旧王都 サキとの日々 4
鍛錬はいつもより厳しかった。
サキはさっきのことを気にしているらしく、師としていつも以上に張り切っていた。それでもサキは疲れを見せず、先に息切れしたハーニーは地力の差を思い知らされる。
手が鉛のように重くなった頃、「そろそろ休憩にしますか」と提案が来た。疲れの度合いまでも見切られているらしい。
今日も一矢報いることができなかった。
「まだまだですね。修行あるのみです」
サキは爽やかな笑みを浮かべた。運動したおかげで機嫌を良くしたのだろうか。
そのまま表情を崩さず、人差し指をお姉さんらしく立てて言う。
「私が教えるんです。強くなって……その刀に見合うほどの力を付けないと」
「そう、だね……はぁ」
呼吸を落ち着かせながら頷く。
シンセンから譲り受けた刀。いつ見ても素人が持っていいものには思えない。恐れ多く感じてしまう。
「……僕はおこがましいかな」
「まあ、見合う実力は持ってないです」
辛辣な一言。しかしそれで終わりではなかった。
「ですけど、最初から上手な人なんていません。慰めですけど、ハーニーさんはいい目をしてるんですから」
「……うん」
「もちろん努力の継続も大事ですよ?」
からかうように笑いかけられるとどうも胸がざわつく。恥ずかしくって目をそらしてしまう。それもサキは面白そうに微笑むから、一層恥ずかしい。
ハーニーは一本の木に背を預けて座り込んだ。サキもすぐ傍に腰かける。肌が触れ合うか合わないか、そのくらい近い距離。
聞こえるのは林を吹き抜ける風の音。揺れる葉のざわめき。
自然一色の中、サキがつぶやいた。
「ハーニーさんは恵まれてます」
「僕が?」
「そうですよ。あなたはそうやって武器を与えられるほど、見てくれている人がいるんですから」
「……そうかもしれない。でも恵まれてるなんて考えたことなかったな」
「考えたくなかったんですよね。悲しみの淵は居心地がいいから」
突き放すような口調でなくても胸がじくりと痛んだ。それを察してかサキは言葉を付け足す。
「大丈夫。悪いことじゃないですよ。私だって似たようなものかもしれないんです」
「そうなの?」
「そうなんですよ」
ふふ、とサキは笑う。笑うが……次第に小さくなって消えた。
またやってきた静けさ。無言の間は、しかし他人相手と思えないほど落ち着ける。
自分がそうなのだ。サキだって同じだろう。
そう考えていた。
「……ここには私たち二人だけです。木々の壁が隔絶してくれている。貴族もいない。心を逆立てるもののない場所です」
「……サキさん?」
声色が濡れていてサキに目をやる。
俯いて地面をじっと見つめる横顔がそこにはあった。
「でもハーニーさんを遠く感じるんです……」
ひどく寂しそうな、微かな声。
「遠くって、どうして? 僕はここにいるよ。こんなに近くに」
「それは分かってます。分かってても……やっぱり邪魔するんです」
「な、何が?」
「貴族が。貴族の影がちらつくんですよ……。いくら私と一緒にいても、本当は周りに貴族がいて、その刀も思いも貴族から受け取ったものなんですよね……」
「それは……」
弁解しようとするが言葉は出ない。
事実なのだ。否定することのできない現実。
「ハーニーさん、さっき楽しそうでした。貴族といて……私の家族を殺した貴族といて」
脳裏にちらり、と先ほどの情景が浮かんだ。酒場の外で僕を待つ、寂し気な様子のサキさん。
今も同じ顔をしていた。
儚げに微笑む。
「やっぱり遠いんですよ。私には」
「サキさんっ、僕は」
ぴと、とサキの指がハーニーの唇に触れた。サキは首を横に振る。
「いいんです。口にしないでいて。きっとあなたは優しいからそんなことないって言うんでしょうね。でも、どう取り繕ってもそう感じてしまうんです」
「……どうすればいい?」
サキの指はぴくり、と動いた後離れた。
「私に聞くんですね。そういうところ、いいです。一瞬でも誤魔化してくれるから……」
「それって──う」
サキはいつの間にか至近距離にいた。少し動けばおでこがぶつかるようなところでサキはじっとこちらを見つめている。
「サキさん……?」
間近にサキの端正な顔があるのにドキドキしない。濡れた瞳で見てきているのに、不安で仕方ない。
なぜ、どうしてここまで痛々しく見える?
「……キスでもしてほしい?」
「じょ、冗談ですよね?」
「敬語」
「あ、う、うん。いや、でもこれは……」
「恋人同士がすること? ……私の故郷では違う。額に口づけするのは親愛の証で、誓いの約束なの。家族がするような……だから」
「でも僕らは……っ」
「おでこに……だから」
穏やかな目。優し気な表情が近づいてくる。迫ってくる薄赤の唇は艶やかだ。見惚れる。サキは目をつむったまま唇を寄せてくる。
たまらずハーニーも目をつむった。
瞼の裏で以前聞いたサキの言葉が聞こえる。
「……私の故郷だと家族以外は敬語なのが普通なんです」。
「私も両親いないんです。弟ももういない。私を昔から知る人は誰もいません」。
「家族がするような……だから」。
ハーニーは目を開けてサキの目を見る。
今、僕を見る目。
これは。
つい、意識せずに口に出ていた。
「ぼ、僕に誰を見てるんですっ?」
「えっ?」
サキは目を開いて驚いた。
向かい合って、お互い何もしない時間。
世界を無音にさせないように風が吹いた。サキの髪は瞳と共に揺れる。
自分とサキの間に冷たい風が吹いた、気がした。
「っ、ごめんなさい……っ」
サキが逃げるように離れる。離れようとした。
「待って!」
伸ばした右手がサキの腕を掴んだ。掴んだだけで何もしない。引っ張ることもなければ、遠ざけることもない。何かするという考えが浮かばないほど義務感に囚われての行動だった。
いや、違う。
言い訳だ。義務感じゃない。僕の意志じゃないか。
ハーニーは腕を掴んだまま、俯きながら口を開いた。
「僕は……いいと思います」
返事は待たない。
「気持ちを押し付けることはおかしいことじゃないと思うから。それを咎めたりなんかしません。……ううん。しないよ、絶対。僕だって誰かに自分を被せることがあるんだ。だから……」
「優しいんですね」
「似ているって……似てるんでしょ? 僕は、サキさんの弟に」
「……そうかもしれない」
サキは自らを掴むハーニーの手に自分の手を添えた。愛おしそうになぞる。
「でも違いますね。ハーニーさんはハーニーさんですよ。私の弟はこんなこと言えるほど男らしくないんです」
優しい苦笑い。静かな手つきでサキはハーニーの手をはがした。ゆっくりと右手をハーニーに返す。まだ手は触れ合ったまま。
「ハーニーさんは今を生きてます。今もいいものだって思わせてくれる……けれど、私が見たいのは思い出なんです……」
手が離れる。
「それなら僕がっ」
サキはまたハーニーの唇を指で押さえた。
「もう、ハーニーさんの本心は聞きました。今はこれでいいんです。今はこのままで……」
そういって笑顔を作る。
本心というのはさっき、キスを断ったことを意味しているのだろう。
ハーニーは、それでも、と言おうとした。しかしそれは叶わない。
「さあ! 休憩は終わりです! 稽古の続きをしますよ!」
サキは立ち上がって声を張り上げた。
この話は終わりだと態度が告げていた。
「いつまで座ってるんです! ほら、やりますよ! 強くなるんです!」
ハーニーはもうどうすべき分からなくなって、言われるがまま立ち上がった。
「それでいいんです」
サキは笑う。作り笑顔ではなく。
流れに従って鍛錬が始まった。
サキは全てを忘れたがるように必死に体を動かした。ハーニーも同じようにする。
それが暗に和解の協定のように思えた。
ひとまずこれでこの件は終わりだと。一端お互いに忘れようと。そういう暗黙の了解。
組手の中、サキが時折見せる明るい表情は素直に戦いを楽しんでいる気がして。
頑張れば頑張るほど目の前の女の子が喜ぶ気がして、ハーニーは精一杯臨んだ。
それができることの限界だった。
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