ハーネス
@zikko
第1話 ことの始まり
七月に入ってからようやく気象庁の宣言とともに梅雨が明けた関東地方。
いよいよ夏本番。
明日は日曜日だな。午前中いっぱい眠りこけた後、お気に入りの一台で走りにでも行くか。何処へ?何処だっていいじゃねぇかよ。そんなことを頭ンなかで浮かべて電動ポットのコンセントを抜いた。
「...マジかよ?」
俺は帰り支度を整えまさに事務所から出ようとした時、一人でツッコミを入れていた。
刹那-開いたドアから入って来たのは腰の曲がった八十位の婆ちゃんだった。それはいかにも絵に描いたような小さな婆ちゃんだった。
「安堂探偵事務所・・・でいいんじゃろ?」
俺は一瞥して言ってやった。
「当たってる。でももう誰もいないぜ」
「兄ちゃんがおるでねーだか」
「あっ、兄ちゃん?俺のこと」
「ほかに誰がおるだでな」
「あのな・・・何か用事あるんなら月曜日に来な」
「兄ちゃん、ここの人間でねーだか?」
「否定はしなぇーけど・・・・帰るとこなんだ。俺も」
なに笑ってんだよ。
「年寄にぁ親切にするもんだでな。それに兄ちゃんとここで喋っておってもワシの首が疲れるだけだで。中へ入れてくれだで」
婆ちゃん、言ったとたんだった。俺の脇をすんなり抜けて勝手に中に入りやがった。俺は開けられたドアに手をかけ、ため息交じりに呟いた。
「ついてねぇ」
俺は
私立探偵事務所で働く助手みたいなもんだ。年齢は三十になってるはずだ。はっきりとは自分の誕生日がわからねぇ。それと最初に言っておくが俺には能力がある。ちょっとだけ先の事象がわかるんだ。自分にかかわることだけんなんだが。それは予知能力の一種かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。視界が煩わしくなるから医者から特定の薬をもらって現象を抑えているのが現状だ。俺のことはこの辺でおいておいて勝手に事務所に入り込んじまった婆ちゃんをどうするかが問題だ。
西新宿って言えば聞こえは良いけどよ、ビルやマンションが両サイドに立ち並ぶ方南通りをちょっと脇に入れば、わりと質素な住宅や昔ながらのアパートなんかが未だに残ってる場所でもあるのさ。そう、安堂探偵事務所もそんな街並みに溶け込んでいる雑居ビルの二階にある。目立たないはずなんだが・・・誰に聞いて来たんだ?
「なぁ、婆ちゃんよ。勝手にソファーに座ってるけどよ仕事の依頼だっ・・・」
まだ俺のセリフの途中だろ。
「兄ちゃん、名前は?」
「・・・は、ち、や」
「蜂谷さん?」
うなずく俺に
「蜂谷さんや、客にはお茶くらい出すように言われておらんのかの?」
「はっ」いぶかしげな表情であろう俺を無視するかのように
「出がらしでもなんでも良いから、ワシなぁ、喉がカラカラでの」
ばぁさんは大げさなジェスチャーをしながら俺を見た。しわくちゃな笑顔でな。
俺がしぶしぶ小さなシンクの脇にある、さっき抜いたばかりの電動ポットのコンセントを差し込み急須に安い茶葉を入れてると、
「ワシの名前は梅。
ばぁさんの座ってる前のテーブルにお茶を置きながら言ってやった。
「聞こえてるぜ。そんな大きな声で言わなくてもな」
「翔平。戸野蔵翔平」
今度は一段声を落としすでにテーブルに置いてある写真の一枚を指さしばぁさんは言った。
紺色のブレザー姿のバストショット。気弱な好青年といったかんじか。
「捜して欲しいんじゃ」
俺の腕から握られたばぁさんの手をそっと外すと
「最初に言ったろ、営業はもう終わりだって。お茶、飲んだら帰んな」
「時間がないんじゃ、どうしても孫にゃ伝えたいことがあっての」
「・・・・明後日、来な」
「明日中にでも翔平に」
俺は婆ちゃんの台詞を遮って言ってやった。
「だったら他の興信所にでも何でも行って頼みな。俺は所長さまの指示がなきゃ動けねぇんだよ」
婆ちゃん笑ってんじゃねぇよ。
「つまりはその所長の判断ちゅうのは企業利益があるか、ないか。儲かるか、儲からないないか・・・じゃろ?じゃったら成功報酬はう~んと弾むんじゃがの」
「そういう問題じゃねぇ」
「そういう問題じゃろて。じゃったらその所長さんに連絡して聞いてみてくれんかの?」
しつこい婆ちゃんはこの先、俺がどう言おうが引かないと読んだ。
「・・・しょうがねぇ」
俺は近くにある固定電話の受話器を手に取り短縮の1を押した。
「おかけになった電話番号は電源が入っていないいため・・・」
「繋がんねぇぜ」
「そうだか」
「そうだよ」
「んじゃ、しょうがねぇだの」
「あきらめて帰んな・・・ってなにしてんだよ」
気を抜いた俺のズボンのポケットに紙屑をいれやがった。
「とっておけ」
したり顔のばぁさんが言った。
俺は紙屑をポケットから出すと確認する前にわかった。
「しわしわな千円札は何なんだ?」
「手付金じゃて。仕事のな」
「日本語、わかんのかよ。俺は所長に繋がんねぇって言ったろ」
「繋がらない事実は分かっただでの。じゃからだったら蜂谷さんにワシが個人的に捜索を依頼したいっちゅうことだで・・・釣りはいらんだでとっておけ」
「いいかよ、俺はこれから貴重な休暇を満喫するんだよ。これもってとっとと帰んな」
俺は目線をばぁさんに合わせて諭すように言ってやった。が
「ワシもな、このまんまおめおめと帰れんでの。どーしても協力してほしいんじゃ」
「婆ちゃん・・・」
ソファーから床におりて土下座まですんのかよ?俺はその前にばぁさんの脇に手を入れ寸前でたたせた。なんだ?妙に軽いじゃねぇかよ。
「しょうがねぇ」
これ以上ばぁさんの頼み、断り切れるほど非情にはなれねぇか。
「へっ、そうかえ!やってくれるだか?そうか、そうか。ほんに恩にきるだでな」
抱きつかれる前にブロックをしてとだ、「そんかわり、俺が個人的に行動をすんのは明日の日曜、一日だけだ」
「ほんに十分だで」
「それと、やるだけはやってみるが結果は保証しねぇ。悪く思うなよ」
「悪く思うも何も蜂谷さんならワシの依頼を叶えてくれるはずだで」
「俺のこと買いかぶんねぇほうが・・・」
また台詞を遮る。
「この戸野蔵 梅、農作物と人間にや見る目があるだでな!」
けっ、俺は野菜と一緒かよ。
「・・・じゃよ、早速だけど孫の翔平だっけ?現時点でわかってる情報教えてくれよ」
改めてソファーに座り直したばぁさんの横に俺も腰かけた。なぜ正面じゃねぇのか俺でもわからねぇ。
「翔平は帝都工業大学の2年生での学生寮に入っておるはずなんじゃが、三か月位前から連絡が取れんようになっての」
「じゃ2年生になってから連絡が取れなくなったったてことか?・・・めんどくせ、ばぁさんよわかってる情報をこれに書き出しておいてくれよ」
メモ用紙とペンをばぁさんに渡して俺は翔平の写メを撮り終え固定電話の短縮の3を押した。
三度目のコールで彼はでた。
「飯屋ん?俺。わりぃーな、そ、今送った男のこと、調べて欲しいんだ」
電話の相手は飯屋 修。この事務所における情報収集係(?)で俺の友達だ。
婆ちゃんから知りえた情報をさらに追加し、わかった情報を俺の携帯に送ってくれと頼んだ。好物のスィーツを褒美としての約束をさせられたうえでのことだが。
「もう7時だぜ。送っててやるよ。ついでだからよ」
「・・・」
「何、黙ってんだよ?」
「何処も行くとこなんかねぇ」
「あっ?」
「なぁ蜂谷さんや、物は相談なんじゃがこの事務所に一晩、泊めてはくれんじゃろかの?」
「ざぁけんな」
「どうせ休みなんじゃろうが?そこのソファーがあれば大丈夫じゃて。明日兄ちゃんが迎えに来るまでの間じゃ。なっ?」
俺は短い時間でわかったこのばぁさんとのやり取りが徒労に終わることに感じ決断した。
「・・・泊めてやるよ。うちに来いよ」
「はっ蜂谷さんの家?そりゃーいくらなんでも遠慮しておくだで。家族の人に迷惑をかけてしまうだでな」
「今更迷惑とか言ってんじゃねぇよ」
「かっ家族の人に…」
「俺に家族はねぇ」
「はっ?」
「一人暮らしだ」
「一人暮らし?」
「心配すんなよ。それと俺には年寄襲う趣味もねぇからよ」
いくらおちぶれた探偵事務とはいえ外部の人間、泊めるわけにはいかねぇわな。それに万が一にも翌日に変死体の発見現場にもされたくねぇ。
俺は事務所に鍵をかけ婆ちゃんと一緒に自宅に向い細い道を方南通りに向かった。
「婆ちゃん、ここまでどうやって来たんだ?飛行機か?」
「・・・」
「電車?」
「・・・」
「高速バス」
「・・・」
「なんだよ、答えたかねぇか」
婆ちゃんは暮れなずんでいく景色を見ながら言った。
「・・・そうじゃの、空かのぉ」
「だったら最初っから飛行機って言えばいいじゃねぇかよ。まっ、早くて安全な乗り物だもんな」
2人で牛丼屋の前の横断歩道で信号が変わるのをまった。
表示が赤から青へ歩行者用の信号が変わった。
「!」
俺は歩き始めるばぁさんを慌てて止めた。
すぐ目の前を信号無視のバイクが猛スピードで通り過ぎていった。
(あぶねぇ)
「大丈夫か?」
「んっ、ありがとな。蜂谷さんや」
「都会はあぶねぇぜ」
役にたったか?俺の能力。自問自答に婆ちゃんがうなずいた気がした。気のせいか?
俺の家は方南通り沿いにある、『エグゼクティブ西新宿』っていうこの界隈じゃ一番背の高いマンションの最上階にある。
金ならある。言っておくが親の遺産でもなんでもねぇ。てめぇで稼いだ金だ。
プロのレーサーだった頃に貯まった金やなんやかんやで一括購入。しかも事務所の目と鼻の先の距離。歩くのがたりぃーわけでもねぇがある条件で選んだっていうのが本音のとこだ。
暗唱番号及び指紋センサー。これで部屋のドアのロックが解除される。
「かたまってねぇで入んな」
玄関で目を白黒させている婆ちゃんに俺は声をかけた。
「ひやぁ~びっくりじゃてな、これが都会のマンションっつーもんだでか?まるで大御殿じゃの!」
都会のマンションが全てがこうじゃねぇーぜ。
「蜂谷さん、若いのに見上げたもんじゃの。探偵さんは儲かるんじゃの」
リビングに入りじろじろ見てる婆ちゃんには言ってやったさ。
「探偵は儲かんねぇ。それだけは言っておく。まっ、適当に座んなよ。こっちも落ちつかねぇからよ」
「適当に・・・と言われてもな。こうも部屋が広すぎると何処に腰掛けていいんだかな」
「へっ、さっきは厚かましく事務所にや入ってきたのによ、やけに愁傷じゃねぇかよ。ほら、そこのソファーにでも座ってなよ」
「黒色の大きいやつかの?」
婆ちゃんにうなずくと俺は、隣の部屋でスウエットパンツに履き替え、Tシャツを片手にリビングに戻った。
相変わらず婆ちゃんは部屋を見渡していた。俺に何を言うんだ?
「広いけど・・・随分と生活感がないんじゃの。越したばっかりかの?」
「いや、1年は経つ」
「ほぉ」
口を尖らせた婆ちゃんに言ってもいいんだが、何時でもここを離れられるようにしてるだけだと。
「なんもねぇーけど、俺の手料理でいいだろ?」
言いながら手にしてたTシャツを着ようとしたとき婆ちゃんは言った。
「ただただ痩せてるだけじゃと思っとったが、案外筋肉質なんじゃな」
うるせぇよ。
「んっ?どうしたんじゃその傷は?最近じゃないのぉ」
俺はTシャツを着ながら、
「たいしたもんじゃねぇ」
着終わるやいなや、俺の体を撫でやがる?やめやがれ。イメージが間に合わなかった?
「そんな趣味、ねぇーっつったろ?」
「ほんにの可哀想にのう・・・さぞかし痛かったろうに」
ん?俺の体ん中の温度が上がった気がした。婆ちゃんの台詞に…か?慌てて婆ちゃんを押し離しながら俺はダイニングに向かった。
茨城県の養護施設で育った俺は、15歳でそこを出て町の自動車修理工場に住み込みで働いていた時期があった。その頃に自炊することを身に付けた。
それは1人でも生きていく術でもあったし自分自身の能力の確認作業でもあったのさ。
食材、調味料などをみて、手に取ったとき出来上がった料理がはっきりとイメージできているか、どうか?もちろん味自体は一般人と同じで料理の経験値の比例して備わってくるものだが、俺にはプラス具体的な見てくれも追加されている。まっそれがちょっと先の事象がわかるってことだ。今でも能力の確認作業のひとつでたまに料理をすることにしている。
とりあえず既存する食材をみてメニューを考えてみた。
「婆ちゃんよ、野菜スープと…」話しながらダイニングからリビングへいく。
「なんだよ、座ったまんま寝てんじゃねぇかよ。…まっ、しょうがねぇか。年寄りだもんな疲れっちまったんだよな?」
俺は婆ちゃんを横に寝かすとタオルケットをかけてやった。
寝ている婆ちゃんさんの前にあるガラスのテーブルに作った料理を並べた。匂いでおきるかもしれいからだ。だめだやっぱ起きねぇか。俺が無造作に食べ始めたときだった。(食べるときはいただきますっだでな)前のばぁさんを見た。寝てる。
空耳か?俺の能力は白黒テレビの無静音。つまり画像だけで音声のイメージはできねぇんだ。気のせいか。水を飲みスプーンを手にしたとき、また空耳が聞こえやがった。だが間違いなくばぁさんは寝てる。
俺は小さな声で「いただきます」をした。食べる前にうっとうしいのはいやなんだ。茨城の施設いらいだな。
食事も済ませ俺にしちゃ珍しく早い時間での睡眠に入ることができた。それも外部の人間がいるにも関わらずにだ。だが、なんだこの不思議な安堵感?
―ん?何だ?
味噌汁?味噌汁の匂いだ。
ベッドから這い出ててリビングに行くと裁たんであるタオルケットがソファーの上に置いてあった。
「おはようさん。今朝は、年寄の手料理じゃけど蜂谷さんに食べてもらおう思うての。あっ、食材はワシが田舎から持ってきたもので間に合わせたでな。飯だけな、悪いけど使わせてもろーたでな」
「あのな」
「さっ、顔洗って、食べるだで」
なに勝手料理してんだよと言いたかったが婆ちゃんにリズムを崩されテーブルにしぶしぶついた。顔は洗ったさ。
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