ユーゴの二つ名
初夏を迎える旧王都の昼は、季節らしい暑さを漂わせていた。
昼は食事処のいつもの酒場。ハーニーとユーゴはだらん、と椅子に腰かけていた。
「あちー……水浴でもしにいかねーか? こんなとこでじっとしてるよりいいぞー」
「気持ちは分かるけど、ここで待つよう言われたんだから我慢しよう」
とか言いながらハーニーも汗を垂らしていた。じっとしていても汗が出る蒸した暑さだ。こう暑いと、ユーゴの提案が甘い誘惑になってくる。
「……水浴ね。涼しくてよさそうだけど、どこでやるの?」
「乗り気だな! そりゃ、近くの川かどっかで……この辺りだと西側の小川か。それがちょうどいい」
「へえ。皆で行ったら面白いかな。リアも喜びそうだ」
「水に触れるだけで楽しいって! よし、決まり! 行くぞ!」
「今日はダメだよ。約束がある」
「ちぇー。つーか、呼ぶなら呼ぶで用件ぐらい教えてくれりゃいいのにな。あのおっさんたちも」
「パウエルさんは毎日会議で忙しいからね」
「酔っ払いは暇人だろ?」
「ははは」
「おい、聞こえてるぞガキども」
突然の声にぎょっとする。振り返ればアルコーが丁度店に入ってきたところだった。ずかずかとこちらへ歩いてくる。
「誰が暇人だって? ああ?」
「う、ごめんなさい」
「……まあ、事実だけどよ。パウエルは例によって会議で来れなくなった。あの作戦の後処理で忙しいんだと」
基地を奪ったのだ。その基地を使うにしても破壊するにしても簡単にはいかないだろう。忙しくなるもの仕方ない。
「どうせ俺は暇人だっつの。おい! 水持ってきてくれ! 冷たいやつ!」
アルコーは注文しながら席に座った。ハーニーたちがいたのは四人机の席だ。それぞれくっつかずとも余裕を持って腰かけることができる。
「うちに氷なんて高い物置いてないよ」
店主の困り顔にアルコーは自慢するように口角を上げた。
「ねえならねえでいい。氷なら持参してるやつがいるからな。なぁハーニー」
「僕?」
「おっさん、熱さで頭をやられたのか?」
「いつまで経っても腹の立つガキだな! まあいい。ヘヘッ。こいつを見な!」
アルコーがテーブルに広げたのは、大きな羊皮紙だった。そこには名前が羅列されている。
見覚えがある。これは二つ名名簿だ。確か、戦時中でも両国が讃え合う貴族の文化で、お互いがお互いに二つ名を付けるというもの。
「喜べ。ハーニーの名前出てたぞ」
「まじ!? どこどこ!」
ユーゴが身を乗り出して名簿に顔を近づけた。
「お、これか! ハーニー……ルイス? ルイスって何だ。ネリーの名字じゃねーか。でもハーニーって名前はこれ一つしかねーぞ?」
「まったくいつの間に結婚したんだ? 俺を式に呼ばねえとは良い度胸だな」
「ちょ、ちょっと待って! どれ?!」
慌ててユーゴの指さすところを見る。確かにハーニー・ルイスと書いてある。
「あ……そうだった。東国貴族のフリをするとき名字を偽ったんだった」
「ほー、そこで出たのはルイスかー。へー? 面白い偶然だなー」
「バッカ。偶然じゃねえよ。これはあれだ。心の奥底の願望が──」
「たまたま思い浮かんだのがネリーだったんだよ! 他の皆有名で使えなかったんだ!」
「ハァ、どうだか。なぁ?」
「まさか嫌いな奴の名前を出したりしねーだろし。なー」
「なんて面倒くさい連携なんだ……」
核心に触れないようにしたような言い方が腹立たしい。
こういうときだけ仲良くなるから困ったものだ。
『馬鹿は放っておきましょう。肝心なことがまだです』
「そうだったな。大事なのは二つ名だ。二つ名はその貴族の印象を決める。魔法において印象は重要だ。博打と同じで、己のイメージを増大させたものは強い。相手を降ろす戦いができる」
「講釈はいいって! んーと、これか!」
ユーゴが読み上げる。
「薄……氷。薄氷か」
「相手からすればお前の透明な魔法は氷に見えるんだろ。良い二つ名じゃねーか。薄い氷は鋭利な印象を持つ。それに……ハハッ。薄い氷なんて危なっかしいお前にぴったりだ」
「薄氷……」
思いのほか胸にすとんと落ちる言葉だった。
この印象は正しい。僕の弱さまでしっかり踏まえている。命を奪うことへの不安を言い現わしている。
きっと僕は怨恨で人を殺せばダメになる。そういう部分を見られているんだ。
ハーニーが思いつめた顔をしているとアルコーが肩を叩いた。
「二つ名をもらえるってことは認められたってことだ。当然だろ。お前はあのサラザール・ガラアルを破ったんだ」
「有名人だったんですか」
「そりゃあな。俺ほどじゃないが、歴戦の勇士だ。いや、だった、か」
「……そうですね」
ふっ、と当人の顔が浮かんで一抹の寂寥。
「ホントよく倒したな。薄氷ハーニーの名前も広まるぞ」
自分のことのように喜ぶアルコーには悪いが、素直に受け取れなかった。
「勝てたのは僕一人の力じゃないですよ。あれはユーゴのおかげなんだ」
「よせよハーニー。謙遜すんなって。俺はちょっかい出しただけだ」
「でも……」
「いんだって。へへ」
清々しくそう言われるとなんだか悔しくなる。
だってユーゴも頑張ったんだ。大軍を前にして諦めず戦ったんだ。それなのに僕ばかり持て囃されるのはおかしい。窮屈じゃないか。
「……やれやれ。仕方ねーなー」
ユーゴはハーニーだけに見えるように、さりげなく名簿を指さした。
一つの二つ名を一瞬だけ示す。
『光弦乱舞』。
他に名前はなく、二つ名だけがぽつんと書いてある。
「な?」
歯を見せるユーゴにハーニーもたまらず笑う。
「……あははっ。そうだね。これならいいや」
「おい、なんの話だ?」
「何でもねーって。ルイスのことがネリーにバレたらどうなるかって話さ。ぜってー面白いことになるぜ」
あくまで隠すのは照れ隠しなんだろうか。名前が広まるのを嫌がっているんだろうか。
……どっちでもいい。
二つ名で悩んでいたユーゴが、こうして二つ名を喜んでいる。それだけで十分だ。
「まあ話は俺も聞いてる。お前ら二人で全軍を攪乱したってな。一体どうやったんだ? 光の暴走とか言ってたぞ?」
「さーね」
「勿体ぶるなよ。詳しく聞かせろ」
「へへ、嫌だね。妄りに手のうち見せたりなんて……な!」
そう言ってユーゴは笑いかけてきた。
この二人だけの共感がたまらなく面白く、ハーニーは終始笑っていた。
友達。
今なら、この言葉を全く淀みなく口にできる。
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