閉じ込められたもの

 東国前線基地は星明りを強く反射する木壁に囲われていた。魔防の木壁についてはユーゴも知っている。神職の魔法使いが一週間祈ることでただの木版に魔力が宿るという代物だ。そういった『物に魔力を宿す』という思想は西国ではあまり発達しておらず、東国らしい発想だ。前大戦ではそれら、物に宿る魔法が西国を苦しめたらしい。


「……今の俺はそんなこと関係なく苦しめられてるか」


 ユーゴのつぶやきは闇に消える。

 ユーゴは基地内にある牢屋にいた。両手を天井から垂れ下がった鎖で繋がれている。少し背伸びをしないと鎖が手首を締め付ける嫌な長さだ。つま先立ちしなければならない状況は精神を圧迫し、足は疲労で動かなくなる。逃げることも防止できるというわけだ。


「逃げる気なんかねーけど」


 隙があれば逃げよう。そんな気持ちは連行されている間に消え失せた。

 基地を囲う魔防の木壁。

 内部には大勢の東国民。散々怨嗟の声を浴びせられた。

 そして何より脱出の意気を削いだのはこの牢屋だ。

 牢屋は基地中央の地下にある。土魔法でも使ったのか地中に部屋が作られているのだ。地下、それも基地の真ん中から見つからずに逃げ出すのは不可能。その上自分には逃げる術もない。左足の火傷はいまだ痛んでいる。加速魔法などの足を使う魔法はまず使えない。

 ユーゴは自分を吊るす鎖を眺めた。

 ……いいじゃないか。ここで終わったっていい。やることはやった。立派なことができた。満足できる終わり方だ。悔むべきは……。


「いや……ない。ないだろ。後悔なんかしない。俺は間違ったことはしてないんだ。いい息子のはずだ」


 ゴト、と物音がした。地上と地下を分かつ扉の閉まる音だ。

 ゆったりした足音が近づいてくる。自信を感じさせる迷いのない足音。

 やがてユーゴの牢屋の前に中年の男が立った。口周りが髭で覆われている男。目つきは鋭く、歴戦の気配を思わせる。服装に汚れは見えるが立派だ。

 投げやりな言葉をかける。


「……この基地のお偉いさんだろ」


 返事は低く落ち着いた声色。


「東国では基本的に上下関係はない。だが、指揮する者という意味ではその通りだ。私はサラザール・ガラアル。旧王都方面軍の一指揮官だ。まあ、この基地の司令官と思ってくれ。君は?」

「そういう聞き方をするってことは、俺が王族じゃないってバレたんだな」

「元より誰も信じていない。一応の処理だ。……煙草を吸っても?」

「勝手にしてくれよ」


 サラザールは葉巻を咥え、魔法で着火した。牢屋前の通路にある椅子を持ってきて、ユーゴの牢前で腰かける。


「私は元々西国の貴族だったが、どうも西国は堅物でいけない。葉巻煙草は嫌厭される。といってもそれが私を左遷した理由ではないがね。直接の理由は私が東国民の妻を持ったことだろう。しかも東国の肩を持った。私は公平なつもりだったが」

「何しに来たんだ? 俺が王族じゃないなら話したところで意味ないだろ」

「せっかちだな。死を前にした者は穏やかになるものだが……まだ実感していないようだ」


 一服して、サラザールはユーゴをしっかりと捉えた。


「君に会いに来たのは聞きたいことがあったからだ」

「……」


 ユーゴはあえてそれが何かを聞かなかった。聞けば話の主導権を握られる気がした。


「ふん、あまり警戒するな。旧王都の防衛状況などの機密を聞きたいわけではない。私が知りたいのは君の名前だ」

「名前だ?」


 拍子抜けする。


「それを答えたら鎖を解いてくれるのか?」


 挑発するように言うと微かな苦笑が返ってくる。


「いや。だが、悪いことにはならない。私はこれでも君を評価している。君と……もう一人いたようだが、たった二人で囮役を担い、嘘までついて時間を稼いだ。あまつさえ王族の名を騙って、だ。若いのになかなかやる。西国らしくないがね」

「そりゃどうも」

「あまり嫌うな。私は評価されるべき者は評価したいと思うだけだ。腐敗した西国ではできないことを、私はしようとしている。だから名前を知りたい。二つ名名簿に添えてやろう」


 ユーゴの返事までには数秒の間があった。


「……いーや。魅力的なお誘いだけど、名字が知れ渡るのは困る。俺は死んでないことにしたいんだ」

「……そうか。残念だな。そういうことを言うあたりも気持ちがいいのだが」


 サラザールは落ち込んだように葉巻を地面に押しつぶした。立ちあがる。


「誇りで動かない貴族は、いい。東国にはそういう貴族が集まっている。君も近いが、すまないな。捕虜を解放すれば民が怒る。君にははけ口になってもらおう」


 あっさりとした物言いで死刑を宣告する。命を割り切っている上官の言葉だ。


「俺は死ぬのか」

「ああ。良い死に方は保証できない。執行人は平民でな。怒りの代弁者だ。拷問をする。……叫び声は地下だけで響く。恥はかかせない。それを伝えたかった」


 全て決まっているかのような物言い。

 ユーゴは何も返事をする気になれなかった。鎖を揺らして外せないか試みる。がっちリ繋がれていて抜け出せる様子はない。その上サラザールから嫌な情報をもらう。


「その鎖は霊山アーキでとれる鉄でできていてな。魔法を封じる効能がある。つまり君は魔法を使えない。そうでなければ元より生かしておかない」

「……ああ」


 ユーゴは諦めて脱力した。

 いいさ。どうせ諦めていた命だ。納得は済ませたじゃないか。


「今は大体深夜二時といったところか。死刑の執行は明朝だな。そこまで乗り切ってくれ。早めに気を失うことだ。そうすればすぐに終わる」

「嫌な助言をどーも」

「戦士は戦って死ぬべきだと思うだけだ。だが、ここは統率のための必要な犠牲だと思ってくれ。あとは執行人に任せるとしよう。では」


 後腐れのない踵の返し。ためらいない足取りはまるでユーゴを既に死人と見て居るようですらある。

 すれ違いで地下牢にやってきたのは、五十代ほどの男だった。普通の顔普通の身なりの男。どの町にもいそうな出で立ちだ。


「あんたが俺を殺す役なのか?」


 返事はなかった。その男は牢屋の脇にある机の元へ歩き、物を物色しはじめた。金属音が男の手元からする。その硬質な音で嫌でもわかる。拷問器具だ。

 ユーゴは一度唾を飲みこんだ。自分を吊る鎖を見上げる。何度見ても逃げられる可能性は見えない。


「君には、未練はあるかな」


 男は背中を向けたまま言った。思いのほか穏やかな声色にユーゴは微かな期待を覚えた。

 未練があると言ったら許されるだろうか。

 口にしようとして、止める。何か言えば、自分の隠していた感情、恐怖に飲まれてしまいそうだったから。


「いいや、ない」


 言葉の真偽を自分で確かめずに答えた。やり残したことはなくても、望むものはある。でも、それを考えるのは辛いから「ない」。もう一度言い直した。

 男の反応は予想と異なるものだった。


「そうかい。残念だな」

「残念って、俺に未練がないことが?」

「意外かい? はは」


 男は穏やかだった。ただ、その穏やかさは平坦で、人間味がない。それに気づくと静かな口調が化け物のものように聞こえ始める。


「そりゃあ君に未練があった方が嬉しいさ。未練があれば、辛いからね」

「……やっぱ、そうだよな」


 ユーゴは落胆した。やはり救いはない、と。

 男はガチャガチャと鉄の嫌な音を立てながら語る。


「私は元々東国の町医者でね。そこでは貴族の治療も任されていた。街を監督しに来た西国貴族たちの診療もね。その中で一度、貴族の妻が流産したことがあった」


 黙っていても男は続ける。


「すると貴族は私を責めた。妻が子を失ったのは、自宅で転んだせいだというのに。そしてあろうことか私の娘を……」


 金属音が止む。振り返った男の顔に表情はなかった。


「そういうことだから、期待しないでくれよ。加減する気はないから。一人目……その貴族が死んだ時からそう。私の知りうる医学知識を使って一番の苦しみを味合わせることにしているんだ」


 ユーゴは何も言う気にならなかった。


「今回で私の気が済めばいいんだけど、何人やっても収まりがつかなくてね。ああ、でも君には関係ないか。君は苦しむに決まっているのに、次の罪人が苦しむかどうかなんてどうでもいいよね」

「もう勝手にしてくれ」


 ユーゴは目を瞑った。

 理不尽さ。後悔。そういうものを感じながらも、呼吸は滑らかだった。

 誰にも認めらなくたっていいさ。俺は最後にでかいことをやったんだ。一人しか知らなくても、その一人を守ることができたんだ。それなのに、これ以上求めることなんかない。ないはずなんだ。


「強がっていられるのも最初だけだよ」


 怖くない。大丈夫。

 言い聞かせるそれらの言葉は、しかし弱気の発露であり身体が震える。それも抑え込む。

 本心たちをユーゴは隠す。ないふりをする。

 俺はいつもそうだ。

 ふり。

 軽い男のふり。本当は逃げているだけなのに、流れに乗っているふり。

 そして今も、人生に満足したふりをする。

 見たくないものから目を背けるために。感情が溢れないように。

 でもそれも仕方ない。

 自分を偽る以外救われ方を、立ち方を知らないんだから。


「後悔はないって」


 つぶやきは自分が出したと思った声量より小さく聞こえた。

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