許せないこと
ユーゴのおかげで包囲は解除された。それはつまりMJたちは安全圏まで離脱したということでもあり、良い結果なのだろう。
作戦の失敗を考えるなら。ユーゴの尽力を思うなら、ハーニーも離脱すべきだった。MJたちを追って旧王都に戻り、次の作戦に備える。組織の一員としてはそれが最善の行動だ。
ハーニーは未だ東国勢力下の森林にいた。川から少し離れた警備の薄い闇の中で、背中を木に預けて座り込んでいた。
『……どうするのです』
まっとうな質問。答えずにいると追加の言葉。
『残念ですが、ユーゴは捕まりました。恐らく今頃基地で幽閉されているでしょう。そして身分の偽りが明らかになれば……』
東国が捕虜を取っているという話は聞いたことがない。それも当然だ。魔法使いを捕まえておくなんて危険すぎる。生かしておく必要がない。
「セツ」
『無謀です』
先んじて言われ苦笑が漏れる。
「まだ何も言ってないよ」
『言わずともわかります。助けるというのでしょう?』
「……」
沈黙は肯定の証。セツはすぐに反対した。
『あなたは状況を本当に理解しているんですか。敵は周辺の哨戒も含めて三百人。それも防衛手段を講じられた基地に単騎で乗り込もうなど、まともな考えではありません。理性のない感情だけの妄言です』
「厳しい言葉だ……」
『それほど無謀なのです。基地のどこにいるかもわからないのに、無暗に乗り込んでも命を落とすだけでしょう。せっかく救われた命を無駄にするなど、彼も望んでは──』
「望み?」
ハーニーは右腕から目を背けて吐き捨てる。
「ユーゴの望みなんか知るもんか。ユーゴは勝手に僕を助けたんだ。僕に相談も何もなしに……なら、僕がどうしようと僕の勝手だ。助けようとして、それをユーゴに責められる謂われはないよ」
『……私には? 私は反対です。私には反対する権利があるはずです』
「セツは僕と体を共有してる。そうだね」
『言っておきますが、私は断固拒否します。自棄じみた行動で存在を失いたくありません』
「自分が大切だから嫌だって?」
『そうです。私は無駄死になどお断りです』
ハーニーは口の端で笑った。
「……独善的なこと言っても、それが僕を守るためだって分かってるよ。無理に悪役にならなくてもいいよ」
ため息でもありそうな沈黙の後、抑揚はないが柔らかい物言い。
『こういう時、あなたの敏感さに腹が立ちます。これでは私の覚悟が水の泡です』
「ごめん。でも、ありがとう」
『……私は反対ですよ』
「うん。セツの言うことは間違いないし、僕を守るための助言だってことも伝わってるよ。でも僕だって心から引けない、引きたくない理由があるんだ」
『あなたは目の前で困る人を放っておけない人です』
ハーニーは首を横に振った。
「今回は義務感とか、申し訳なさで言ってるんじゃない。自分にユーゴの命ほど価値がないからでもない。そういう理屈じゃないんだ」
『放っておく自分が許せないから?』
「いや。むしろ逆だよ。許すためじゃなくて、許しちゃいけないことがあるんだ」
『あなたが?』
許してばっかりなのに。セツはそう言いたげで笑みが零れる。
一つ大きく息を吐いた。
思い浮かべるのはユーゴの最後の行動。自分を突き飛ばした時の彼の表情。
「ユーゴは僕に押しつけた。清々しい顔なんかして自分の価値も、生きた意味も全部僕に押しつけてきた。……僕はそれを責めようと思わない。だってそうする気持ちは分かる。誰かを助けて英雄に、ってわけじゃないけど、そういう終わり方は楽だから」
『よく分かりません』
「僕も、今は思わないよ。でも君と出会う前、理由のないまま生きていた時によく思ったんだ。目の前で誰か馬車に轢かれそうにならないかなって。もちろん不幸を祈ってるわけじゃない。それを僕が助けるところまで想像するんだ。それで僕は身代わりになって死ぬ。そういう妄想」
『馬鹿です。なぜそんなことを考えるのか理解できません』
「楽だからだよ。自分に意味を見出せて、価値を得る。そして終われる……。自分が薄ければ薄いほどあこがれるんだと思う。……でも、それは悲しいことだよ。自分を捨てることができる生き方なんて寂しい。もっと自分を大切にすべきなんだ。今なら……分かる」
そっと右腕を擦った。体に宿ってくれたことで、無理やりにでも僕に僕以上の価値をくれた。その感謝は計り知れない。言葉では言い表せない。
セツは声に微小の抑揚をつけた。ほんの微かな、気のせい程度の揺れ。
『……そうです。自分を大切にすべきです』
「……うん」
セツはいつだって自分を見てくれる。守ろうとしてくれる。それはすごく恵まれていると心から思う。
だからこそ、先に幸せを見つけた者として。友達として、許すわけにはいかない。
「僕はユーゴに価値がないなんて思って欲しくないんだ。空っぽだったなんて思って欲しくない。他人に任せられる程度の存在だったなんて思わせてやるもんか」
『あなただってそんなに自分に自信はないでしょう』
「確かに縋りながらだけど、僕は自分を捨てない。そういう生き方を君が教えてくれた。だから叱ってやるんだ」
『……指針は私ですか』
「僕は君に救われてるよ。同じことをしたいと思うのは普通だ」
『まるで同じではないでしょうが』
「でも理解できる辛さだ。ユーゴは分かってほしかったんだと思う」
そうでないとユーゴが今まで一緒にいた理由がない。状況に流されて、といってもいつでも離れられる機会はあったはずだ。それでもユーゴがいなくならなかったのは、一人を嫌がる気持ちがあったということ。自分たちが彼にとって心地いい存在だったということだ。
『あなたはいつも他人のために動こうとしますね。それがあなたが言うところの楽、なのでしょうが』
「ずるいかな?」
『それで死ねばずるいでしょう。恩着せがましいので』
「はは、そうだね」
このやり取りは、了解も兼ねている。
安堵の息が出た。
「良かった。説得できて」
『体の自由はあなたにあるのですから、私など無視して行けばいいのです。そうすれば私は否応なく協力するしかない。実際力になります』
「嫌だよそんなの。行くのなら心まで一緒の方がいい。二人ばらばらの気持ちで何とかできると思えないよ。いつだって僕らは思いを共にしてきたんだから」
『そうですね。本来共有するはずのない心まで通わせている……いますよね?』
「僕はそう思うけど、なんで疑問形?」
『……断言できることでもないでしょう。他人の気持ちを真に理解することなど不可能です』
「セツは一緒の気持ちになりたい?」
『……はい。いえ、ですがこれは戦闘においても意思疎通を円滑にすべきで、また、日常生活においても役立てる範囲が広がるからこその肯定であり』
「僕もセツの気持ちが知りたいよ。だから大丈夫。同じ気持ちだ」
『は、い。そうですね。しかし、ですが……』
「なに?」
『よくも平然と言えますね……私だけがばかみたいです』
「僕なりの覚悟も含めてるよ。死ぬかもしれない無謀なことをやるんだ。心まで共に在りたい」
『……その方が強い』
「うん」
『私たちならできますよ。きっと』
希望混じりの推測はセツが言えば頼もしい。軽々しく宣言したりしないセツが言うからこそ、重みがある。信じられる。
「もう賛成してくれてるから言うけど、正直説得できる自信あったよ」
『馬鹿にしてませんか』
「違う違う。立場の置き換えだよ。もし君が捕らわれてたら、ってさ」
『……どうするんです? ……その……分かりません』
「絶対に助けに行くよ。どんな危険が待ってても、必ず」
『そうですか』
「意外と反応が薄いね?」
『答えたくありません。何も喋りません』
「なんか我慢してない? 苦しそうな気がする」
『苦しいなんてことは。むしろ』
「むしろ?」
『……どうして私は道具なんですか?』
言葉だけ見れば悲しく聞こえ、ハーニーは慰めるように声を落とした。
「……セツはセツだよ」
『いえ、別に悲しんでるわけではないのです。暗くもありません。道具でしかないことへのいらだちはありますが、感情は真昼のように晴れ渡っています。表現するなら、ぴかぴかです。とろとろです』
「だ、大丈夫?」
セツがそんな擬音を使ったことなど一度もない。可愛い言い方だが、初めてだから心配になる。
『私は問題ありません。今ここでは勝利者の気分なので』
「よく分かんないな」
『構いません。それよりもこの調子で乗り込みましょう』
「どの調子……? でも、前向きならいいか。うん! 行こう!」
会話を経て落ち着きを手に入れる。いつだって聞き手をやってくれるセツは何ものにも代えがたい存在だ。
そういう拠り所を想いながら、ハーニーは立ち上がった。
自分を自分たら占めるしめるもの。支えを実感することが、ユーゴの行動への返事だと思った。
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