湖畔の魔女 11
リインフィルと女の子の二人はリインフィルの家の傍、湖から真逆の方向へ少し行った辺りの場所にいた。
リインフィルは木にもたれかかるように座りぐったりしている。女の子は傍で不安そうに屈んでいた。
「あっ」
ハーニーが合流したことに気付いた女の子はすぐに駆け寄ってきた。
「あ、あの! 逃げてきたんですけど、体の穴が塞がらなくて……! 私どうすればいいのか……」
「……大丈夫って何度も言ってるのよ。でもセツちゃんは聞いてくれないわ。あなたからも言ってくれる?」
こんな状況でも『らしさ』を失わないのはすごいが、ハーニーのいらだちは消えない。むしろ腹立たしくなるほどだ。
「……そうね。あなたは怒るでしょうけど、これは普通の怪我とは違うのよ。精神的ダメージなの。大げさに考えてもらったら困るわ」
「大げさに考えるべきことですよ!」
ハーニーは怒りを表に出して近づく。
「心を削る感覚なんでしょう!? 異常じゃないですか! 廃人になるかもしれないってことじゃないんですか!?」
リインフィルはバツが悪そうに顔を背けた。
「……私は大丈夫よ。何度も経験しているわ」
「だからそれが僕には許せないって……ッ!」
詰め寄ろうとすると女の子が間に入ってくる。
「だ、だめですよ。怪我してる相手に怒っちゃ……」
「くっ」
女の子も零体だから無理やり近づくこともできるが存在を無視する動きはしたくない。それに彼女の言うことは正しい。
……でも、何だって言うんだ。リインフィルさんはまるで分かってくれない。心を読めるんじゃないのか。
僕はただ心配しているだけだっていうのに。
ふっ、と浅いため息が零れた。
「……あなたって結構頑固よね。──それじゃあ、セツちゃん。家から代わりの箒を持ってきてくれる?」
ハーニーが細い目を向けた。
「何に使う気ですか」
「心配性ね。別にそれで戦いに行こうとしてるわけじゃないわ。あれは霊体でも触れる特殊な物なの。つまり現実と私との仲介物よ。傍にあれば存在を実感できる──要は回復するってこと。……これは。これは嘘じゃないわ」
随分強調するが確かに嘘を吐いているようには見えなかった。女の子の判断を委ねる目に頷く。
「……それじゃあ持ってきます」
「家の周囲には結界があるわ。安心して行って」
「はい」
女の子は小走りに木々の中へ消えていった。
リインフィルと二人きりになってすぐに会話は起きなかった。微かな風が風が頬を撫でるのを感じていると、次第に心も落ち着いてくる。
やがて口を開いたリインフィルの声は罪悪感が滲んでいた。
「……私が霊体だってこと、黙ってたのも悪気はないの」
「……分かってます。でも、話してくれてもよかったじゃないですか。自分を犠牲にしようとしてたことだって……」
「言えばあなたは反対すると分かっていたから。……生きているあなたの負担になりたくなかったのよ」
「だからって一人で抱え込むのは寂しいですよ……」
「そうね……私もそう思う。……うふふ。私は始まりからこうだったから、自分で留めることが正しいことに思えちゃうのよ」
「始まり?」
「そう。私がマリちゃんを抑え込む役割を受け入れた、始まり。あなたには聞く権利があると思うわ。だから話すことにする。セツちゃんが戻るまでの間ね」
リインフィルは一度深呼吸をすると物語を聞かせるように話し始めた。
「私は魔女になり魔法を探求した。あるとき一つの疑問が沸いたわ。想いが魔法になるのなら、表出しない想いのエネルギーはどこに行くのか。そして気づいたのよ。大気に混じる魔法の素は想いを……皆の無意識までも読み取るということ。結果、マリちゃんとしてエネルギーは発散されるってね」
リインフィルは失笑した。
「もちろん他の魔女たちに相談もしたわ。対策すべきだと提言もした。でもね、魔女は魔法を考えの中心に置くでしょう? 置くのよ。だから、マリちゃんのような魔の存在が世界を滅ぼすならそれが理だと思うみたいで、達観してたわ。私は魔女じゃない普通の人にも伝えようとしたけど、ダメね。誰も真に受けなかった。信じてくれたのは何年もしてから……戦争が始まって悲しみが広がって、マリちゃんが各地に出現して街を襲い始めてからだったわ」
リインフィルは悲しみを見せなかった。事実を事実として受け止めた者として言う。
「そしてそうなってしまえば最後。負の感情から生じたモノで負の感情が生まれる。災厄の連鎖。手遅れね。……あなたは世界が滅ぶってどういうことだと思う?」
それは話の中で疑問に思っていたことだった。口ぶりからして世界は滅んだと言いたいようだが、今、こうして自分は生きている。世界は存在している。
首を横に振るとリインフィルは視線を尖らせて言った。
「リセット……世界はやり直されるのよ」
「やり直される……?」
「人は不幸を耐え続けることができないのよ。いつかは諦めてしまう。私の世界の人も皆、最後は諦めたわ。その諦念は魔法に乗って世界を変える。都市、文化。どれも消えて、国という括りがない時代と同じようになるのよ。……いい? あなたの世界と私の世界は同じ場所にあるけれど、連続していないの。ひょっとすると私の世界も何度もやり直された後の世界かもしれない」
「そ……そんな無茶苦茶な話を」
「信じられない? それもそうね。自然だわ」
あまりに異常で荒唐無稽で信じられないような話だった。
口頭で信じるには規模が大きすぎる。
リインフィルは少し必死な様子で言葉を重ねた。
「あなたの世界でいう古西語は元々私の時代で主流だった言葉。そして私の使う魔法陣の技術はこちらの世界では広まっていない。さらに歴史を辿れば、ある時期から過去は謎に包まれているはずよ。これらが私の話の証左。他にも、今の世界で誇りが大きな意味を持つことも、無意識下で心を守ろうとした結果かもしれない。……まだ信じてもらえない?」
「……じゃあリインフィルさんは? リインフィルさんは前の世界の人なんですよね? ならどうして残って居られるんです? それに……霊体として在る。どうしてリインフィルさんだけが?」
リインフィルは何かやるべきことを終えた時のような穏やかな顔をした。
「マリちゃんに生きている人は勝てない。……私は心魂を身体から離す魔法を研究したわ。ひたすら、それだけに時間を費やした。……でも、完成した時には人々の気力がなくなっていた。もう戦ってどうにかなる段階じゃなくなっていたのよ」
もしマリスが街に現れたら。
結果は知れている。対抗手段はない。自分のように何をしても攻撃が届かないのだ。蹂躙されるほかない。人々が諦めるのも自然なことなのかもしれない。
「私は……魔女として世を捨てた身だったけれど、その世界が好きだった。だから責任と、私の世界があった証のために──私の世界が無駄ではなかった証のために、生命を捨てたのよ。そして悪意の源泉だった湖を閉じてマリちゃんの発生場所を限定した。そして世界の再構築を見守ったというわけ」
リインフィルは誤魔化すように笑って「だから正確には私は死んだわけじゃないかもしれないわ。肉体を捨てて霊体になっただけで、あなたと同じ生きているのかも……なんて。うふふ難しいわね。何百年も在るのに、生きている、は」と軽い口調で言った。
恐らく場を暗くしないために言ったのだろうが、ハーニーは顔を上げられなかった。
全てを聞かされた今、リインフィルの想いが、色々なところで感じられるからだ。
最初から話してくれなかったのは、この事実が重荷だと実感しているから。そのためにたくさんのことを隠してくれた。
食べ物は要らないこと。物には触れないこと。椅子が二つあることに喜んでいたのも今思えばなんて寂しい話なのか。今の彼女では物を用意できないから、偶然あったことがそれほど嬉しかったのだ。
今までのたくさんの献身は、彼女が世界に向けてするように優しかった。
だからこそ、ハーニーは目に涙を浮かべて否定した。
「僕は……僕だけでもその献身を受け取りたくないです」
「……うふふ。だから隠してたのよ。甘えたくなっちゃうから」
「リインフィルさんはずるい……人の心を読んで、それなのに自分ばかり隠して。いいじゃないですか甘えても。僕は重荷に思いませんよ……」
「あなたには守るべき人たちがいるわ。その邪魔はしたくないの。それにあなたじゃ勝てないから、ね? 気にしない方がいいわ。あなたは悪くない。仕方のないことなのよ」
仕方ない。
一瞬受け入れかけて、サキの顔が浮かんだ。
あの時も仕方ないと思った。仕方ないということにしてしまった。
それは、今も本当に仕方ないことなのか? 仕方ないで済ませてしまっていいのか。
「……いや」
ハーニーは涙を拭った。
リインフィルの自分への慰めの終着を思えば、安易に受け取ることはできない。
自分が諦めるということは、彼女を暴力の渦中に置き去りにするということなのだ。
分かっていて見捨てることなどできない。
……覚悟はできているはずだ。
死ぬ覚悟じゃない。命を賭ける覚悟は。
ハーニーはリインフィルを真っ向から見た。
「僕は絶対に諦めない。同情や献身じゃなく、僕自身の意志としてリインフィルさんを放っておかない。僕の守りたい人の中には、もうリインフィルさんもいるんだ」
「でもあなたじゃどうしようもないでしょう? あなたにはどうすることもできないのに……──無茶よ。それは」
考えを読まれる。止めてくると思っていた。でも今のリインフィルに力づくで止める力はない。
「リインフィルさんはここで休んでてください。動かずに。僕は……話をつけてきます」
「説得が通じる相手じゃないのよっ。待って! 危険よ!」
リインフィルが呼び止めるのを無視してハーニーはその場を後にした。
向かうはリインフィルの家周囲の結界、その外縁へ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます