存在の天秤 2

 旧王城前は商業地として発展している。そのため城門前で待ちぼうけしていても人の目を引くことはなかった。

 パウエルは王城の方から歩いて来た。今日も会議に出席していたのだろう。表情はいつもの仏頂面だが、少し眉が寄っている気がする。


「待たせたか。行くとしよう」

「え、はいっ」


 ずかずかと先に行ってしまうパウエルを追いかける。

 この様子だと機嫌は相当悪いぞ……。


「あの、何かあったんですか?」


 そろりと尋ねるとパウエルはむすっとした顔のまま答えた。


「前線基地の噂は聞いたことがあるだろう。近いうちにそこを攻撃することになった」

「悪い話じゃなさそうですけど……」

「ふむ。理に適っているし放っておけん。正しい作戦だ」


 それならば、なぜ不機嫌なのか。言葉を待っていると零れ出るように一言。


「……私を行かせれば基地一つなど消し飛ばすのだが」

「パウエルさんが?」


 強いことは知っているが前線に出るのを見たことがない。


「考えてみれば不思議ですね。パウエルさんが作戦に参加すればきっと楽になるのに」

「……森がなくなると」

「え?」

「私が魔法を使うと森林がなくなると言うのだ。生態系を破壊し、猟師を路頭に迷わせると。確かに私の魔法は規模が大きく広範囲に作用するが、まったく腹の立つ話だ。そう思わんかね」


 いじけた子供のように言う。それが滑稽で仕方なくて、ハーニーは笑うのを堪えられなかった。


「ええ……ぷふっ」

「君も笑うのか……。まったく……確かに一度荒野にしてしまったことはあるが」


 ハーニーの笑みが凍る。


「こ、荒野にしたんですか……?」

「カインゴールドの東、ドライグレー荒野は元々豊かな小麦畑だった。東西戦争で戦場になってな。その時私の魔法が引火した」


 地域レベルの魔法。驚異的な力に生唾を飲むとパウエルは心底嫌そうに首を振った。


「秋口の乾いた畑に火が回ったのだ。私の魔法はきっかけにすぎない。それを皆私の魔法の結果のように……けしからん。名前が広まると足ばかり取られるようになる」


 そう言って疲れたようにため息をした。


「パウエルさんも苦労されてるんですね」

「偉くなればなるほど面倒になる。私など一介の魔法使いに過ぎないというのに」


 弱音ではない。パウエルは自分を一人の戦士として見ているらしい。

 これだけの力があるのなら、もっと高望みをしていいのに。


「それにまだ問題もある。こっちは君に関わる話だ」


 ここからが本題。僕が呼ばれた理由だ。


「君はヴィンセントという男を知っているかね」

「この街の軍事を司る偉い人ですよね。名前は聞いたことあります。若いのにすごいんですよね」

「うむ。見所のある男だ……」


 歯に物が引っかかったような物言い。理由はハーニーも知っていた。噂ぐらい聞いている。


「過激派をまとめているんでしたっけ」

「そこまで知っているなら話は早い。君に言いたいのは焦って考えるな、ということだ」

「話が見えないんですけど」


 パウエルはしまった、という風に眉を動かした。


「言い忘れていた。ヴィンセントから君に昼食の誘いが来ている。これが君を呼んだ理由だ」

「僕に?」


 差し出された紙を受け取ると簡単な地図が書いてある。ここで昼餐ということか。

 しかし、分からない。


「どうして僕がそんな人に呼ばれるんです? 一度も会ったことないのに。僕がすごい戦果を残したわけでもないし」

「君は私の弟子だからな」


 苦しそうに言うパウエルで察した。

 自然とこぶしが握られる。


「僕越しにパウエルさんを利用しようと思っているんですか」

「利用とまではいかないだろうが、味方につけたいとは思っていそうだ。どうも嫌な予感がする。気を付けてくれたまえ」


 言い方からして呼ばれているのは僕だけのようだ。


「……ずるいですね。やり方が婉曲だ」

「無意味だがな。仮に君がヴィンセントの思想に同調しても私は変わらない。それを考えられないのが、あの男の弱みだな。若さゆえに足元を見られない」

「パウエルさんだって若いじゃないですか」


 落ち着きから年長に見えるがまだ三十代だ。


「この歳になると若者とは呼べんだろう」


 パウエルは口元を緩ませて鼻で笑った。パウエルのその笑いは照れ隠しだと最近気づいたので、微笑ましくなる。


「まあ、いい。二時間後に来てほしいそうだ。それまで稽古をつけるとしよう」

「なんか指導してもらうのも久々ですね」


 何気ない一言だったが、パウエルは大きく顔をしかめた。


「私だって忙しい。師として至らないことは承知している」

「あ、いえ、そういうつもりで言ったんじゃ……」

「いい。私はそう感じた。つまりそういうことなのだ。師匠らしくしなければならん」

「そんなに自分を責めなくていいじゃないですか。パウエルさんには助けられてばっかりですよ。宿を手配してもらったり、暮らしに不自由がないように気を遣ってくれてる」

「それでは保護者だ」

「……別にいいじゃないですか、それでも」


 ため息が吐かれた。


「君はまたそういう望みを口に出す。何度も言うが私は君の──」

「分かってます! 僕なりの冗談ですよっ」


 そう言いながら内心は面白くない。撥ねつけられたら反発したくなる。

 パウエルは呆れたように口角を曲げた。


「そうムキになるな。君の両親もいつか見つかる。さて、ぐずぐずしているのは時間の無駄だ。昼食まで鍛錬といこう」


 パウエルが修練の場として選んだのは、中心街から少し外れたところにある魔法学校だった。城のような校舎に馬鹿みたいに広い魔法練習場。貴族が集まる場所らしい立派な学校だった。

 勝手に使っていいのかと不安を覚えたがパウエルは笑った。


「私も二十年前はここで学んでいた。構わんさ」

「懐かしそうな目をしてますね」

「学校とはそういうものだ。外と社会が違うから、その時限りで戻れない。ちなみに私は主席で卒業した」

「だと思いました」


 見栄を張っているようで笑ってしまう。幸いその笑いはばれなかった。

 昼時の学生は大半が校舎にいるらしく練習場に人気はなかった。その一角でハーニーはパウエルと向かい合った。


「君は強くなったとアルが言っていた。事実、魔法に色も付いた上剣術も会得したそうだな」

「魔法は自覚ありませんし、剣術は受け取っただけです!」

「それは負けた時用の逃げ道かね」


 不敵な笑み。煽られるとこちらも対抗心が増した。


「僕だって前より強くなってます! 星霜零花だって背負ってるんです。勝つ気でいきますよ!」

「ふっ。君は確かに変わったな。来たまえ! いつ攻めてきても構わん!」

「さすがの自信だ……セツ?」

『いつでも』

「それじゃあ行きますよ!」


 あえて宣言してから動くことにする。パウエルは苦笑したが、正々堂々やることはサキの記憶的にも合っている。

 ハーニーは駆ける一歩を踏み出した。予備動作なしの疾走。効率化された走りは魔法を使わずとも早い。パウエルのところまで十数mあるが、到達まで時間はかからないはずだ。


「ほう、確かに変わっている。ならば、これはどうかな」


 パウエルは杖で地面を払った。砂が巻き立つ。


「灰より出で、灰に消ゆ聖火羽──赤灼鳥」


 砂埃が燃え上がり形を変え、鳥の姿になった。猫ほどの大きさの火鳥が三羽、高い産声を上げる。


「いけ」


 鳥たちは主に従って飛び立った。全身が炎でできた三羽が、ハーニーに襲い掛かる。見たことのない魔法だが、動きは直線的だ。

 一羽目。体を横にずらして避ける。

 二羽目。屈んで回避。

 三羽目。正面だ。気づけば避けた二羽が左右をふさいでいる。避けられない。


「魔力の手袋だ!」


 想像したのは右手を覆う魔力の塊。ハーニーは右手を伸ばして、進路をふさぐ三羽目を叩き落とす。感触はなく炎がただ散った。


「よし!」

『いえ、まだです』


 前進を再開しようとするが、掻き消えたはずの火炎鳥はすぐに元の形を取り戻した。進路を邪魔するように三匹全て蘇る。

 揺らめく炎に実体がないように、この鳥たちにも身体がないらしい。


『後方30度。上方90度。前方は見えますね』

「くっ、しつこいなッ」


 三羽はそれぞれ別方向からタイミングをずらして攻撃してくる。セツの助言で回避できているが、これでは埒が明かない。

 抜刀。

 包淡雪の真白の刀身が露わになる。


「氷なら炎ごと凍らせられるはずだ!」


 一羽を切り裂く。しかし、鳥の形を一瞬崩しただけでまた元に戻った。


『氷魔法が発現していません。想像が曖昧です』

「そう言われたって……!」


 まだ実感もないのに氷魔法を使おうなんて思えない。大体僕は雪や氷なんてろくに見たことないのに……。

 ふと、疑問が沸いた。

 三年間の記憶で雪を見たことはない。なら、どうして僕は雪がどんなものか分かるのだろう。


「ッ」


 瞬間、頭痛。意識がぐらつく。

 何かと繋がったような感覚。

 脳裏に浮かんだのは以前見た夢の光景だった。

 白い雪原。夏は青い花が咲くのどかな風景。その中心には女の子がいて……。


『発現します』

「え? あ」


 気づけば刀身に冷気が宿っていた。自覚もなしに魔法が展開している。

 いや、それは今はいい。

 ハーニーは器用に体術を駆使して、三羽すべて斬った。炎の元だった砂が凍り、鳥は復元しない。


「なかなかやる。次はどうだ」


 パウエルは踵で地面を蹴った。無詠唱の行動。

 景色は一変する。

 パウエルの周囲の大地が割れ、炎が溢れた。炎と地面が溶け合ってグツグツと煮える。灼熱の溶岩はハーニーの元まで広がってきた。

 こんなものを踏んでは一たまりもない。


「セツ! 床!」

『展開します』


 空中に魔力の足場を作る。それは氷ではないので滑らない。

 サキと戦った時のように空中を駆けた。パウエルとの距離は大分詰めている。もう少しだ。


「では、こうだ。閉じよ紅蓮の天蓋──天空火墜」


 詠唱とともに生まれたのは上空を覆う炎の天井だった。それは地上からおよそ五mのところに生まれ、少しずつ地面に迫ってくる。

 地面には溶岩の海。豪炎の天井。炎のサンドイッチだ。


「ちょ、ちょっとこれはッ」


 上下両方から炎に挟まれて、動きが制限される。まるで地獄のような炎の中、ハーニーは辛うじて走った。

 もう少し、というところでハーニーは前方に大きく跳躍した。一気に接近を試みる。

 パウエルは煮え立つ地面を杖でたたいた。パウエルの前面に炎を円柱が巻き上がって壁になる。進路が塞がれる。


「いや、いける!」


 パウエルの影が炎越しに見える。ここさえ突破すれば一撃与えられる。

 想像したのは全身を囲う魔力の球体。炎に飛び入って無事でいるための魔殻。


「うおおおッ!」


 火炎に飛び込んだ。熱気に目をつむる。

 炎壁を通過するのは一瞬だった。ハーニーは迅速に影の実体に刀を振るった。


「あ、あれ?」


 感触がない。慌てて確認するとパウエルの影があったところには誰もいなかった。その代りがごとく、人の形をした炎が案山子のように立っていた。


「罠!? う」


 慌ててパウエルを探すが、気づいた時には背中に杖を押し当てられていた。


「よく切り抜けたが私の勝ちだな」

「そ、そんなぁ」


 今回はいけると思ったのに、結局手のひらの上で転がされていたなんて。

 脱力すると笑う気配がした。


「あまり気を落とすな。私に小手先の技を使わせたのは中々のものだぞ」


 パウエルは軽く杖で地面をノックする。それだけで熱気はすべて消え、地面も空も元通りになった。


「言われてみれば、そうですね。引っかけなんて初めて見ました」


 ハーニーはパウエルに向き直って細目を向けた。


「私も師匠に教わった身だ。馬鹿正直だけが戦いではないことを知っている。視覚などは特に利用しやすい部分だ」

「そうですね。あの案山子のこと絶対パウエルさんだと思いましたよ」


 でもあそこまで肉薄できたならパウエルさんまでもう少しなのかな?

 パウエルはハーニーの弛緩した雰囲気を読み取って告げた。


「精進すれば三層魔法を使った私に勝てるかもしれんな」

「え」

「気づかなかったのかね? 今回使ったのは二層以下だけだ」

「あれで二層……? それじゃあ三層ってどうなるんですか」

「強いぞ」

「森もなくなりますね……」

「それを引き合いに出すのはやめたまえ」

「ごめんなさい」


 パウエルが心底嫌そうに言うので謝る。頭を下げて隠れて笑う。


「ふう」


 顔を上げて、清々しいため息をした。

 パウエルに勝つのはもっともっと先になりそうだ。勝てるイメージがまだ浮かばない。


「そういえば氷魔法で手こずっていたな。あれは何かね」

「何って……分かりません。想像が曖昧だったみたいです。僕、実際に雪とか見たことないから」

「しかし使えたな」

「……何かと繋がった気がしたんですけど、気のせいかも。どうも実感が沸かなくて」

「そのうち慣れるだろう。あまり焦るな」


 そう言ってくれるが、変な感じだ。こんなに曖昧な想像で魔法になるなんて、それほど雪景色が僕の根源に関わっているんだろうか。

 パウエルは陽の高さを確認した。


「ふむ。そろそろいい時間だな。ヴィンセントにどれほど豪勢にもてなされるか知らんが、せっかくの機会だ。見聞を広めてくるといい」


 ヴィンセントとの会食。目先の予定で雪景色への僅かな疑問はすぐに消えた。

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