東国前線基地攻略作戦 3

 窪地を出ても人影はなかった。木々が作る闇と静けさがあるだけ。川の音。虫の鳴き声。木々が揺れる音。自然音だけで人の気配はない。

 一時は焦ったが、ただの取り越し苦労だったのだろうか。

 立ち尽くしているとユーゴが躓いた。傍の木を支えにして、転ばないようこらえる。


「っとと、あぶね。木の根っこが地面に出てるから気を付けろよ。ほら」


 ユーゴはそう言って極小の光魔法を発現させた。足元を照らす程度の淡い光が彼の手元に生まれる。

 足元の厄介な根が見えるようになるが。


「光はまずいよ。遠くからでも見つかる」

「つったって、転んで音たてたら仕方ないだろ。どうせ草木が邪魔して見えないって。もし見えても葉っぱが星明りを反射したように見えるさ」

「そうかもしれないけど……ん? そこの地面なんか変じゃない?」

「お、どれだ?」


 明かりの範囲の端。違和感を覚えた地面の一部を照らしてもらう。

 その光景の衝撃からか、一瞬光魔法は明滅した。


「うわ……」

「まじかよ……」


 そこにあったのは怖気を呼ぶものだった。

 何十もの人間が通った跡。地面はおびただしい数の靴底によって抉れていた。突如現れたそれらは、まるで虫の群れのような嫌悪感を催させる。

 足跡の進む方向を理解して嫌悪感は悪寒に変容した。


「……まずいぜ。この足跡できたばっかりだ。それに北に向かってるぞ……!」

「まさかすれ違いに──」


 ドォ──

 その瞬間、北方から轟音。魔法が木を倒し、地面を爆発させる衝撃。それは連続して地鳴りのようになる。

 明らかに大人数を相手にした戦闘音。拍動が早まる。


「くっ、気づくのが遅れた! 僕らは突出し過ぎたんだ! MJたちが危ない!」

「もう包囲されてるんじゃねーのか?!」

「だったら僕らを警戒していないはずだ! 不意を突ける!」

「そ、そうか。そうだよな!?」


 ハーニーとユーゴは急いで北へ走りだした。偵察も兼ねていたので本隊とは距離ができているが、今見つけた足跡を辿れば踏み慣らされていて追いかけやすい。道ができるほどの数がいたということでもあるが。

 森を駆け抜けると東国民の姿が目に入った。ざっと数えるだけで二十人はいる。


『周辺に更に数十人います。川向うも同様です。百人以上が川辺にいる西国部隊に挟撃をしかけています』


 ハーニーは木陰から川沿いで二方向からの魔法に耐えるMJたちを見た。

 これがじりじりと後退しているのならいい。だが、彼らは動こうとしていなかった。次々と放たれる一層火魔法を各々が色の魔法で防ぎ、ささやかな抵抗をしている。地の利のため反撃はほとんど意味を成していない。


「あんな開けたところで固まったらいい的だ! まったく!」

「お、おいハーニー。どこ行くんだよ」

「片方の東国部隊に背後から不意を突く! 混乱させてる間にMJに撤退するよう伝える!」

「じゃ、じゃあ俺は?」

「僕が狙われ始めたら光魔法で助けて! 行こうセツ!」

『はい』

「……何聞いてんだ俺……」


 ユーゴが何事かつぶやいていた気がしたが、構っている余裕はない。話している間もMJたちは飛来する魔法に耐えている。彼らの周辺は絶え間なく襲いかかってくる火魔法で抉れており、静かだった小川の面影はなくなっていた。

 ハーニーは最寄りの東国集団に向かった。自然の堤防上からMJたちを狙う彼らは、ハーニーの接近にまるで気が付かない。

 無防備な背中を前にする。これなら一人一人斬り殺すこともできる。

 だが──


「薙ぎ払う魔力の塊だッ!」


 幾度も発現させてきた、腕の延長線上に生まれる魔法。それをできるだけ大きくして、東国の集団に対して振り回す。

 魔力は人と衝突して鈍い音を立てた。構わず振るい、人の肉を打つ嫌な音を連続させる。その場にいた五人を払い飛ばした。

 ──今必要なのは混乱を生む大きな妨害だ。そのために派手に動かないと。


「後ろだ! 貴族がいるぞ! 殺せ!」


 野蛮な声に挟撃をしていた東国民の注意がハーニーに向かった。敵意の目と七色の魔法石たちが闇の中で蠢く。

 川のこちら側──西側の東国民がハーニーに対処しようとした時、僅かに震えた、しかし大きな声。


「きっ、清き光源煌々広がる白光色──散眩光ッ!」


 詠唱。直後、夜が昼になった。

 爆発的な光の拡散。威力はない。だが、ハーニーの頭上で発生した光をまともに見た東国民は皆目を押さえ、慌てふためいた。ハーニーを見失う。

 こんなに役に立っているのにユーゴはまだ二つ名のことを気にするんだろうか。

 完璧な仕事に感心しながら、ハーニーはすぐにMJの元へ向かった。坂の土を削りながら窪地に下りる。部隊は片側からの攻撃が急に止んで動揺していた。


「MJ! MJは!?」


 部隊の列に加わる。固まっていた集団を押しのけてMJを探すと、焦った様子の目的の人物が近づいてきた。


「名字なしか! 貴様のせいで我々の存在がばれたんじゃないだろうな!?」

「大勢に囲まれてるんだ! 作戦そのものが知られてたんだよ!」

「なに……? くそっ、どこから漏れたのだ」

「そんなことはどうでもいいっ! 早く皆を退がらせるんだ!」


 MJは焦燥の中に覚悟を見せた。


「ここで退いては前線基地を野放しにしてしまう。民を裏切ることはできない!」

「包囲されてるんだよ!?」

「しかしッ」


 じれったい!


「この作戦は失敗したんだよ! 奇襲っていう前提がなくなったんだから!」

「ぐ……!」


 失敗という言葉に拒否感を示すMJ。決断を邪魔しているものは分かる。

 ハーニーは真っ向から言い放った。


「貴族の誇りとか責任で目を曇らせてどうするんだ! このままだと全滅する! 皆死ぬぞ!」

「ッ」


 MJはハッとして周りを見た。彼の仲間が抗戦している。やり取りを聞いて不安そうにしている。

 MJの顔つきが覚悟したものに変わった。一度長髪を揺らして顔を上げた。


「……目くらましは一時的だろう。この大軍相手にどうやって逃げおおせる?」


 MJは逃げるという言葉まで使った。明らかに彼は凡庸な貴族ではなかった。言っている内容も懸念すべきことだ。このまま防御しながら逃げるのは地理的に不可能。部隊は東国勢力下の深くまで入り込んでしまっている。

 回答は、ハーニーからすれば最初から分かっていたことだ。


「僕が時間を稼ぐ。僕を囮にして、その間に旧王都へ戻るんだ」

「……できるのだろうな?」

「やるだけやるよ。殿は二回経験してる。僕の方が皆より小回りが利く」


 MJは小さく唸った。それ以上問うことはない。


「皆よく聞け! これより撤退する! 敵と距離ができたら防御魔法を止め、全速力で戦線を離脱するのだ! 移動開始! 防御魔法を展開しつつ後退するぞ! ……ハーニー」

「なに?」

「生きて戻ってきたら感謝してやる。死んでも称えてやらんからな!」

「そっちこそ、無事に旧王都まで行ってよ」

「ふん」


 不敵な笑みは心強い。MJはそれ以上こちらに視線をよこさなかった。


『そろそろ目くらましの効果が切れ、あなたがいなくなったことに気づくでしょう』

「確かに。でもユーゴの方へ戻れば川向うの東側を放置することに──」


 遠くから掠れた大声。


「──光ッ! 散眩光! 散眩光ッ!」


 激しい光が森を揺らしていた。

 あの光量の中で狙いを付けるのは不可能だ。ユーゴは一人でも時間を稼げる。

 決心は一瞬。


「西側はユーゴに任せよう。ユーゴならいい時に逃げてくれるはずだ。僕は」


 視線を川向うへやった。MJたちを狙う火魔法は未だ連発されている。


「東側を対処する。MJたちから目を離させればそれでいいんだ」

『分かりました』

「行こう!」


 即座に駆けだす。不意を突くために、大回りに迂回して窪地を出た。森を通り抜けて集団の背後に回る。草木を抜けて出た場所には東国の軍勢。こちらにも三十人ほどいた。


「君らの相手は僕だあッ! 斬るぞッ!」


 火魔法の轟音の中、強引に自分の存在を知らしめる。抜刀し、大仰な構えで斬りかかった。


「ぎゃああっ」


 一人の手首を切断した。血が飛び散る。

 命を奪うこともできた。そうしないのは先ほどと同様、少しでも混乱させるため。苦痛の叫びは聞いた者の戦意を奪う。焦りを生む。

 心は痛むがここは戦場だからと言い聞かせる。


「次は誰だッ!?」

「奴を狙え! 敵は一人だぞ!」


 一人だけ動じないのは指揮役の東国貴族。号令に一気に集団が冷静を取り戻す。

 だが、おかげで狙うべき相手が分かった。


「空を駆ける床!」

『はい』


 雑な想像は補完されて発現する。宙に浮かぶ透明な足場。

 ハーニーは跳躍して魔法を踏む。東国集団から一層赤魔法の火球が飛んできた。複数の炎弾が空に放たれる。ハーニーは魔法の合間を縫うように駆けた。不規則な前進は完全な回避を実現する。

 飛来する炎の、息継ぎかのごとき一瞬の間隙。


「今だっ」


 ハーニーは大きく魔法の床を蹴った。一直線に東国貴族へ飛翔する。

 東国貴族は地位からして逃げられない。単独で退くことはない。だから彼がとる行動はひとまずの回避か迎撃のどちらか。

 それも表情を窺えば分かる。この顔。眉の寄り方。


「殺していいッ!」


 戦闘のさなか天秤を傾ける。ハーニーは空を進みながら懐から短刀を取りだし、体を捻って前方へ投げた。込めるのは力と瞬間の殺意。

 短刀は投げた力以上の速度を出した。更に誘導するかのごとく軌道がぶれる。

 ザク、と皮膚を貫く音。

 迎撃の意志が発露する前を短刀は襲った。先の先に近い形。

 東国貴族は額に突き刺さった短刀の勢いそのままに倒れた。

 ハーニーは東国貴族の横に降り立つ。衝撃を両手足に分散させた猫のような着地だ。

 視界の半分に映るのは貴族の死に顔。


「……僕だったら責めませんから」


 微かなつぶやきは、当然死人には意味がない。自分に言い聞かせる嘆願でしかない。

 ハーニーは目を瞑らずに短刀を東国貴族の額から抜き、ゆっくり立ち上がった。集団に向き直る。

 後ずさる音が聞こえた。恐怖が伝染している。

 だが、全てが全てうまくいくはずもない。ここは東国の勢力下だ。

 ザザザッ、と何十にも重なった足音が近づいてくる。

 増援だ。

 目の前の集団も気づき、戦意を取り戻す。

 ハーニーは刀を構え直した。

 窮地でも、人を斬りたいとは欠片も思わなかった。

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