ブルーウッド大森林 サキとの出会い 2
木陰に隠れて十数分後。耳鳴りのような甲高い音が響き渡った。そして木が倒れる重い音。
追手との戦闘の口火はあっけないものだった。ハーニーが駆けつけた時には追撃者の内二人がアルコーによって倒されており、加勢する前に三人目が地に伏していた。
派手さのない淡々とした風の魔法が戦局を支配している。反撃を許さない迅速な動きがアルコーの場慣れした実力を物語っていた。
「そっちにいったぞ!」
アルコーの大声が届いてハーニーは身構える。その間にもアルコーは二人を相手にしていた。
「残り人数は二人!」
ネリーが状況を知らせた。何となくそれが正しいことが分かる。雨と木々で見えなくても、ぼんやり感じる何か。誰かが生きている気配。それを二つ感じるのだ。
『正面から。避けてください』
普段よりさらに無機質に聞こえる声。その直後、雨中の奥で煌めき。
「くっ!」
自分目がけて飛んでくる魔法を横に跳んで避ける。雨に濡れた服が水たまりのせいでさらに濡れる。避けながら見た魔法は見覚えのある火球だった。火魔法の基本と聞いたそれは、雨を蒸発させながら背後の木にぶかって爆発する。
「ばか! なんでそっちに避けるんだよ!」
ユーゴが焦る声を上げた。
横に跳んだ結果、ネリーとユーゴを離れてしまったのだ。
一度離れるとハーニーを孤立させようと火球が絶え間なく飛んでくる。逃げ場を限定されながら避けるほかない。
「……いける」
ハーニーは皆から離れつつあっても心は不思議と落ち着いていた。戦いの緊張は回避の連続によって解れていく。普段通りの動きを取り戻していく感覚。
これは何度も経験した動きだ。
『見えます』
言葉と同時に木々の奥から人影が現れた。火球を撃ち続ける術者は強気そうな茶髪の青年で、こちらを強く睨んでいる。
いつの間にかネリーとユーゴは見えなくなって、一対一の様相になっても焦りはなかった。冷静に周囲を見ることができる。だから分かる。
焦っているのは向こうだ。いくら魔法を撃っても当たらないから近づいてきた。距離を詰めて狙いを正確にしようとしているんだ。中距離戦を望んでいる。
「それならッ!」
行動に移るまでの一瞬の間、ハーニーはリオネルの言葉を思い出していた。相手の戦い方に乗ってはいけない。戒めのようなその言葉が今取るべき動きだった。
ハーニーはアルコーに渡された刀を鞘から抜いた。鞘を後ろに放って両手で持つ。ずっしりと重力に引かれる重い質感を手に握る。
ハーニーは迷わず足を踏み出した。雑草混じりの土の上で水が跳ねる。
今にも魔法を放とうしていた青年は目に見えて狼狽した。刀を下に構えて迫るハーニーから居離を取ろうと青年は後ろに大地を蹴った。魔法が使われているらしい青年の後退は想像以上の速度だった。
「来るなあッ!」
青年は後退しながら魔法を放つ。幸いだったのはそれが変わらず火球だったことだ。ハーニーは数少ない経験を生かして姿勢を低くして避ける。
「くそおっ」
青年の、ともすれば泣きそうな叫びがハーニーの意識を奪う。
『気を確かに』
「わ、分かってる!」
だが気付けば再度火球は飛んできている。
避けるのは……間に合わない!
「セツ! 壁が要る!」
『魔力、前面に展開します』
想像するのは何度も生み出してきた無色の魔法。半透明な障壁が自分の正面に存在するイメージ。それは瞬時に虚空に現れ、火球を受け止める。
「ぐうっ!?」
魔法の壁は身体とは別の場所に存在しているのに、衝撃がハーニーを襲った。思いもよらない衝撃に体勢が崩れて倒れそうになる。青年の勝機得たりという顔が視界に映った。
身体は自然と動いていた。
左手が刀から離れ、雨をかき消すように横薙ぎに振るわれる。ザッ、という音とともに正面の空間から雨粒は消え、そこにいた青年も真横に吹っ飛ばされる。ハーニーの腕の延長線にあった魔力の塊が全てを薙ぎ払ったのだ。
「かはっ」
青年は近くの木に叩きつけられた。
ハーニーは体勢を崩し、濡れた地面の上を転げまわってやっと身体を起こす。青年は衝撃で脳震盪を起こしたのか立ち上がれずにいた。地に伏せてただ苦しそうにしている。
「う」
ハーニーははっとして気付く。今、自分は既に走り出せるこの状況。このまま青年に向かって行けば、うずくまって動けない青年を斬ることは容易なことだ。
考える余裕もなく走った。刀を構えたまま青年に接近する。
振り下ろせば剣先の届く距離にまで達した。
そう。ここで振り下ろせばこの人は……。
「くそっ……!」
苦しそうにして立ち上がれない青年の切迫した声。彼はハーニーのことを恐怖と憎しみの混じった目で見上げていた。立ち上げれなくとも諦めず、何か取り出そうと懐に手を伸ばしている。
「……はぁっ」
息が緊張から荒くなる。雨で冷えた空気に白い息が混じる。
ここで躊躇えば、目の前の青年は懐の何かで反撃してくるだろう。迷いなく、こちらの命を奪うために。
「お前に人を殺せるか」。
先刻アルコーに言われた言葉が頭に木霊した。
下ろせるのか。僕はこの手を。
「できるさ……!」
でなきゃ僕が死ぬ。僕が死ねばリアは一人になる。そんな事情は相手も同じだろうけど、それでも……。
「待て! やめろッ!」
聞き覚えのある低い声が動こうとした筋肉を止めた。
「えっ?」
その声は酷く焦っていて聞き慣れない。ハーニーが声の主を確かめようと気を抜いた。その瞬間だった。
「ぐあああっ」
豪雨で見えない木々の奥から飛んできた風の刃が、青年の左胸部を貫いた。心臓の位置に穿たれた穴は深く、どう見ても致命傷だ。
青年は降りしきる雨に体温ごと命を奪われていくように動かなくなっていく。
「……う」
足元で完全に動かなくなった青年にハーニーは胃液が逆流するような思いを得た。
今、この瞬間彼は死んだ。その事実が心に重くのしかかってくる。
「……無事か」
「アルコーさん……」
何処からか歩み寄ってきていたアルコーがハーニーの肩に手を置いた。そしてすぐに倒れた青年を確認し、一つ息を置く。
アルコーは髪も無精ひげも水浸しになっており、普段より沈鬱に見えた。
「こいつで最後だった。とりあえずの危機は去ったな」
「今のは……」
「俺が殺った。それだけだろ」
「そうかもしれないですけど……」
「それ以外あるのか?」
こちらを見ずにそう言うアルコーは、露骨にこの話をやめたがっていた。
やがて落ち着いた頭が心配なことを言葉にする。
「皆はっ? ネリーとユーゴは大丈夫なんですか?!」
「ああ、あいつらはしっかり時間稼ぎをしてくれたからな。恙なく俺が全員始末できた」
「怪我とかは……」
「心配性だな。無事だから安心しろよ」
「そうですか……よかった」
「お前が一番離れてて危なかったんだからな。おかげで助けるのが遅れた」
「すみません……」
「死ななかったんだから上出来だ。それに……」
「それに?」
続きを尋ねても返事はなかった。アルコーは黙ったまま固く口を引き結んで答えない。
「……どうしてあんなに焦っていたんです?」
さっきのあの焦った声。「やめろ!」と言ったあれは何だったのだろう。まるで仲間が死にかけているのを見て言ったような声だった。
でも優勢だったのは明らかに僕だ。
アルコーは長い沈黙の後、静かに答えた。
「……ガキを助けるのは大人として当たり前だろ」
どこも誇らしげでないその声はひどく小さく、雨にかき消されて残響を残さない。
「おら、さっさと行くぞ。ぐずぐずしてたらパウエルに追いつけなくなっちまうし、追手がこれで全員とは限らねえんだ」
「あ、はい」
小さな疑念をそのままに、ハーニーはアルコーの後を追いかけた。
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