

 ハーニーはこれから先を漠然に思い描く。しかしそれはまっさらな白紙だ。

 今までただ流れに身を任せて日々を過ごしていた。記憶のないハーニーは周りの言うままにウィルのところに置いてもらい、特に理由もなくそこにいた。目的も何もない、ただ願うだけの毎日。

 しかしウィルは死ぬという。そしてリアはパウエルが面倒を見ると。

 ……リアは?


「僕は……? 僕はどうなるんです?」

「ん?」


 要領を得ない質問。立っていた地面がなくなった感覚。しかし自分を引き取ってくれるのかとは言えず、語気は弱くなる。


「ウィルさんは僕のことを何か言ってました……?」

「特には」


 一時の沈黙の後、ハーニーは俯いて唇を強く噛んだ。

 所詮その程度の関係だったんだ。心のどこかで自分は家族を得た気になっていたんだ。でもそれは僕だけで、ウィルさんは何とも思ってなかった。

 そう思うと自分の居場所がないと感じて、眩暈がする。


「私は──」

「パウエル卿!」


 息を切らしながら走ってきたのは、魔法剣士の正装を身に纏った貴族だった。この街の防衛隊の貴族は、パウエルに相対すると背筋を正して報告を始めた。


「ガダリア東部の斥候から報告! カガン川を越えたところで交戦したとのことです!」

「その後の連絡はなしかね?」

「交戦したとの魔法信号が出てそれっきりです。恐らく……」


 報告をする貴族は緊張しているのか言葉は堅い。今にも逃げ出しそうな不安顔は現状がどれほど危ないのか痛切に物語っていた。見ると足は震えている。

 この街を戦火が飲み込もうとしている。それをあらゆる事柄が示していた。


「私が行こう」


 パウエルの自信に満ちた落ち着いた声。「馬車の用意をしてくれ。それと……」そう続けてハーニーを見た。


「君も来たまえ」

「ど、どうして僕がっ」

「自分の街を守るのは当然だろう」

「自分の街……?」


 どうしてもそうは思えない。


「ならば別の言い方をしよう。君は魔法が使えるな。力を持つ者には義務がある。力を持たない者たちの分まで為さねばならん。魔法は不慣れと聞いたが、襲撃者を撃退したのならそんなこともあるまい。そうでなければ実戦で慣れればいい」


 まるで投げ捨てるような言い種。淡々とした言い回しは自分をただ数としか捉えていなかった。

 理屈は分かっても、反発したいだけの気持ちが口を突いて出る。


「……そんな無茶な。僕は魔法のことなんて何も知らないんですよ」

「だが君は力を使って見せた。ならば貴族としての責任を果たしてもらう」

「僕は貴族じゃありません!」

「では人としての責任だ。それとも何か。君は誰かの陰で隠れていないと何もできないのかね。誰かに庇ってもらわないと、ろくに前すら分からないか」


 その言葉はハーニーの心を深く抉って木霊した。自分はそんなんじゃないと言いたくて、違うと言いたくて、だけど否定できない自分がいる。それが何より悔しく、情けなく、ハーニーは「くっ」と拳を握る。

 涙が出そうになるほど悔しくなって、「行けばいいんでしょう!? 行けば!」と叫んだ。

 パウエルは不敵に笑い、それがまた憎らしかった。





 パウエルに乗せられた馬車は簡素な木造で、赤い鳳の紋章が形どられた旗だけが取り付けられていた。進行方向を前にするようにハーニーが座り、対面にパウエルが腰かける。パウエルは一振りの杖を持つだけで、他に何も持っていなかった。

 馬の嘶きと鞭の音が外から聞こえた。

 車輪が回り始める。がたがたと揺れながら、左右にある窓の景色も流れていく。まだ街の中だから窓から見えるのも民家ばかりだ。

 ハーニーは威勢よく啖呵を切ってから一度もパウエルと口を交わしていない。居心地の悪い沈黙を、流れる景色をただ眺めることで誤魔化していた。

 街の東門を抜けようという時、パウエルが口を開いた。


「その右腕に着けているものは何かね」

「これは……そうだ。ウィルさんがあなたに渡せって言ってたものです。屋敷で襲われたときに助けられました」


 ガントレットを外す。外すと隠れていたSETUの焼け痕が薄く光っていた。皮膚が発光しているのに痛みや違和感はなく、むしろ妙な温もりを感じる。


「それが例の魔力増幅器か」

「知っているんですか?」

「ウィルがいいものを手に入れたと言っていたのを聞いただけだ。詳しくは知らんよ」


 パウエルがガントレットを手に取ってあれこれ観察する。しかし、すぐにそれを横に置いた。


「どうやらこれはもうその機能を失っているようだな。既にただの鉄塊だ」

「そんな……」


 ウィルの意志を思い、心苦しくなる。


「これのせいなんでしょうか」


 ハーニーは焼き付いたSETUの字が薄く光る右腕を見せる。パウエルはちらりと見て、興味なさげに目を離した。


「どちらにせよ、私には必要のないものだ。ウィルのお節介だよ。私はそんなものがなくても負けることはない。それに関しては君に任せる」

「任せるって何です」

「君はそれを使ったんだろう」

「それは、そうですけど」

「なら君が使うべきだ。私には」


 パウエルは横に立てかけていた杖を撫でる。


「これがあるからな」


 上部に鳳を象った赤い鉱石が目立つ杖。年季を感じさせる傷みが見て取れた。

 ハーニーは何となしに自分の右腕に目を落とす。依然として薄緑に発光している。次にガントレットに目をやった。

 あの時聞こえた女の声は、あのガントレットからなんだろうか。でも、今はガントレットから何も感じられないと言うし、それにこの腕に焼き付いたSETU……僕は何か使い方を間違ってしまったのかもしれない。

 あれ以来女の声は聞こえない。幻聴だった可能性もある。


「君はウィルのことが嫌いか」

「えっ」


 突然の質問だった。

 どう答えようか。無難なことを言うべきと思いながらも、なぜかこの男に取り繕って嘘をつくのが馬鹿馬鹿しく思えた。

 それでも目を見て言うことは出来ず、俯いたまま。


「……嫌いじゃないです。だけど好きでもないです」

「なぜ」

「ウィルさんは……僕を貴族の子供だから置いていただけなんです。本人は隠そうとしていたようだけど、でも、僕を見る目がいつも……嫌だった」


 ウィルの自分を見る目が脳裏に浮かぶ。思えば彼に対していい思い出が何もなかった。ただ、リアと自分との扱いの差だけが強く記憶に残っている。

 そしてそれを決定づけること。


「ウィルさんは……あなたに僕のことを何も頼んでいないんでしょう?」

「……」


 返ってきたのは沈黙だった。やはり、という気持ちと一緒に、どこかで期待していたことへの失望も覚える。


「どうしてそんなことを聞くんです。嫌いか、だなんて」


 ハーニーが質問の意図を聞くとパウエルは窓の外に首を向けた。街の東門はすでに抜けていて、平原の景色が流れている。


「ウィルが長くないことをどう考えているのか気になってね」


 改めて言葉にされて会話が詰まる。少ししてはっきりと言った。


「僕はあの人に恩を感じていますけど、やっぱり好きになれません。でもいなくなると、それはなんだか心を抑えつけられるような……嫌な感じです」

「その程度の関係だったといえばそれだけだが、お互い様なんだろうな」


 パウエルは外を向いたままハーニーを見ない。


「ウィルは君を羨んでいたよ」

「えっ」

「あいつは自分のミスで妻を亡くしたと悔やんでいた。商売敵に恨まれてな。それ以来、金を集めることだけに必死になった。金があれば……いや、金がなくては守れるものも守れないとでも思っていたのかね。そのためなら何でもやっていた。憎いはずの仇すらも復讐したいだろうに利用した」

「それと僕とどう関係があるんですか」

「……あいつは自分の目指すもののために心を抑えつけていた。だから君の実直さが妬ましかったのだ。それに君が顔色ばかり窺うのも気に入らないとも言っていた。いつだったかな……以前共に酒を交わした時にそう漏らしていた」

「……」


 どう答えたらいいのか分からなかった。また、どんな表情をしてみせればいいのかも分からなかった。

 パウエルは遠くを見つめながら尋ねる。


「記憶も、身寄りもない君が引き取られたのは何故かね」

「……たぶん、僕は魔法が使えたから。貴族の子だからその富を狙ったんでしょう?」

「違うな。貴族にも色々いる。貧乏な貴族も多く存在する」

「じゃあどうして……」

「焦っていたんだ。あいつは」

「焦る?」

「ああ、そうだ。ウィルは先の危険を予見していた。万が一に備えて、娘を守る後ろ盾が欲しかったのだよ。貴族の子である君を家族として迎え入れて懇ろになれば、何かあった時君は放っておかないだろう?」

「ま、待ってください。懇ろになればって、僕はいつもあの目を向けられて……!」


 パウエルは苦笑した。


「そこがウィルの誤算だった。引き取ってみたはいいが記憶は戻らず、親密になるはずが対極な君の存在は目に余る。素直な生き方が眩しくて、見ていられない」


 パウエルは一つ息を落とす。


「確かに、君を打算で捉えていたのは間違いない。しかし、それが金銭欲だけではないのは君も分かるだろう」

「……」

「平和に生まれた世代の娘なのに、とぼやいていたよ。今からすればさすがの先見性だな。一代であそこまで成り上がっただけのことはある」


 既に思い出を話すような口ぶりに胸が痛む。

 ハーニーは顔を上げられなかった。ただじっと自分の膝に置かれた握り拳を見つめる。

 呟きは下に。

 パウエルに対してというより、自分に向けるように。


「僕は……嫌な奴でしょうか」

「さあな。それを決めるのは私ではない。そうなりたくないないのなら、その力を無駄にしてはいけないな」


 正論。少なくともハーニーは正論だと思った。彼は正しいことを言っている。常識的なことを。

 しかしハーニーは心に靄がかかったような不快感を消せなかった。それが何なのかは分からない。

 馬車はカガン川にもうすぐ着くところまで来ていた。


「……パウエルさんはそう思って行動するんですか?」


 そう聞いた自分の姿がパウエルにどう映っていたのか分からない。パウエルは目を見開いて、何かに気付いたように唖然とした。


「そうか……なるほど、よく分かった。気に入らないわけだ……む。馬車を止めてくれたまえ!」


 パウエルは横に立てかけてあった杖に手を伸ばす。杖を手に取り何事か呟いた。声はなかったのかもしれない。口を動かすところは見えたが、音は聞こえなかった。

 カツン。

 パウエルがしたことは杖で馬車の床をノックしただけだ。木と木がぶつかって音が鳴る。それだけだ。

 だが、その響きとともに物に作用しない風のようなものがそこから発した。

 魔力だ。

 直感的に悟り、自分の右腕に疼きを感じる。

 瞬間、轟音。

 かまどの炎の音が何倍も増大したような爆音。

 腰かけていたところが消えた感覚。ハーニーは重力に従って地面に腰を打ち付けた。


「っ、これは……」


 見上げるとパウエルが空に立ち昇る炎壁を背に立っていた。馬車は火を発生する間もなく消し炭になり、車輪もなくなっている。馬車前方から飛んできた魔法を防いだらしい炎の壁は、馬車の馬がいた辺りで轟々と燃え盛っていた。御者はどこかと思えば、馬を連れて逃げていくのが目の端に映る。

 ハーニーは整地された地面の上で呆然と座り込んでいた。

 パウエルは高くそびえる炎壁を背景に、低い声で告げた。


「ハーニー君。君は生きていないな」


 返事を待たずパウエルは言葉を重ねる。


「生きる理由がないのに生きている。だが、それは生きているとは言わない」

「え……?」

「相手の顔色ばかり窺うのもそうだ。それは自分に自信がないからだろう。何をすればいいのか分からないから、相手の要求に身を任せようとする。君は……君を君足らしめるものがない。だから周りに流されるのだ。自ら流れに乗るのではない。ただ流されている。それが今の君だ」

「どうしてそんなことが……!」


 パウエルはハーニーを見下ろしながら、淡々と言ってのける。


「私には分かるんだよ。どうやら私と君は似ているらしい。以前の私と、というべきか。……嬉しくはないがね」

「似ている?」

「当然似ているというだけだ。私には……生きる理由がある。そして人の顔色を窺わない。その点で君とは違う」


 ハーニーは不思議な心地にあった。言っていることがすんなり入っていく。普通に言われたなら邪魔をするだろう何かが心の内にあるだろうに、今この時はそれがなかった。パウエルの澄んだ目。真剣で誠意的な表情が、非難しているわけではないと語っていた。

 純粋な疑問が口を動かした。


「どういう……理由で生きてるんですか?」

「誇りだ」


 たった一言。


「ただ誇りのために私は生きる。気高き人間であるために戦う。それが私たちを隔てる決定的な違いだ」


 誇り。

 その言葉の意味はもちろん知っている。だがパウエルが放ったそれは、神聖なヴェールに守られた別世界の言葉に聞こえた。


「いいかね。ただ受け取るばかりでいてもそれは真に得たとは言わん。生き抜くための理由は与えられるものではない。人の様子ばかり探して……目の奥ばかり覗いて生きるだけでは何も始まらんのだよ」


 糾弾ではない。ただ事実を述べていた。

 そして冷静沈着だった今までと異なり、熱意を込めて彼は語る。


「自分で選んでこその理由だ。訳だ。命だ。それでこそ足るもの。それを見つけるまでは……死なないことだな」

「っ!」


 ハーニーは何か言おうとした。まっさらな思考で何かを言おうとしたはずだった。

 それはパウエルの手で制される。


「さて、君の力がどれほどのものか見せてもらうぞ」


 パウエルの目つきが変わる。それはここが戦場であるということをはっきりと認識させた。

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