旧王都 サキとの日々 3
旧王都に来てから何日目だろう。毎日が色濃いせいか、ずいぶん長い時間が経ってしまった気がする。平和な日々ばかりだが、焦りめいたものは近づいてきていた。
戦争の気配。
避けられない戦いの予感が日に日に増していた。
「まったく、この平和はいつまで続くんだかなー」
ユーゴが億劫そうに言った。
約束通りサキに会いに行こうとしたのをユーゴに呼び止められてハーニーはここ、酒場にいる。時刻は午前。酒場は昼の営業準備をしていて静かだ。客はハーニーとユーゴしかいない。
今日もサキに稽古をつけてもらう予定だったが、ユーゴが思いつめた顔で話しかけてきたからこちらを優先することにしたのだ。
「俺はなー、こういうの苦手なんだよ。真面目に何かするのが性に合わないんだよな」
「まあ、誰だって戦争なんてしたくないよね」
「そうだよなー……まあなるようになるか。そんなことより明るい話をしようぜ!」
ユーゴは表情をがらりと変えた。憎たらしい下世話な笑みを浮かべる。
「最近またネリーが変になったよなぁ? 何かあったんじゃないのか?」
「はあ……そんな話なら立ち止まらなきゃよかった」
どっと疲れる。
「おいおい、そう言うなよ! 俺はネリーを心配してるんだぜ? ハーニーはどうでもいいって言うのかよ」
「む」
「言えないよなー」
腹の立つ言い方だが確かに心配ではある。
「……分かったよ。でも用事があるから長くは話せないよ」
「よしきた!」
「……何でそんなに嬉しそうなのさ」
「何でって、そりゃあ楽しいだろ。こう、同年代の奴とくだらないことを話すのって楽しくないか? 俺、家を出てから一人が多かったし」
「くだらないって自分で言ってるし。でも、そうだね。楽しいか」
意外とユーゴも寂しがり屋なのかもしれない。
「それでネリーの話だ。前もおかしかったけど、今はそれに拍車がかかってると思わないか? 何かあったと見るね」
「んー……確かにさっき会った時も変だったな」
「さっき?」
「うん。今僕の部屋でリアといる」
「もういるのかよ。いつの間に来たんだ? 俺結構前からここにいたのに気づかなかったぞ」
「ネリーも早かったから」
早朝、とまではいかないが、丁度朝食を食べ終わった頃に来たのだ。考えてみるとそれもおかしい。いつもなら気を遣って昼近くに来る。万が一迷惑だったらを考えた時間に、だ。
一度違和感を覚えると色々と妙に思えてくる。
「そういえば様子もおかしかったような」
「なに? 詳しく話せ」
「いや、大したことないことかもしれないけど。すごく落ち着かなくて、少し冷たかった」
「冷たかっただって!? ネリーがお前に?! まさか! ありえん!」
「そ、そこまで?」
「当たり前だ! あのネリーがお前に冷たくするなんておかしいぜ! 理由があればお前は必ず気づくしな。それで?」
「とにかくいつもと違ったんだよ。挙動不審なのは最近多かったけど、特にひどかった。部屋に招いても入るのを躊躇ったり、目線も合わないし、返事も素っ気ないし、やたらベッドの方を……ベッド? ハッ」
ネリーが悪夢を見た雨の夜を思い出す。思い出して自分のしたことに赤面しそうになるが、それはネリーも同じなのだろう。
そうか。
ネリーはあのことを恥ずかしがっていたのか。照れて気まずかったんだ。
「なるほど……」
「何だよ勝手に納得しやがって。どういうことだよ」
「ええと、それは」
言いかけて慌てて口を押えた。
「い、言えない」
「何でだよ!」
「えーと、あの、あれだよ。ネリーの悩みに関わることだから。この前相談に乗ったんだよ」
適当に嘘を吐く。とはいえ全部が嘘ではない。
真実混じりなのがもっともらしく聞こえたのか、ユーゴは疑りながらも引き下がった。
「ほーん……悩みをねー」
「そ、そうなんだよ」
「……ま、いいけどさ。でもそれだけじゃないと俺は見るね」
ユーゴは口角をにひひ、と上げた。
「さてはネリーの奴、お前のこと好きになったんじゃねーの?」
「す、好きって……どうしてそうなるんだよ」
「人は身近な人、支えてくれる人を好きになるもんじゃないのか」
「まともなことを……」
唐突な正論に言い返せない。
代わりに応えたのはセツだった。
『その考え方は早計ですね』
「ほー? 何か意見があるのかな?」
ユーゴは挑戦者を楽しそうに迎えた。
『何でもかんでも恋愛沙汰に結び付けるのはどうかと考えます。支えられたらすぐに好きになるとも限らないでしょう。私だって使い手を支える存在です』
「それじゃハーニーはセツちゃんのこと好きなんじゃないの?」
『……そうなのですか?』
「やり込められてるよセツ!」
「で、セツちゃんのことどうなんだ?」
「そ、そりゃあ好きだけど! 信じてるけど、恋とかは分からないよ僕には!」
経験がないんだから仕方ない。
『そうですね。そもそも私は人ではありませんし』
「とか言って嬉しいんだろー?」
『……本当に不快な方です』
「へへ。でも一理あるな。ネリーみたいな気難しい奴がそう簡単に恋に落ちるかっていうと怪しい。本人に聞かないと分からねーな」
だがこいつは面白くなってきたぜ、とユーゴは悪戯っ子らしく笑う。
ハーニーはといえば、やはりどうしたらいいのか分からない。
もしも好きだったら。恋人なら。そういう想像ができなかった。今を生きるだけで精いっぱいなのに未知なるものを考えられそうもない。
ただ、人の姿だけが思い浮かぶ。
ネリー、リア、セツ、サキ。身近な女の子が脳裏をよぎる。
「ん?」
今、思い浮かんだ一人が視界に入ったような気がした。
酒場の解放されたドアの外をよく見る。気のせいではなかった。
東国の格好をして黒髪を後ろに束ねたの女の子。サキが外にいた。
目線はこちらを向いている。どうやら迎えに来てくれたらしい。
「ユーゴ。僕はそろそろ──」
「ふむ? 君たちだけかね」
声に振り返ると見知った人がまた一人。パウエルが酒場に来ていた。
外にいるサキを待たせたくないのだが、そんなこと知る由もないパウエルは話始める。
「アルを知らないか。探しているんだが見つからん」
「俺は知らないすねー。ハーニーは?」
「僕も見てないけど……あの」
「そうかね。ふむ、仕方あるまい。詳しい話は明日にするか」
パウエルはのんびり頷く。
このままずるずる待たせて、サキが乗り込んで来たらと思うと気が逸った。
「あの! パウエルさん! ユーゴ! 僕は用があるからもう行く!」
「あ、そうなの?」
「そうかね」
二人ともあっけなく了承した。大して気にしていないのが少し腹立たしい。
席を立ったハーニーにパウエルが声をかけた。
「ああ、ハーニー君。明日話すことがあるから朝、ここに集合だ。今後のことについて決まったのでな」
「今後……」
「……楽しい話ではないかもしれん」
不穏なことを言う。
「用があるのではないのかね」
「あ、そうでした! それじゃ!」
急いで酒場を出る。サキの姿を見られないように一応扉を閉めて出た。
サキは向かいの軒先で一人ぽつんと待っていた。
ハーニーが近寄っても不機嫌そうだ。
「ごめん! 待たせちゃったね」
「それはいいですけど、今の貴族貴族した男は誰です」
サキは怖い顔をして問うてくる。目は閉じられたドアをじっと見つめていた。
「あれは……パウエルさんって言って、いい人だよ。あと」
「あと?」
言っていいものか悩んだが、嘘を吐く気にはなれなかった。
「僕の師匠もやってくれてる……」
「貴族の師匠ですか……」
サキが殺意を見せるんじゃないかと不安を覚えて一瞬目をつむった。
しかし、開いた目に映ったのは可愛らしくむっとしたサキの顔。
「私だって師匠ですよ」
そう言って対抗心を燃やしている。
「……はははっ、そうだね。サキさんも師匠だ」
「何笑ってるんですか」
「ごめん、もう笑わないから」
「……まったく。不愉快です」
ぷい、と顔を背けられる。
サキは煙たがるが、笑ってしまうのを我慢できなかった。
敵意からくるものなのかもしれない。それでもサキが貴族への憎しみよりも、自分の師匠の座を気にしたのが嬉しかったのだ。
貴族への憎しみを忘れてくれるかもしれない。
そう感じたのだ。
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