東国前線基地攻略作戦 2

 今日は新月ということもあり、森林は暗闇に満たされていた。辛うじて足場が見えるのは星明りと、それが川面で反射しているおかげだ。

 部隊は北の迂回を終えて南下を始めている。このまま川沿いの窪地を真っ直ぐ行けば、基地の北に出るだろう。基地までは一時間半といったところだ。


「ツいてるな俺たち。これなら簡単に作戦成功するかもしれねー」


 ユーゴが小声で言った。さっきのことをまだ引きずっているようだが、わざわざ表に出す気はないらしい。彼なりに心配をかけまいとしているのだろう。


「そうだね。まだ遭遇戦は一度もない。気づかれずに大分近づいてきてる」

「ああ。俺、最初は絶対敵にバレて、三百人に囲まれると思ってたぞ」


 実際、まるごと三百人を相手にすることはまずない。総勢が一か所に集まる危険を東国が犯すはずがないからだ。大軍を相手にするとすれば、奇襲が発覚して仲間を呼ばれた場合くらいのもの。

 あえて訂正する必要もないので黙っていると、ユーゴは小川の淵に屈んだ。


「ちょっと待っててくれ。喉が渇いた」


 この小川は清流だ。給水に適している。

 そう考えると基地が川の近くにあるのは給水のためか。飲み水の確保は人数の多い東国からすれば重要な事項だ。

 違和感を覚え、ハーニーは首を傾げた。


「……重要な場所?」

「どうした?」


 水を飲み終えたユーゴが口元を拭いながら尋ねてくる。


「……この小川は東国の基地からすれば生命線のはずだ。水を絶たれたら致命的なんだから」

「それってつまり、あれか? ここは守られているはずの場所だってことか?」


 ユーゴの顔が青ざめる。


『そもそも、周囲から視認しづらい窪地が基地の近くにあることは東国も承知しているはずです。それなのに見張りが一人もいません。偶然で片づけることもできますが……』


 それまでただ運が良かったで片づけていたことが、全て危険な兆候に思えてくる。

 おかしい。この小川に哨戒を立てないのは防衛意識的にありえない。独など使われたら一たまりもないのだ。貴族だから汚い真似を使わない、などと思い込んでいるはずもない。


「……MJに伝えよう。彼が言えば皆すぐに……」


 ……皆すぐに?

 嫌な予感は加速する。

 なぜMJに反発する人がいないのか。

 それはつまり、この作戦に参加している貴族は皆穏健派ということ。過激派はいない。

 独立を企むヴィンセントが立案したこの作戦に集められているのは、彼にとって障害となる魔法使いばかり。


「……罠かもしれない。派閥云々は横に置いておくとしても、うまく行き過ぎてる」

「お、おいおい。気のせいじゃないのか? 俺たちの考えすぎだって」

「嫌な想像を気のせいで片づけて放っておくのは危険だよ。その場しのぎで済ませるには事が大きすぎる」

「……そうだよな。逃げだよ確かに。悪い」


 ユーゴは思いのほか素直に謝った。その姿が傷ついて見えて、ハーニーは慌てて取り繕った。


「こっちこそごめん。責めるつもりじゃないんだ。ただ僕も焦ってて」

「分かってる。お前は悪くねーって。それでどうするんだ?」

「どうする、か」


 結局は憶測でしかない。このままMJに言ったところで、彼が真に受けるとも思い難い。何か証拠が要る。


「最悪な状況──東国に情報が漏れているとしたら、どこかで待ち伏せしているはずだ。僕らは窪地に隠れて移動しているつもりだけど、罠だとすればこれほど包囲しやすい環境はない。伏兵がいるとすれば、窪地を挟んだ両側かな。サキさんならそこを警戒する」

「マジかよ……」


 ユーゴは不安そうな顔で周囲を確認した。窪の傾斜のため視界は遮られている。見えない恐怖が増すだけだ。


『魔法石は魔法発現時にしか魔力を生じません。待ち伏せに最も適した存在といえます。対してこちらは魔法使いの列。魔力を感知できる人間が近づけばすぐに分かるでしょう』


 もう囲まれている可能性すらある。行動するなら今だ。それでも遅い。


「窪地を出て見てくるしかない」

「じょ、冗談だろ? お前の言うことが本当だとしたら、待ち伏せがいるじゃねーか。それも東国だから大勢だ」

「何もせず進むわけにもいかないよ。誰かがやらないと」

「俺が言いたいのはそういうことじゃなくてよう!」


 ユーゴは苦し気な顔で言葉を紡いだ。


「そりゃ、敵を見つけて罠だと気づいて、知らせれば皆助かるだろうけど、お前はどうなる。罠だと分かれば部隊は撤退するんだぞ。そうなりゃ見つかったお前だけが残されて狙われる! 敵地に孤立しちまう!」


 ユーゴのいうことはもっともだ。そうなる可能性は高いし、集団を助けることを第一とするなら、殿として足止めする必要がある。


「……でも、嫌な予感を持っているのは僕だ。僕がやらないと」

「どうしてそんなすげーこと簡単に決められるんだ……」


 絶句するユーゴにハーニーは控えめに言った。


「高尚なことを考えてるわけじゃないよ。内心焦ってるし、怖いし、逃げたいとも思う。けど、自分だけが助かればいいって思えるほど、僕は僕を重く見れないよ」

「自分の重さ……」

「とにかく僕は行くよ。いつ襲われてもおかしくないんだ。急いで確認しないと」


 窪地を出ようとして、斜面に足を踏み出すと背後から震えた声。


「ま、待てよ。俺も行く」

「え、でも」

「俺だって行きたくねーよっ。けど俺だって男だし、お前より年上なんだぞ。一人留守番なんてしたくねー。置いていかれたくねーよ。大体お前、伏兵がいた時どうやって皆に知らせるつもりだ?」

「えと、大声で?」

「馬鹿かって。魔法信号ぐらい俺でも撃てる。それに一人より二人の方が心強いだろ? いや、俺だと不安かもしれねーけどさ」

「そんなことないよ。僕は信頼してる」

「……へへ。そんなこと言うのはお前くらいだよ」


 照れくさそうに鼻を触るユーゴ。すぐに神妙な顔になる。雑談している暇はない。

 二人で窪地を出る。奇襲作戦における勝手な行動は重大な命令違反だ。もしこれがただの気のせいで、奇襲の存在がバレたら取り返しはつかない。

 それでも立ち止まらなかった。不穏な状況も理由の一つだが、何よりハーニーを突き動かしたのは、ヴィンセントへの猜疑心だった。


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