単独侵入 1
東国前線基地はブルーウッド大森林の中央部、少し盛り上がった台地にある。防衛に適した地形だ。その上2m以上ある木壁が基地を囲っているのだから、まさしく堅牢。強固な拠点といえる。
ハーニーは基地の傍まで接近していた。木壁が目視できるほどの距離。ここまで来るのは造作もなかった。警備の数は多くても、奇襲はもう退けた、と安心していて容易に通り抜けることができた。
しかし油断するのも当然だろう。集団で来れば気づくかもしれないが、こちらは一人。そうそう気づかれることはない。そもそも、たった一人で乗り込んで来るとは東国も思わない。無謀で愚かな行為。可能性として考えることすらないはずだ。
ハーニーからすれば、その隙を突くことだけが強み。それ以外に成功への糸口はない。
「どうやって入るかな」
基地から少し離れた草陰でつぶやく。基地の周囲を一周して、外側の状況は大体理解できた。
「基地には入り口が二か所。東門と西門があって開放されてる。周囲の見張りは総勢三十人程度。それらは基地から離れてるからいいけど、門前に二人ずついる門番が厄介だ」
『内部の人数はここからでは計れません。魔力を感知しようにも魔防の木壁が邪魔しています』
「でも、そのおかげで僕がここにいることがバレてない。魔力を感じられる貴族が見張りにいなくてよかった。いたらその時点で終わってたよ」
『そうですが、中には高台もあり──』
やっぱりセツは反対なんだな。一瞬口元を緩ませてから、ハーニーは遮った。
「いいよ。中のことは後にしよう。どうせとんでもない数がいるんだから、考えるだけ暗くなる。それよりもどう侵入するか。あの木壁をよじ登るのはどうかな?」
あの木壁は高いが、上れない高さではない。サキさんなら登れる。
『……止めた方がいいでしょう。魔力を持つあなたが触れれば、木壁は反応します。木壁に込めた魔法にもよりますが、発光したり音を鳴らすものなどもあるのです。その上魔力を吸収しますから、私が一時的に消える可能性もあります』
「それは困る。……じゃあ魔力の床を作って空から下りるのは?」
『基地内には高台が三か所ありますし、変なところから入れば魔力の動きで察知されかねません』
「良い手だと思ったんだけどな」
ため息。直後、違和感に気付く。
「ん? 変なところから入ったら魔力の動きで察知されるって言うけど、それならどこから入っても同じじゃないの? 僕の魔力が伝わるんだから」
結局バレるなら強引に入り込むのも選択肢になる。
セツはその乱暴な思考を悟ったのか、すぐに言葉をくれた。
『魔力を持つ者が基地に来たことは伝わりますが、それが西国の魔法使いのものだとすぐに気づくとは思えません。魔力には個性がありますが、それは東国貴族も同じ。彼らからすれば「魔法使いが入ってきた」以上の情報は得られないでしょう。よっぽど意識しなければ、知らない者の魔力だと分からないと思います』
「一人、それも入口から堂々と入れば仲間だと誤認してくれるってことか」
『あくまで最初だけです。姿が見つかれば、また、違和感を覚える事件が起これば、途端に疑われます。そうなれば隠れても意味がありません。基地を出て逃げる以外ないでしょう』
今までは魔力を感じることのできない人たちが相手だったから、隠れおおせることができた。だが基地内となれば話は違う。高位の魔法使いもいるだろう。魔力の存在から場所が知られる。
「何も起きない状態。平和な状況のまま忍び込まないとダメ……」
『はい。奇襲を阻止して油断している今なら、すぐにバレることはないでしょうから』
そうかもしれない。しかし。
「見つからず、そして何も起こさず基地に忍び込む……全部は無理だな」
『ではどうするんです? 何か好機がくるまで待ちますか?』
「いや、待っている間にユーゴが……殺されたら意味ないよ。動くなら今だ。……元からでたらめな話なんだし、今更リスクを気にしても仕方ないか」
ハーニーは立ち上がった。気配を消して移動する。向かったのは基地の東側だ。
基地の東側は比較的警戒が薄い。東側から入れば仲間だと騙しやすいという利点もある。
侵入しようとして邪魔になるのは、基地入口に立つ二人の門番だ。ハーニーと同年代に見える青年が二人、槍を持って立っている。
「いけるかな」
つぶやきの元は、窺いとった雰囲気から。
二人の青年に緊張感はない。立って責務を全うしようといているが、目元は眠そうに垂れていて、集中していないのが分かる。よく見れば縦に持った槍を杖代わりにしているようだ。油断というより、状況に安心しているというべきだろう。奇襲は終わって、東側という状況に意識が緩んでいる。
「……失敗したら、ごめんだ」
『うまくやってください』
ハーニーは基地東側の入り口近くの草陰に身を隠している。周囲に人がいないことは確認済みだ。最寄りの見張りはあの二人の門番だけ。他はもっと基地から離れたところを円状に周回している。
ガサガサ、とまずは隠れていた草葉を揺らした。
二人の門番の注目が集まる。
「い、今なんか動かなかった?」
「動物が通っただけだろ。森の中なんだから」
「で、でももしも敵だったら……報告しなくていいのかな」
「馬鹿。こんなことで騒ぎ立てるなよ。敵が来てたらとっくに誰か気づいてるし、こっち側は仲間しか通らないんだぞ。俺たちはただ立ってりゃいいんだ」
「でも……」
「そんなに心配なら見に行って来いよ。でもな、獣の足音を見つけて敵だ! なんて言うなよな」
「分かったよう……」
門番の片方。気弱そうな青年がそろそろとこちらに歩いてくる。
「だ、誰かいる?」
草越しに尋ねてくる。もう少しこっちへ来てくれれば草で死角になるのだが、僅かに足りない
……仕方ないか。
「うううぅ……」
ハーニーは手で口を覆いながらくぐもった呻き声を上げた。
ビクッ、と青年は怯える。身体を固まらせた。
「どうだー、なんもいなかっただろー」
「い、いや。でも誰かが──」
もう一人の門番の声に応えようとするのを、ハーニーはさらに苦しそうな唸りで留める。
「うううっ……だ、誰か……助けて……」
気弱そうな青年は門番に返事するのを止めた。見れば怯えは消えている。人助けの正義感が恐怖心を上回ったらしい。
「さっきの戦いでケガしたの……? 東国の人だよね?」
そう言って草を掻き分けてこちらにやってきた。植物が壁となって、もう一人の門番から見えなくなる。
その瞬間、ハーニーは飛び出した。
相手が理解する前に足を払い、体勢を崩す。物音が立たないよう転倒する青年を押さえながら横倒しにした。優しい転倒をさせて、首筋に短刀を押し当てる。刃物の冷たさが伝わるようにぴたりと。
「騒いだら殺すしかなくなる。死にたくなかったら口を閉じるんだ」
「は……はいぃ」
青年は情けない返事で何度も頷いた。その顔には自分に向けられる恐怖が色濃く出ている。
本当はこういう脅しなどはしたくないが、贅沢を言ってられる状況ではないのだ。大体、卑怯にもけが人を装って騙した身。今更だ。
少しでも怖がらせるよう低い声でささやく。
「もう一人の門番を呼べ。余計なことは言わずにただ呼べばいい。そうすれば命までは取らない」
「……呼んだら、彼を殺す?」
仲間を想う言葉に胸が痛む。この気弱な男からすれば自分はただの悪人だ。心苦しくなるが、表に出さないよう抑え込む。
「……君が余計なことをすれば殺す。死なせたくないなら従え。言う通りにすれば誰も殺さない」
「……っ」
青年は何度も頷いた。気弱な男だということは既に分かっている。だから上から命令せずに、救われる道を提示する話し方をしたが、それがうまくはまった。青年は自分に責任が降りかからない選択肢を取ってくれる。
青年は伏せたまま声を張った。
「ちょ、ちょっと来てよ」
「あ? 何でだよ」
「いいから。……はやく!」
「何だよ。面白いもんなかったら小突くからな」
安心しきったもう一人の男を対処するのは容易だった。草むらに入ってきたところを刀身が入ったままの鞘で殴りつける。意識を奪うまで数秒もかからない。
倒れこんだもう一人の門番を、気弱な青年は伏せたまま心配そうに見た。
「い、生きてる?」
ハーニーが代わりに答えた。
「気を失っている。打撲傷は残るかもしれないけど、死にはしない」
打ち所が悪ければ、ということもないだろう。加減している。
さて、入口の見張りは何とかなった。見たところ入り口付近に人影はない。深夜ということもあって手薄だ。
「君たち以外に見張りは?」
もはやいうことを聞かせるのに一々短刀を主張させる必要はなかった。
「ひ、東側の門番は僕らだけ……皆もっと基地から離れたところを見回ってるんだ。大軍が来てもすぐ気づけるように。なのに」
こちらに信じられない、といった風な視線をよこしてくる。
「君の考えはどうでもいい。基地の中はどうなってる?」
「……中には皆が……く」
途端に睨むような目が向けられる。敵意の混じった視線。
気弱さが一周回って吹っ切れたかな。
ハーニーはダメだろうなと思いながら短刀を押しつけ直した。
「答えないと殺す」
「い、いやだ。もういやだ。皆を裏切れない。敵の味方なんかッ。殺すなら殺せばいいよッ」
自棄じみた声に理性はない。これ以上の協力は見込めそうもなかった。
ハーニーは短刀をしまって青年の首に手をかけた。後ろから抑え込んで締め落とす。抵抗の中で腕をひっかかれたが、音を立てずに無力化出来た。
「……自分が嫌になるよ」
足元に転がる二人の青年を見下ろしながらため息を吐く。この二人は、自分の狡さの象徴だ。戦いではない、罠による結果。もしこれで殺していたら背負えない。そう言う類の犠牲。
『殺めていません』
「彼らからすれば僕は殺人者だ。殺されると思ったはずだから」
『……あなたは選択そのものに後悔していないでしょう』
鋭い指摘は胸をキリキリと痛ませる。
「……それも嫌なんだよ」
気配を消して行動に移った。
基地に侵入する前に内部を窺う。
東国前線基地は広い。倉庫らしき木造の建物がいくつもあり、村程度の規模があった。道も整備されており、各所には周囲を照らす火が灯っている。
『東国は本格的な拠点を作っていたようですね』
「通りで最近襲撃が少なかったわけだ」
基地中央に向かう道は明るく照らされていて、基地内に三か所ある高台から丸見えだ。
ハーニーは誰もいないことを確認して東側入口から侵入した。そのまま魔防の木壁沿いに進み、近くにあった建築物の陰に隠れる。
身を隠した建築物は倉庫だった。中から話声が聞こえる。
「さっきので魔法石は全部か?」
「いや、あとでもう一馬車分やってくる」
「かーっ。また運ばされんのか。夜中だってのにこき使いやがる」
「まあまあ。これで俺たちにも魔法石が回されるんだ。我慢しようぜ」
どうやら基地内にある大半の家屋は、東国民が寝泊まりするため使われているようだ。話し声に混じっていくつも寝息も聞こえる。
ハーニーは置かれた状況に身震いした。
この、何十人が休む木造家屋が十軒はある。基地に全員いないとしても、百人以上はいるということだ。その事実が恐ろしい。自分の存在が知れたら、その数が牙を向いて襲ってくるのだから。
唯一幸いなのは基地内の警備が緩いこと。巡回警備はいるが真面目に取り組んでいない。無駄に決まってる、と言いたげに欠伸をしながら見回っている。気配を消せば、気づかれずにいることは容易い。円滑に捜索を続けられた。
探しているうちに基地の中央に近づきつつあった。基地の中央の東寄りな場所に、一際立派な建物を見つける。華美ではない、堅実な意匠の外観をした木造の家屋。緑色を基調とした狼の印が壁に描かれていた。
『察するにこの基地の司令室でしょうか。中に魔力がいくつかあります。貴族です』
「こういう自分を表現する象徴は高位の貴族っぽいな……」
パウエルは赤い鳳を紋章にしていた。この緑の狼もその類なら、手練れがいるということ。
恐らくこの重要拠点を任された猛者が。
『近づくのは危険です。離れましょう』
「……いや、ユーゴは王族のフリして捕まった。偉い人が管理しているかもしれない」
『しかし、これ以上近づけば魔力が気取られます。いえ、もう魔力を持つ者がいる、ということくらいは伝わっているでしょう。この距離だから曖昧な認識で済んでいるのです。東国貴族だと勘違いしてくれているのです』
セツの言うことは正しいのだろう。
だが、悠長に構えていられない。
ユーゴが捕まって一時間以上経っている。王族の嘘はすぐにバレるに違いない。バレて即処刑は十分あり得る。今この瞬間が処刑の真っ最中という可能性もある。ただ幽閉されていればいいが確証は何もない。
『まったく。もう止めません』
「覚悟はしてる」
呆れられながらも、ハーニーはおそるおそる近づいた。窓からは明かりが漏れている。誰か話しているようだが、壁越しのせいで聞き取ることができない。
「もっと近くに……」
屋敷に隣接した井戸で身を隠しながら壁に寄る。影になって遠くからでは見えない。高台から死角でもある。
壁に耳を当てて集中する。くぐもった低い男の声が聞こえた。
「──だと思わないか。西国も一枚岩ではないと思うが、それにしたって奇襲の情報を流す者がいるとは思えん。この奇襲自体陽動なのではないか?」
情報を流した?
ヴィンセント・ヤシーンが思い浮かぶが、室内にいたもう一人の貴族が口にしたのは別の名だった。
「それはないですね。奇襲に参加した特定個人に恨みを持つ者による内通らしいので。情報源はカーラ・マックスとかいう女と聞いています」
「たかが一人への恨みで作戦を売るとは、救えないな。女は感情に揺れすぎる」
「古い考えですよ。女性はその激情から英雄にもなりやすい。前大戦の四英雄の一人も女だった」
「死んだがな」
「怒らせると怖いからこの話はやめようと言いたかったんですよ。今日は明るくやろうじゃないですか。せっかく奇襲を防いだんだ。貴族三十人を退けて捕虜一人。こちらは被害ゼロ。素晴らしい戦果を祝いましょうよ」
捕虜! まだ生きている!
ハーニーはつばを飲み込んで耳に意識を傾ける。
「私は飲まないぞ。まだ油断できんし、義理もある」
「義理? ああ、あの王族騙りの若者への」
「年長者からすれば有望な青年が死ぬというのは、やるせないものがある。今頃、拷問が始まっているころだろうが……いらん手間だ。誇りを奪う下劣な行為だ」
「皆をまとめるのに仕方のないことです」
「志で戦えないから魔法石などに頼る。平民連中は時の感情に流されやすすぎるのだ……とにかく私は飲まん。今日は同じ戦士を悼む」
「……そうですね」
グラスか瓶か、テーブルに置いた音。
無言がやってくる。
「……君も同じ口か?」
急な声はひどく大きく聞こえた。びっくりしてハーニーは壁から離れる。
その遠ざかろうとする動きを遮るように更に低い声が響いた。
「さっきから盗み聞きしている君に言っている。貴族のすることではないな?」
「ッ」
動揺がハーニーの身体を硬直させた。
こちらに気づいてなお騒ぎ立てない男には余裕があった。慢心のない強者のゆとりにハーニーは意気を飲まれて、逃げ出すということすら頭に浮かばなかった。
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