旧王都 誓いのキス 1
翌日の午前。パウエルに言われた通り酒場に向かうとパウエルとアルコー、ユーゴが揃っていた。いつか見た男だけの集合だ。
そこで話されたことは予告通り明るい話ではなかった。
「数日後旧王都が襲撃されるとの情報が入った。そこで我々は防衛戦に参加することになる。今ネリー君はいないが、全員だ」
ネリーは通常の貴族と異なるため、後で別に話すらしい。
パウエルはさらにこうも言った。
「残念だが、私は戦線に出られない。私が赴くと他の高名な貴族の立場がないのだ。嘆かわしいが無理もできん。その上、君たちの配属はそれぞれ異なる」
「配属先が?」
「そうだ。アルは13小隊。ユーゴ君は138、ネリー君は156、ハーニー君は274小隊だ。それぞれ5人で1小隊になる。本当ならガダリアでまとめたかったのだが……力が及ばなかった。信用されていないのだ。試されている」
皆バラバラに別れて、それも見知らぬ人の輪の中で戦わなければならないという。
「話はこれで終わりだ。詳しく話したいが、これから作戦会議でな」
パウエルは最後に皆を見回して言った。
「……危険な戦いになるだろう。その心構えをしておいてくれ」
パウエルはそう言うと酒場を後にした。
残されたハーニーは近づいてくる戦争の気配に動けずにいた。
戦争への恐怖心。己の立場の不明瞭さ。様々な要因が頭を悩ませる。サキに対してどう向き合うかも悩みの一つだ。
何より頭を悩ませるのは戦うことをリアにどう伝えるかだ。
戦わなければいいのだろうが、今更皆を放っておいて自分だけ逃げ出そうと思えない。そのため戦争に参加することは間違いないのだが、そうなればリアと一緒にいる時間は減る。命を落とすことすらあり得る。
父親を動乱で亡くしたリアにどう話せばいいのか、分からなかった。
「だからって伝えないわけにはいかないだろ」
同じく酒場に残されたユーゴは真剣な表情でそう言った。
「いつかは分かることだし、それにどうせ割り切れねーよ。せめて素直に話してやれって」
「割り切れない?」
「当たり前だろ。まだ子供なんだぜ? 割り切れないに決まってる。特にお前はリアちゃんにとって一番大切な人なんだから、危険な目に遭わせたくないさ」
「そうだね……」
「とにかく内緒にだけはしちゃダメだからな。それが一番傷つく……言わなくても分かるか! ははは、ははは……はぁ」
ため息で言葉は閉じる。
ユーゴはやってられない、と言いたげに両手を上に伸ばした。
「戦争だってよ……嫌だよなあ」
肺の奥底から出たような声色だった。
「殺すだとか殺さないだとか、そんなこと背負えるわけねーよ」
「背負う、か」
考えないようにしていたことだ。アルコーが苦しんだ根本的原因。
ユーゴは首を横に向けたまま吐き捨てる。
「無理に決まってるぜ。軽い物じゃねーんだし、そこまでする理由もない」
「戦争に?」
「そんなのは名前だけだろ。結局は不平不満のはけ口じゃんか。話し合えば済みそうなことに、どんだけ重荷を足すんだって話」
その意見が正しいのかどうか分からない。しかし。
「ユーゴって割と考えてるよね。何で剽軽なふりをするんだよ」
「分からないか? お前にバレないなら俺もなかなかだな」
「変な褒め方をするね」
「俺たち両方をな」
ユーゴは笑って言う。
「俺自身割り切れないからさ。馬鹿なふりして言い聞かせてるのよ。人を殺す? そんなの知ったこっちゃないね。俺のせいじゃない。戦場に出るから悪いのさ。俺も含めて……な? 適当な奴でいれば、考えなくていい。責任とか苦しみとか、考えたくねーんだよ。だから俺はいざとなったら逃げるぜ」
曖昧な笑顔でユーゴは格好つける。
「お前もそうしろ。危なかったら逃げるんだよ。お前に戦争なんて似合わねー、向いてねーよ」
「……ありがと」
「へへ、俺の方が年上だし当り前よ!」
どん、と胸を叩くが浮かべる笑みは少し歪んでいた。
ハーニーは苦笑する。
いざとなったら逃げるとか言うけれど、割り切れないって自称するユーゴがそんなことできるわけない。アクロイドから逃げる時だって、いやだいやだと言いながら逃げなかったじゃないか。素直じゃないんだから。
ただ、割り切る割り切らないは僕にとっても大きな問題だ。
僕はまだ答えを出していない。反戦主義の人に意気高々に言ったって、それは自分のためじゃなかった。だからあんなこと言えたのだ。
そう思うと僕はずるい男だ。他人のことだから言えたということは、責任がなかったからじゃないのか?
「割り切るだとかはどうでもいいけどよ、一つだけ頭に入れておけ。お前は感情で殺すな」
アルコーと話した時、彼はそう言った。
「感情で、殺すな?」
「おう。憎しみや、もちろん快楽で殺すと後が辛くなるぞ。特にお前は感受性が強いみてえだし、耐えられるとは思えんなぁ」
「アルコーさんも瀬戸際でしたもんね」
「うるせ。俺はまだ鈍感な方なんだよ」
拗ねるように言うアルコーは少し面白い。
「……アルコーさんは感情で殺めたこと……」
「あるとも」
アルコーはハッキリ断言した。
「お前すぐ忘れそうだから言っとくが、俺は前の戦争で大活躍だったんだぞ? 俺は強くても、ついてこれない奴は死んでいった。いや、殺されていったんだ。俺には許せなかったね。感情で殺したよ。結構な数を」
「それじゃあ」
「後悔は……あまりしていない。お互いさまってのは戦場の掟だ。こっちも死ぬことがあれば、向こうも死ぬ。不毛なほどに同じってこった。それでも心を壊さずにいたのは図太かったからだな。俺が苦しんだのは理由がなかったことだけだ」
アルコーはハーニーを気だるげに指さした。
「お前。お前は無理だろ。割り切れねえよ。あのクソガキと近い印象だ」
「……」
違うとは言えなかった。今、自分はやる前から苦悩しているのに、実際に直面して気にせずいられるわけがない。
「相変わらず素直だな。そんだけ分かってるなら戦わなきゃいいだろ」
「そうもいかないんですよ」
「周りを放っておけないか? 苦労ばかり背負い込むなぁ」
「憐れんでるんですか」
「同情してるんだ。真に受けすぎるのは、はたから見れば阿呆に見えるぞ」
「阿呆……」
「または可哀想か」
「もうどっちでもいいですよ……」
「拗ねるなよ。大体な、お前は自分のことで悩むのが向いてねえんだ」
意味を捉え損ねて首を傾げると、アルコーは己を振り返りながら話した。
「俺の時もそうだっただろ。あんな馬鹿なこと自分のためにできるわけねえ。お前は、元々人のために頑張れる奴なんだ。だからお前は外のことを気にしろ。その他人のための選択ならきっと後悔しねえ」
「……そうかも、しれないですね」
「お前言い訳得意そうだしな」
深く受け止めてるところににやにや笑いが飛んできた。
「せっかく痛み入ってたのに……ひどいなあ」
「褒め言葉だバカ。人生の先輩のありがたーい言葉だ。喜べ」
「……じゃあその人生の先輩に聞きますけど、僕が戦いに出ること、リアにどうやって伝えたらいいと思います?」
「リアってあれか? あのお前にくっついてる小さいの」
「そうです。どうも言いづらくて」
アルコーは目に見えて動揺した。
「お前っ、それを俺に聞くかぁ? 娘なんていたことねえぞ俺……んな、子育てじみたこと俺が答えられるはず……あん? お前何でにやけてんだ」
「え?」
「てめっ! 答えられねえって知りながら聞いたな!?」
「じょ、冗談ですよ! ちょっとした意趣返しみたいな」
「バカって言われた復讐か! 細けぇ奴だなっ」
「人生の先輩の意見が聞きたかったのは本当です」
「それなら素直にだな……チッ」
舌打ちするとアルコーはそっぽを向いて薄い顎鬚を撫でた。やがて目線を戻す。
「言えばいいだろ。普通に」
「……それだけ?」
「他にねえよ。死ぬ気ねえんだろ?」
「ないです」
「ならいいだろ。それも言えばいい」
「その言い方に困ってるんですよ……」
「ははん、お前怖いんだな?」
「怖いですよ……」
「……どうせいつか分かるんだ。早めに言った方がいいだろうよ。あまりぼやぼや悩んでたら俺みたいになっちまう」
アルコーは己の両手を見つめて言う。
「逃げてばっかだと手から離れる」
経験から来た言葉は重くのしかかる。
「そういうこった。暗い話になっちまったな。ちっと外の空気を吸ってくる」
アルコーは去り、とうとうハーニー一人になってしまう。客がいなければ店主もどこかに行ってしまった。
「……セツはどう思う?」
『どう思うもありません。自分で分かっているのに聞かないでください』
「……嫌がるかな」
『嫌がるでしょう。私ですら望んでいないのですから』
「君が?」
『私たちは身体を共有しています。一蓮托生です。私は存在を失いたくありませんし、それに』
「それに?」
『……あなたにも死んでほしくありません』
「……うん」
『……嬉しそうですね』
「君にそう言ってもらえると何だか違うんだよ。他の人に言われるより……安心する」
『う……』
「う? 何それ。珍しいね」
『指摘しないでください。誤作動です』
「そんな道具みたいな言い方しないでいいのに。言い間違い、とかさ」
『どこも間違ってません』
「じゃあ誤作動はどうして?」
『……意地が悪いですね』
「ごめんごめん。気兼ねなく話せるから、つい」
『他の方では気が引けますか』
「そういうわけじゃないけど、君の前が一番素直になれる気がするんだ」
『私に支えられているから?』
「……うん」
小さく頷く。右腕と話しているだけなのに顔が熱くなってきた。隠すように首を振る。
からかわれるかな。
その予感は外れて、セツは素直だった。
『私は……嬉しいと思います』
「また道具として、とか言わないよね?」
『……』
「セツ?」
『気になることがあるんです』
「戦争のこととか?」
『そうではなく……もっと人としての話です』
セツはどこか湿っぽく話す。
『あなたは近頃色々な人と親交を深めています。最初は私とリア嬢だけだったのが、色々な人と関係を持ちつつあるんです』
「前もそんな話をしたね。役目を奪われるんじゃないかって不安がってた」
『それに近い話ですが、それよりもっと……』
セツは言いかけて一度止めた。どうしたんだろう。そう思って右腕を撫でると小さく声を落とす。
『やはりこの話はやめましょう』
「どうして。何でも話していいんだよ。僕は君の言うことなら何でも受け入れられる」
『だから……』
呆れたような文面でまた切れる。
やがて諦めたようにセツは言った。
『私が話したら、一日無言でいる許可を頂けますか』
「きょ、許可? 無言の? なんで?」
『そのままの意味です。頂けますか』
抑揚のない声に妙な強制力を感じて頷く。
数秒の無言の後、セツは話し始めた。
『あなたの周りに集まる人が私の存在価値を奪う気がして……いえ』
セツは一度話を切った。
『……いえ、違いますね。今のは正確ではありませんでした。事実ですが、そんな高尚な理由ではなく本当は……』
「本当は……?」
息をのんで待つ。セツは絞り出すように時間をかけて。
『あなたに親しくする人間が増えるのが、なんというべきか、私をざわつかせるんです。端的に言えば……嫌、なんです。役目がどうとかいうわけではなく』
「そ、それって」
セツはハーニーを遮って続ける。
『勝手なことを言って申し訳ありません。では許可通り私は黙ります』
「セツっ?」
『……』
「……も、もう、なんだよ急に……」
文句を言いながら、自分の状況に驚く。
どうしてこんなに汗をかいてるんだ。顔だってきっと赤くなってる。いいや、それだけ恥ずかしいことを言われたんだ。僕が誰かと仲良くなるのが嫌だってことはつまり……。
「う」
嫉妬してるんだ。嫉妬嫉妬。セツが言葉にするほど嫉妬してる。
頭が単語でいっぱいになる。
「ば、ばか。なんでこんなに慌ててるんだ」
『慌ててくれるんですか?』
「うわっ!? 無言じゃないのっ?」
『……』
「聞いてる?」
『……』
「か、勝手なんだから……」
深呼吸をして落ち着かせる。
気を取り直そう。目下僕がしなければならないこと。
忘れたい現実を思い出して、一気に心は落ち着いた。
「……リアに話さないと」
自室に向かう足取りは重い。しかし、避けては通れない道だ。
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