単独侵入 2

 僕に話しかけてきた? 僕が入り込んでいることに気づいた?

 動揺のため空っぽだった頭に思考が戻ったのは数秒後。高位だろう東国貴族が言葉を重ねた時だ。


「そんなところで突っ立っていずとも、入ってくればいいだろう」

「え?」

「遠慮はいらんさ。なあ?」

「私は構いませんよ。同胞、それも貴族なら」


 考えが明瞭になってくる。

 この様子。まだ西国の人間だと気づかれていない。どうやら東国貴族の一人だと思っているようだ。

 ……落ち着け。となれば、ここで逃げるのは不自然だ。怖くても逃げ出すな。ここは流れに乗るべきだ。

 ユーゴの情報も要るんだから。


「じゃ、じゃあお邪魔します」


 そう言っても反対意見は飛んでこない。

 ハーニーは覚悟を決める。コートを脱いで腕にかけた。この紺色のコートはパウエルから貰ったものだ。背中に紋章は入っていないが、どこから何がバレるか分からない。念には念を入れる。

 西国だと類推されそうなものを着用していないことを確認してから、ハーニーは建物の表の扉に手をかけた。屋敷に入る。

 真っ先に目に入ったのは室内中央には大きなテーブルだった。机上にはブルーウッド大森林から旧王都までの地図が広げられている。ここはこの基地の作戦指令室のようだ。

 そして部屋の窓の近く。端に置いてある小さなテーブルの横に二人の男がいた。一人はひげを蓄えた初老の男。もう一人は若く見えるが、実年齢は三十代ほどだろう。大人特有の穏やかさが見えた。

 部屋に入って立ち尽くすハーニーに、初老の男が怪訝な目を向けた。髭を擦りながら目を細める。


「見ない顔だな。魔力も知らない……どこの生まれだ?」

「う、生まれ?」


 そんなこと自分が知りたい。

 そうとは言えず、ハーニーは内なる他人に頼る。


「生まれは……東国です。住んでいたところは街や村ではなくて、親族が集まる集落のような感じでした。山中で剣術鍛錬をする家です」


 口にすると、自分のことでもないのに懐かしくなる。そう感じるのは錯覚か、それとも自分の中にサキが宿っていて、懐かしんでいるのか。後者であれば、と思う。


「魔法があるのにわざわざ刀を、か。物好きだな。貴族らしくない」

「それは」


 なぜ貴族がそんなところに。その答えは用意していなかったが、髭の男は勝手に納得した。


「まあ、何をしても東国貴族は疎まれる時代だった。君がその集落に住みついたのは英断かもしれない」

「は、はあ」

「魔力は妙な感じがするが、生まれつきか?」

「妙っていうと……?」

「何か混ざっているようで不安になる。双子が一人の子供に宿ったような感覚だ」


 セツのことだ。一つの身体に意識が二つ。前情報なしに気付かれ始めている。

 ハーニーは早口で答えた。


「それは、気のせいですよ。僕自身不安だから揺れているのかも」

「そうか……?」


 疑うような視線に汗が出る。

 黙っているともう一人の男が口を開いた。


「細かいことはいいでしょうよ。それより知りたいのは名前だ」

「僕は……ハーニー」

「名字は?」

「う、えと……」


 カーライル、はまずい。有名すぎる。コールフィールドもダメだ。ハルフォードも名家。となると、ええと、思いつくのは。


「ル、ルイス」

『む』

「ルイス!」


 セツの声をかき消すように言い直した。

 他意はないんだけど、邪推してそうだ……。


「あ、あなたは?」


 これ以上質問されたくないので、こちらから尋ねる。

 清潔感のある若い男は笑った。


「はは。これでも副官なんだけどな。カトル・タキだ。所詮二番手は目立たないか」

「すみません。最近来たばかりで」

「そうかい。なら、こちらの方も一応紹介しておこうか」

「いい、自分で名乗る。私はサラザール・ガラアル。東国中央部前線の司令官をやっている」


 サラザール。

 この人が旧王都襲撃を指揮しているのか。

 気配、風格はただ者ではない。パウエルに似ているのは雰囲気だけではないだろう。実力も相当に違いない。

 冷や汗が背中に滲む。

 軍隊の最高権力者二人が目の前にいる。自分よりはるかに様々なことを経験してきただろう年長者二人に、今僕は嘘を吐いている。その事実を知ると、一言一言が針に糸を通すような至難に思えてくる。


「気になってたんだが、君は夜更かしして、その上どうして盗み聞きなんて真似をしてたんだ?」


 話しかけてくるのはカトルと名乗った男。年下相手のため気楽なのだ。口調は軽い。

 答えに一瞬時間を置く。

 ……怖がるな。今もユーゴの安否は分からないんだ。時間をかければかけるほど危険が増す。うまく話をユーゴに持って行かなくちゃ。

 あくまで東国貴族の一員でしかないと思わせるように、うまく。


「捕虜を取ったと聞いたのです。西国の貴族を」

「耳が早いね。それで?」

「……どうなるのかな、と思って」

「敵国の心配を?」

「同じ魔法使いです。所属が違うだけで」

「……今時の子にしては珍しく割り切っている。剣術修行とやらのおかげかな」

「そんなところです」

「はは、小気味いい。私は気に入りましたよ。こんな新人がいるなら早く報告してほしかった。そう思いませんか、サラザール司令」


 返事は遅かった。


「……ああ。しかし」


 言葉は中途に消える。

 間隔を経て続いたのは新たな問いかけ。


「……ハーニー・ルイスと言ったな。君はこの捕虜をどう思う?」

「どう、というと?」

「捕虜、名前は名乗ろうとしないが、青年だ。彼は仲間を守るために犠牲となった。身を挺して、国へ嘘も吐いた。……どう思う? 君自身は」


 含みのある質問。

 試されている。直感はそう言い、うまく取り繕えと理性も訴えていた。しかし、サラザールの真っ直ぐな目はすべてを見通すような奥行きがあって、言葉を嘘で塗り固められなかった。下手な嘘は見抜かれるという謎の予感があった。

 真っ直ぐに思いを口にする。


「……馬鹿ですよ。自分を捨てるなんて、ずるい」

「ほう? では、君ならどうした? 一人逃げたか?」

「僕なら……く」


 歯噛みする。

 同じ選択をした。死なない意志はあっただろうが。

 サラザールはその様子を見て目を僅かに見開いた。大口を開けて一つ笑う。


「ハッ! 馬鹿はどっちだろうな」

「ど、どういう意味です?」

「独り言だ。それより話を戻そう。捕虜の話だったな。捕虜だが、今はまだ生きている」

「生きて……そうですか」


 平静を装うが内心は喜びでいっぱいだ。


「明朝の処刑まで拷問されることになっている。地下牢でそろそろ始まるころか。……カトル。地下牢近くの警備はどうなっている」

「数人置いています」

「下がらせておけ。叫び声を聞かせたくない」

「そうですね。誇りを守るなら、そうすべきだ。さがらせましょう」


 無言の間。


「……今すぐに、だ」

「っと、分かりました。すぐ近くですし私が伝えてきます」


 カトルは足早に指令室を出ていった。ハーニーとサラザールだけが部屋に残される。


「……他者のために一時の危険や恐怖を見ないことができる。それも自信や勇気と同じで、結果だけを求める姿勢に変わりはないということか」


 不意なつぶやき。サラザールは続けた。


「私はあの王族騙りの青年を買っているのだ。そして、ここにいる君の胆力も」


 ユーゴと自分を同列に語った。それはつまり。

 ハーニーは場に合わせて緩めていた顔を引き締めた。


「……だから、何です?」


 硬い口調にサラザールは真っ向から笑む。片方の口角を上げた野性的な笑み。


「ふん。言っても君は止まらないだろう? だから私は余計なことを言う気はない」


 ハーニーが刀に手を添える。サラザールはそれを見た上で背中を向けた。

 無防備な状態を見せることが、戦う意志がないという証明。


「牢屋はここから西に少し歩いたところだ」

「え?」

「行くなら覚悟して行け。私は万全を尽くす」

「……ならお礼は言いませんよ」


 ハーニーは手に掛けていたコートを羽織った。部屋を出ることに躊躇いはなかった。





 ハーニーが出ていってから、すぐにカトルは戻ってきた。


「おや、ハーニー・ルイスとかいう子は?」

「今しがた仲間を助けに行った」

「仲間?」

「捕虜のことだ」

「……なるほど、知らないわけだ。あの子は西国の貴族だったんですね。……しかし、ならなぜ見逃したんですか。気づいた時点で言ってくれれば対処しましたよ」


 サラザールはテーブルに置いてあった酒を口にした。


「願ってもない機会だ。あの捕虜も、拷問して死ぬより戦って死ぬ方がいい。その機会をくれたのだ、あの青年、ハーニーは。ならば利用しない手はない」

「一度逃がし、戦ってやるというわけですか」


 戦って死ぬ。戦士はそう死ぬべきだとサラザールは考えていた。少なくとも、命を懸けて戦った若者が痛めつけられ、踏みにじられて死ぬことだけは忍びなかった。

 とはいえ、その思想は他者に向ける優しさではない。


「カトル、基地にいる民を全て起こせ。見張りも半数は戻していい。そして包囲するのだ。地下牢の入り口を」

「それだと彼らは必ず負けますよ」

「構わん。どうせ死の決まった身だ。戦場を死地にできるだけで幾分か救われるというものよ」

「ふむ。容赦はしないと。となればハーニー君は仲間を救えず失敗。残念な死を遂げますね」

「仲間の誇りを守れただけで彼には意味があっただろう。それに……この青年はここで消しておきたい。危険を顧みず仲間を助けようとする意志力。そして状況に自分を合わせる柔軟さ……危うい。この若者が生き続けるのは東国にとって危うい。生かしておくと不利益を生む。確信めいた予感がある」


 サラザールの断言に、カトルは表情を真剣なものにした。慈悲の色は消失する。


「……地下牢を完全に包囲します。二人が出てきたところを大軍で焼く。よろしいですね?」

「ああ。一応降伏勧告してやれ。それで降伏するならそれもいい。一度脱走しようとしたとなれば、処刑をすぐに行うべきだ、となる。だいぶましな死に方だ。こちらの被害も抑えられる」

「はい。……しかし、何度やっても罠というのは気が引けますね」

「罠でもない。ハーニー・ルイスは私が対処すると分かって、なお地下牢へ向かったのだ。覚悟している」

「危険を知っていながら仲間を助けに……? なるほど。生かしておくべきではない。その意味がやっと分かった気がします」

「国の関わりがなければ、彼や捕虜の方も生きていて欲しい魔法使いだが……」


 それ以上サラザールは喋らなかった。

 無駄だからだ。死にゆくものへの惜しさなど。

 今から私は前途ある若者を二人殺す。国のために命を奪う。

 その決定、決意だけでいい。


「行くぞ。カトル。紛い物の魔法使いに任せられん。これは我らの仕事だ」


 戦争を経験してきた男は、生殺の覚悟などとうに済ませていた。


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