~時を止める少女~
ブルーウッド大森林 サキとの出会い 1
およそ昼とは思えない灰色の空の下。轟々と降る雨の中で馬車の列は止まっている。
全身を雨に濡らした魔法使いたちは、馬車列から少し離れた大樹の元で集まっていた。パウエル、アルコー、ユーゴ、ネリー、そしてハーニーが集まっている人の全てだ。そこで話される内容はもちろん差し迫った問題のこと。
「一週間かけて逃げてもう少しで旧王都だってのに、うまくいかねえな」
悔しそうに顔を歪ませたのはアルコーだ。酔っ払いの印象が強いが、緊張の張り詰めた表情は今の状況がどれほどまずいのか深刻に物語っている。
「言っても仕方あるまい。それよりもこれからのことだが……むう」
続く言葉を言いづらそうにするパウエルを見かねて、アルコーが声を張った。
「そんなもんは決まってるだろ。アクロイドからの追手を誰かが残って抑える。殲滅か、そうでなきゃ時間稼ぎだ。それ以外ねえ」
「……そうだが」
重い雰囲気にハーニーは現状を考えなおす。
アクロイドを脱出して一週間。何度か休憩を取りながら進んできて、ようやく旧王都領に入ったところだった。
ブルーウッド大森林。
旧王都の東一帯に広がるこの森林を抜ければ旧王城が見える。もう少しで東国の手が及ばない領域だ。
しかし、事はそうやすやすと運ばない。
追手の襲来。ネリーがいち早く気づき、馬車群は歩みを速めたが追いつかれるのは時間の問題だ。このままでは魔法を使えないガダリア市民まで戦いに巻き込まれる。そうしないためにできることは一つしかなかった。
アルコーが呆れ笑いを浮かべた。
「悩んでる暇はねえよ。お前は領主だから民についていなけりゃいけねえし、だから言いづらいんだろうが、俺たちはやるべきことを分かってるんだぞ」
「……すまないな」
「けっ。誰がこんなところで死ぬかよ。いいから任せて先に行け。俺たちが何とかする」
「ああ。頼む」
パウエルは一つ頷くと、もう躊躇いなく馬車を先導しに向かった。
「よし、それじゃ俺も……」
ユーゴもパウエルを追いかけようとするが、アルコーがローブのフードを掴んだ。
「馬鹿野郎。お前はこっちだ」
「え? 俺も殿なわけ?」
雨に濡れた金髪を煩わしそうにしているネリーがユーゴに冷たい目線を送った。
「当たり前でしょ。市民の誘導なんて一人いればいいし、貴族なんだから皆を守る義務があるじゃない」
「いやいや! 勘弁してくれよ! 俺はこんなところで死にたくないぜ!? なあ、ハーニー、お前だってそうだろ?!」
「そうだね。こんなところで死ねない」
「そういう意味じゃなくてよう!」
「そう言ったって追撃を阻止しないと馬車が狙われるんだよ。馬車にはリアが乗ってるから何とかしないといけない」
「そりゃ、そうだろうけどよー……」
そこで「それはお前の話だろ」と言わない辺りがユーゴらしい。
「どうせ人を見捨てられるほど身勝手になれないんだから諦めたら?」
呆れるネリーの言うことは的を得ていると思う。
それでもユーゴは「でもよ……」と苦しそうに反論しようとする。しかし丁度馬車の列が動き始めて、やがて雨の幕に消えて行った。
「ああ……俺たちを置いて行っちまった……」
「ま、諦めろ。うまくやりゃ旧王都まで無事行けるから話を聞け」
ユーゴはまだ何か言いたげだったが、アルコーは構わず話しはじめた。
「退き戦は不利だろうが、こうなったら待ち伏せできるこっちが有利だ。森林の上、この豪雨。よっぽどのことがない限り負けることはねえ。アクロイドにまともな戦力がいくつもあるとは思えねえしな」
「本当かよ……」
ユーゴは疑わし気な目をアクロイドの方角に向けた。激しい雨が視界を遮っていて、遠くを見ることはできない。
だが確かにアルコーの言う通りだ。アクロイドにいる一番強い魔法使いはリオネルだろう。とはいえ彼の魔法の特性上、高速で追いかけることができるとは思えない。また誰もが魔法を使えるようになる石があっても、一般人がすぐに使いこなせるとは考えられない。そう考えるとアクロイドの戦力は脅威ではないはずだ。
「いざとなったら俺がうまくやってやる。お前らは時間だけ稼いでくれりゃいい。死なずにな」
「誰が死に急ぐかよ……」
ユーゴはずっと不満そうにしていた。
「作戦はないんですか」
ネリーらしい質問はあっけなく否定された。
「ないな。死なないようにしろ」
「また随分と雑ですね」
「アクロイドから逃げ出したり、ずっと行き当たりばったりなんだ。今更細かいこと言うなよ」
ネリーが隠すことなくため息を漏らす。アルコーは全員を見回した。
「適当に隠れて適当に迎え撃つぞ。死なないようにな。お前らは三人固まってろ。俺は一人でいい」
ハーニーは心配になって尋ねる。
「大丈夫なんですか? 一人でなんて」
「馬鹿言え。お前らが束になっても俺には勝てねえよ」
横でネリーがむっと眉を寄せた。アルコーはそれをまるで気にしない。
ふと、アルコーがハーニーを見て言った。
「そういえばお前、剣の修業したんだよな?」
「そんな大げさなことはしてないですけど……」
事実振り回していただけだ。基本の欠片もない、ただ目先の戦いを越えるためだけの練習。
「んなことはどうでもいい。お前、剣はどうした」
「刀ですか? 今は持ってないです」
アクロイド脱出の際に使った刀は石に衝突させすぎて使い物にならなくなっていた。今頃馬車に乗せられているだろう。
「だと思ったよ。ほれ」
「うわっ」
アルコーが放ったものを受け取る。ずっしりした感触に緊張が走る。
それは片刃の剣だった。鞘から少し抜くと刀身が鋭利に光を反射する。
「馬車にあった安物だが切れないわけじゃないはずだ。素人のお前にはお似合いだな」
「はい……」
渡された刀から目が離せない。無骨な剣はその用途を単純に示していて、寒気がした。
改めて認識する。これには刃があるのだ。人を斬るための刃が。
「……お前、人を斬ったことは?」
「そんなこと一度も……」
「お前らはどうだ。そういう経験は」
ネリーが凛とした顔で答えた。
「私はありませんけど、そういう覚悟はできてます。これでも貴族に連なる女ですから」
「お、俺だって大丈夫だって。やることやりゃいいんだろ? 死ぬ気ないんだからそうなったって仕方ないって思うさ」
アルコーは重く頷くとハーニーに視線を戻した
。
「ハーニー。見る限りお前が一番甘い。お前に人を殺せるか?」
「僕だって死ぬ気はないですよ。リアを一人にはできない。だから……」
だから人を斬る?
咄嗟に言葉は繋がらない。
「……どうも心配だな。いや、言ってる時間もねえ。とにかく死ぬなよ。俺はもっと手前で待ち伏せるから戦闘が始まったら援護してくれ」
アルコーはそういうと大樹の下から出て豪雨に身を晒していった。その姿はすぐに背景に溶け込んで、どこにいるのかすぐ分からなくなる。
「冷静ね。さすがに前の戦争で活躍しただけある」
「うん。むしろ今の方が生き生きして見えるかもしれない」
「そんなことどうでもいいっての。どうすんだよ。こんなことになっちまって」
「今更どうしようもないよ。やれることをやらなきゃ」
「助かるだけなら逃げた方が早いのにか……?」
「でもユーゴは逃げないじゃん」
「それは……そうだけどよー……」
ユーゴは大きくため息を吐く。一人逃げ出す気はやはりないらしい。
『大丈夫ですか』
ハーニーの右腕。SETUの文字が薄緑に発光する右腕から声が響いた。
「セツか。大丈夫って何が?」
尋ねると相変わらず無感情に言葉を並べた。
『先刻言われた通りです。あなたは覚悟ができているんですか?』
「……」
すぐに返事ができなかった。
鍛錬と称して腕を磨いても、その理由はただリアを守る力が欲しい、それだけだ。それ以上のことは求めてもいないし考えてすらいない。それこそ人を傷つけるかどうかなんて考えたことがなかった。
いや、考えないようにしていたのだろう。
『私はあなたにそういうことが似合うとは思えません』
「そうだろうね。僕だってそう思う。けど……」
以前パウエルに言われたことを思い出す。
力を持つ者の責任。嫌だからやめるなんて通るとは思えない。だからそれを理由にできるかもしれない。人を傷つける自分を許す、仕方ないという理由に。
「はぁ」と横合いから高いため息が聞こえた。
「まったく……ハーニーは仕方ないんだから」
「ネリー?」
「いい? こっち見て。……いいからこっちを見るの!」
「むぐっ」
ネリーはハーニーの両頬をぎゅっと押さえて、無理やり自分の方を向かせた。
すぐ近くに整ったネリーの顔がある。雨に濡れて煽情的だが瞳は強い意志を宿していた。
じっと見つめたままネリーは言う。
「傷つける理由だとかそんなことは今は考えないで。もしもそういうことになったら、んー……私を助けるためだとか思えばいい。私はそれを苦に思わないから。いい?」
「そんな身勝手なことが──」
「うるさい! 黙って従えばいいの! 分かった!?」
「わ、分かった」
「んっ。よしっ」
頷くとネリーはすぐにハーニーを解放してそっぽを向いた。声を荒げたのは照れくさかったからなのかもしれない。ネリーの横顔は紅く染まって見えた。
「で、でもどうして突然?」
「そんなの決まってるでしょ。ハーニーに死なれたら……」
ネリーはハッとして仰け反った。
「リ、リアちゃんのためよっ? 私は……お、恩返し! ただの恩返しだから!」
「恩って……そんなの気にしなくていいのに」
苦笑するとネリーは一つ息を吐いて同じ笑みを返した。
「……そうね。実はそんなに気にしてない」
豪雨の中笑いあう。
「……なあ、俺いらなくない?」
「拗ねないでよ。あんたの力はちゃんと評価してるんだから」
「あ、そうなのぉ?」
ユーゴが嬉しそうに聞き返す。返事はなかった。
『……よかったですね』
「何がさ」
『……』
「……でも、全部押し付けてそんな単純に考えられるかな」
「考えてって言ってるでしょ!」
「分かったから! 僕だっていざとなったら躊躇わらないよ!」
声は空虚に響いた。自分自身心がこもっていないことが嫌でも分かる。
それから会話はなかった。ただ雨が弾ける音だけが鳴っていて、緊張感だけが心をざわつかせた。
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