他人越しの景色 4
外から異質な音が聞こえた。
低く重い音。これは何か土が盛り上がるようなざらつきのある空気の揺れ。
『強大な魔力を感知。三層土魔法。サラザールと名乗った男のものです』
セツの報告と同時に号令が聞こえた。
「皆! 怖気づくな! 所詮一層光魔法、火傷裂傷で済む! それに司令官の土魔法があの光の玉も破壊してくれる!」
「破壊だって? うおっ」
今まで輝きを爆発させていた魔力多面体は、突如として現れた手の形をした岩塊二つに押しつぶされた。魔力が粉々になって霧散する。
「く、くそ! こんなつえー奴だったのかよあいつ!」
土魔法は光の奔流を打ち消しながら飛んできたのだ。また、距離があるはずなのに正確に狙われた。完全に操作している。
明らかに他の魔法使いとは一線を画していた。
「ッ、まずい!」
いち早く気づいたのはハーニーだった。
魔力多面体を押しつぶした岩塊が、地下牢への入り口を破壊しようと落ちてきたのだ。
ハーニーは地下階段を走り、外に半身を踏み出した。
「魔力の天井! 盾も、何でも! ここを潰されたら閉じ込められる!」
魔法は発現した瞬間、土魔法と接触した。
「ぐっ」
とてつもない重圧。魔力越しにハーニーの身体まで抑えつけられる。
辛うじて、入口を守ることができていた。だが、それだけ。これ以上の落下を留めるだけで他に何もできない。
光の多面体は消滅している。入口にハーニーが立っているから、ユーゴも魔法を撃てない。
つまり今まで防衛一方だった東国民は自由に行動できるということ。
「今だ! 全員で炎弾をくれてやれ! 目標は司令官の土魔法だ! あれごと焼き尽くせ!」
「くっ」
容赦のない指示。皆勝機を得たりと、各々詠唱を始める。
「お、おいハーニー! どうするよ!?」
「どうするもこうするもっ。どうしようもないよ! 僕らの賭けは……もう!」
ハーニーは圧殺しようとする岩塊を抑えるので余裕がない。ユーゴは単独では多数を相手にするには不足。外に逃げ出せば魔法に焼かれ、地下に戻れば衝撃で落盤が起き、結果死ぬ。どちらも状況を変えることに繋がらない。
「……こうなったら打って出るか」
「ユーゴ……」
「諦めじゃねーよ。でも、やれることっていったらそれしかねーだろ?」
一瞬振り返って、ハーニーは頷いた。
「分かった」
ユーゴは覚悟していた。目の前の現実から逃げず、立ち向かう意志を宿していた。
どうせこのまま待っていてもやられるだけだ。
「先に外に出るぞ!」
ユーゴがハーニーの脇を通り抜けて地上に出る。足を引きずりながらも、怖気づくことはない。
「うおおおっ!」
魔力を増幅させ、押しつぶしてくる岩塊を受け流すように横へ落とす。同時にハーニーも完全に姿を外に晒した。自然、その岩で地下への入り口は塞がれる。これで退路はなくなった。
「……ああ」
どちらが出したか分からない嗚呼。
外に出ると視界は開けた。映るのは今にも魔法を発現しようとする、魔法石の輝き。その包囲。数百の攻撃意志だ。
「こりゃ、マジでどうしようもねーな……」
「……そう、だね」
立ち尽くす二人に、夜明けの淡い光が差し込む。朝の光が世界を満たし始めていた。
ユーゴは眼前の脅威をしっかり目で捉えて言った。
「俺も今度は覚悟してる。いいか。どっちか生き残ればいい。逃げきれそうになったら、躊躇わず切り捨てろよ」
「足を怪我してるのによく言うよ。はなっから僕を生かそうとしてるくせに」
ユーゴは小さく笑った。ただ、それだけだ。
毒づいたが僕も分かっている。理想でどうにかなるような場合ではない。
これから行うのは特攻だ。恐れないことだけが武器の、分の悪すぎる博打。
「……ごめん、セツ。君は止めてくれたけどこうなった」
『謝らないでください。あなたは心を救ったんです。それは幸せなことだと私も分かっていますから』
「うん」
「……行くぞ! お前だけは逃がしてみせっからな!」
結局自己犠牲。
「……ははっ」
ユーゴの根っこは優しさなんだな。逃避の先で他人を助けようとしているわけじゃない。純粋な思いやりで言っている。
ここまで来た意味はあった。
そう思ってしまうのは、絶望的な状況が頭から離れないからだろうか。
どうしても、自分の行動──ユーゴを助けに来たことについて考えてしまう。良かった。こんなに良い人、共感できる人を一瞬でも救えたのだから、助けに来て良かった、と。
「全軍、撃てーッ!」
終わりを告げる号令。
東国民に躊躇いはなかった。一斉に一層火魔法を放つ。
山なりに飛ぶ火炎は、一瞬にして膨大な数となった。炎と炎が重なり合い、空が炎で満たされる。燃え盛る火炎は混ざりあいながら、無慈悲にもハーニーとユーゴに向かっていく。
「白輝光! 白輝光ッ! くそ! こんな数撃ち落とし切れねーよッ!」
光線がいくつか火炎を消すが、それだけだ。あまりに数が多すぎる。空を一部分埋め尽くすほどなのだ。範囲に乏しいユーゴの魔法では抑えられない。
『これだけの魔法が集中しては……』
「……うん」
ハーニーは盾なり魔力を形成して防ごうと考えていたが、やる前から分かる。百以上の魔法が重なれば、たとえ一つ一つが一層魔法でも三層魔法を越える力となる。
自分が防げるのは二層まで。経験がダメだと言うものを、感情でどうこうできるわけがない。今までどうにかやってこれたのは、突くべき隙があったからに他ならない。真っ向勝負で勝つ術はない。
「……くっ」
見たくない現実に目が瞑られる。瞼に裏に映るのはリアの姿。
一人にしてはいけないと、己に誓った人。
「だからって諦めるられるか……!」
目を開く。頭上に到達した炎を睨む。信じたくないから、眩しいものを見るように目を細めて。
火魔法は上空で集束し、大玉のようになっていた。群青色の夜明け空の下、ハーニーたちに向かって急降下を始めている。
腕を掲げ、盾を構えて衝撃に備えた。
「な、何だあれは!」
「俺たちの魔法じゃないぞ!?」
思いもしない方向からざわめきが聞こえた。西側で陣取っていた東国民の声だ。
彼らが指さした空には、火炎の集合魔法とは別の魔法が飛翔していた。
「……炎の、龍?」
全身が炎で形成された龍。燃え盛る炎で軌跡を残しながら、伝承の生き物が空を駆けている。ハーニーたちを焼こうとする大魔法に一直線に飛び、そして。
爆音。
衝突した。炎は混ざりあうことはない。一瞬の煌めきの後、二つの炎は爆発し、弾けた。
火が彗星のように大地へ降り注ぐ。空には魔力の残滓のみ残る。
あの驚異的だった集合火魔法は爆散した。
「なんだあ!? どういうことだハーニー!」
「わ、分からないけど……。いや、あれは!」
ハーニーたちを閉じ込めていた包囲。その西側の人垣が割れた。東国民を押し分けて、集団が現れる。見覚えのある貴族服の集団だ。
それは西国旧王都の貴族服。数は三十人ほど。
先頭を切ってきた男が命令を発する。
「今こそ貴族の誇りを見せる時! 戦闘開始だ! さっきの罠の借りを返してやれ!」
傲慢さと自信が混ざった声。
「MJ!」
名前を呼ぶとMJは口元を曲げて小さく笑った。彼は後ろ、隊を振り返って更に一声。
「仲間を助けるぞ! 奴らの覚悟に報いずして、何が貴族だ! かかれ!」
「うおおお!」
部隊は雄叫びを上げて各々攻撃を始めた。東国民は奇襲の衝撃からまだ立ち直っていない。狼狽し、隊列などはすぐに乱れる。
「落ち着け! 数では圧倒している!」
「て、敵だ! 基地に敵がいるぞ!? たくさんいる!」
「ここまで攻め込まれた!? 西国の大軍が外にいるんじゃないのかっ!?」
「おい! 聞こえんのか!」
東国貴族がなだめるが、大集団の混乱は簡単に収まらない。熱しやすければ、冷めやすくもあるのが集団の性質。周囲の空気に左右される。
東国民は通常の何分の一もの力しか出せずに倒れていく。中には逃げ出す者もいた。そんな動揺の空気は瞬く間に伝染する。気持ちで勝てない者が、魔法で勝てるわけがない。東国側ばかりに損害が出る。
もはやハーニーたち二人から注目は外れていた。
「すげー……あんだけ怖かった東国民が今や羊の群れだ。こういう作戦だったのか?」
ユーゴの問いに答えたのは、こちらに近づいてきていたMJだった。一小隊を引き連れている。他二十余名は四方に散会したようだ。
「そんなはずがないだろう。誰が人の自己犠牲を予想して作戦を立てられる」
「なら、どうして助けに?」
「私たちは貴族だ。貴様らを置いて、おめおめ逃げ帰るなどということできない。それこそ、死んだ方がましだ」
貴族らしいといえば貴族らしいが、ハーニーは顔をしかめた。
「無謀だ。つまり考えなしに引き返してきたってことでしょ」
「皆納得してのことだ。仲間を見捨てる貴族はこの部隊にいない」
「だからって」
『あなたと同じでしょう』
「う」
小声の指摘に言葉が詰まる。
MJは鼻で一息した。
「ふん。だが、貴様らはよくやってくれた。あの光の乱舞のおかげで、奇襲のタイミングを計れた。敵の注意は全てそっちに向いていたからな」
奇襲は防いだ。二度目はない。そんな東国民の心の隙を突くことができたということか。勝利したと思い込み、油断していたのが東国の敗因。
「都合よく見張りや防衛の数も減っていたから、損害ゼロでここまで来れた。感謝してやる。ハーニー。ユーゴ・ハルフォード」
「僕は何も。ユーゴの行動の結果だよ」
「よせって。お前も片棒担いだんだ。押しつけないでくれ」
「くだらん馴れ合いだ」
「つーか、いいのかよ。のんきに喋ってて。皆戦ってるんだろ?」
「問題ない。見ろ」
周囲を見る。西国貴族はやはり本職の魔法使い。東国民の力をはるかに上回っている。しかも怖気づいた者が相手となれば敵ではない。東国民のほとんどは潰走を始めている。
「それに、私はもう魔法を使えない」
「どういうこと?」
「先ほど貴様らを助けてやった火龍の魔法は、ビオンディーニに伝わる秘術。三層に達する魔法を使えるが、一回限り。一度使えば三日は魔法を使えなくなる。今の私に魔力はない」
一瞬パウエルが助けに来たのかと思うほどの魔法だ。代償なしでは発現できないのも頷ける。
「それどころか……数日は身体も動かなくなるのだ……」
MJはふらふらとよろけ、崩れるように倒れた。
「お、おい。大丈夫かよ?」
「奇襲は成功した。この空気なら負けはない」
「いや、聞いてるのはお前お前」
MJは首だけ動かしてユーゴを睨んだ。
「数日使い物にならなくなるといった。何度も言わせるな」
「気軽に使えねー魔法だな……悪かったって。お前が戦えないのはしゃーない。気にすんな」
「黙れ。私は命の恩人だぞ。上から目線で慰めるな」
「俺も命の恩人だぞー」
「……精々今だけ調子に乗っていろ」
二人にあった刺々した空気はなくなっていた。打ち解けたといっていいだろう。
しかし、戦場で動けなくなっても横柄でいられるMJはやはり変な奴だ。仲間を信頼しているから、とかよりも、彼の性質としてこうなのだろう。素直な傲慢。憎めない。……面倒には思うけど。
「グアアアッ」
「気を付けろ! こいつは手ごわいぞ!」
苦戦の気配に目を向けると、一人の西国貴族が岩石に弾き飛ばされたところだった。家屋に衝突して止まったその貴族に意識はなく、生きているかも分からない状態だ。
その結果を生んだ魔法使いは、基地の東門への道上で立ち塞がっていた。
髭を蓄えた大男。
「サラザール・ガラアル……」
ユーゴが名前をつぶやいた。この基地の最高権力者。実力も一番あるだろう魔法使い。
「司令! 撤退は進んでいますが、しかし!」
「欲に惑わされるなカトル。民がこうなっては守り切れん。基地は放棄するしかない。幸い東門は開いていた。少しでも多く逃がすのだ」
「くっ、私もお供します!」
「お前には後退する民の指揮があるだろう。ここは私に任せて先へ行け」
「しかし!」
「どちらか残るなら私だ。私の方が強い。……なに、負けんよ。見てみれば若者ばかりの部隊だ。奴らとは背負っているものが違う」
「舐めやがって!」
一人の西国貴族が威勢よく駆けだした。
「ダメだ! 一人で行っちゃ!」
ハーニーの制止の声は届かない。その若い貴族は加速魔法を使ってサラザールに接近する。手には長剣。魔法剣士の類だ。
「良い度胸だが、迂闊だな」
サラザールは片手を大地に着いた。
「結集せよ地に眠りし永年鉱石」
金属音。一瞬触れただけのサラザールの手には、剣が握られていた。両手剣ほどの長さ。白銀の剣は透明な鉱石で表面を強化されている。
『金剛石……それも魔力が練られています。恐らく物理的に破壊することは無理でしょう』
「たかが剣一本作ったくらい!」
若き貴族の言葉はもっともだった。剣を作ったということは、すなわち剣術で戦うということ。魔法剣士からすれば願ってもない環境だ。
「だから、若いというのだ」
「なに!? うっ」
急に魔法剣士の接近が止まる。
いや、止まったのではない。
「……がはっ」
吐き出されたのは大量の血液。
彼は自ら立ち止まったのではなかった。大地から生じた鋭利な棒状の鉱石が、彼の身体を貫いたのだ。何本も何本も身体を貫通し、磔にしている。
「自分に都合よく考えたな。私が剣を持てば、接近を許してくれると思ったのだろうが、それこそ甘さ。若さよ。だから、たかが一層魔法に敗れる」
「……」
「もう聞こえていないか。──行け、カトル。早く民を導いてやれ」
「……分かりました。どうかご無事で」
「民を残して死にはせん」
副官カトルが背を向ける。
追撃しようと西国貴族が数名魔法を放つが、隆起した大地に防がれた。
「お前たちの相手は私だと言っただろう!」
サラザールの怒号。その威厳に一帯の、勝利を確信していた空気が停滞する。
勝勢の変化を悟ったように低い声の詠唱が響いた。
「我が足立つ地表の鋼土、揺動し胎動せよ上層黒黄──衝岩裂破ッ!」
ゴゴゴ、と地鳴り。大地が揺れる。
地面の奥深くから何かが迫ってくる硬音。そして。
「ギャアアッ」
岩石が地面を割いて現れた。さきほどの魔法と違い大木ほどの巨岩が、鋭利な切っ先を持ち地表を襲う。まともに喰らった西国貴族の一人は、胴から真っ二つになって千切れ飛んだ。
「くっ、なんて魔法だ。しかし避けてしまえば……! う!?」
辛うじて回避した他の西国貴族。だが、目前に生えた岩石が変容する。
「弾けろ! 粒岩尖!」
「なっ!?」
岩石に亀裂が走ったのは一瞬の光景。サラザールが握った拳を開いた瞬間、岩石は赤く煌めき、爆ぜた。小径の岩が全方位にまき散らされる。
避けたばかりの西国貴族は防御する余裕を持っていなかった。岩石の嵐を全身で受け止める。
遠目でも血が飛び散るのが見えた。
後には、目を背けたくなる穴だらけの死体が残される。
一分もしない間に三人がやられた。一人の魔法使いによって反撃などまるでできないまま。
「……さて、残るはお前たちか」
奇襲部隊は基地全体に散らばった。中央にはMJを含め一隊分はいたが、殲滅されてしまった。したがって、この場に残っているのはハーニーとユーゴ、動けないMJの三人。
「危険な存在だ。ここで殺しておかなければならん」
サラザールの鋭い眼光はハーニーとユーゴを確実にとらえていた。
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