ブルーウッド大森林 サキとの出会い 4

 旧王都はほんの8年前まで首都だった街だ。そのため王宮が変わっても活気が残っている。夜の街の賑やかさは未だ西国一といえるだろう。

 ネリー・ルイスは宿屋の二階にあるテラスで柵に寄りかかりながら暗然としていた。

 ガダリアからの貴族は事情が事情のため街の端にある宿に集められている。戦時中なのだから疑いをかけられるのは仕方ない。


「私自身お父さんの代で名字は失くしてるんだから、好意的に見られるはずないか……」


 ため息を吐く。さっきからため息ばかりだ。

 母親の形見である髪留めをいじりながら息つく。


「ハーニー……」


 旧王都に着いて夜になった今でもハーニーは帰ってこない。安否は未だ不明。明朝捜索隊を出してくれるというけど、できることなら今すぐ行きたい……。

 ハーニーは皆を庇うために敵を自分ごと崖から落としたのだ。私たちを守るために。


「恩着せがましいんだから……」


 さらにため息。

 腹立たしいけど、ハーニーの判断は恐らく間違っていない。皆あの女の不気味さに呑まれていた。気持ちが影響する魔法の戦い。あの流れで勝てたとは思えない。

 自分の情けなさにネリーは唇を噛みながら、先刻の戦闘を反芻する。

 ……予想外だった。魔力を感知できなかったから、大した敵はいないと慢心していたのだ。魔法を使われても付け焼刃の魔法だと侮っていた。

 考え方を改めないといけない。基本を知らないから初歩的な相手というわけじゃない。基本を知らないから突飛なことができて、魔法を自由に発現できるのかもしれないのだ。


「はん」


 鼻で笑って考えるのを止める。

 いつもなら楽しい魔法の探求も今は全然楽しくない。


「ちっ、先客がいたか」


 背後からの声に振り返るとアルコーが立っていた。片手には酒瓶。顔は赤く、既に飲んでいるようだ。ネリーは眉を寄せた。

 宿の一階は酒場とはいえ、この状況で酒を飲むなんて。


「星でも見てんのか」

「別にそういう趣味はありませんから。ただ一人になりたかっただけです」

「棘のある口調だな」

「不快にさせたなら謝りますけど」

「……俺を恨むか」

「……恨むわけ。あなたには助けられっぱなしでしたし、ハーニーはハーニーでやれることをやったんだけです。私だってあの時動けなかった。恨むならむしろ……、っ」


 歯噛みする。私はあの時動けなかった。何かに呑まれたように固まっていた。

馬鹿みたい。いくら知識があっても、いざという時使えなければ何の意味もない。無能もいいところ。


「……チッ」


 アルコーは舌打ちを一つすると立ち去った。その舌打ちが誰に向けてのものなのかは、その背姿を見ればすぐに分かった。

 誰もが自分を責めている。きっとユーゴも何かしら思っているはずだ。


「はぁ」


 ネリーはしっかり立つことがひどく疲れる気がしてまた柵に寄りかかった。


「……でも」


 不安から目を離して自分を冷静に見てみると、悔しさに震える自分がいて、そしてそれよりももっと暗く沈んでいる自分がいる。


「私、思ったよりもハーニーに価値を置いてる?」


 自分への問いかけ。つぶやくと心のざわめきが落ち着いて、肯定されている気がした。


「……はぁ」


 命の恩人だとか、リアちゃんへの投影だとか、ごちゃ混ぜになって何を望んでいるのかは分からない。それでもここまで落ち込むのはハーニーに価値を見出しているからだ。

 ……それが分かったところでどうしようもないけど。今私にできることなんて何にも……。

 沈みかけて、頭を振った。


「ばか。私らしくない。そこまで弱い女じゃないでしょ」


 無理やりにでも顔を上げた。


「ハーニーがそう簡単に死ぬはずない。リアちゃんだっているんだから」


 口にして思う。自分と同じ境遇の女の子。見る度に昔の自分を見ているようで胸が締め付けられるあの子。私が今のリアちゃんくらいの頃はひたすら寂しかった。だからか、リアちゃんには何かしてあげたいって思える。

 それなら今すべきことは決まってるはず。


「一人にさせたくない。うん。その通り」


 何度も聞いたハーニーの言葉を思い出す。なぜ言葉にするのか、その理由を共感できた気がした。

 リアちゃんは今、ユーゴが面倒を見ている。印象と異なりユーゴは子供に優しい。真っ先に嘘を吐いてくれたのも彼だ。ハーニーはちょっとした用事で出かけて明日帰ってくる。そう自然に言ったユーゴは優先順位が分かってる。

 私はどう? 


「……しっかりしなきゃ」


 深く息をする。肺の中を入れ替えるのと一緒に、心まで入れ替える。


「私だってリアちゃんに嘘吐くんだから、絶対に帰ってきてよ」


 まばらに輝く夜空にネリーは訴えてみる。変わらない空は無力な自分を嘲笑っているように見えて、目を背けた。

 ハーニーの捜索は明朝。私も全力で探そう。それまではリアちゃんの傍にいよう。

 決心するとネリーは今いるべき場所に向かった。





 ここは……どこだろう?

 全てが真っ白な世界。

 僕は死んだのかな?

 ……いいや、違う。これは、雪だ。ここは雪原なんだ。

 何もない白銀の世界。

 そして、その世界の中央。視界の真ん中が光っている。

 何だろう。


「……何か、埋まってる?」


 雪を掘ろうと屈む。手を伸ばす。その途端、雪は自然と割れて光るものが現れた。

 青白く発光するそれは……。


「花だ……青い花。光る花」


 心がざわつく。見覚えはないのに見たことがある気がする。ずっと昔に……どこかで。

 そう理解した瞬間、一転して世界が明るくなった。照らす太陽。暖かな陽気。そして辺りを埋め尽くす青い花。

 さっきの景色が夏模様になったんだ。

 ふと気づく。

 花の空間の中心に誰かいる。こちらに背を向けて屈んでいる。顔は見えない。肩まで髪を伸ばした……女の子?

 リア……じゃない。

 聞いたことのない……誰だ?


『……!』


 何か聞こえた。

 今度は聞きなれた女の子の声。無感情な抑揚のない声だ。この声は……。




『目覚めてください』


 意識が引き戻される。平和な花の世界が遠ざかっていく。

 今のは僕の記憶なのか?


『目覚めてください!』


 意識が声の方へ行く。抑揚がある。この声は誰のもの?

 呼吸が辛くなり、視界が暗転する。


「あ……げほっ、げほっ」


 咳き込む。気管に入っていたらしい水を吐き出した。その後も咳は続いた。


『やっと目覚めましたか』

「あ、ああ……セツか……セツだよね?」

『はい。私以外いません』


 無感情な声が返事する。右腕にはいつも通りSETUの光の文字。


「ここは?」

『覚えていますか。あなたは崖から落ちたんです。私は確認していませんが、外傷がないということは無意識で魔法を使ったようですね』

「僕が? そういえば確かに怪我をしていない……でも服はずぶ濡れだ」

『当然です。あなたは途中で意識を失って川で流されてきたんですから』

「そうか……そうだね。そうだった」


 混濁した頭が明瞭になってくる。落下しながら何とかしようともがいて、着水して、踏ん張って、そこからは覚えていない。


「良く助かったな、僕」

『相当執念があったんですね』

「そうかもしれない」


 辺りを見回す。

 ハーニーは谷底に流れる川の傍にある陸地にいた。緩やかなカーブになっている川の内側。雨で増水している川の勢いは凄まじい。


「こんなところに流れ着いたのか……」

 高い岸壁に挟まれた谷底から雲混じりの空が割れて見えるが、登れる高さには思えない。

 一瞬絶望しかけたが、付近には草木が茂っている。水流は奥までこないという証拠だ。もっと崖の方へ近づけばもっと普通の平地がありそうだ。それこそ花でも咲きそうな……。


「そうだ。花だ……」

『どうしたんです』

「夢を見たんだ。白い雪原と、青い花。花畑……あれは僕の亡くした記憶なのかもしれない」


 思い出そうと頭を捻る。だが、夢にもやがかかっているようではっきりしない。


「……だめだ。思い出せない」

『少し時間を置けば思い出すかもしれません。それよりこれからどうしますか』

「これから? ……どうするって言ってもなあ」


 もう一度崖を見上げる。ほとんど垂直なそれはただの壁だ。川は増水していて流れが激しい。


『助けを待つほかないですね』

「来るかな?」

『仮にもあなたはパウエル卿の弟子です。少しは探してもらえるのではないでしょうか』

「そうかな……そうだね。悩んでも仕方ない」

『そうです』

「ありがとね」

『と、つぜん何ですか』


 珍しく言葉にひっかかるセツ。声はいつも通り抑揚がない。


「もしも僕一人だったらって考えると、セツは本当に心強くて」

『役に立てているのなら本望ですが』

「ですが?」

『……特につながる言葉はありません。それよりも雨が降りそうです』


 まるで話題逸らしのような発言だが。確かに空には雲が広がりつつあった。


「晴れたり曇ったり不安定だなあ」

『春ですから。それよりどこか雨を凌げる場所を探しましょう』

「何か焦ってる?」

『焦る意味が分かりません。さあ、早く』

「なんで急かすのさ。う、降ってきた」


 起き上がった瞬間、頬に水滴が当たる。


『言った通りでしょう』

「分かったって」


 ポツポツと雨音が近づいてくるのを聞きながらハーニーは歩き回る。谷底の平地は予想以上に広く、これ以上増水しても水没することはないだろう。

 黙々と周辺を見て回ると上流寄りの崖に洞穴を見つけた。

 あれなら雨を凌げる。

 そう思い、洞穴へ足を踏み出した時。


「ぅん……」


 女の子の唸り声。

 ハーニーは心から驚いてすぐさま声の方へ首を向けた。

 激しい流れが打ち付ける川岸のすぐ近く。

 左手に刀を握りしめ、うつ伏せに倒れている女性がいた。

 後ろに束ねた黒い髪。見慣れない簡素な服装。

 間違いなく一緒に崖から落ちた女剣士だった。


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