パウエルの故郷 2
良く晴れた午前時。馬車は不規則に揺れながら低速で進んでいた。旧王都から南に続く道は人々によって自然と踏み慣らされている。緩やかな傾斜のある草原は見晴らしがよい。
「君は本当に変わり者だな」
馬車は貴族用のもので内装がしっかりしている。向かいに座るパウエルは呆れていた。
「豊穣祭の前という数少ない安息日を長い移動時間に使うとは」
「移動が目的じゃありませんよ。パウエルさんの故郷を見るのが目的ですから」
今日はパウエルが故郷に戻る日だった。パウエルは以前約束した通り、旧王都を出る前に一声かけてくれたのだ。本当についてくるとは思っていなかったようだが。
「リアの目的はハーニーとお出かけすることだよ! だからもう達成! 達成中ね!」
横に座るリアはうきうきしながら外の景色を眺めている。遠くに見える馬車に手を振ってみたりとすごく元気だ。
パウエルの故郷へは一泊二日。リアを置いていく気はないので、二人で旅行ということになる。
「私が分からないのはハーニー君が来たがる理由だ。私の故郷、ライル村は何も変哲もない村だぞ。元はカーライル領だったが私は飛ばされて、今はトッド・アデルが領主のアデル領だ」
パウエルの横でだらしなく座るアルコーが鼻で笑った。
「別に誰が領主様かなんてこいつは気にしてねえだろ。へっ。ハーニーはパウエルの失敗談を知りてえんだよな? その偉そうな鼻を明かしてやりてえのさ」
「そうなのかね?」
「違いますよ!」
アルコーは上機嫌に笑う。馬車にはパウエル、アルコー、ハーニー、リアが乗っていた。
一つ分からないことがある。
「僕からすればアルコーさんもいるのが不思議なんですけど」
「固いこと言うな。俺にとっても思い出深い場所なんだよ。ライル村は」
「そうなんですか?」
アルコーは懐かしむように目を細めた。
「俺の家、コールフィールド家とカーライル家は昔っから交流があってな。小さい頃から一緒に遊んだもんよ。十年前の東西戦争のずっと前、まだ小国がいくつもあった頃の話だ」
パウエルとアルコーは旧知の仲と聞いていたが、詳しいことは知らなかった。聞いてみればなるほど、毛色の違う二人が親しい理由が分かる。
「まだガキだったからな、戦時はカーライル家に預けられてたんだよ。リオネルの爺さんに師事を受けたこともあんだ」
「まあ、そういうことだ。アルにとってもライル村は思い出深い」
アルコーが「出たよ、こいつの話をまとめる癖」と言いたげに肩をすくめた。大げさな仕草が面白くて笑ってしまう。
「結局君の目的は何だというのかね」
「パウエルさんみたく強くなりたいから、って言ったら信じてくれます?」
「……ふうむ」
パウエルは納得していなかった。
「偉大な魔法使いアルコー様のようになりたいから、だったら信じてくれたかもなぁ? はっはっは!」
アルコーが茶化してくれたおかげでやり取りは流れる。
「……まあ、構わんがね」
パウエルは乗り気ではないらしい。アルコーが言うように知られたくない過去がある風には見えないが、自分たちが同伴することを気にしているようだ。
「僕は楽しみですよ」
一応言っておくが、パウエルは頷くだけだった。
「わあ! 見て見て! 羊がたくさんいる!」
「あー、ありゃ羊飼いだな。近くに犬もいるだろ」
「ホントだ! おーい! こんにちはー!」
リアがぶんぶん手を振る。何回か大声を出したところで反応が返ってきた。
楽し気な雰囲気のまま馬車は往く。ライル村に着いたのは昼過ぎのことだった。
◇
ライル村は事前に聞かされた通り平凡な村だった。この地域の民は主に農業と畜産業に就いているのだろう。村周りの道はよく整備されている。住民も地域一帯に散らばっていそうだ。
ライル村の入り口にさしかかると槍を持った門番が馬車を止めた。
「何者だ。馬車からして貴族のようだが」
毅然とした物言いでこの門番も貴族だと分かる。
「まともな仕事をする貴族を久々に見た気がするぜ」
アルコーが小声で笑う。失礼だがハーニーも同意見だった。
「ライル村には着いた。降りた方が話も早い」
パウエルがそう言ったので皆降りる。顔を見てすぐに門番の態度は変わった。
「カ、カーライル家の方とは。とんだ無礼を……」
「番人として責務を果たしているだけだろう。何も気に病むことはない」
「し、しかし」
「私はもうこの街の領主ではない。ただ故郷に帰ってきた一人の人だ。通してくれればそれでいい。長居をする気もない」
それは暗に現領主に伝えなくてもいい、という意味を含んでいた。番人は頷き、パウエルは歩みを始める。
村に入ってすぐにざわめきが起こった。
「おい、あれ」
「パウエル様じゃないのか?」
村人の反応は戸惑いがあるものの敵対的ではなかった。若者は訳の分からぬ顔をしているが年長者は有名人を見たように驚いている。
「ガダリアに移ってから戻っていない。故郷といっても古い故郷だ」
「9年ぶりくらいってことですか?」
「戻りたいと思わなかったのだ」
今は戻りたいと思えるということだろうか。真意は読めないまま、村長のものらしき大きな家の前に着いた。声をかける前に家から三十代に見える男が出てきた。
「パウエル様! よくいらっしゃいました!」
恰幅のいい男だ。やたら嬉しそうな顔をしている。
「エバンス、そんな話し方はよせ。昔のままでいい」
パウエルとは知己の仲らしい。エバンスと呼ばれた男は快活に笑った。
「ハハ。とはいってもなあ。立場ってもんがある」
「平民か貴族かなど昔は気にしていなかっただろう」
「そうじゃない。村長と客人の貴族って意味だよ」
「村長だと?」
「この十年ばかりで随分変わったんだよ。銭勘定ばかりしてた俺が今や村の長だ」
アルコーが割り込むように鼻で笑った。どこか嬉しそうな声色だ。
「ハッ。さては脱税でのし上がったんだろ。お前は昔っからケチだったからなぁ」
「アルコーは相変わらず口が悪いな。無精ひげからして所帯も……」
エバンスはちらりとパウエルを窺い、言葉を止めた。
「いや、それはいいか。今日はどうしたんだ」
「時間ができてな。私たちの家はまだ残っているか?」
「当たり前だ。でも、せっかく帰ってきたんだ。今晩はうちで──」
三人とも同年代だ。昔馴染みで馬も合うのだろう。話は弾んでいる。
『……仕方ないでしょう』
「分かってるよ」
つい素っ気なくなる返事。
僕はここでは部外者だ。否応なくそれを見せつけられる。身勝手なため息が出た。
故郷で普通の友人がいる。当たり前のことがパウエルらしくなく感じ、強い疎外感を覚える。
僕にだって故郷があるはずだ。
いつの間にか自分に言い聞かせていた。その気持ちの根っこが嫉妬だと気づき、ハーニーは唇を噛んだ。
「そうか……一泊だけの帰郷か」
「私もようやく帰ろうと思えたのだ。妙な気遣いはいらん」
「そうか。でも食事くらいは運ばせてくれよ」
「それは」
「気遣わなくていいと言ったからには金をもらうさ」
「ふっ。変わらんな。では私たちは行く。村を出る前に顔は出す」
「ああ。良かったよ、本当に」
話は終わったらしい。エバンスは安堵していたが理由は分からない。そもそもエバンスについて何か知りたいとあまり思えなかった。
「大分変わっちまったなあこの村も」
パウエルの家へ向かう道中、アルコーは来た道を何度も振り返りながら寂しそうな顔をした。
「昔馴染みの人がいて、懐かしいって言ってばかりだったのに『変わった』って変じゃないですか?」
「お? 何怒ってんだ?」
「え、ああ、別に怒ってるわけじゃ」
言われてみれば嫌な言い方をした気がする。
アルコーは深く追求してこなかった。
「まぁ、あれだ。場所は変わらなくても人は年を取って変わる。すると変化が大きく見えんだよ。俺まで老けた気になってきやがる」
「実際老けただろう。私もお前もあと数年で四十歳だぞ」
「あーあー、聞きたくねぇなあ。お前だけ年ばっか数えててくれ」
「ふむ。逐一歳を報告してやろう」
「へっ」
友人同士の会話で雰囲気は元に戻る。
ハーニーは歩く速度を落としてパウエルたちに先を譲った。小声で右腕につぶやく。
「どうも僕はダメだな。いつもなら気にならないことが目について、その度自分が嫌な奴に思える。……実際嫌な奴だけどさ」
『ハーニーは嫌な奴ではありません』
「え? あ、ああ」
微かな違和感。セツが理屈抜きにこういうことを言うことがあっただろうか。
アルコーは変化を口にしていたが、セツも変わりつつあるのかもしれない。
考え事を止めたのは左腕を引っ張る力。
「ハーニーは良い子だよっ。リアだってお父さんお母さんと仲良くする子見たら、むむむーっ、てなるもん。羨ましいだけだよ」
「……そうだね」
笑って見せる。リアも笑みを返してきた。
ただ心の曇りは晴れない。
気になっているのは、羨望や嫉妬の感情を持つ自分自身だ。僕は大切な人もできて友人もできた。この上故郷まで求めるのは強欲なんじゃないか。それに、頼んで連れてきてもらったのに、羨みから雰囲気を乱すなんて自分勝手すぎる。
そこまで考えてなお、羨ましがって何が悪い、という気持ちが消えなくて自分を嫌いたくなる。だが帰りたいと考えても思いつく『場所』はない。
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