存在の天秤 3

 地図に示された場所。旧王都の西側住宅地に来たハーニーは何度も館と地図を確認した。


「ここのはずだけど……」


 いくら見直してもこの場所で間違いなかった。

 ハーニーの前にある館。いや、それは館というより家だ。平民のものより少し大きいくらいの家。ちょうどネリーの住むクレールの家と同じくらいだ。

 信じられず立ち尽くしていると、その家から男が出てきた。

 長身で精悍な顔つき。ユーゴを真面目かつ熱血にしたような男だった。年は二十代中盤に見える。


「君がハーニーという青年かな」

「あ、はい。そうですけど」

「呼びつけて悪かった。図々しいが自分も忙しい身でね。さあ、遠慮せずに上がってくれ」


 促されるままに中に入る。やはりというか、外観通りの普通の内装だった。庶民的で貴族の匂いは薄い。

 通されたのは家の中でも広いリビングだった。食卓を囲むであろうテーブルに向かい、椅子に座る。


「そんなに珍しいかな」

「え?」


 あまりにじろじろ部屋を見回すから家主が苦笑したのだと気づいて、慌てて取り繕う。


「他意はないんです。でもこの家は……予想と違っていたから」

「貴族らしくない? ははは。自分を飾るのが苦手でね」


 気さくに話す男。疑い半分だったが、話口や所作に貴族特有の自信が見える。


「あなたがヴィンセントさん?」

「おっと、すまない。自己紹介がまだだったか。自分はヴィンセント・ヤシーン。よろしく」

「僕はハーニー……です。よろしくお願いします」


 ヴィンセントは一つ頷いてお茶を淹れた。二人分用意して彼も椅子に腰かける。対面の形になった。


「昼食だが、自分は料理が苦手なんだ。贔屓にしている食事処に頼んだから少し待ってくれ」

「それは構いませんけど……」


 ヴィンセントはどこか嬉しそうにした。


「豪勢な料理を期待させたかな」

「い、いえ!」


 図星で焦る。というかパウエルの言葉のままだと思っていた。

 ヴィンセントは淀みなく己を語った。


「自分の両親は片方が貴族、片方が平民でね。ずっとこういう暮らしをしている。倹約とまではいかないが、無駄に贅沢はしないんだ。友人には『上の者が贅沢しないと下の者ができなくなる』とたまに怒られる」

「庶民派なんですね?」

「そうかもしれない。いや、ただケチなだけかな」


 ヴィンセントが嫌味なく笑ったので、ハーニーも少しつられる。

 しかし、すぐ表情は硬くなった。それを見てヴィンセントは面白そうに眉を動かした。


「……聞いた通り実直な青年だ。さすがパウエル殿の弟子だな」

「僕なんかまだまだです」


 ちょうどさっきも負けた。

 ヴィンセントは真面目な顔をした。


「謙遜だな。君の戦いぶりは把握している。戦力として数えられるほどの力はあるじゃあないか」


 お世辞ではない。それは彼の真剣な目つきで分かった。軍事担当だけあって、こういう話に気遣いはないらしい。

 ヴィンセントはさらに続けた。


「一応言っておくと、実直だと評価したのは君の視線を受けてのことだ。自分を睨むから誉めた」

「そ、そんなことは」

「否定しなくていいさ。君は師匠を守ろうとしている。自分が何か企んでいると警戒しているんだろう?」

「……ええ」


 ヴィンセントは一度目を大きくしてから笑った。


「はっは。気に入るわけだ。忠義がある。それなら自分も相応の覚悟で対さなければな。そうだ。君の考える通り、下心があって君を招いた。自分はパウエル殿を味方につけたい」

「それを僕に言うんですか?」

「お世辞が好きならそうするが?」

「いえ……偽らないのは確かに嫌な感じしませんけど」

「それが狙いだ」


 ヴィンセントは口角を上げて言った。

 この人はどこまで素直に物を言うのだろう。清々しくて悪い印象がない。実直なのはヴィンセントの方だ。


「君はパウエル殿をどう思う?」


 不意な質問。思ったままを答える。


「すごい人ですよ。魔法も強いし、ハッキリした自分──正しさを持ってます。間違ったことをよしとしなくて、もしあの人自身が間違ったら、認めてすぐ修正する。気高い人です」

「自分もそう思う。だが、君はこう思ったことがないか? ここまで素晴らしい人が上に立てばいいのに。または、どうしてもっと上に行かないんだろう、と」

「……ありますけど、仕方ないことです」

「なぜかな?」


 嫌な質問をする。

 眉を寄らせながら答えた。


「今偉い立場の人は狡い人ばかりなんでしょう? 正しさだけを通そうとすれば卑怯な手で足をすくわれるって聞きました。対抗するのに、同じようにずるいことをしなくちゃいけないなら──」

「パウエル殿にはそれができない」

「……僕はパウエルさんが正しいと思います」

「少し嫌なことを言わせたか。しかし、事実でもある。パウエル殿は上に立つ器だが、清廉すぎるんだ。大のために小を切ることができない。悪口ではなく、そういう人だ」

「何が言いたいんですか」


 苛立ちを隠せず言ってしまう。ヴィンセントはその反応を当然のものだと分かっているらしく、平静で受け止めた。


「自分は旧王都は独立すべきだと思っている。いや、しなければならないんだ。西国という沈みかけの船に乗っているのは危険だ。街や民にとってもその方がためになる。独立によって自浄できるんだ。そして、このやり方であれば、パウエル殿は正道を歩いて上に立つことができる」

「独立……」


 アルコーは過激派も独立までは考えていないだろうと言っていた。しかし、ヴィンセントは大まじめだ。真剣に考えた上で実行したいと言っている。


「西国の上層部。六賢人や高官たちは北方にある王都カインゴールドに固まっている。こいつらが体制の毒なんだ。奴らを排さなければ歪んだ政治が続く。私利私欲で生きる傲慢な貴族が、平民を苦しめる結果になる!」


 ヴィンセントは熱弁をふるった。軽い気持ちではないと伝わってくる。

 ただ、引っかかるのはパウエルが反対したということ。理由は何となくわかった。


「今、ですか」


 戦時中の今。皆が結束しなければならない戦火の前で、独立。


「戦争を利用するようで気が引けるのは分かる。しかし、これほどの機会はまたとない。悔しいが平時に独立するのは難しいんだ。王都から軍隊を送られれば大きな争いが起こる。あいつらのことだ。街ごと鎮圧しようとするだろう」


 だが、とヴィンセントは続けた。


「今なら。東国が威嚇してくれている今なら、王都におびえる必要はない。東国にとっても独立した旧王都は都合のいい存在だ。わざわざ争おうとは思わないはず。しかもこちらがまともな政治をすれば、東国と戦争をする理由もない。共通の敵としての西国──王都だけが残る。ハーニー。真に戦うべきは東国ではなく、西国の中枢なんだ」


 ハーニーは西国の内情を詳しく知らない。悪い噂はいくつも聞いているが、彼がここまで言うということは本当に腐りきっているのだろう。病魔に冒された部分を切り取るしか、救う手立てがないほどに。

 胸の引っ掛かりは消えない。


「これがその悪い人だけの話ならいいんでしょうし、僕も賛成です。けど、国なんですよね? 大勢が生きる地域の問題です。戦争で困っている人も王都の方にいるはず。そういう人たちはどうするんですか」

「君はパウエル殿と同じことを言う……。だから彼は反対した。だが、仕方ないだろう。このまま西国と共にしてどうする。勝ったところで腐った政治。負けたら全ての終わりだ」

「……」

「自分だって人の子だ。苦しい。だが、こういう決断を誰かがしなければ大勢が死ぬ。誰かが犠牲をいとわない判断をしなければならないんだ。自分の立場がそうだ。軍を動かし、人を救い、その中で誰かが死ぬ。そういうことを割り切らなければ本当に大切なものを守れない……」


 経験談なのだろう。ヴィンセントは俯いた。

 彼は軍事を司る人間だ。判断によって人を死なせてしまうこともあるに違いない。

 ハーニーは同情を覚えた。また、共感も。

 しかし首を縦に振れなかった。パウエルへの肩入れを勘定に入れなくても。


「僕は……貴族じゃないんです」


 自分が弱い存在だと前置きして言う。


「この戦争で困っている人、普通の人たちからすればこの戦いなんてどうでもいいんです。だって貴族が自分勝手すぎて東国が怒ったんでしょう? 平民の皆は何も悪いことをしていないのに攻撃されて困ってる。それなのに見捨てるなんて……ダメですよ。そりゃあ悪いのは偉い人でしょうけど、でも貴族なら……貴族だから何とかしないと」


 自分に戦争の責任があるとは思わない。でも戦わなければならない責任は感じている。いつかパウエルさんが言っていたように、力を持つ者の義務があると思うから。

 それは大本を辿れば、見捨てられない、という後ろ向きな理由だが間違っていないはずだ。


「それに、人を選んで救ったら、魔法を使えなくなる気がします。僕はそこまで強くなれません」

「……だが独立すれば目の前で苦しんでいる人を救える。この街に生きる人々が戦争に怯えずに済むんだぞ。君は『闇雲に大勢を救う』ため『今現在の苦しみ』を見ないふりできるのか? その天秤で、大勢だけを選べるのか」

「今現在の苦しみ……」

「ああ。旧王都民が感じている不安や恐怖だ。皆ガダリア、アクロイドに続いてここまで襲われると怯えている。街を逃げ出す者もいる。彼らの苦しみは、今存在している」

「……」


 今、という言い方をされると何も言えない。

 リアが泣いているとき、僕は今泣いているから何とかするべきだと思う。後からで間に合うとは思わない。

 ヴィンセントにとっては、それと同じなのだ。旧王都が苦しいのは今だから、すぐに何とかしたい。目の前のものを守りたい。

 やっと真意が分かった気がした。


「ヴィンセントさんはこの街が好きなんですね」

「ああ。愛している。この街がかつてカインゴールドという名で王都だった時から。だから自分は守らなければならない。この街を。民を」

「……僕も本当に大切な人を守るときは、何かを捨てられる気がします」


 ハーニーは「でも」と間髪入れずに付け足した。


「僕にとっては、旧王都もまだ知らない王都もどっちも大切なものに感じます。どちらを切ったとしても絶対に後悔するんです。だから……きっと両方を守るしかない。僕の力なんてたかが知れてますけど」


 思うに、価値がどこにあるのかなんだ。僕は西国を全体で見てしまうからどこも同じくらいの大切さだけど、彼にとっては旧王都がなにより大切だから優先できる。

 ヴィンセントは苦しそうに顔を歪ませながら、追いすがるように言葉を発した。


「だが、君はパウエル殿を不服に思った。上に立てばいいのに、と。その方が大勢が喜ぶだろう、と。そういう感じ方ができるということは、自分と根本は変わらないということだ」

「でも僕は片方を選べません」

「いいや、君は切り捨てられる。そう言ったじゃないか。大切な人のためなら」

「……あなたがしているのは国の話でしょう」

「そうだな。だが重要なのは、君が人命に優劣を決められるという事実だ。パウエル殿なら、例えば君が東国に出奔したとしても正義を優先するだろう。苦しむだろうがね」

「そういう人です」

「彼はそうだ。しかし君は……パウエル殿よりもこちら側の人間だろう? 正義よりも愛を優先する。極限状態なら大切な存在を取る」


 その問いに返事はできなかった。

 ヴィンセントは満足そうに鼻で息をしただけで、しつこく言及しなかった。


「どうかよく考えて欲しい。この街に住む者のことも考えてくれ。自分もできる範囲で大勢を救いたいと思っているんだ。そのためなら何でもやる覚悟をしている」

「……どうしてそこまでこの街を想えるんです?」


 ヴィンセントは朗々と語った。


「自分の両親は10年前の戦争で死んだ。この街、当時はカインゴールドと呼ばれていた旧王都を守ってね。自分は両親の愛したこの街を守りたい。二人が残してくれた大きなものだ」

「親ですか……」


 弱点を突かれて勢いを削がれる。

 ヴィンセントはそれに気づかず語気を強めた。


「自分はだから、この街が名前を奪われたとき怒ったよ。こうなったら自分で新しい名前をつけてやる、とも思ったね」


 その言い方は挑戦的で、夢と野心を感じさせる。

 大義の中に欲望が混じって見えて、ハーニーは目を背けた。

 しばしの無言。

 ドアがノックされた。


「やっと来たか。旧王都の地元の味というやつだ。気楽に食べてくれよ」

「はい……」


 その後美味しそうな昼食が運ばれたが、どうも居心地が悪く、しっかり味わうことはできなかった。

 食べている間、早くリアを迎えに行きたいとばかり考えた。

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