第25話 真の戦士とは

 頭の中が揺れた。大地が動いているのかと思った。


「ナズィロフ殿はひどく衝撃を受けられたようで、アリム殿の首を抱えたまま、何も言わなくなってしまわれたのだ」


 音だけが、頭上に降り注ぐ。

 右腕に注いだ矢よりも痛い。


 自分は、いったい、何をしていたのか。


「ご子息は、ご立派な最期であった。けして取り乱さず、すべてを受け入れたご様子であった。モラーイェム将軍も、武人としても同じ年頃の子のある身としても敬意を表するとおおせだ」


 エザンは、アリムの物言わぬ首を抱えたまま、顔を上げた。

 ナムザの目元にもわずかながら光るものが見て取れた。

 隣で、モラーイェムも、悲痛な顔でこちらを見ている。

 あのカズィ・ナディルでさえうつむいている。前髪のせいで表情ははっきりと見えないが、少なくとも、以前見た自信に満ちているあの笑顔ではない。


「ぜひともお父上に伝えてほしいと、遺言を承り申した」


 少しでもアリムの過ごした時を知りたくて、エザンは「何と」と訊ねた。

 ナムザは一度目を閉じてから、言葉の一つ一つを確かめるように告げた。


「イゼカ族一の戦士エザンの子として生きたことを誇りに思い申す、と」


 拳で大地を殴りつけた。


「何がイゼカ一の戦士かッ!!」


 幾度も幾度も殴った。

 けれど胸の内は晴れない。

 ただ赤い液体が大地に飛び散った。


「何が、俺に何ができたと言うのだ……っ」


 その液体は少し前までそれは今抱えている首にも流れていたものだった。

 自分はそれを止めることすらもはや叶わない。


「馬鹿者めが……っ」


 アリムには未来があったのだ。

 愛妻の腹に生まれ来る子がいて、大切にしている弟分はこれから族長となり、自らもイゼカ族を代表とする戦士として部族を引っ張っていく身であったのだ。

 待っている妻も妹も母も友もあった。

 そしてそれはエザンが代わることはできない。

 アリムの代わりはけしていないのだ。


「馬鹿者……っ」


 彼の最後の笑顔が浮かんだ。

 ――お袋の作った飯を食いたい。


「アリムよ」


 彼はどれほど母を恋しく思ったろう。


「父を恨め」


 食べさせてやれなかった。

 自分は、彼の父親として、彼にさせてやるべきことを何一つまっとうすることができなかったのだ。


 彼はいったい何を誇りとして胸に抱いて死んでいったのか。

 誇りなど要らなかった。

 もはや戦士としての魂などどうでもいい。

 ただただ戻ってきてほしい。何事もなかったかのように一緒に暮らしたい。


 逝ってしまった。


 帰らない。

 戻らない。

 失われた。


「アリム……」


 返事はない。

 二度とない。

 永遠にない。


「――エザン殿」


 ナムザが目の前で膝を折る。けれど今のエザンにはつかみかかることさえ思いつかない。


「かような時に申し上げるのも心苦しいものだが、早急に決めていただかねばならぬことがござる」


 どうでもよかった。アリムのない自分の今後の人生にそこまでかしこまって決めねばならぬことがあるとは思えなかった。

 黙ってナムザの顔を見上げて続きを待った。


「アリム殿の処刑は、あくまで次のイゼカ族の族長が決まりイゼカ族の方向性が決まるまで互いに何もせぬという誓いに反したがゆえのこと」


 ナムザは重々しい口調で語った。


此度こたびの行き違いについては、我々アルヤ側の落ち度もござる、まことにかたじけなく存じておる。しかし――貴殿らのご子息方のために、北部の村で罪なきアルヤの民が幾人も命を落としたのもまた事実なれば――」


 最初は、ナムザが何を言おうとしているのか、分からなかった。理解することを頭が拒否していたのかもしれない。

 ナムザやモラーイェムもエザンの気持ちは分かっていたのだろう、強いて急かすような真似はしなかった。


「同じように、子を失った親もある。親を失った子もある。此度こたびの件でアルヤの民が失われたこと、王はたいへんお怒りで、民らも皆いきどおりを隠せずにおる」


 言葉の輪郭をなぞるように丁寧に説かれる。

 言わんとしていることが次第に見えてくる。


「アルヤの法では――国の掟では、王に背いた者は斬首と決まっておる。そうせねば民に対しても示しがつかぬのだ。国同士の戦なれば、戦の責任者を捕らえて首をねるのも、しかるべきこと」


 体から、力が、抜けていく。


「我々はやらねばならぬのだ。まことに申し訳ないが、ご理解いただきたい」


 真っ白だった頭の中身が、少しずつ、言葉を反芻し出した。


「それは……、我々も、捕らえて首をねるとおおせか」


 ナムザが息を飲んだ。言いにくいようだった。


 ナムザに対して、横からモラーイェムが手を振って何かを訴えるように言った。

 ナムザが渋い顔で頷く。そして口を開く。


まことであれば侵入し民に乱暴をはたらいた者すべてを捕らえねばならぬところだが、代表の者一人だけで構わぬとおおせだ」


「おれだ」


 エザンの横から、ヤシェトが一歩前に出た。

 ナムザもモラーイェムも驚いた顔をした。


此度こたびのこの騒動はおれが起こしたものだ。おれが皆を煽動してここまで連れてきた」


 ヤシェトを見上げた。

 血も泥も涙も汗もすべてが一緒になって汚れているヤシェトの横顔は、それでも確かな意思を持っていた。頭上の太陽の光も相まって輝くようだった。


「おれに責任を取らせてくれ。すべておれが悪いのだ。おれを捕らえて処刑してほしい」


 モラーイェムが首を横に振った。

 ナムザがモラーイェムに何かを告げた。

 ヤシェトが「モラーイェム将軍は何と?」と訊ねると、ナムザが「こどもにそんな残酷な真似はできぬとおおせだが、拙者は、戦士は戦士だ、と答え申した」と答えた。

 満足したらしい、ヤシェトは「そうか、ありがとう」と微笑んだ。


「すべてはおれの浅慮が招いたこと。それにもともとおれはイゼカ族の中でもはみ出し者だったのだ、おれがいなくなればイゼカ族もアルヤもきっとうまくいく」


 ナムザも本気で納得しているわけではないようだ。何かを言い掛けたらしく一度口を開きかけては閉ざした。

 改めて口を開いた時には、「それでイゼカ族の皆が納得できるのであればそうお伝えしよう」と答えた。


 また、しばらく間が開いた。誰も喋らなかった。


 エザンはそのやり取りを呆然と眺めていた。

 誰もが黙ったことに気づくと、我に返ってヤシェトとナムザを見た。

 二人ともエザンを見ていた。


 二人だけでない。

 モラーイェムも、ヤシェトが連れてきた若い戦士たちも、みんなエザンの反応を待っている。


 考えてみれば今ここにいるイゼカ族の人間の中では自分が最年長なのだ。何の役にも立っていない、年を取っただけの老兵だが、どうやら皆自分に最終的な決定権があると思っているらしかった。


 待ちかねたらしいヤシェトが、「なあ、エザン」と呟くように言った。


「おれで、構わないだろう? そうと言ってくれないか」


 一瞬、黒いものが頭の中を過ぎった。

 そのとおりだ。

 ヤシェトが無謀なことを考えたからアリムは死んだのだ。

 アリムだけではない、アルヤの無辜むこの民も、イゼカの若い戦士も、ひょっとしたらオルティやジガルも、タルハンやあの夜死んだ者たちでさえ、ヤシェトがいなかったら今頃生きていたかもしれない。


 腕の中の首を抱き締める。


 まことの戦士とは、何だ。自分にできることとは、何だ。


 頬に熱いものが流れた。


 肯定すれば一瞬で済むことだ。

 自分の手を煩わさずに息子のかたきを獲れるのだ。


 だが、エザンは、知っていた。


 タルハンとビビハニムが見ている。

 ヤシェトと過ごした十五年の歳月も、自分を支えている。


 平原を自由に駆け抜けるのだと、父祖の時代に戻って風とともに自由に生きるのだと、夢を語ってくれた夜のことが胸裏に浮かんだ。

 ヤシェトには、未来がある。


 自分には、ヤシェトを殺すことはできない。


「拙者でござる」


 ヤシェトが目を丸くした。


「ナムザ殿、モラーイェム将軍にお伝えくだされ。拙者が、息子を人質として奪われた腹いせに、若い者たちを煽動したのだ、と」


 ヤシェトの腕が伸びた。矢が生えたままの腕をつかんで激しく振った。


「何を言っているんだエザン」


 けれどエザンは振り向かなかった。


「拙者を捕縛していただきとうござる」

「エザン!」


 ナムザが「それでいいのか」と問うてきた。

 エザンは、もう、迷わなかった。ただ「応」と答えた。


「違うだろう!?」


 ヤシェトが声をかすれさせながら訴える。


「エザンは止めてくれたではないか、エザンは何にもイゼカ族の皆を裏切るようなことはしていないではないか」


 しかし今度ばかりはエザンもヤシェトの我がままを聞いてやるわけにはいかない。


「エザン、待ってくれ、エザン」


 ヤシェトの訴えを無視した。

 黙って立ち上がった。

 カズィ・ナディルからまだ視線の定まらないナズィロフの体を預かると、そのままヤシェトに押しつけた。


「エザン!!」


 ナムザが「いいのか」と再度訊ねてくる。

 エザンは「戦士に二言はござらぬ」とだけ答えた。

 ナムザは「応とも」と賛同した。


 ナムザの大きな手がエザンの左腕をつかんだ。

 同時にモラーイェムもエザンの右側にやって来て、ヤシェトの手を離させ、エザンの腕をつかんだ。

 ヤシェトが「嫌だ」と抵抗した。

 誰もがまったく取り合わなかった。


「では、参る」

「よろしくお頼み申す」


 ナムザとモラーイェムが、城門の中へ向かっておもむろに歩き出す。

 エザンはそれに合わせて足を動かした。

 後は導かれるままでいいのだ。


「エザン、どうして」


 それでもヤシェトが縋ろうとするので、エザンは一度喉の奥に溜まった唾を呑み込んだ。


 「失礼つかまつる」と言って足を止め、首だけで振り向く。

 すぐそこに涙とはなで汚れたヤシェトのあどけない顔がある。


 もはや頭を撫でることすら叶わなくなったことを悟って、エザンは苦笑した。


「ヤシェト殿」

「エザン」

まことの戦士とは、」


 どうかあの夜を忘れないでほしい。


「すべての命を背に負って戦う者のことにござる」


 ヤシェトの顔がさらに歪んだ。


「すべての罪を背負ってなお、戦い続ける者のことにござる」


 たとえ肉体が失われようとも、自分の魂は、ずっとヤシェトと共にる。


「……皆の者、ヤシェト殿とナズィロフ殿を、頼む」


 エザンがそう言うと、周りで泣いていた少年たちが駆けてきて、ヤシェトを羽交い絞めにし、ナズィロフを抱えて連れ出した。

 ヤシェトは「嫌だ!」と言って暴れ続けたが、残った少年たちが総出で押さえ付けたので、それ以上エザンに近づくことはなかった。


「嫌だ! エザンはずっと一緒にいてくれると言ったではないか、一緒に背負ってくれると、独りにしないでくれると言ってくれたではないか!!」


 エザンは頷いた。ただただ頷いた。


御免仕ごめんつかまつる。立派な族長になられよ」


 蒼い空にヤシェトの絶叫が響いた。

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