パウエルの故郷 3
パウエルの家は村の外れにあった。周辺に民家はなく、少し離れたところに小川が通っている。村の中心から離れているため物資調達は大変そうだが、パウエルはここの領主だったのだ。それくらい何とかなるのだろう。
家は二階建てで広い庭があった。庭は誰かが手入れしているのか整っている。ただ領主の家にしては小さく見えた。
不思議そうに家を眺めるのに気づいたのか、パウエルが説明してくれた。
「領主の屋敷はライル村の南方にある。今はアデル家が使っているか。この家は私が個人で建てたものだ。入りたまえ」
定期的に掃除するよう村人に頼んでいるのだろう。家の中は庭と同様、手入れが行き届いていた。家具など置いてあるが、使用感などはほとんどない。まるで新築の一軒家だ。
「さて私はこれから出てくるが、君たちはどうするかね?」
「俺はもっかいライル村行っかなぁ」
「僕は……」
言葉に詰まる。
たぶん自分は嫌な顔をしているんだろう。パウエルたちはバツの悪そうな顔をしていた。
たまらず視線を逃がす。
「リアはどうする?」
「んーとね、探検したい! 綺麗な川もあったよ!」
「……じゃあ、僕たちは残ります」
「んふふ」
リアは少し誇らしげに見上げてきていた。
なんとなく、リアは村に行きたくない僕を思いやってくれたんじゃないかと思う。だから自己嫌悪のため息は吐けない。思いやりを無駄にはできない。
「ふむ。家の鍵は開けておく。部屋は自由に使ってくれていい。……む」
パウエルは少し思案した後訂正した。
「いや、二階の右奥の部屋は入らない方がいいか。……倉庫代わりの部屋でな、掃除もそこだけ頼んでいない。衣類ばかり詰め込んでいるからひどく埃っぽいだろう」
「分かりました」
「ならいい。留守は任せる」
パウエルが出ていこうとするのを呼び止める。
「パウエルさんはどこに行くんです?」
「過去の清算といったところだ。この村を離れた時、ろくに挨拶もしなかったのでな」
「おぉ、ついでに俺の悪さも謝っといてくれ」
「自分で行け。ではまた夜に。夕食は届けてくれるそうだ」
パウエルは相変わらず堂々と出ていった。
残されたアルコーは穏やかな顔をしていた。
「あいつもお人よしだ。何も謝るこたぁねえのによ」
「ずっと前のことだからですか?」
「いいや。誰より辛い時期だったからだ。他に気を回す余裕がないことなんて、皆分かってた。それでも筋を通そうとするからあいつはアホだな」
ハッ、と気づく。
「……奥さんとお子さんを亡くした時なんですか。村を出たの」
「正確には国の命令で追い出された、だがな。全部同時期の話だ。家族を亡くし、領地も奪われた。俺らが27の時だっけか。村の奴らも皆悲しんでたよ。パウエルはいい領主だったんだ」
「……僕は」
ポン、とハーニーの頭の上に雑に手が置かれた。
「馬鹿、何も気にすんじゃねえよ。邪魔になんかなってねえ」
「そうですか……? 僕は明らかに部外者な気がします」
「俺らも今や部外者だ。てか考えてみろ。嫌だったらお前に声かけねえだろ」
「でも僕はここに来てから思ったより嫌な奴ですよ」
「んなことは大したことねえよ。ガキが心配することじゃねえ。というかだな、お前はもっと自分に自信を持て!」
「え」
「お前は自分が周りに悪影響しか与えてないと思ってる節がある。良い影響の方が多いのにも関わらず、だ」
「それは、なんか話が飛んでませんか。あまり関係ないような」
「かぁー、出た出た。褒め言葉を素直に受け止められねえの。自信がないからなんだろうな」
厳しい言い方だが思いやってくれているのは分かる。苛立つことはない。
「難しいですよ。僕には」
「……ま、俺も無理にとは言わねえ。だがそれならガキの仕事をしろ」
「何ですかそれ」
「旅行に出かけたら子供は楽しく遊ぶもんだ。へへ。多少問題起こしても俺が何とかしてやるよ」
「問題なんて起こしませんよ」
「例えだ例え。悪戯ってのは思い出になる。思い出作りゃ、お前にとっての故郷になるかもしんねえだろ?」
「おお」
とてもすごいことを聞いたような感覚になった。
「というかバレてたんですね。僕が故郷を妬んでたの」
「お前の我がままは分かりやすい。気遣いは巧いけどな」
恥ずかしくなって俯いた。
アルコーは笑った。
「そんじゃ、俺も行くわ。なんてったってここはお前の羨む俺の故郷だからな!」
「茶化さないでくださいよ!」
そう返した時、自分は自然に笑うことができた。
アルコーは満足そうに村へ向かって行った。なんだかんだ彼も大人なのだ。自分なんかより気配りがずっとうまい。
「さてと、僕らは何して過ごそうか」
「探検! 近くに綺麗な川が流れてたよ!」
リアは元々お金持ちのお嬢様だ。外に出ることが少なかったせいか、好奇心は人一倍強い。
「外で過ごすのは僕も賛成かな。今朝は変な夢のせいで鍛錬さぼっちゃったし」
魔法で身のこなしを補えるとはいえ、基礎体力は付けるべきだとサキさんの記憶も言っている。毎朝走り込みと素振りは習慣になっていた。おかげで今は魔法の補強なしで刀を振れるくらいになってきている。
リアは頬を膨らませた。
「ええー、せっかくお出かけしたんだから遊ぼうよー」
それもそうだ。川があるなら丁度いい。試したいこともある。
ハーニーはリアと近くの小川へ移動した。綺麗な清流で細く浅い。それこそ子供が遊ぶのにぴったりな場所だ。
リアが川沿いにしゃがんで魚を眺めているのを横目に、ハーニーはセツに話しかけた。
「僕の魔法は白色、氷魔法らしい。実感はないけど、空っぽだった今までよりいいはずだ。使いこなさないと」
現状、氷魔法を意識的に使ったことはない。刀の刀身に氷が張るのは無意識のことだ。今まで使ってきた魔力の塊が、氷の性質を持ち始めたのも意識してやっているわけではない。
『確かに、一般的な魔法のように氷塊を放つことができれば心強いですね。しかし氷魔法は習熟の難しい色の魔法と聞きますが』
「初耳だ」
『魔法とは想像の結果です。つまりその想像が身近であればあるほど形になりやすいということ。大陸中央のこの地域では雪は降りませんから、縁遠いものでしょう』
「なるほど、確かに身近じゃないか……ん」
それじゃあどうして僕には氷魔法の素質があるんだ。三年間の記憶の中で雪氷の類は見ていない。
……理由は一つしかない。
「あの雪原の夢。やっぱり僕の記憶なんだな」
そうでないと魔法が氷に寄る理由がない。
もしかしたら氷魔法を覚えることで記憶が取り戻せるかもしれない。
ハーニーは淡い期待を胸にして、小川の清流に手を入れた。夏とはいえ水は冷たい。魚が逃げていくのが見えた。
魔法を想像しようとして、苦笑した。
「……こういうとき呪文とかあれば魔法を使いやすいんだろうな。魔法のきっかけがないや。詠唱がどうしてあるのか実感するよ」
『いつも通り想像していただければ私が補助します』
「うん」
ハーニーは目を瞑った。
川の水が凍る想像をしようとする。手元から冷気が広がり、水が凍結する魔法。
しかし、どうも手ごたえがない。魔力の塊を生み出す想像と異なり、現実味のない映像ばかり脳内に浮かぶ。眼前に事象を持ってこられるほど想像が完成しない。
微かな苛立ち。夢では何度も見ているのに。
あの雪原なら。
そう思った時だった。
『発現します』
セツの声と同時に川の表面が凍った。パリパリという音を立てて、周囲1mほどの水を凍らせる。冷たさで手が痛くなり引き抜いても、川面は凍り付いたままだ。
『やりましたね』
「あ、ああ、うん」
実感がない。確かに僕は想像したが、ここまで明確に思い浮かべられただろうか。
「わあ! すごい! 氷だ! ハーニーがやったの?!」
『そうです』
「すごいすごい! 夏に氷作れるなら涼しいね!」
「はは、そうだね」
俗っぽい魔法の使い方に頬が緩む。
「氷って本当に滑るのかなー」
「あっ、まだ薄く凍らせただけで乗ったら──」
止める間もなくリアは氷の上に足を置いていた。リアは軽いとはいえ、表面しか凍らせていない氷が耐えきれるはずもない。
「きゃっ」
氷が割れ、バシャ、と音を立ててリアは川に倒れ込んだ。浅いため溺れることはないが。
「うう~、びしょびしょだ……」
川の中で座り込みながらリアは肩を落としていた。綺麗な金髪まで川水で濡れてしまっている。
「大丈夫? どこか擦りむいてない?」
「怪我はないけど……むう。ハーニーはまだまだだね。ちゃんと川を凍らせなくちゃダメ! ぷんぷんばしゃだよ」
「ぷんぷんばしゃ? ぷんぷんは分かるけど、ばしゃってなに?」
「これ!」
リアは両手で水をすくって飛ばしてきた。顔面に直撃する。
「……すごい納得した」
「あはは! ハーニーも濡れちゃったなら川入ろうよ!」
「わっとと」
腕を引っ張られてたたらを踏む。
「ああ……もういいか」
片足が川に入るとどうでもよくなった。両足水に突っ込んでみる。思ったより冷たい。靴がグチュグチュ鳴って少し気持ちが悪い。
「あれ、僕ら着替え持ってきてたっけ」
「リアの分は持ってきてたよ! ハーニーの分はなかった!」
「知ってて僕を川に引っ張ったんだ?」
「えへへ」
「えい」
片手で水を飛ばしてみる。
「わぷ! へへん! いいもん。リアには着替えがあるからね! くらえー! リア奥義!」
「セツ、魔力の壁だ!」
『はい。……こんなことに使うんですか』
無色の魔法は氷と違いすんなりと発現した。魔法において慣れの重要性がよく分かる。
「ずるいずるい!」
しばらくの間、水のかけあいは続いた。こちらがムキになるとリアはそれが嬉しいようで、着替えがないことを何度も指摘してきた。微かな不満を含んだ水遊びは終わってみると爽快感があった。
夏とはいえ夕暮れになると身体が冷えてくる。ハーニーとリアはパウエルの家に戻った。まだ夕日が差し込んで明るい。燭台に火を付けるほどではなかった。
「ハーニーは着替え大丈夫……?」
リアが荷物の中から着替えを取りだして俯いていた。後悔が今やってきたらしい。
ハーニーは笑って見せた。
「パウエルさんに借りるよ。二階に古い衣類を詰め込んだ部屋があるって言ってたし」
「……怒ってるの我慢してない?」
「我慢?」
「ハーニーあんまり怒らないから、我慢してるかも」
小さなことですごく心配そうにするから笑ってしまう。
「あはは。怒らないよ。普段怒らないのはリアが良い子だからだよ。心配性だなあ」
リアは控えめに微笑んだ。
「えへへ。ちょっとはしゃぎすぎちゃった」
「僕も楽しかったよ」
リアはやっと表情を明るくした。
「それじゃ僕は二階で着替えを探してくるよ。リアは着替えて待ってて」
「うん!」
ハーニーは今までいたリビングを離れ、階段を上る。
「僕って怒ってるの我慢してるように見えるかな?」
ふとした疑問。セツはすぐに答えた。
『あなたは何でも我慢しているように見えます』
「……かな。前よりは素直になれてると思うけど」
『顔色を窺うこと。人前で我を出さないことはあまり変わっていないでしょう。私には愚痴を零してくれますが、涙を流したりはしてくれません。……心から泣いたこともありますが、それもネリーやリアがぶつかっていった結果ですし』
「そ、その話はやめてよ。恥ずかしいんだから」
『私は悔しいのでおあいこですね』
話している間に二階に着く。三つ部屋があり、手前の部屋から探し始めた。
室内は一階と同様掃除が行き届いていて清潔だった。埃っぽいというのは奥の部屋だけなのだろうか。
衣類を探しながら思いを巡らす。
僕は我慢しているように見えるというが、そんなことない。今日なんかひどかった。故郷を羨む気持ちを表に出してしまった。
……いつもなら我慢できたことだ。まったくどうして抑えられなかったのか。
考えれば理由は分かる気がした。ただ理由まで自覚すると自己嫌悪に苛まれそうで、考えたくない。
二部屋探したが結局衣類は見つからなかった。パウエルの言う通り奥の部屋に衣服を収納しているのだろう。
埃っぽいから入らない方がいい。忠告を念頭に入れて、部屋に入る前深呼吸した。空気を肺に溜めてドアを開く。
埃対策で目を細目にしていたから、部屋の状況を理解するのに時間がかかった。
気づいたのは部屋に入ってから数秒後。まるで埃がたたなかったことに気付いてから。
「なんだ。この部屋もちゃんと掃除して──」
言葉は掠れるように消えた。
他の部屋は白を基調とした壁に囲まれていた。この部屋は違う。赤青緑、色彩豊かな模様が壁に描かれている。ウサギなど可愛い動物の絵だ。
部屋の中央には木製のベッドがあった。小さな小さなベッドは、誤って落ちないように柵で囲われている。柔らかそうな布団まで見えた。
この部屋は子ども部屋だった。
幼子のために用意された部屋だった。
「……そりゃそうだ。ここはパウエルさんが建てた家なんだから」
生まれてくるだろう子供の部屋があって当然だ。
当たり前なのに、信じられない思いなのは考えないようしていたからか。いや、それにしたってこの部屋はパウエルさんらしくない。
……いや、こっちが本当のパウエルさんなのか。
『ハーニー、大丈夫ですか』
「……別に。大丈夫だよ」
『怒ってますね』
「怒ることなんか何も。もう出よう。服はないみたいだ。一着も」
ハーニーは部屋を出て廊下の天井を見上げた。深く息を吐く。
怒ることじゃない。怒れる立場でもない。……分かってはいるけど。
「嘘までつかなくたって……」
唇を噛む。
埃っぽいから入るな。そんな安っぽい嘘で隠されたことが胸を痛ませる。
僕に知られたくなかったんだろうか。僕がパウエルさんの大切な過去を踏みにじるかもしれないから?
確かに僕はパウエルさんに父親の姿を夢見ていた。パウエルさんは「無理だ」と言っていた。現実的な問題としての回答だと思っていたけど、本当は心からやめてほしかったのかもしれない。僕の存在がパウエルさんの子供の存在を霞ませるから。
それともパウエルさんは僕が傷つくと思って、この部屋を見せまいとしてくれたんだろうか。……でも、それならいつものように真っ直ぐ言ってほしかった。これじゃあ本当の他人じゃないか。他人に対する誤魔化しじゃないか。
どちらにせよ自分という存在の異物感が際立つ。パウエルという人の人生に自分の居場所はない。この部屋はそれを暗示しているようだ。
苛立ちと寂寥感でハーニーは知らず内に涙を目に溜めていた。
身勝手な涙だから、決して流すまいと我慢した。
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