旧王都 心のしこり 2
ネリー・ルイスはむむむ、と考え込みながらやり取りを眺めていた。
今みたいな昼は食事処をやっている酒場。そこにガダリアからの魔法使いが全員そろっている。やり取りというのは男たちが意気揚々と話している様のこと。
「おーし、そんじゃお前らが当てはまりそうなのを探せ!」
アルコーが楽しそうに一枚の紙を広げている。紙面には様々な単語が並んでいた。『炎風の魔術師』だとか『黄土騎士』だとか、魔法にまつわる名称の羅列。見栄えがいいのもあれば、格好悪いのもある。
これはいわゆる二つ名というものだ。貴族がどんな魔法を使い、戦うのかを示すあだ名のようなもの。どうでもいいようなことだが、この文化は古くからあり、貴族の間では魔法の尺度にもなっている。
「色々ありますけど、これ誰が考えたんです?」
ハーニーが首を傾げる。もっともな質問だ。私が答えようかとも思ったけど、それより先にアルコーが言ってしまう。
「そりゃ東国の貴族さ」
「東国? 戦っている相手なのに?」とハーニーが目を丸くした。
そう。この『二つ名』という文化はそこが変わっている。戦う相手を称える思いを込めて、お互いに二つ名リストを作り交換する。断交しているはずの戦時中にそれをやるのだから、驚くのも無理はない。
「まあ、今回の戦争は憎しみが強くて二つ名の内容も悪口が多いけどな。ほら見ろよ。この『目潰し臆病者』。これなんてオメーのことなんじゃねーのかクソガキ」
「何言ってんだか。仮にも珍しい光魔法を使える俺がそんな二つ名のはずねーじゃん」
「ふむ。そういえば苦情が来てたな。目眩ましばかりでろくに戦わないから、他の人に変えて欲しい、と」
「明らかにお前だな」
「マジかよ……! 俺の二つ名が……!」
ユーゴが愕然とし、ハハハ、と男たちは笑い合う。
確かに少し面白いと思う。けれど、私はその談笑に違和感を覚えて仕方なかった。
皆に混ざって笑うハーニーの顔。その笑顔がどこか無理をしているような気がする。流れに乗って笑っているような、変な感じ。心から笑えないような雰囲気。
最近ずっとこんな感じだ。ハーニーは元々空気を読むタイプだけど、にしたって元気がない。
それにふとした時物憂げな表情になるのだ。それがすごく痛々しくて、私の胸を締め付けてくる。
ほら、今も。
一しきり笑って見せてから、息を吐いたこの一瞬。沈んだ面持ちがふっ、と見える。それは瞬きする間に消えてしまうけど、私はその光景に胸がきゅう、と苦しくなる。胸に手を当ててしまうほど心はかき乱される。
「あ、僕はこれからシンセンさんのところに行って来ます。刀を見てもらわないと」
「おいおい、お前の二つ名まだ見つけてねえぞ」
「アル。それは後でもできるだろう」
「すみません。それじゃあ行って来ます」
ハーニーが席を立つ。
その横顔に言い知れぬ不安を感じて、ネリーはつい声をかけていた。
「ま、待ってハーニー」
「ん、なに? ネリー」
穏やかな視線が飛んでくる。不安の原因はもう見えなくなっていた。平静を装っているのかもしれないけれど、ハッキリ変だとは言えなくて。
「……う、ううん。何でもない……」
「そっか。それじゃあ」
ハーニーは行ってしまう。
「はあ……」
ネリーはため息を吐いた。何も言えなかった自分に呆れる。
余計なお世話だったら。気のせいだったら。それで嫌われたら。馬鹿々々しいけど、でも嫌われるのは嫌……。
「どうしたネリー。二つ名見つかんねーの?」
悩みなんてなさそうなユーゴにムカつく。そもそもこの男どもは何も思わないのだろうか。
「ねえ、最近ハーニーおかしいと思わない?」
ネリーの質問に皆似たような反応をよこした。
「確かに最近変わったかもなー」
「うむ。覚悟が増したか。大人びて見える」
「あいつも戦っていっぱしの男の顔になったんだろ。お前らも見習え」
「……もういい。期待した私が馬鹿だった」
呆れてネリーも席を立つ。
「お? ハーニー追いかけるのかー?」
「違うっ。リアちゃんのところに行くの! 『二つ名』なんてどうでもいいし、それどころじゃないんだからっ」
リアちゃんなら何か知っているかもしれない。そう思いネリーは酒場を後にする。後ろから「ノリわりーなー」と聞こえるが構いやしない。私にはこっちの方が重要だ。なんてたってハーニーは私の……。
「……うう、そのことはいいのよ。今はハーニーの抱えるもののこと。たくさんたくさん救われたんだから」
赤くなった顔が元通りになるのを待ってハーニーの部屋をノックした。
「ネリーだけど、入っていい?」
「うん。いいよー」
間延びしたリアちゃんの声に招かれてドアを開けた。室内を確認する。リアちゃんがベッドで横になっていた。だらーんと暇そうにしている。
「ハーニーは……いないか。そりゃそうよね」
「ハーニーに会いに来たの?」
「え? う、ううん。別にそう言う訳じゃない。ただいつのまにか探してて……じゃなくて! もう、何言ってるの私」
恥ずかしくて顔が熱くなる。結局赤くなったかな。
「……ふうん? よく分かんないけどハーニーなら今帰ったと思ったら出かけちゃったよ。でも遅くならないって」
ハーニーは一言言ってから出発したらしい。相変わらず過保護だ。
「それならちょうどよかった。リアちゃんに相談があるのよ」
「相談!?」
リアちゃんは勢いよく起き上がった。瞳をキラキラさせて胸を張る。
「リアに相談! なになに? 何でも聞くよ!」
頼られるのが嬉しいのだろう。すごく乗り気だ。微笑ましい。
「えっとね、相談っていうのはハーニーのこと。何だか最近変じゃない? リアちゃん何か知らない?」
リアちゃんとはハーニーがいない時間の結構を一緒に過ごしている。そのため躊躇うことなく本題に移ったのだが、少し早計だったようだ。
リアちゃんは見る見るうちに悲しそうな顔になった。
「そうだね……最近変だよね……」
「そうよね……」
純粋すぎる感情の動きにこっちまで呑まれてしまう。
「平気そうだけど、たまにため息したりする……」
「分かる。よく見かける」
「不安になって『大丈夫?』って聞いたら『大丈夫だよ』って答えるけど、絶対そんなことないんだよ。絶対大丈夫じゃないはずだよ……何か隠してるの分かるもん」
「そう! 私もそう思う!」
「ネリーさんも?」
激しく頷く。
「じゃあリアの気のせいじゃなかったんだ。やっぱりそうだよね。変だよね」
「変。絶対変」
お互い疑念を確信に変えてほっとする。
「でも理由が分からないのよね……」
「うん……」
二人でうーん、と唸る。
「リアちゃんは何か心当たりない? 小さなことでも気になったこととか」
「うーん……最近変わったことはあるよ」
「変わったこと?」
「うん。前より優しくなった」
「優しく、ね」
「それと足音がなくなった」
「足音? それって歩く時の?」
「そうだよ。ほんの少し音はするんだけど、全然聞こえないの。でもハーニーは気づかないでやってるみたい。すごいけど、ちょっと変だよね。それに寝ててもすぐ起きるし」
「すぐ起きるって、早起きってこと?」
「それもあるけど、リアが夜トイレに起きたらハーニーすぐ気づくの。心配してくれて嬉しいけど、よく気づくなあって思う。リアだったら起きられないもん」
「足音に、寝てても気づく察知能力……」
まるで歴戦の戦士だ。そういえば刀も最近急にうまくなった気がする。武器なんてどうでもよさそうだったのに、今は執着してるみたいだし。
何かあったとすれば刀、剣術に関わることかもしれない。
ふと、あの東国剣士が思い浮かんだ。あの時を止める魔法の女性。思えばハーニーはしきりにあの魔法について聞いてきた。なのにある日からその話を全くしなくなったし。あれは、そう。晩餐会直後の奇襲の日からだ。
「ネリーさん?」
不安そうな瞳がこちらを向いていた。
……ここで私が抱え込んでも仕方ない。ハーニーにとって一番の支えはリアちゃんだ。私が一人で何かするよりも、リアちゃんの力を借りた方がいいに決まってる。私一人で解決して良く思われたい気持ちはあるけれど、そんなのは二の次、のはず。
一つ息を吐いて明るい声で宣言した。
「リアちゃん! 一緒にハーニーを元気づける方法を考えるのよ!」
リアちゃんはぱあっと顔を輝かせて食いついた。
「元気づける方法っ? うん! 一緒に考えよう! リアもハーニーに前みたいに元気になってほしい!」
頷き合う。
ハーニーを悩ませる元凶め、なんて、もう敵愾心すら抱いちゃって二人握手した。
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