他人越しの景色 1
基地の指令室を出たハーニーは一目散に西へ向かった。
あの男、サラザールは嘘を吐くような貴族ではない。その確信があった。色々な人を見、窺ってきたから分かる。あれはパウエルなどと同じ、気高さを持っている魔法使い。姑息な嘘はつかないはずだ。
自分を見逃し、ユーゴの位置まで教えてくれた理由は分からない。ハッキリしているのは助ける機会をくれたということ。あの口ぶりからして、彼が立ち塞がるのはユーゴを助けた後、基地を脱出する段階だ。
『どうします?』
「先のことなんて考えてられない!」
まずはユーゴだ。
西に少し走ったところで聞こえる。
「ぐ、あああ──ッ!」
絶叫。聞きなれた声の苦悶の叫び。
歯噛みする。駆ける脚に力が増す。
「あれか!」
正面に盛り上がった土があった。鉄扉が据え付けられていて、入口になっている。ここが地下牢だ。間違いない。
周囲には誰もいなかった。灯りも少ないから、遠目でも見えない。
ハーニーは扉を開く手間すら省いた。魔力を乗せた足で蹴破る。扉はひしゃげて吹っ飛んだ。すぐ先に続いている階段を、けたたましい音を立てて落ちる。
急げ、急げ……!
ハーニーは立ち止まらず階段を滑るように降りた。壁も段も全てが土でできている中を駆け降りる。点々とある燭台のおかげで足を踏み外すことはない。
階段を下りると横に伸びる通路があった。牢屋は複数あったが、明るいのは一つだけ。ハーニーはすぐさま走り出した。
「な、何事?」
向かっていた牢屋から平凡な男が出てきた。蹴破った扉が鳴らした音を確かめに来たのか。
こいつッ!
その男が持っていたものでハーニーは頭に血が上る。血に濡れた鉄器具だ。拷問をしたという動かぬ証拠。
「ひっ」
男は走ってくるハーニーを見て、すぐに牢屋に戻ろうとするが、遅い。
「よくもユーゴにッ!」
ハーニーは男を殴りつけた。
「ギャッ」
一瞬の悲鳴とともに男はすぐ近くの壁にたたきつけられる。持っていた鉄器具が落ちる音。男は気を失って崩れ落ちた。
懐の短剣が熱を持った気がした。ただ、その感覚は横合いから聞こえた声で消える。
「ハ、ハーニー……なのか?」
その声は今一番聞きたい声だった。
右。牢内を見る。
ユーゴがいた。宙づりのユーゴはつま先から血をしたたらせているが、生きている。目立った外傷はない。死に至る傷は見えなかった。
よかった……!
喜びに状況を忘れそうになるのを抑える。
「鍵は!?」
「え、ああ、たぶんその男のポケットだと思うけど……」
言われて乱暴にまさぐる。鍵束があった。
「今外すから!」
ユーゴを吊る鎖。それを留めていた部分の鍵をまず外す。牢の入り口近くにあったそれを開錠すると、鎖は吊る力を失った。ユーゴは重力に従って落ちる。
「ぐっ」
崩れるように床に倒れこんだ。ハーニーは駆けよって手を縛める鎖の鍵も外す。
これでユーゴは自由だ。縛めるものは何もない。
「よかった……」
「な、なんで……? どうしてお前がここにいるんだ……」
「助けに来たんだよ」
ユーゴは一瞬喜びかけてから顔を引きつらせた。
「ってーと、外にはMJたちがいるってことだ。まさか、ひ、一人で来ちゃねーよな」
「……いや。僕一人」
「なっ、お前……っ! ぐ」
ユーゴは立ち上がろうとしたが、足に拷問を受けたらしい。体勢を崩して地面に手をつく。
「大丈夫!?」
「……いや、っていうかよう……!」
ユーゴは蹲ったまま顔を上げた。怒った顔をハーニーに向ける。
「お前馬鹿か!? なんで助けに来たッ! 俺なんかを助けるために危険を冒してどうすんだよ! 大体なあ! 俺はお前のために覚悟したんだぞ!? 助けるために犠牲になったのに、これじゃ意味ねーだろっ!」
ユーゴの声は震えていた。しかし、それは怒りによるものではなく涙色。半分泣いているような揺れのある声だった。
ハーニーは負けじと声を張った。ずっと言いたかったことだ。感情がそのまま口を出ていく。
「誰がそんなこと頼んだよ! 勝手に決めて押しつけて! 余計なお世話だ!」
「よ、余計だとお? お前が今ここにいることこそ余計だ! 俺はお前を守るために覚悟したんだぞ!? それなのにお前は、俺の覚悟を無駄にする気か!?」
覚悟。確かにユーゴは目の前の恐怖に向かっていった。勇気ある行動に見える。
しかし、ハーニーは許せない。その覚悟めいた行動の源泉を考えると認められない。
「あんなもの覚悟じゃないッ! あんなのは逃げだ!」
「っ!」
ユーゴが顔を歪める。
ハーニーはユーゴのその拒否感を無視した。今までと異なり、向こうの事情など構わず言葉をぶつける。
「ユーゴは勝手に、一人で決めた! 僕を一方的に助けて、終わろうとした! 諦めたんだ、生きることを! それが逃げじゃなくて、何だよ?!」
「そ、それは」
ユーゴは地に膝をついたまま俯く。下を向きながら強く言葉を発した。
「じゃあ……じゃあ他にやりようがあったって言うのかよ!? あの状況で他に選べる道があったか?! 二人が助かる賢明な道が!」
「僕が囮になる道もあった! 二人で戦うことだってできた!」
「馬鹿言うなっ。俺一人助けさせるためにそんな危ねーことさせられるわけが──」
「僕らは何なんだよッ!」
「ッ」
ユーゴが全身を震わせた。
その眼はこちらを見ない。まるで怒られている幼子のように、ただ足元を向いていた。
自信なさげな、小さな声が地面に落ちる。
「何って……ガダリアから一緒だった仲間……だろ?」
「友達だろ! 僕らは!」
「友達……」
ユーゴは不安そうに眉を寄せた。
思えば、ユーゴは友達という言葉を使ったことはない。「友人になれるかもしれない」。そこまで言っても友と表現したことはない。茶化したように弟分と言ったことはあっても、はっきり関わりを明言したことはない。
その理由も今なら分かる。
こうして、友達だと言いきるには自信が要る。相手から好かれているという自信。友達として並び立てる存在だという、自分への強い肯定が必要になる。
「俺は逃げる」。
そうよく口にしていたユーゴが、友達だと言葉にできなかった理由はそれだ。ユーゴの行動の理由、その根っこもこれだ。
「僕を友達だって言えないのは、自分がそこまでの存在であっていいか不安だからだ。自分を簡単に捨てられるのは、他人を踏み台にしてまで生きる価値を感じないからだ。そして、人を守るために死のうとするのは、価値の見えない生より価値ある死の方が楽だからだ! 違うか!? ユーゴ!」
「ッ!」
ユーゴは唇を噛む。
依然としてハーニーを見ないまま、吐き捨てた。
「だ、だったら何だってんだっ。俺がそうしちゃ悪いかっ!?」
「許せないよ!」
「上から目線だなッ。お前は、持ってる奴だからそう言える!」
ユーゴは視線に一片の恨みを混ぜた。
「お前はいいさ! 何かある。守るべきもの。師匠とか、好いてくれる人とか。でもな、俺にはないんだっ。空っぽなんだぞ!? 長男長男言われても、家に俺の居場所はないっ。逃げ続けてきた代償で俺には何もなくなってるっ。それなのにどういう訳で生きてけっていうんだよッ。意味ねーじゃねーか、ただのらりくらり生きるなんて。その場しのぎの人生なんて……!」
小さな嗚咽も混ざる。悔しそうな、やるせない涙が目に溜まる。
「立ち止まったままの人生なら、誰かを助けて死んだ方がましだっ。そうすりゃ空っぽの俺じゃなる。すごく価値がある奴になれる」
ユーゴは顔を上げてこちらを見た。その目は懇願するように弱っていた。
「だから俺はお前を助けるために頑張ったんだぞ……。そりゃ、逃げがなかったとは言わない。でも、これだって仕方ないことだろ。未来とか将来とか、何も見えないところに命の使い道が現れたんだ。そりゃ選ぶだろ……こういう終わり方なら許される気がするだろぉ……」
僕も少し前まで空白の人生を生きてきたんだ。意味のない毎日の辛さは分かる。
普通なら、こう思わないはずなんだ。仮に夢や目標がなくても、普通は誰もが生きていく。きっとそれは、自分を認められるから。生きるべきだと思える理由があるから死なずにいる。
その理由をくれる最も大きな存在は親だ。生んでくれたから、とか、育ててくれたから、とか、生きることがそのまま他人の喜びに繋がって理由になる。
でも、僕らにはそれがない。僕は記憶がなくて、身寄りがない。誰も探しに来ない。ユーゴも同じだ。誰もユーゴを探しに来ない。つまり過去に依る自分の価値が乏しいということ。……最も近しい存在であるはずの家族が、彼を必要としていないということ。
そんな僕らが意味や価値を現在から得るのは難しい。だって、そういうものを貰う始まりにすら立っていない。何をするにも「自分でいいのか?」という疑いが沸く。不安になる。
「こういう終わり方なら許される気がするだろ」とユーゴは言った。その考え方はひどく悲しい。理由がなければ自分を捨てることすらできないんだ。ただ死ぬことすら、自分にはダメな気がするんだ。
そんな中、自分の命で誰かを救える場面に出くわしたら。僕がユーゴの立場だったら、同じことをしたかもしれない。
同情できる。同情したい。
それでも。
「それでも……死んじゃダメだ。生きないと」
ハーニーはユーゴに右手を差し伸べた。こちらから手を取ってはやらない。ただ差し伸べた。ユーゴの目の前に。
「なんだよ、これ」
「手を取るんだ。一旦の支えにしていいから」
「……やだよ、そんな。それは」
「ちゃんとした生き方じゃない? だったら何さ」
ハーニーは差し伸べた右手に左手で触れた。
「僕だって自分の許し方を知らないよ。でも……自分に宿る他人がいると思うから僕は自分を捨てない。捨てられない。ユーゴにだっているはずだ。セツみたいに実際に心が宿っているわけじゃなくても、誰かの、自分への思いや価値が宿ってるはずだ」
僕にとってはリアや、ネリー。パウエルさん、アルコーさん、ユーゴも。
それぞれが僕に宿っている気がする。死んだら悲しむ。生きていて欲しいと思ってくれる。そういうことが自分に価値を作って、それは自分だけで収まらないから、自分を簡単に捨てられない。生きる責任がある。そう感じる。
「あるのか? 俺なんかに……」
「僕はユーゴが死んだら悲しいよ。少なくともそれは間違いない」
「気遣いだろ、それ」
「気遣いでこんなところ来ないよ」
「……そうか」
気遣いということにしたかった。その弱さも痛いほどわかる。他人の期待を真正面から浴びるのは怖い。責任が伴う。
「僕だってユーゴと変わらない。同じだ。自分に自信なんか持てなくて、一人で立つこともままならない」
なら、どうすればいいか。
今まで出会った人たちを思い浮かべて、伝える。
「誰かが願うから生きる。誰かが悲しむから死なない。そういう風に、縋った価値を頼りにするしかないんだ。僕らみたいな子供って」
「そこまでする価値があるのか」
「僕はセツのおかげで、あった。セツを守ることが僕を守ることに繋がった。ユーゴは、死んでほしくないって僕が思ってる。だから、あるよ。生きる価値も理由も」
ユーゴはハーニーの差し出す手をじっと見た。
思いつめたように一点を見つめた。
その目は、だが暗くない。
「……仕方ない。仕方ない、か。お前が俺に死んでほしくないって思っちまったなら、もう仕方ない。生きるしかない。そういう頼り方な……」
「僕らは人を悲しませてまで死ねないよね」
「……ああ。そーだな」
ユーゴの手が地面を離れる。救いの糸を手繰るように真っ直ぐハーニーの手に伸びた。
掴む。
そこまでしてくれたら、引き上げてしまえる。
「ってて、あのやぶ医者に抉られて足が痛いんだ。手だけじゃなくて肩も貸せ」
さっそく図々しいな。苦笑しながら従う。
そうしてくれるということには意味があるのだ。深い意味が。彼なりの覚悟が。
ユーゴは立っている。自分を支えにして、しっかりと。
「……俺は弱い。情けない奴だ。こうやって逃げ道じみた選択肢を用意されねーと生きられない」
「うん」
「消極的な命だよ、ほんと。でも、なんでかな。今、すげーすっきりした気分だ。周りが広く見える気がする」
「さっきも言ってたね? 馬鹿なことした時」
「許せって。俺はすぐ逃げたくなるんだ」
「分かるよ」
「……嫌な奴だよ。そこまで気持ちを共有したくねーってのに」
「死んでほしくないからね」
「へっ」
肩を貸しながら牢屋を出る。通路の奥には男が倒れているが意識はない。放っておく。
階段へ向かう途中、ユーゴが問いかけてきた。
「で、どんな状況なんだ?」
「……ちょっとまずいかも」
「俺が加速魔法使えないことか。大丈夫だろ。こっそり基地を抜け出せば、ばれるのは日の出ごろ。その時には東国勢力下を抜けてるはずだ」
「もうバレてるんだよ。僕が基地に入り込んでることも、ここに来てることも知られてる。きっとこの地下牢を出たら大軍が待ってると思う」
万全を尽くす、という意味がそのままなら、情けなどはないだろう。確実に殺しにくる。あそこで逃がしてくれたのは、ここで罠を張ってた方が間違いなく殺せるからかもしれない。
「ど、どうすんだ? 策があるから助けに来たんだろ?」
「……ごめん。何も考えてない。とにかく助けないとって、それしか考えてなった」
「お前……それでよく俺のこと説教できたな」
呆れられる。ちらりと視線を向けると、ユーゴは気まずそうに目をそらした。
「分かってるって。肝心なのは諦めてるかどうかだろ」
「そういうこと。なんとか打開しよう」
「何かの間違いで見逃してくれねーかな……」
「この先どうなってるかどうかが問題だ」
地上へ続く階段。下から見上げるだけでは何もわからない。二人並んで上ろうとする。
「ぐ……」
「大丈夫?」
「やばいな。思ったより深手かもしれねー。走るのもきついぞ、これ」
ユーゴの足は元々の怪我とは別に拷問の傷があった。痛々しく皮が一部剥がれており、刃物で切り付けた痕もある。万が一も逃がさないため足を潰したのだろう。
ユーゴは走れない。
不利な状況を確認しながら階段を上がる。
外に誰もいなければ。
心の隅にあったそんな期待は、所詮妄想でしかなかった。
入口の扉は蹴破ったから今はない。おかげで近づけば外がしっかり見える。
地下牢への入り口を囲う数百の軍勢が、嫌でも見える。
「……くっ。やっぱり包囲されてる」
『総勢二百人ほど。全員が魔法石を持っているようです』
「絶望的な状況じゃねーか」
僕が飛び出して注意を引いている間に逃げてもらう?
いや、無理だ。ユーゴは走れない。基地から出るまで時間がかかりすぎる。そもそもこの数が相手では、僕が持たない。
アクロイドから逃げ出したときの光の波……。ダメだ。あれも結局は一時しのぎ。僅かな時間を作れたとしても逃げ出すほどの余裕は作れない。あの時ほど純粋に魔法を表現できる気もしない。戦うことへの理解があの時と違っている。
ハーニーの額を汗が伝う。
勝ち筋が見えない。今までなら、こんな状況でも一縷の望みくらいあった。絶望的な状況でも、手段の一つがあった。しかし、今はそれがない。突破口の欠片すら見つからない。
夜闇の下で並ぶ東国民たちは、その暗さから一人ひとりが分からない。そのせいで、ハーニーはまるで蛇のとぐろの真ん中にいる錯覚を覚えた。自分がこれから食い殺される卑小な存在に感じられた。
現実に引き戻したのは外からの勧告。
「西国の貴族たち! 君らがそこにいるのは分かっている!」
サウザールの副官。カトルとかいう男の声だ。
「君たちは完全に包囲されていて逃げ場はない! 合図をすれば百を超える一層赤魔法が君たちを襲うぞ! そうなれば一たまりもないはずだ!」
確かに耐える術はない。耐えたところで勝算もない。
「降伏しろ! 君たちに勝ち目はない!」
ハーニーは唾を飲む。
勝ち目はない。その通りだった。今持っている力では、この大軍を相手にすることは不可能。ハーニーの戦い方は少数を相手にした時は強くても、こう大人数ではどうしようもない。一矢報いて終わりだ。ユーゴの魔法も目潰しと光条だけ。どちらも一瞬の隙を作る程度の反抗しかできない。しかもこちらは移動に難を抱えている。
「一分待つ! それまでに出てこなければ、その地下牢ごと焦土にする!」
「……ユーゴ」
ハーニーは申し訳なさそうに振り返った。
「どうしよう。突破口がないよ……」
「みたいだな。かといって降伏はしないだろ?」
「諦める気はないよ。ここで降伏しても処刑は免れないだろうし。でも、このまま戦っても勝てるかというと……」
最後まで口にすると本当に現実になってしまいそうで止める。
「なあ、ハーニー。俺さ、今すげー世界がはっきり見えるって言っただろ?」
「周りが広く見えるとか言ってたね」
「だからだろうな。聞いてくれ」
ユーゴはどこかニヤついた顔で言った。
「俺にいい考えがある。この状況を二人で切り抜ける方法だぜ」
どこかで聞いたような言葉。しかし、へらへらした態度に軽い口調で紡がれたそれは、前回と違う。悲壮感や清々しさがあったあの時と異なるのは、ここで終わる気はないという意識。
戦場にいるはずなのに、死への覚悟がないことが妙に頼もしかった。
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