ブルーウッド大森林 心のしこり 1
ブルーウッド大森林。その中央部にハーニーはいた。大木の後ろで息を潜めている。
顔を僅かに出して東の方向を確認する。武装した東国の一団が西進していた。数は十から十五人。集団の中央に一人、貴族服を着た中年の男が見えた。あれがこの部隊の指揮官だろう。
一つ、覚悟の深呼吸をする。
『……仲間を待ってもよいのでは?』
右腕からの声にハーニーは首を横に振った。
「いいや、あの人たちはやり過ぎる。僕がやった方がいい」
『あなたの選択を否定はしませんが……』
「無理そうなら逃げるから。……行こう!」
ハーニーは刀身を包む鞘を握りしめて飛び出した。そのまま集団に直進する。走る姿勢は低く、魔法を使わずとも強化状態ほどに早い。駆け方が以前よりも効率的になっている。
改めて部隊を確認する。貴族一人、魔法石等で武装した平民が十四人。
「敵が来たぞ! 迎撃しろ!」
いち早くハーニーに気付いたのはその部隊唯一の貴族だった。動揺を見せる集団の中、その貴族の男だけが落ち着いている。狙うべきはやはりこの男だ。
「セツ、壁だ! 壁ごと突撃する!」
声に出して魔法を想像する。ハーニーの前面に魔法の壁が生まれた。
ハーニーは足を止めない。奇襲により混乱した集団にぶつかっていった。壁が迫ってくるかのような突撃をほとんどの東民は恐れ、避ける。阻もうとした数人は色のない魔法が弾き、押しのけた。人と衝突する鈍い音が連続する。
やがて魔法越しに貴族服の男が見えた。
「強引なッ!」
男がハーニーの突撃を避けようと横にずれるが、逃がさない。ハーニーも進路を変えてぶつかっていく。接触する瞬間、ハーニーは声を上げた。
「弾き飛ばすぞッ!」
言葉は魔法となり現実となる。
「ぐおおおっ!?」
魔法を纏ったハーニーの突撃によって、東国貴族の身体は宙に舞った。男は衝撃のままに森の木々の間を吹っ飛ばされる。
ハーニーは平民しかいない部隊を放置して、弾き飛ばした貴族を追いかけた。
東国貴族は地面の上を何回転も転げた。やがて一本の木にぶつかってやっと止まる。ハーニーは迅速に近寄った。貴族が衝撃で動けずにいる間に肉薄する。
抜刀。銀色の刀身を、慌てて顔を上げた東国貴族に突き付けた。
「僕の勝ちです! 投降してください!」
「投降だと……?」
東国貴族が頭を振りながら辺りを見回す。
ハーニーは先んじて言った。
「あなたの仲間はここにはいません。今頃指揮官を失って何もできずにいるはずです」
これが狙いだ。指示する人間さえいなければ元々魔法を使えない集団。動揺し、どうすべきか分からなくなって機能は停止する。
そのことは指揮官たる東国貴族にも分かっているらしい。
「……急ごしらえの部隊では仕方ないか」
東国貴族は諦めたようにつぶやいた。その言葉にハーニーは安心しかけるが、嫌な汗が一筋垂れる。刀を突きつけられているはずの男の顔にまだ闘志が見えたのだ。
「……お前は一人だな? 周囲に仲間はいないようだ」
冷静な観察に嫌な予感が現実味を持つ。ハーニーは声を上擦らせながら訴えた。
「と、投降してください! こうなったらもうどうしようもないでしょう!?」
「……ああ、そうだな。お前が剣を振れば俺は一瞬で死ぬ」
「なら!」
「だが……誰が敵国に降るものか!」
東国貴族は刀を振り払った。それで彼の腕が傷つくが、浅く斬っただけだ。それよりも問題なのはこの男がまだ戦おうとしているということ。
「この命、とうに国へ捧げているッ!」
「くっ!」
ハーニーの身体は勝手に動いていた。いや、理性だけが自らを守るために身体を動かした。
男が魔法を放とうと右腕を突きだしてくる。それをハーニーは一歩引いて断ち切った。男の右腕が宙を舞う。
「おのれッ!」
東国貴族はまだ諦めない。今度は魔法を唱えようとする。その魔法がどれほどの威力か分からないが、命を懸けた魔法を発現させるのはあまりに危険だった。
ザッ。
「あ、ガ……」
切り裂く音と共に男の詠唱は止まった。彼は胴を斜めに走る刀の傷を見下ろす。その傷は深く、助かりそうもない。
「だ、だから言ったのに……!」
ハーニーは傷ついた東国貴族を恐れるように一歩退いた。
あの状況から勝てるわけがない。挑んできた方が悪い。そう思いたくなるが、頭を振って否定する。認めなくてはならないのだ。戦って僕が勝ったのだと。そうするのが戦うことなのだと、サキさんから教わったじゃないか。
しかし、いくら言い聞かせても心苦しくなるのは止められない。死にかけの東国貴族の声が更にハーニーを追い詰める。
「呪ってやるからな……」
ぞっとする言葉。
「ぼ、僕は恨みませんよっ?!」
苦し紛れに言い返すが、その声はもう届かない。東国貴族は事切れていた。
『……気にしない方がいいでしょう』
「ああ。うん……セツ、僕は」
『ええ。あの状況、ああする以外ありませんでした。命を代償とした魔法は計り知れません。最善の選択です』
「……うん」
それでもハーニーは東国貴族の遺体から目を離せない。
自然とつぶやいていた。
「……僕の力で勝ったんじゃない」
罪悪感の源だった。僕は僕自身の力のみで戦っていないのだ。セツの力を借り、そしてこの剣術もそうだ。僕由来のものじゃない。サキさんの記憶のおかげで、戦闘が最適化されている。これで勝った自分を認めろと言われても無理な話だ。パウエルさんが割り切れるのはきっと自身の力だけで勝っているからに違いない。
胸に重たいものを感じながら数秒。
「……思い詰めても仕方ないか。生き残ったことに目を向けなくちゃ」
『ええ、そうです。先ほどの部隊は恐らく撤退するでしょう。あなたが指揮官を倒さなければどこかで全面戦闘になっていたはずです。そうなれば両軍の被害も拡大していたかと』
「……うん。ありがとう」
仮にも敵国である西国の人命を気にしてもセツは反対しない。それはきっと僕を気遣ってくれているということで、心強かった。
「一旦戻ろう。隊の皆が心配だ」
『そうですね』
ハーニーは西へ歩く。
今は単独で行動しているが、ハーニーも隊に配属されている。レッドグレイヴ隊と呼ばれ、若い貴族四人で構成されている小隊だ。最初は同年代が多く馴染めそうだと思っていたが、簡単にいかなかった。ハーニーに名字がないことも理由の一つだが、それよりも考え方が違い過ぎたのだ。
「ん」
戦闘の気配。ハーニーは慣れた動きで身を隠した。それもまたサキの経験によるもの。
声が近づいてきた。
「逃がすな! 足を狙え!」
怒鳴るような大声。そしてそれに追い立てられるように走る足音。
「……あれって僕の入れられた隊の」
怒鳴って何かを追いかけているのはレッドグレイヴ隊の面々だった。ハーニーは追われている人物を見て目を疑った。
自分より年下に見える女の子だったのだ。東国の格好をした彼女は華奢な身体で必死に逃げている。恐怖に彩られた顔はどう見ても戦意を失っていた。魔法石も見えない。非武装だ。
「っ、馬鹿なことを!」
ハーニーはすぐさま走り出した。それと同時に、レッドグレイヴ隊の一人が火魔法を放った。炎弾が逃げる女の子の背に向かって真っ直ぐに飛ぶ。
「あっ……」
女の子が盛り上がった木の根に躓いて転んだ。彼女は慌てて振り返り、迫る炎に目をつむる。
「魔力の盾だッ!」
着弾する、その直前にハーニーは割り込んだ。魔法の盾を形成して炎弾を弾く。散らばった火の粉が頬に当たって熱いが、それだけだ。
「……間に合った」
ほっと息をつく。
「え、え……? あなたは西国の……? でも、どうして?」
女の子は亜麻色の髪でそばかすが印象的な子だった。東国の格好だが、やはり魔法石は持っていない。ハーニーは首だけ振り返って告げる。
「そんなことはどうでもいいよ。ほら、早く行って。戦う気ないんでしょ? それならこんなところにいちゃいけない」
「え、あ、はい……あの」
「いいから!」
「は、はいっ」
促されるままに女の子は走り去った。入れ違いでレッドッグレイヴ隊の面々がやってくる。
隊長格である青年が叫んだ。
「おいっ! ふざけやがって! 何で邪魔した!?」
恫喝に真っ向から対抗する。
「そっちこそ戦えない人を狙うなんてどうかしてる!」
「敵だぞ! 戦いだろうが!」
「戦い? 戦いになってなかったじゃないか! 無抵抗の人を殺めたら背負えないぞ!」
「馬鹿言え! ここは戦場だぞ? 弱い奴が死ぬのは当たり前だ!」
「それが戦士じゃなくても殺していいって?」
「敵国の奴だ、敵を殺すのに何の問題がある! 一人でも減らすべきだろう! そいつに仲間が殺されるかもしれないんだ!」
確かに現在だけを見つめれば正しい意見かもしれない。だがハーニーはそれが最善だと思えなかった。
「女の子一人やっつけて何が変わるんだよ! その子を知る人の新しい恨みを買うだけじゃないか。敵を増やす戦いなんて無駄だ。それなら優しくした方がいいに決まってる。その方が魔法の根っこ、憎しみを断てるはずだ」
「知るか! 疫病神が!」
「な……!?」
理屈も何もない一言にハーニーは怯んだ。
「お前が配属された途端ブラックウルフ隊は全滅した! それもお前のいう優しさのせいか?!」
思いだすのはサキとの戦いで死んでいった貴族たちのこと。無謀な攻撃を僕は止められなかった。でも……。
「僕はできることをした! 本気で何とかしようとした!」
「どうだかな! 本当は手加減して戦ってたんじゃないのか? そのせいで皆死んだんだ。お前のせいで──」
ヒュウ──
声を遮ったのは一陣の風の音だった。風はハーニーと隊長の間を駆けて奥にある木を両断した。
「今のは何だっ?!」
「おー、わりぃわりぃ、魔法が滑っちまった」
へらへらした声とともに出てきたのは見覚えのある顔だった。
「アルコーさん? どうしてここに」
「道に迷っちまってなぁ」
明らかに嘘だった。それでもアルコーのおかげで口論は静まった。
「何が魔法が滑った、だ……チッ、行こうぜ」
気を削がれたのかレッドグレイヴ隊はその場を後にした。仮にも一員である自分を置いて行くあたり、仲間ではないとハッキリ見なされたようだ。
傍まで歩み寄ってきたアルコーが少し真面目な声色で言った。
「あまり気負うな。貴族にも色々な考え方がある。今のもどちらかが正しい話じゃないって分かるだろ?」
「……でも僕は許せませんよ。無抵抗の人間を攻撃するなんて」
「なら勝手に守ればいい。後ろから刺されなきゃ好きなようにしていいぞ」
アルコーは豪放に笑った。あっけない言葉にハーニーもつられて笑う。
「過激派はちと元気すぎるからな」
「過激派?」
聞きなれない単語に聞き返すとアルコーは頷いた。
「ああ。旧王都には二つの派閥があってな。過激派は旧王都の完全自治を望んでいて、穏健派はカインゴールド……つまり王家の意向に従うべきだと考えている。ようは改革派と保守派だな」
「自治って独立でも企んでるんですか?」
「んー、そこまではしねぇだろ。とにかく東国は敵だ、殺せって考えの奴がいるってことだ。仕方ねぇことだが。お前はお前の思う正しい戦いをすりゃいい。俺もそうしてるからよ」
「そうなんですか?」
「へへっ、俺の周りに小隊員が見えるか?」
周囲には誰もいない。アルコーも一人抜け出して勝手にやっているようだ。悪びれない奔放さにある種感心する。
「ま、よくやったよ。随分と戦いがうまくなったもんだ。剣術も……ん?」
アルコーがハーニーの刀をまじまじと見た。
「……刀に水がついてるな?」
「え? あ、本当だ。何でだろう」
アルコーの言う通り刀には水が滴っていた。血ではなく透明な水だ。しかし水に触れさせた覚えはない。雨も降っていないし、いつ付着したのか見当がつかなかった。
「まあいいか。何にせよお前は強くなった。もう一人前だな」
アルコーはハーニーの肩をぽんと叩くと踵を返した。一人ずかずかと旧王都へ歩いて行く。
「……一人前、か」
その評価を素直に受け取ることができなかった。
ハーニーは何となしに首の左側にある切り傷に触れる。痛みはなくなっていても心が締め付けられる気がした。そのまま刀を持つ右手を眺める。
刀を持つ手は馴染んでいるはずなのに、その光景は見慣れない。
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