第10話 井の中の蛙の為に鐘は鳴らない  

 皆、自分が小さな領域に囚われていたこと、狭い世界で過ごしていこと、これらを痛感した瞬間が訪れたのはいつだろうか。早ければ小学校や中学校、遅くても社会に出るまでに、一度は勉強やスポーツなどでその壁にブチ当たることだろう。


 僕は17歳の夏、ひとりの女子生徒に、一目惚れした人に、大好きなゲームを通じてそれが訪れた。まるでそれは自分が灰となったり、石の中に閉じ込められたような『心のロスト』とも言うべき事象だった。


 ・好きな音楽とか歌手とかいる?

 ・家でもゲームとかしてるの?(←注意!ジャンルに応じて名作から聞く!)

 ・好きな漫画とかオススメある?(←注意!急にアニメの話とかしない!)

 ・電池の予備だったら持ってるよ。

 ・D組って○○君がいるよね。

 ・専攻で気に入ってる授業とかある?

 ・好きな食べ物とかある?

 ・ガンソルのアドバイザーの人は、芸夢BOYの開発者って知ってた?

 ・WSって凄いよね。定価4,800円だし、それにソフトも2,000円だし。

 ・ガンソルに隠しキャラいるの知ってる?コマンドがあるんだよ。


 ※自分への注意!自分の話ばかりしないこと!なるべく聞き役に回ること!


 彼女との初日の対戦と学校を終えた僕は、帰宅するなり明かりも点けずに自室のベッドに倒れ込んだ。そしてポケットの中でシワくちゃになっていた【鯨武さんとの攻略話題・MEMO】とノリノリで書かれた箇条書きの紙を天井とともに虚しく見つめる。


 しばらくしてそれを丸めた僕は、部屋の隅に離れてあるゴミ箱に向かってスリー・ポイントシュートを放った。軌跡を描く途中に構えたガッツポーズの甲斐なく、一瞬の渇いた音とともにメモ紙はゴールリング(ゴミ箱)から外れ落ちた。


 豆腐屋のラッパの音色が似合いそうなほどの夕暮れの茜色が射す部屋の中で、僕はため息混じりに寝転がりながら昼休みの対戦の顛末をプレイバックする。


 WS【ガンソル】対戦、三本勝負の一本目は『秒殺』とも言うべき結果に終わった。その時の自分の心中は覚えていない。でもきっと、半分は放心状態だったと思う。


 言い訳するつもりはないが、確かにしていた。和気藹々と雑談しながら対戦するシナリオを描いていた僕は、ゲームは二の次、むしろ手加減を考えていたくらいですよ。


 もしかすると、彼女の連続コンボは偶然だったかもしれない。ビギナーズ・ラックだったと思えば、負けた瞬間に『うわーマジかー!』と雰囲気を盛り上げるくらいのアドリブやリアクションを披露するチャンスだったかもしれないと反省した。


「よし、じゃあ2本目いこうか」

 僕は気持ちを切り替えて、水分補給に適した夏の定番スポーツドリンクCMのような爽やかな笑顔と声をあげてゲームを再開した。


銃兵 Gun-Soldierガンソルジャー】対戦モード ルート・カットバトル三本勝負

2nd BATTLE ― GAME START -


 二本目も先ほどと変わらず、開始と同時に軽快なBGMが小気味よくステレオチックに周囲に響く。だが僕の指先はハイスピードで銃身パネルを配置し続けた。


 とにかく二列以上の砲撃連鎖をテンポよく繰り返して、ジワジワと彼女にダメージを与える作戦だ。そのためには0.1秒でも早くパネルを休まずに動かし続けなければならなかった。とにかくテンションを上げて猛攻あるのみ!


 加速せよ、我が鍛えられし指先!集中力良好!この状態に死角無し!

 姿勢は前傾45度で攻撃体勢を取れ!フィンガー・フルスロットル!

 シュート!シュート!シュート!シュート!シュート!

 

 我が軍よ!彼女の領域(WS)から警告音が鳴るまで砲撃コンボを繋ぎ続けよ! 『OK!』『ナイス!』……『OK!』『ナイス!』


 さあ、彼女のWSからは未だに銃身パネルの消去、砲撃音が聞こえてこない。

 このペースでいけば勝利は時間の問題か?


 『OK!』『ナイス!』三度成立する我が軍の砲撃コンボ!

 『OK!』『ナイス!』ようやく聞こえてくる彼女からのコンボ発生音!

 『グレイト!』『エクセレント!』『ファンタスティック!』×3

 鳴り止まぬ彼女のコンボ音声!そして再び訪れる我が軍領域の窮地!

 表示される YOU LOSE!  我が口から吐血!(イメージ)


 WS【ガンソル】対戦、三本勝負の二本目は(略) 


 とにかく僕はただ冷静に、そしてひとつの結論をはじき出す。そんな馬鹿なと思いつつも、これはもう認めざるを得なかった。

 

 鯨武さんの『ガンソルの腕前はガチ』だった。この衝撃の事実に僕は動揺を隠せなかった。


 対戦モードが早々と終わり、互いのゲーム画面はモード選択に戻っていた。このまま無言というのは気まずいので、僕は思わずWS本体の音量を下げて、彼女の方を向いた。


「く、鯨武さん…ガンソル…凄く上手いね」

 僕は当たり前のことをそのまま聞くしかできなかった。


 「うん、パズルゲームは得意な方かな」

 鯨武さんはただ静かに特に表情も変えず、でも微笑むような声色で答えた。


 ふと、僕はいつの間にか、そんなつもりは無くても彼女のことを上から目線で見ていたことに気付いた。『ゲーム?教えてあげるよ』と、手加減しながら、WSを通じて彼女とスキンシップを取り、仲良くなろうじゃないかと。


 もちろん、純粋に彼女に惚れて、親しみたい気持ちもあった。しかし、ゲームを通じてそれに挑むのであれば、ゲーマーとしての対戦の礼儀やマナーについて、僕はまったく考えてはいなかったのである。とにかく急に自分が恥ずかしくなった。


 何とか普通を保っていたつもりだが、もしかすると鯨武さんは、僕から不穏な空気を感じ取ったかもしれない。そんな中、次に口を開いたのは彼女だった。


「良かったら次はブレイクモードで対戦しない?」

 と僕に提案する。


「う、うん。そうだね」

 力ない返事だったかもしれないが、僕は答えた。


 ちなみにブレイクモードとは、互いに体力(耐久値)を設けたモードである。遊びのルールは基本同じだが、このモードは砲撃が行われるごとに相手にダメージを与えるもので、ライフがゼロになった方が負けである。


 もちろんこの対戦モードでも僕はいいところなし。わずか4分で鯨武さんに徹底して叩きのめされた。


 最後の対戦にスコアアタックモードも一緒に遊んだ。これは決められた時間でどちらが多くのスコアを稼ぐかというシンプルなモードである。このモードならば時間切れになるまで対戦が途中で決することはない。しかし終了後の僕と彼女との得点差は一目瞭然だった。一桁違う上にトリプルスコア差を点けられていた。


 どの対戦モードも惨敗を喫したところで昼休みも残り時間わずか。これにて彼女との対戦は幕引きとなった。


 鯨武さんは最後まで嫌な顔を見せることなく、雲泥の実力さにも関わらず普通に接してくれた。いや、きっと内心はため息でもついているかもしれない。得意の卑屈で被害妄想な僕がまた現れる。


「また、よかったらまた対戦してくれないかな?」


 それは思いがけない鯨武さんから発せられた誘いだった。僕は一瞬、自分の耳を疑った。ちょっと待て、対戦を挑むにはあまりに失礼な実力であり、どこから見てもゲームオタクっぽい僕に、次の約束を誘うなんて正気だろうか?惚れた相手ながら一瞬「この人、頭大丈夫か?」と思った。


「でも、僕じゃ対戦相手としては成り立たないよ?」

 せっかくのチャンスに思わず僕は、一番の不安要素を本音でぶつける。


「確かに百式君はあまりガンソルは上手じゃないと思うよ。最初は驚いたけど、今日誘ってくれたこと、きっと悩んで声をかけてくれたのが今になってだけど、嬉しかった」


 鯨武さんは、少し何かを考えるような素振りを見せつつ、意外な言葉をかけてくれた。彼女なりの気遣いもあるのだろうが、それでも僕にそこまで真摯に接してくれたことに僕も嬉しくなった。

  

「だから、また対戦しようよ」

 鯨武さんは続けて、そして今日一番の自然な笑顔で言ってくれた。

 

 しかし、ゲームを通じて口説くことしか頭に無かった僕にそんな誘いを受ける資格なんてあるだろうか。急激に自己嫌悪に陥った僕は、”貝に閉じこもった獣”のごとく、これ以上、痛い目に遭いたくないのが正直な気持ちだった。


 「わかった。また、。今日はありがとう」

 僕は思わず、世間の社交辞令として最も期待の薄い返答を彼女にしてしまった。もう終わったのだ。僕はよくやったと思う。


 それからは昼の授業も(いつも以上に)放課後にクラスの仲間と出向いたゲームセンターや本屋、みんなと別れたあとの一人の帰り道、半分は無意識で過ごしていたと思う。


 ベッドでしばらく寝転がったあと、このまま気が滅入ったままで過ごすのは辛いと、僕はいつの間にかWSを起動してガンソルで遊んでいた。


「あれだけ痛い目にあったゲームなのにか?」

 自分自身に皮肉を言うが、このゲームやっぱり面白いんですよ。その中毒性は高く、遊びたくない理由にはならない。


 このゲーム、どのモードでもゲームオーバー時に最終スコアとともに自分の腕前がランク付される。EからAAAまで7段階あるらしいが、僕はいつもEかD止まりである。今まで遊んでおりながらに、改めて自己分析などをしてみる。

 

 僕は不意にゲーム雑誌を取り出して、ゲーム紹介と併せたテクニックなどの攻略記事を読んだ。このゲーム、プレイ時間などはもちろんだが、少ない砲撃回数でいかにコンボを繋げるか、それが評価に大きく影響することを初めて知った。


 一瞬、突発的なあてのない希望に燃え上がった僕は、ガンソルを一心不乱にプレイした。ひたすら操作ボタンを叩いてパネルを回し続ける。雑誌に書かれている連鎖のコツを自分なりに理解、実践しようと必死になった。


 しかし、その頑張り(自分なりの)に対してWSからは、ナイス!(二連鎖)以上の褒め言葉が発せられることはなかった。


 いつの間にか目頭に涙が溜まっていた。決意も行動も腕前も、何もかもが中途半端である自分に嫌気がさした僕は、遂に嗚咽を我慢しながら泣きながらガンソルを遊び続けた。

 

 そもそも僕は鯨武さんとどうなりたいのか。恋仲?友達?ゲーム仲間?ライバル?目的とキッカケが葛藤する。


 よくドラマなどで、身分や立場、住む世界の違いで恋路に悩んだり諦めたりする展開を見かけるが、僕はそれが『ゲームの実力差』という、何とも珍しいケースで顕在化した。僕はいつの間にか『鯨武さんなら自分にも吊り合いそうな気がする』と、どこかで妥当な想いを巡らせていたのだろう。それが何より情けなかった。


 どれほどの時間が経っただろう。どれほどのプレイ時間を重ねただろう。時間が解決してくれたと言うには、猿のお手玉をしばらく眺めるほどのあまりに短い間だったとかもしれない。遊びながらも僕は無意識に『どうすればいい?どうしたい?それとももう終わりにする?』と、気持ちを錯綜させていた。



 1999年6月30日(水) 午後12時33分

 いつもと変わらぬ昼休み。今日も校内は、勉学の束縛から一時解放された生徒たちで賑わっていた。僕はそんな賑わいからは少々声遠い離れた場所に居た。

 

 と、いつもと違う表現をしたが、要するに屋上の出入り口前である。


 一時は、もう二度と彼女に近付かないとも考えたが、僕はあるひとつの決意(またか)をしていた。ドアノブを握る前、僕は先日に失敗したスリーポイント・シュートで放ったメモ紙を片手に内容を目に通して復習していた。


 屋上のドアを開けると、鯨武さんはいつもと変わらぬ場所で黙々とWSで遊んでいた。静かに近付く僕に気付いた彼女は安心したような表情で僕を迎えてくれた。


 「こ、こんにちは」

 「あ、来たんだね。よかった。もう二度と来てくれないかなと思った」


 昨日、あれだけの激戦(一方的な)のひと時を共有したにも係らず、まだ少し緊張気味な僕に鯨武さんは小さな笑顔で迎えてくれた。僕は来て良かったと心から思った。


「それでさ、お願いがあるんだけど」

「ん?」


 僕の照れくさそうな態度の申し出に彼女は首を小さく傾げながら(可愛い)聞き返す。


「僕にガンソルを教えてくれないかな?パズルは苦手だけど、もっと上手くなりたいんだ」


 軽く深呼吸した僕の言葉を噛むことなく、すんなりと伝えることができた。それが自分の導き出した素直な本音だった。


 鯨武さんは一瞬、表情が硬くなって目線を斜め下に向けるが、次の瞬間、小さな笑顔と上目使い(これもまた可愛い)で返事をした。


「うん…いいよ」 



 時には「プライド」を捨てる「決意」も、必要ということを忘れちゃいけない。


 ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。その昔、芸夢BOYで主人公が人間と爬虫類の姿を変身で使い分けながら進む、ギャグ色の強いファンタジーアクションアドベンチャーがあった。主人公は傲慢な金持ち王子。ライバル王子はキザな性格ながらも正論と常識を備えたキャラクターだった。

 

 最初は主人公と衝突ばかりしていたが、最終的には互いを認め合う関係となり、塩を送る形ながら主人公へのはなむけの言葉としてライバル王子が言った台詞だった。昔から何か響く言葉とは感じていたのだが、ここで胸に残る言葉だったとして披露する。


     ◆


 ―――妻は昔から、人を否定したり悪く言ったりするところを特に見たことがない。時に悪知恵で人を翻弄させることはあるが、決して人は傷付けない。


 あの屋上での初対戦の出来事は、妻なりにも色々と思うところがあったようだが、僕のような男を受け入れてくれた器の広さに感謝している。


 そして、僕の人生はそれ以降も、『彼女には敵わない』と感じ続けたことを思い出す。


(つづく)

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