旧王都 誓いのキス 2


 自室のドアを開けると、ベッドの上にいたリアは目を輝かせた。


「ハーニー!」


 部屋を出ていたのは一時間ほどだ。それなのにこうも喜ばれると胸が痛む。


「……ただいま。何してた?」

「リアはねー、ん!」


 リアは両手で一枚の紙を持って見せつけてくる。

 そこには見慣れない絵が描かれていた。


「これは花?」


 青い花が一輪、白い紙を彩っている。


「ハーニーが見たっていう花を描いてみたんだよ! 何か思い出せるかもしれないから!」

「僕のために……?」


 絵を受け取って見つめる。

 毎晩寝る前にリアととりとめのない話をする。その中で、夢に出てきた花の話をしたのだ。雪原に咲いていた青い花。


「……ありがとう。何か思い出せるかもしれない」

「本当!?」

「うん。それに上手だ」

「えへへ。絵には自信あるんだ」


 お世辞でなく結構うまく描かれている。

 花の形を詳しく話した覚えはないのに、不思議と夢で見たものと同じに見える。

青い花びらに白い花粉。思い出すより正確な気がした。


「ハーニーは今日一緒にいられるの?」

「え?」


 リアは欲しい物をねだる時のように、下ろした手を合わせていた。

 控えめにこちらを見上げて窺ってくる。


「だってこの頃ハーニー出かけてばっかりだもん……今日は一緒にいられる……?」

「あ、ああ。いられるよ」

「ホント!?」

「まあ……今日は用事ないからね」

「やっ……たー!」


 リアは全身で喜ぶ。諸手を上げて満面の笑みだ。


「……」


 ここまで喜ぶことはつまりそれほど寂しかったということだ。事情があったとしてもそんな思いをさせたのは僕の責任だろう。

 リアにとって一番傍にいて欲しいのはきっと僕なのだから。


「ハーニー? どうしたの怖い顔して」

「あ、いや、何でもないよ」


 笑顔を作って見せる。


「ふうん……? 分かった! それじゃあ一緒に何かしよ!」


 リアがわざわざ駆け寄ってきて、ベッドまで引っ張った。

 二人で腰かける。

 一つ深呼吸をした。

 戦うこと、話さないと。


「リア、心配してたんだよ?」


 横からリアが見上げてきていた。


「心配って?」

「この頃ハーニー、よくどっか行っちゃうから何かあったのかなって思ってたんだよ。危ない目にあってるんじゃないかって怖かった」


 話そうとしたことが見透かされているようで、唾をごくりと飲む。


「……どうしてそう思ったの?」


 リアはすごく気遣う顔をする。


「だってハーニー苦しそうな顔で帰ってくること多かったんだもん。すっごく疲れてたし、怪我してることもあったよ? リア、ハーニーが辛いのやだよ。心配だよ……」


 アルコーやサキについて悩んでいたことと、怪我は鍛錬のせいだ。

 リアはしかし、すぐに明るい調子を取り戻した。


「でも今日はどこにもいかないんだよねっ?」

「う、うん」

「ならいいよ! リアが傍にいればハーニーは大丈夫!」

「……そうだね」


 ハーニーは笑いかけることしかできなかった。

 素直に喜ぶその姿が詰まる思いを大きくする。


「リアは……僕が危ないことしたら嫌だよね」

「……どうしてそんなこと聞くの?」


 リアはしゅんと沈む。縋りつくようにハーニーの腕を抱きかかえた。


「ハーニー危ないことするの?」

「……き、聞いてみただけだよ」


 そう言って取り繕うのが限界だった。







 昼も過ぎて夕刻前。ハーニーが酒場に下りて水を取りに来ると、午前中に別れたアルコーがカウンターにいた。彼はハーニーを見つけると軽く手を振った。


「何ですか?」

「いや、どうなったかって思ってな」


 アルコーの前には酒瓶が一本あった。


「そんな目で見るな。前みたいに潰れたりしねえよ」

「じゃあ何でこんな日中から飲んでるんです?」

「そりゃあ、俺にだって思うところがあるからな」

「思うところ……」

「考えなしに戦えるほど馬鹿でいられねえよ」


 その方がいいんだろうがな。アルコーは苦笑する。


「それでどうだった。あの子は泣いたか?」

「……それが、どうも言いだせなくて」

「なんだ、まだ言ってねえのか」

「そうやって呆れますけど、実際言えませんよ。リアは普段から僕のこと心配してるんです。僕の姿が見えなくなる度嫌な想像してるみたいで……それなのに怖がらせること簡単に言えませんよ」

「はー、そんなもんかね」


 アルコーは他人ごとのように顎を掻いた。


「かといって言わないわけにもいかねえだろ? それとも戦うのをやめるか?」

「……そうなんですけど」

「ならさっさと言っちまえ。案外すんなりいくかもしれねえだろ」

「どうしてそう思うんですか?」

「ああ? だって一度は乗り越えたんだよな?」


 アルコーは呆れたように口にする。


「お前が崖下で行方不明になった時、生きてるか死んでるかも分からなかったじゃねえか。あれを乗り越えたんなら大丈夫だろ。お前が戦争に行くって知ってもよ」

「リアにはそのこと──」


 言ってないんですよ。

 その言葉は背後からした声にかき消された。


「ハーニー……戦争に行くの……?」

「リ、リア!?」


 振り返ると階段の傍にリアがいた。壁に隠れるように半身だけ出して表情を硬くしている。


「ユーゴさんは何でもないって言ってたのに、あの時ハーニー危なかったの……? 死んじゃうかもしれなかったの……?」

「リア! これには訳が……!」

「……っ」


 リアは目に涙を滲ませながら駆けだした。酒場の扉の方へ逃げるように走っていく。


「リア!」


 呼び止めるがリアは止まらなかった。涙を幾粒も落としながら視界から消える。


「……あー、まずったか?」

「とんでもなくまずりましたよ!」


 自分のせいだと自覚しつつもアルコーに苛立った。

 しかし今最優先なのはそれではない。

 リアは一人で外に出ていってしまったのだ。馬車が走り、多くの流浪人がいる外に。


「リアを追いかけないと!」

「ああ、そうしろ。もしここに戻ってきたら魔法信号を打ち上げてやる。緑色な」

「分かりました! ここは任せます!」


 酒場を出ようとして、アルコーの声。


「悪かったな。迂闊なこと言ってよ」

「……僕が悪いんです! 気にしないでください!」


 そうだ。僕が悪い。戦争のことはともかく、行方不明のことはいくらでも話す機会があった。それでも伝えずにいたのは僕の怠慢だ。非難されるのを怖がったからだ。

 自分を責める内なる声を聴きながら酒場を出た。周囲を探すがリアの姿は見えない。


「どこに行ったんだ……?」


 リアは一人ででかけたことなどないはずだ。土地勘もない。行先の見当がつかない。


「セツ! どこか分からない?」


 無言でいる許可に構わず尋ねる。返事は早い。


『分かりません。リア嬢は魔力を持っていませんので』

「闇雲に探すしかないってことか……!」


 歯噛みする。

 もしも事件に巻き込まれたら。危ない目にあったら。悪い想像は考えるほど加速する。

 僕はリアにこんな思いをさせようとしていたのか。こんなの、伝えて済むような問題じゃない。納得できるもんか。


「あれ? ハーニーさん?」


 当てもなく探すハーニーに声がかけられた。振り返るとそこにいたのは。


「サキさんっ?」


 いつも通りの姿でサキがいた。街中で出会うのは珍しい。が、それどころではない。


「丁度ハーニーさんのところに行こうと思ってたんです。昨日のこと謝りたくて……。私、思い出を見たいばかりにハーニーさんには……ん。どうしたんです? そんな慌てて」


「あ、あの! サキさん! この辺で女の子を見なかった? 金髪で肩まであって、10歳くらいで可愛い子!」

「見てないですけど……その子がどうかしたんですか?」

「探してるんだよ! 一人で泣きながらどっか行っちゃったんだ!」

「……どういう子なんです?」


 焦りが理性を通さず返事する。


「僕の大切な人なんだよ!」

「大切な……そうですか」


 サキは一瞬喪失感めいたものを表情に見せたが、すぐに真顔になった。


「私も探しますよ」

「いいのっ?」

「大切な人なんでしょう?」

「……うん」


 サキは小さくゆっくりと頷いた。


「では手分けして。私はあっちを探します」

「分かった!」


 ハーニーとサキは真逆の方向へお互い走る。

 これで探すのがはかどる。ネリーたちにも頼みたいけど、どこにいるか分からない。

 ハーニーは嫌な汗を垂らしながら走り回った。

 数分探し回るが見つからない。

 そもそもどこに行くのか分からないのに見つけようというのが無茶なのだ。元々首都だったここはあまりに広い。


『一度考え直してはどうでしょうか』

「考え直すって何を!?」

『とにかく一度足を止めてください』


 今にも走り出したがる足をなんとか止める。


「それでどうするって?」

『考えるんです。リア嬢がどこに行くのか』

「そんなの……!」

『人の行動には全て理由があります。宿に戻ったという知らせがないのなら、どこか目的があって向かったんです』

「目的だって?」

『あの場から逃げ出すのは分かります。動揺が極限に達したんでしょう。ですが、その後戻らないということは……』

「……迷ったってことは?」

『リア嬢は利口な子です。迷ったなら人に道を聞くでしょう』

「……」


 そうかもしれない。

 立ち止まったおかげか落ち着いてきた。


「どこかに行った……」

『そうです。あなただったらどこに行きます?』

「大切な人がいなくなるかもしれなくなってたとして……?」


 考えるが思い浮かばない。


「どうしようもないじゃないかっ。何かできるわけもない。祈って待つことしかできないんだから……」


 ふと今口にしたことにひっかかる。


「……祈る。祈るか」


 もしかしたら。

 最初はその程度だったが、リアのことを考えれば考えるほど確信に近づいていく。


「……きっとあそこに、っ」


 一瞬の眩暈と共にリアの息遣いを感じた、気がした。

 何かに繋がって、魔法使いの存在に気づくように、だ。

 ハーニーは思い浮かんだ場所に全速力で走りだす。

 大切な人を戦場に送り出すことになったら自分はどう思うだろう。リアの気持ちを考えながら。

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